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猫神は見守る

無季 ~季語のない季節と13月を守る猫神~

作者: 翡翠


 ・13月「無季」

 

 ここは13月、またの名を無季。

 

 季語のない季節だ。


 人間の文化に俳句というモノがあるが、名前はそこから拝借した。


 しかし――鼠に騙されてここを守る事になってしまったが、境界の外から見みる四季も存外悪くない。


 さて、現世を生きる猫達はどんな余生を送っているだろうか。

 

 一緒に、見届けよう。




  

 

 ・1月 「鐘の音は、見ていた」

 

 (せつ)は、猫です。

 

 雪原(せつげん)を歩く、猫です。

 深々と雪が降る中、小さな歩幅で近くにあった神社までやってきた。

 ここに来れば火の温もりにありつける、そう思っていた。

 だが先程まで人様(ひとさま)で賑わっていたであろう参道は鐘の音と一緒に静寂(しじま)に呑まれてしまい、今では凍える風だけが拙の耳を打っています。

 

 ここまでだ、そう思いました。

 

 拙はここで死ぬのだと悟り、眠る場所を選ぼうと思います。

 でも、拙を愛してくれた母は拙に生きろと言いました。

 本当は母と一緒に眠りたかったけど、母は子に生きることを望みました。

 母の最後の望みを守りたくて、人の匂いを辿って冷えた白い絨毯の上を足跡だけを残して歩いてきました。

 

 そうしてここに来ましたが、何もありませんでした。

 

 飢えを満たす物も、施してくれる者も。

 誰も、いません。

 

 視界が霞む。

 

 荒く吐く息は白く、鼻の頭は随分前から感覚がありません。

 だから、不思議と寒さも感じなくなってきました。

 

 視界が歪む。


 もう、寝てしまおう。

 力なく横たわった拙の体に、白く冷たい毛布が掛かる。

 あぁ神でも仏でもいい、もしもこの問いに答えてくれる誰かがいるなら答えてほしい。

 

 

 拙は、誰を恨めば良いですか?



 

 ・2月 「甘い匂いの日の、苦い憧憬」


 本日は朝からご主人がご友人達(ゆうじんたち)との賑やかな声が響く2月13日の休日、漂っている鼻腔をくすぐるチョコの匂いにも慣れてきた今日この頃である。

 キャッキャッと(かしま)しく騒がしくチョコを作るご主人は、とても楽しそうだ。

 まぁお昼寝が出来ないのは難点であるが仕方ない、お昼寝は彼女たちが帰ってからにしよう。

 そうしてオイラがソファーでくつろぎながら、チョコ製作は続く。

 ひとしきり騒いでいたご友人達が帰った後、転寝をしていたごオイラをご主人が抱きかかえた。

「旨くできたよ、虎次郎(とらじろう)!」

 ご主人の表情は、すこぶるご機嫌です。

 喜ばしい事である。

「でもあいつ、受け取ってくれるかな?」

 だが喜んでいた表情が一転、頬を赤らめて不安げな表情を見せる。

「喜んでほしいよ~、虎次郎!」

 渡すところを想像してもだえるご主人は、オイラ()を吸い始めた。

 別にそれはいい、いつもの事である。

 ご主人も年頃の娘だ、意中のお隣さんに贈り物をするのだから緊張するのは当然だ。

 

 全く羨ましい、人間は多くの愛情表現を持っている。


 オイラ()にも、思いを伝えたい相手()がいる。

 だけど、オイラ達は言葉を持たないし何かを送って気持ちを伝える文化もない。

 けど、オイラは一目見た時から目が離せない。

 白い、だが銀にさえ見えてしまうほど艶やかな毛並みをしたペルシャ猫の彼女。

 元どら猫のオイラと美しいあの猫とではそもそも釣り合わない、それは分かっている。

 

 でも、話してみたいのだ。

 そして出来れば、この想いを伝えたい。

 

 ご主人はお隣の男子に気軽に会いに行けるけど、オイラは窓から見える彼女に思いを馳せる事しか出来ない。

 羨ましいご主人、オイラも思いを伝えられる人間に生まれていたら――何かが違ったのだろうか。

 

 もしもこの思いを伝えられるのなら。


 伝えたい、あの子に。

 

 好きです、と。


 

 

 ・3月 「白い日の回想」


 (わたくし)のご主人様が、お隣の女の子からの贈り物をもらってから変である。

 必死に白色を主張するお菓子が載ったチラシを見ては、三倍返しと呟く日々。

「手作りは――重いか?」

 なんて言い出す始末であり、頭を抱えてご主人様が悶えている。

 それは痛ましい姿の筈なのに、覗き込んだご主人様の顔には何故か微笑みがあった。

「ルナ、どれがいいと思う?」

 ご主人様が、猫である(わたくし)に人間の食べ物が載ったチラシを見せてきた。

 相当、迷走しているようです。

 仕方なく、突き出されたチラシに目を通す。


 そして、ある商品が目に留まった。


 それはデフォルメされた猫で、どことなくあのお方に似ていた。

 「どうした、ルナ?」

 ご主人様も、私の見つめる商品を目に留める。

「ああ、これか! いいな、虎次郎に似てるし!」

 ご主人様は、贈り物が決まって大層ご機嫌だ。

 けど、私は気に食わない。

 何故、私には想いを伝える術がないのだろう。

 

 (わたくし)は猫である、血統書付きのペルシャ猫である。


 今の生活に不満はない、いいものを食べて私は十分に愛されている。

 けど、高値で買われた私は外に出る事は許されない。

 買われて、飼われて初めて気づいた。

 私に、自由はないのだと。

 

 いや、気付かされたのだ。


 あの自由気ままな、あのお方に。


 窓際からあのお方を最初に見た時、ショックを受けた。

 それは、縁側でお腹を出しながら眠るあのお方と飼い主の姿。

 飼い主が寝ぼけてあのお方を抱きしめれば、あのお方は幸せそうに呻くのだ。

 

 猫とは、あれ程自由なのかと。


 鮮烈で、それは私の憧憬になった。


 そして、次第にあのお方をお慕いするようになった。

 でも、私がいくらあのお方に会いたいと言ってもご主人様は気づいてくれない。

 

 私の思いは伝わらない、ご主人様にもあのお方にも。


 もしも、人間の様に想いを伝える事が出来るのならあのお方に伝えたい。

 


 お慕いしております、と。



 

 ・4月 「私は知っている」

 

 私は猫だ。

 

 元人間で今の名前はヒメル、ドイツ語で空とゆう意味らしい。

 私の主人は徹夜の末に、机に突っ伏して力尽きている。

 足音が鳴らないこの体に感謝しつつ、眠るあなたの顔を覗き込む。

 猫を飼ったとゆうのに、眉間の皴は相変わらず取れる様子がない。

 出会った頃から何も変わらないあなた、頑なあなた。

 

 愛おしい、あなた。

 

 私は、知っています。

 

 机に伏して眠るあなたの努力と涙の意味を、知っている。

 今の私の手ではあなたに毛布を掛ける事は出来ないけど、私の舌が貴方の頬に伝う涙を拭う事は出来る。

 私がいなくなって、早いもので3年が経ちました。

 久々にこの家の玄関をくぐった時、荒んだ生活を想像して心配でしたが生活習慣を改めてくれた事を嬉しく思います。

 

 洗われた食器。

 

 干された洗濯物。


 埃は取り切れていないけど、拭き後のあるリビングのテーブル下。


 そして、整頓された生前の私の写真が飾られた仏間。

 

 仕事や家事に追われる日々なのに、(わたし)まで飼い始めてしまっている。

 自分を必要以上に追い込むのは、あなたの悪い癖だ。

 でも、同時に嬉しくもある。

 私の姿は変わってしまったけど、あなたの優しさと頑固さは変わっていなかった。


 私は、忘れない。

 最後の時、病気で痩せ細った手を握りながらあなたは言った。

 

 〝俺の妻はお前だけだ、だからどんな姿になってもお前を見つける〟

 

 その言葉を胸に、私は目を閉じた。

 

 眠った私は待ち続け、あなたは私を見つけてくれた。

 そう、あなたは何時だって約束を違えた事はない。

 

 それが、死者との誓いだとしてもあなたは破る事はないのだろう。

 

 でも、私は心配です。

 私はあなたに何もできないから、あなたを幸せにする事が出来ないから――私の事は忘れてほしい。

 でも、あなたはこう言うのでしょう。

 心配するな――俺は元気でいると、そこに居ない私に辛くても笑顔そう言うのでしょう。

 その思いに対して、私が出来る恩返しは多くはない。

 涙を拭うことは出来ても、止める事は出ない。

 寄り添って眠る事しか、猫の私には許されない。

 

 だから、私は鳴き続ける事にした。

 この声が、きっとあなたに届くと信じて。

 

「お休みなさい旦那様(あなた)、愛しているわ」

 そう鳴いて、眠る貴方の隣で目を閉じた。




 

 ・5月 「五月の風と紺碧の目」

 

 吾輩は、猫である。


 昼寝を愛する猫であり、吾輩が死んで半世紀が経つ。

 吾輩は茅葺屋根(かやぶきやね)の小汚い小屋で没したが、土地に縛られてしまったからか生き汚い化け猫になってしまった。

 今は五月の初旬、今日も水面に差す木漏れ日と動かなくなった水車を見ながら怠惰に生きている。

 吾輩の敬愛する(あるじ)は戦から帰ってこず、悠久の年月を孤独に過ごした吾輩は主の面差しさえ朧げになってしまった。

 でも――吾輩は愛されていた、それは眼差しだけで伝わっていた。


 人間曰く――目は口程に物を言う、と。


 (主は今、どこにおるのだろうか)

 未だ帰らぬ主、もうこの世にはいないと分かってはいる。

 短命な猫は言うに及ばす、人間にも寿命がある。


 だが――共に生きられないのなら、せめて主と共に眠りたい。


(でも、きっと叶わない願いなのだろう)

 初夏の日差しに充てられて、瞼が落ちていく。

 そのまま微睡みに身を委ねようとした時、小さな声が聞こえた。


「もし、誰かおりますか?」

 

 声の主はどうやら女の様で、小さな声で扉の中に声を入れたが小屋の中に人などいる筈はない。

 次に女は戸を叩く。

 1回――2回と扉を叩かれる度に、立派に立った鬚がびりびりと痺れる。

 これでは、煩くて寝られない。

 仕方なく寝床から降りて、吾輩の安眠を邪魔する者の顔を見た。

 

 吾輩の目に映るその人間は、吾輩の目にしてきたどんな色よりも眩しかった。

 

 その者は木漏れ日に映える金色の髪と、清和にも負けぬほど美しい紺碧の瞳をしていた。

 どうやら、異国の者の様だが日本語が堪能である。

 背負った風呂敷を担ぎ直し、女は小屋の中へと入っていく。

 その小屋はとても質素で、あるものと言えば農機具と簡易な寝床と。


 窓の日差しを浴びる吾輩の亡骸だけしかない。


 女は吾輩の亡骸に歩み寄り風呂敷の荷を解いた。

 そして、吾輩の骸の隣に白い骨壺を並べた。

「十兵衛様、着きましたよ」

 女が、主の名前を呼ぶ。

「約束通り貴方様を家に送り届けました、これが助けていただいた私が出来る唯一の恩返しです」

 何かを呟いた女は、農機具を持ってどこかに向かう。

 しばらく穴を掘る音を聞いていると、女が吾輩の亡骸と骨壺を持って再び外に出る。

 それから半刻程して、女が小屋の中に戻ってきた。

 そして農機具を片付けて、女は小屋から姿を消した。

 女が去った後には、2つ墓が並んでいた。

「おかえりなさい、主よ」

 吾輩は、2つの墓の間で丸くなる。

 

 瞼を閉じた吾輩を、五月風が撫でるのだった。

 



 

 ・6月 「窓辺、私の帰りを待つ君」

 

 「雨は蕭々(しょうしょう)と降っている」

 

 僕はこの言葉が好きだ。

 

 雨が降る物寂しさを、見事に表現した言葉だと思う。

 僕がこの言葉を知ったのは三好達治の〝大阿蘇〟を今の(あるじ)に読み聞かせてもらった時だった。

 その詩は馬が大雨に濡れている(さま)を詠んだもので、とても短い詩だが阿蘇の雄大さと馬達の逞しさを見事に表現していると思う。

 濡れそぼった馬達が何に思いを馳せていたのかは分からないが、僕は今ここに居ない主に思いを馳せている。

 

 あぁ、言い忘れたが僕は猫だ。

 毛色は三毛でありオス猫であり、主の帰りを待っている猫である。

 

 主は多忙な人で、いつも何かを考えている人だ。

 僕にはご飯は落ち着いて食べろという癖に自分はご飯を食べながら紙の束を眺めている困った人で、今日も電話をしながら慌ただしく家を出る背中を外に出て見送った。

 そんな僕の目には、曇天の空が映っていた。

「雨が、降る」

 そんな、予感がした。

 流石に濡れながら待つのは嫌なので、雨宿りしながら帰りを待つ。

 

 僕の予想は的中し、主の帰宅の予定時間になった頃には土砂降りになる。

 

 そして、あの粗忽者は傘を持って行かなかった。

 きっと今頃は、慌てて家に帰ってくるのだろう。

「早く、帰ってこないだろうか」

 雨に濡れている窓を見上げながら粗忽者の主に思いを馳せていたが、窓越しから聞こえた水の爆ぜる音に釣られて視線を街並みに向けた。

 外では、人間達が慌てふためいている。

 鞄で頭を隠す者や大小様々な傘を広げて、慌ただしく行き来する人間を見つめ続けるのは不思議と飽きない。


 だが、不意に目の前を通る主に似た人をつい目で追ってしまう。

 

 そんな自分が恥ずかしくて、鳴いてみる。

 「別に感傷は人間だけの特許ではない、僕に限らず万物には意思が宿っているのだから思い焦がれる権利は誰しも持っているという事だ」

 そんな伝わらない思いを、鳴き声に込めてみる。

 そう強がってみても、大切な人がいない時間はやっぱり味気ない。

 〝大阿蘇〟に出てくる馬達はもしこの一瞬に百年が過ぎ去ったとしても何の不思議もないと詠われたが、僕は主がいない時間をよく覚えている。

 

 誰もいない寂しい時間は、よく覚えている。

 

 だから僕は、窓際で主を待っている。


 蕭々と、待っているのだ。



 

 

 ・7月 「捨てられた猫は、大きな魚を食べる夢を見る」

 

 俺は猫、野良猫である。

 

 将来の夢は、こいのぼりくらい大きな魚を食べて死ぬ事である。

 今は住みかに帰ってきて、寝る準備をしている。

 だが、今日の御馳走の余韻に思わず顔がニヤけてしまう。

 「今日の飯は美味かったな~」

 思った以上に、うまい残飯にありつけた。

 その余韻に浸りながら眠りに就こうとして、ふと思う。

 

 人間達は、猫はこたつで丸くなるとゆう歌詞の一節を知っているのだろうか。

 

 猫は寒いところが嫌いだと言いたげな歌詞だが、その事に関して言いたいことがる。

 猫は暑いところだって好きではない、だって暑いから。

 

 だから、仲夏の夜は俺にとって憩いの時間である。

 

 ここは林に捨てられた廃バスの運転席、季節は虫の声が聞こえ始めた七月の頃である。

 野良猫というが正確には捨て猫であり、俺を捨てた人間は毛並みが好きではないと言って何匹も飼っていた猫の中から俺を選んで捨てた。

 唯一の慈悲は、屋根のあるここに捨てたことくらいだ。

 廃バスは相当の年月が経っていたのだろう、骨組みは錆びて名前の分からない木の蔦が窓枠を伝い枝木が天井を這いよく分からない実を着けている。

 食べようとも考えたが、食べられる気がしなかった。

 だから、今は閉店した飲食店のごみ箱から盗った残飯を食べて飢えをしのいでいる状態だ。

 

 食に困り、温かい家も失った。

 

 本来ならば俺は人間を恨んで然るべきなのだろうが、飼われていた時から主の顔を覚えられなかった。

 だからきっと、俺は飼い猫に向かなかったのだろう。

 それに今のこの生活は、不便ではあるが気に入っている。

 好きなものを食べて誰に気を遣う事もない。

 まさに自由な暮らし、猫に相応しい生き方だ。

 

 だからだろうか、俺は(おれ)を馬鹿にする言葉が嫌いだ。

 

 猫にベーコンとゆうオランダの(ことわざ)があるのだが、意味合い的には猫に小判と似たようなものだ。

 価値の分からない者に高価な物を与えても仕方がないとゆう意味であり、猫に物の価値は分からないとゆう先人の有難いお言葉である。

 もしも、この諺を考えた先人に会えるならば是非とも聞いてみたい。

「果たして人間はモノの価値を分かっているのか、とね」

 猫の癖にと思われるかもしれないが、俺はそれを人間達に問う資格があると思っている。

 何故なら俺は人間のエゴを目の当たりにした猫であり、自分のエゴを貫いている猫だ。

 だからこそ、理不尽に捨てられたこのバスの様にしぶとく生きてやろう。


 そう決意し、夏風に毛を撫でられながら眠りにつく。


 俺を撫でる今日の風は、何だか優しい気がした。


 


 

 ・8月 「猫の舌」


 それは、茹だるような八月の昼下がり。

 蝉時雨と日差しが降り注ぐ中、ボクを拾ったご主人がボクを膝に乗せた。


 ボクは猫だ、つい最近まで鼠を食べて生きていたモノです。


 今は年老いた老夫婦に拾われた、幸運な猫なのです。

 今も縁側に座るおばあさんの膝の上で、日向ぼっこをしている。

「お腹、減ったか?」

 それは、僕を拾ってきたおばあさんの口癖だ。


 ボクはその返事として、恩人の指を少し舐める。


 ザラザラした舌で舐められたおばあさんは、満足げに頷いた。

「そうかい、ならご飯にしようか」

 そう言って、僕を膝から下したおばあさんは台所に向かった。

 今日も、美味しいご飯を用意してくれるのだろう。

 しかし、人間達はどうして猫の舌がザラザラしているのか知っているのだろうか。


 理由は、諸々ある。


 毛づくろいの為だったり、暑さ対策だったり様々だ。

 (ボク)の舌は人によっては不快に思われることがあるけど、ボクはこのザラザラな舌が好なのです。

 何故なら僕は、食べる事が好きだからです。


 だから、この舌は餌の為にあると思っている。


 獲物の骨に着いた肉を、残さず削ぎ落すためにこの機能を獲得した。

 実際に鼠の肉を削ぎ落すのにこの舌は役立ったしこの舌がなければ、生きてはこれなかったと思っている。


 でも、もう餌に苦慮する事はない。


 舌先で甘えれば、餌を貰えてしまう。

 もう、この舌を使う事はないのだろうか。


 そんな事はない、いるじゃないか。


 僕に餌を運んできてくれる、優しい人間達が。

 僕は生き残るために、この舌を使ってきた。

 これからも、そうするつもりだ。


 例え、何を犠牲にしたとしても。


 でも――願わくば、僕の舌が肉の味を忘れる事を祈っています。




 

 ・9月 「告白」

 

 主が泣いていた。

 

 この川辺の土手は私のお散歩コース、そこで夕陽を見ながら主が綺麗な瞳に涙を貯めて泣いている。

「待ってたよ、ゾネ」

 主は私を見つけると、私を抱きかかえる。

 きっと、私が来るのを待っていたのだ。

「ゾネは、相変わらず温かいね」

 私の頭の上から、主の涙声が聞こえてきた。

「ゾネ、聞いてくれる?」

 貴女は私が煩わしそうにしてたって、私に愚痴を言うのだから今更である。

 どうせ居眠りでもして怒られたとか、試験の内容が悪かったとか。

 

 そんなところだろう、そう思っていた。

 

「私ね、好きな人がいたんだ」

 その言葉が、私の猫目をさらに細めさせた。

「そいつね、クラスでも目立たない奴だったんだ」

 主は続ける、私の気も知らずに。

「だけど、すごく優しい奴なのはみんな知ってたから――」

 言葉の合間に聞こえてきた、嗚咽。

「いつか、誰かに取られちゃうかな~って思ってたんだ」

 無理やり作った弾みのある言葉、それでも私の頭に降る(なみだ)は止まない。

 今日は、こんなにも快晴なのに。

「結局、きょう――取られちゃったんだ」

 その時の事を思い出したのか、弾んだ声はすぐになりを潜める。

 そして主は、私の身体を抱き寄せる。

 壊さぬように。

 けど、食いしばる様に。

「私に、告白する勇気が――あったら」

 後悔の言葉を最後に、主の声は嗚咽だけになった。

 言葉から察するに、どうやら主は失恋というモノを経験したらしい。

 

 仕方のない事だ。

 主だってもう高校生だ、意中の一人や二人いたって不思議じゃない。

 多分しばらくの間は、私に愚痴を吐き続けるのだろうが構わない。

 主の言葉を黙って聞く事の出来るのは、私だけなのだ。

 

 私だけの、特権なのだ。

 

 だけど――貴女は知らない。

 

 いや――告白しよう、失恋なんて私はずっとしている。

 貴女に拾われて、貴女を見染めた時から私の失恋は始まったのだ。

 

 私がいくら愛を囁いても、貴女には届かない。

 私が貴女の頬を舐めても、貴女は笑って躱すのだ。

 だって私は猫だから、貴女に抱えられることはあっても貴女の隣に行くことは出来ない。

 私が貴女を選ばなかった男の代わりになる事は、絶対に出来ない。

 

 何故なら、私の名前はゾネ 。


 人間に恋いをした、猫である。

 



 

 ・10月 「花言葉は、大切な思い出」

 

 木の幹に体を預ける人間がいた。

 

 その人間はモノ好きにもベンチに座らず、シートを広げて本を読んでいた。

 気にはなったが、私のお昼寝はここと決めている。

 横目でその人間を確認しつつ、日光で温まった座板に丸くなりお昼寝を開始した。

 ここは街路樹とベンチが並ぶ人間達の憩いの場だが、それは(わたし)にとっても同様である。

 ベンチの日当たりは昼寝に丁度よい暖かさで、ここで丸まっていれば稀に人間達がおやつまでくれるのだからここは良いところだ。

 

 寒くなってきた風が私の毛並みを揺らす。

 

 その風が、徐々に強くなっていく。

 

 やがてそれは、木枯らし呼ばれる晩秋の風になり枝木(えだき)を揺らした。

 それに伴って、紅い葉の雨が降り注ぐ。

 それは私の頭を濡らすことはないが、私の鼻腔を落ち葉の匂いがくすぐった。

 むず痒くなって鼻の頭に乗った(かえで)の葉を振り払って、見上げる程に高い楓の木を睨みつけるが樹木が謝罪するわけもない。

 そして――私が楓を睨みつけるのと同時に、先ほどから視界の端で読書を続けていた人間から鼻をすする音が聞こえた。

 どうやらあの人間は寒いらしいく、持ってきた湯気の立つ飲み物を飲みながら読書を続けている。

 人間なのだから住処に帰って本を読めばいいものを、人間という生き物は猫以上に不可解で面白い。

 

 私はとうとう好奇心に負け、本を読む人間に近づいていく。

 

 そして、見上げるその人間は髪の長い女だった。

 見るからにサラサラな髪で、耳に髪を掛ける度にスルスルと滑り落ちる程だ。

 女は私に気が付くと少しだ微笑み私を膝に誘う、不思議と警戒する事もなく横座りする女の膝の上で丸くなった。

 女は何も言わず私を撫でながら器用にページをめくり、私はいつもの昼寝よりも温かい体に安らぎを感じていた。

「きみは、温かいね」

 突如、女が口を開いた。

 

 私は見上げる形で、女を見た。

 

 女は私の視線に気が付くと、視線の本から外す。

 そして、木枯らしが運んできた一枚の葉を頭に乗せながら私を見つめる。

「私は(かえで)、きみは何処から来たのかな?」

 女の問いに、応えられなかった。

 それは、私が猫だからではない。

 木漏れ日に照らされたその女が、楓の葉のように美しかったからだ。


 これは、後に私の主となる人間との出会い話である。




 ・11月「ハロウィンの残り香」


 てまえは、猫です。


 この商店街の、ボス猫です。

 ここは、地元の人間達が通う商店街。

 シャッターの降りた店が多いが、夕方になればそれなりの人間達がここを通る。


 今日は、11月1日である。


 ここは昨夜まで百鬼夜行になっていた、テレビの中のキャラクターやお化けや妖怪が闊歩するまさに魔境だった。

 そんな魔境だったから、人間たちは片付けには苦労するみたいだ。

 そんな時こそ、人間達が落としていったごみを拾う絶好の機会だ。

 食べ物の匂い渦巻くここは、ここに生きる動物たちにとっても戦場なのだ。

 餌を食い溜めできるかもしれないこの機会を、逃すわけにはいかないのは皆同じだ。


 そして、餌の争奪戦が始まった。


 てまえも、意気揚々と餌を探してみた。

 だが、どれも空袋だ。

 どうやら、昼間の内に人間どもがあらかた片付けてしまったのかもしれない。

 

 仕方なく、作戦を変える。

 

 てまえはカボチャのオブジェの上で陣取り、上から餌を探す。

 ここからなら探せる。

 そう思った矢先――。

 

 「あっ! 猫さんだ~」

 小さな人間が、てまえを指さす。

「本当ね、カボチャに乗って可愛いわね」

 その子に向かって微笑んだ親と思われる女が、買い物袋に手を入れる。

「ごめんね猫さん、こんなものしかないけど我慢してね」

 そう言いながら母親は小魚の小袋を取り出して、てまえの前に差し出す。

「アハハ! ゆっくり食べてね!」

 小さな人間が、小さな手を大きく手を振りながら離れていく。

 まだ(つたな)い言葉しか喋れないその人間は、母と一緒に笑い合いながら冷たい風と一緒に帰っていった。

 どうだ、てまえの迫力い掛かれば人間どもは簡単に餌を貢ぐのだ。

 

 だが、あの人間の忠告は聞いておこうと思う。


 てまえは、差し出された小魚をゆっくり食べ始める。

 ゆっくりと、味わうように。

 

 それは、手前にとって久方ぶりの食事だった。

 

 いま一度言おう、今日は11月1日だ。

 晩秋の風が吹き、冬の訪れを感じる季節。

 だが、食欲の秋なのだからどうせならお腹いっぱい食べたいものだ。


 そんなてまえの思いを、笑顔に作られたカボチャに笑われた気がした。





 ・12月 「鐘の音に、呼ばれて」


 今は12月31日、今年が終わるまであと5分になった。

 寒いのは(きらい)なのに――何かに呼ばれる様に、祖母の家の近くの神社に歩き始める。

 近くといっても田舎換算の近くなので――十五分くらい歩く羽目になる苦行である、その筈なのに足は神社に向かって足跡を作っている。

 そんな時、深々と雪が降り同時に除夜の鐘が響いた。

 立ち止まり――見上げた先にはゆらゆらと揺れる雪が、鐘の音に浄化されながら肩や頭に降り注ぐ。

 

 そして――雲の切れ間から注ぐ月光が雪と暗闇に光を与えた。


 それは、誰かからの贈り物の様な気がした。

 

 もっとそれを見ていたかったが、体が足を進ませようとする。

 仕方なく少し大きくした歩幅で目的地を目指し、程なくして人の居なくなった神社にたどり着く。

 少し息が上がっているせいか、 息が眼球を濡らし視界が曇る。

 白い息が立ち(のぼ)っていくのを目端で捉えつつ、鳥居の中に足を踏み入れた。

 

 そして――直ぐに分かった、この子が呼んでいたんだと。


 賽銭箱に通じる道の先に、白く冷たい毛布に包まれた子猫がいる。


 迷いは、一瞬だった。


 生き物を飼う責任とか親が許してくれるだろうかとか、そんな事を一瞬考えた。

 考えただけで、子猫が力なく泣いた声の前にはどうでもいい事だった。

 子猫をマフラーにくるみ、急ぎ足で来た道を戻っていく。


 その時、背中越しに誰かが言った。


 喋ることのできない、この子の代わりに。

 

『ありがとう』と。


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