ご飯に石が入っていたら
娘が0歳の頃の話だ。
赤ん坊は生後100日を記念し、"一生食べ物に困らぬように"と「お食い初め」の儀式をする。
自宅でお膳を用意することもあれば、お店に予約し、部屋を借りることもある。
私は後者を選んだ。
なぜかって、親戚がそういうお料理屋さんをやっていたので、そこで頼めばいろいろ融通がきくからだ。
実際当日は、すごく立派な鯛を焼いてくれた。
身内待遇、良き。
現在、その親戚はもう年で、お店をたたんでしまったけれど、お座敷で窓からお庭を楽しみつつ、ワイワイと集まったひとときは楽しかった。
さて、この「お食い初め」だが、儀式というだけあって、いろんな取り決めがある。
食べるおかず順は決まっているし、赤ん坊の男女差で食器の色が違う。食べさせる役も決まっているのだ。
お膳のメニューはお赤飯、お吸い物、煮物、香の物、鯛。
そして石。
この石は「歯固めの石」と言って、実際食べるわけではなく(それを言ったら赤ちゃんはどの食事だってまだ無理だ)、「丈夫な歯が生えますように」と願いを込めて、お箸でちょんちょんと触り、赤ちゃんの歯茎に箸先をあてるおまじないに使われる。
お店で用意してくれる場合もあるけれど、私は自分たちで用意した。
詳しくは省くが、神社で神主様の許可のもと、石を入手したのである。
なかなかに丸く滑らかにキレイな石で、小粒で良きカタチをしていた。
石の効果は素晴らしく、現在七歳の娘の歯は、イイカンジに生え、また生え変わっている。
ところで話はそれるが、"石と食べ物"が組み合わさると、私には思い出す"日本昔ばなし"がある。
少し、かいつまんで話す。
ある村に、子どもが生まれる。男の子と女の子。
親同士の仲が良く、ふたりは一緒に遊んで育つが、やがて年ごろになり、女の子の方は奉公先で見染められて、長者に嫁ぐ。
男の子は、平々凡々な職人となった。
ある日、男の雇われた先が、その長者の屋敷だった。
今や若奥様な女の子は、幼馴染を懐かしく思い、またその暮らしぶりが困窮していると知って、男へ渡す差し入れの握り飯に、そっと小判を忍ばせる。
何個もの握り飯に、それぞれ小判一枚ずつ。
全部取り出すと、なかなかの財である。
さて、お昼。谷に面して腰かけた男が握り飯を食べると、固いものが歯に当たる。
"なんだ石か!! 馬鹿にして!!"
男は食べかけの握り飯を確認もせずに、谷へ放り投げる。
何度もそれを繰り返し、最後の一個となった時、ようやくどんな石か確認すると……。
それは煌めく小判だった。
彼女が男を思って握り込んだ小判は、たった一枚を残し、すべて谷へと落ちた後。
男は深く後悔するというお話。
いやもう男、ほんと何してんの?!
食べかけの握り飯を捨てる行為も許しがたいが、せっかちが過ぎる。
この話を幼い頃知った時、あまりのことに憤り、同時に呆れたものである。
つまりだ。
短気は損気。
食べ物は粗末にしてはいけないし、たとえ石が入っていると思っても、まずは確認しよう。
私はそう学んだ。
いつか娘にも、この"昔ばなし"を伝えたい。
そうして得た教訓は、小判のように価値あるものだと思うから。
娘の歯が見事生えかわるまで、お食い初めの石は神社より預かったまま、"へその緒"とともに仕舞ってあるのだった。
お読みいただき有難うございました!
"石と食べ物"と言えば、「石のスープ」という海外の民話も、興味深く好きです。
なにげに食べ物に石が関わることって多い?
※石のスープは下記作品6話目で紹介しています。
『~世界の民話・伝承集~最奥の森、最果ての海。』
https://book1.adouzi.eu.org/n8350gr/




