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旅する不死者は昼も歩く  作者: 真野真名


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39、姉と弟と、時々、言語の壁




 森を抜けるというのは、ある種のリハビリみたいなもんだ。


 緑の匂いと湿気、そして木々の圧迫感から解放されて、空が広がる街道へ足を踏み出す瞬間、肺の奥に溜まっていたモヤモヤしたものが、すっと抜けていく感覚がある。

 もっとも、今のわたしの肺が酸素を必要としているかどうかはぶっちゃけ怪しいし、心臓に至っては腹の底でドクンと鳴る謎エンジンのような代物だ。それでも、人間としての記憶が「ここは深呼吸をしておく場面でしょ」と告げてくるので、わたしは大きく息を吸い込み、そして吐き出した。


 背後の森には、もうあのログハウスは見えない。

 認識阻害の結界というのは便利なもので、意識して見ようとしても視線がツルリと滑ってしまうらしい。そこにゲルトさんが残った。片腕を失い、仲間を失い、それでも生きていくことを選んだ狼の獣人が。


 わたしたちは、王都とは逆方向へと足を向けていた。

 街道は乾いた土の色をしていて、わだちが幾重にも刻まれている。時折吹き抜ける風が砂を巻き上げ、旅情というよりは「ただの移動マジしんどい」感を演出していた。


 隣を歩くすばるは、相変わらず散歩でもするかのような軽やかな足取りだ。七千年の時を生きるこの少年(中身は老人、あるいは仙人)にとって、徒歩での移動など瞬きするほどの時間にも値しないのかもしれない。


「ねぇ」


 わたしは沈黙に耐えきれず、あるいは胸の奥に引っかかっている小骨みたいな不安を吐き出すために口を開いた。


「ゲルトさん、片腕なのに一人で大丈夫かな」


 あの不自由な体で、森の中で一人。薪を割り、水を汲み、魔獣の気配に怯えながら暮らす日々。想像するだけで胸が痛む。


「生き抜く力はあるだろう」


 統は前を向いたまま、抑揚のない声で答えた。


「狼人族の生命力は高い。それに、あの程度の怪我で野垂れ死ぬようなら、そもそもここまで生きてはいない」


 相変わらずのドライな評価だ。彼の中では「生きる」か「死ぬ」かの二択しかなく、その間の「苦労」や「寂しさ」といった情緒的なパラメータは、極端に低く設定されているらしい。


「でもさ、不便じゃない。義手とか持ってないの? あんたのその四次元ポケット……もとい次元収納なら、未来のサイボーグ義手とか、魔法で動くゴーレムアームとか、なんか入ってそうじゃない」


 わたしの期待のこもった問いかけに、統は歩調を緩めることなく首を横に振った。


「必要に思ったことがないので、持ってない」


「えー、準備いいのに、そこは抜けてるんだ」


「仮に持っていたとしても、渡してはいない」


「どうしてよ」


 わたしは思わず声を荒げた。あるなら渡せばいい。それが人情というものだろう。吸血鬼情かもしれないが。


「目立つ」


 統の答えは、あまりにも簡潔で、そしてぐうの音も出ないほど正論だった。


「あ……そうだね」


 わたしは口をつぐんだ。

 そうだ。ここは中世レベルの文明水準の世界だ。そこにいきなりカーボンファイバー製の義手だの、魔導工学の粋を集めた機械腕だのを装着した獣人が現れたらどうなるか。

 奇跡の業と崇められるか、悪魔の所業と石を投げられるか。どちらにせよ、静かな隠遁生活など望むべくもない。平穏を願うゲルトさんにとって、それは呪い以外の何物でもないだろう。


 統の「渡さない」という判断は、冷徹なようでいて、実は誰よりも彼の実情を考えた上での配慮なのだ。

 ……と、好意的に解釈しておこう。単に在庫がないだけかもしれないが。


 太陽が頭の上に差し掛かる頃、日差しは容赦なく肌を焼くようになってきた。

 吸血鬼になったとはいえ、日光で灰になるような低級な種族ではないらしい。日焼け止めも日傘もないが、肌がジリジリする感覚もあまりない。便利といえば便利だが、自分が人間から遠ざかっていることを突きつけられるようで、少しだけ複雑な気分になる。


「次はどこへ行くの?」


 目的地の確認だ。当てもなく彷徨う放浪の旅も悪くはないが、ゴールが見えないマラソンは精神をゴリゴリ削ってくる。


「途中、村に寄るかもしれんが、テンペタ・フロップスの街へ行く。問題なければしばらくそこで暮らす」


「テンペタ・フロップスって?」


 舌を噛みそうな名前だ。何かの呪文か、あるいは失敗した料理の名前みたいだ。


「ここから普通に歩いて十時間ほどで着く。この国が今の王族に支配される前、この国を含め、周辺国をも支配していた帝国の首都だったところだ」


 十時間。


 東京から大阪まで高速バスで行くようなものか。徒歩で。

 気が遠くなりそうだが、今のわたしの脚力なら案外いけるのかもしれない。


「帝国の首都……ってことは、遺跡とかある感じ?」


「今は王国の直轄地で、帝国時代から現存する街並みが観光名所となっている。古い石造りの建物や、巨大な水道橋が残っているな」


「へえ、観光地か。いいな。着いたら見物しようね」


 わたしの脳裏に、ガイドブックに載っていそうな美しい街並みが浮かんだ。石畳の路地、オープンカフェ(あるのか?)、そしてお土産屋さん。殺伐とした逃避行の中に、ふと差し込んだ明るい光のようだ。


「安全が確認できればな」


 統が冷水を浴びせるように言った。

 はいはい、わかってますよ。わたしたちは追われる身、あるいは隠れる身。観光気分で浮かれている場合ではないことくらい。でも、夢を見るくらいは自由でしょうに。


 街道には、時折他の旅人の姿も見えた。

 荷馬車を引く商人らしき一行や、武装した冒険者のグループ。彼らとすれ違うたびに、統はさりげなくわたしを庇うような位置取りをする。

 過保護な保護者だ。見た目は弟なのに。


 そんな「弟」が、不意に足を止めた。

 そして、わたしの顔をじっと見つめてくる。その瞳は、何か重大な欠陥を見つけた検品係のように厳しかった。


「七色。テンペタ・フロップスに着くまでに、言葉をまともに使えるように直せ。目立つ」


 唐突なダメ出しである。

 わたしはきょとんとして首を傾げた。


「え? 完璧に使えてるよ」


 何を言っているんだ、この七千歳児は。

 わたしは吸血鬼パワーで現地の言語を習得したはずだ。実際、アリアさんたちとも問題なく会話できていたではないか。多少の訛りはあるかもしれないが、「まともに使えるように直せ」と言われる筋合いはない。



『万代ない。りゅいちょーに喋られれれるじゃい?』


「どこがだ」


 統は鼻で笑った。


「それをいうなら『問題ない。流暢に喋られているんじゃない?』だ。いきなりマーケット探してどうする」


 マーケット? 探す?


「どこか違った?」


 わたしは恐る恐る聞き返す。自信満々の城壁に、ピキリと亀裂が入る音がした。


「『問題』『流暢』」


 統が手本を示す。美しい発音だ。アナウンサーのようだ。


『モンダイ』

 うん。大丈夫。


『りゅいちょー』

 わたしが真似をする。


 ……あれ? なんか口の動きが追いつかない。舌が上顎の変なところに当たって、空気が抜けるような音がする。


「『りゅ・う・ちょ・う』だ」


 統が区切って教える。幼児に対する教育番組のお兄さんのようだ。ただし、笑顔はなく、手に持っているのはマイクではなく精神的なムチだが。


『少しつがうね』


 わたしは冷や汗をかきながら、なんとか修正しようと試みた。「少し違うね」と言いたかったのだ。ほんの少しの誤差だと主張したかったのだ。


 しかし、統の目が、絶対零度まで冷え込んだ。


「『少し違うね』だ。交尾の宣言してどうする」


 番う。

 つがう。

 交尾。

 ……!!


「変態!」


 わたしは顔を真っ赤にして叫んだ。なんてことを言わせるんだ、この言語は! いや、言ったのはわたしか。でも、そんな微妙な発音の違いで意味が天と地ほど変わるなんて、トラップにも程がある。


「お前だ」


 統は冷静に切り返した。


「道中、日本語禁止。発音さえ慣れればなんとかなるはず」


 日本語禁止令。

 それはつまり、わたしの唯一の安全地帯を奪われることを意味する。思考と言語が直結しているわたしにとって、慣れない言語での会話は、泥沼の中をスキップするようなものだ。


「じゃ、統もその言葉使い直しなよ。子どもが喋ってるとは思えないもん。それに、わたしがおねーちゃん役。そこもちゃんとしてよ」


 わたしは反撃に出た。


 彼の言葉遣いは、どう聞いても還暦を過ぎた隠居老人か、時代劇の武士だ。十歳前後の少年の外見とはあまりにも食い違っている。目立つと言うなら、彼の方こそ修正が必要だ。


「善処する」


 統は眉ひとつ動かさずに答えた。

 「善処する」なんて言葉を使う子どもがどこにいる。永田町の政治家か。


「じゃ、今からスタートね」

「わかった」


 こうして、地獄の語学合宿(徒歩移動付き)が幕を開けた。


 歩き始めて一時間。

 わたしはすでに三回ほど心が折れかけていた。


『あの雲、魚に似てるね』と言おうとして、『あの雲、さかな煮てるね』と言ってしまい、「昼間から晩酌のつまみを欲してどうする」とツッコまれたり。


『足が疲れた』と言おうとして、『鷲が轢かれた』になってしまい、「空飛ぶ自動車が実用化か」と冷たくあしらわれたり。


 わたしの舌は、どうやらこの世界の言語体系に対してレジスタンス活動を行っているらしい。


 統の指導は容赦がない。いちいち立ち止まり、正しい発音を繰り返させ、合格が出るまで歩かせてもらえない。スパルタ教育にも限度がある。


 一方で、統の方も苦戦していた。


『姉上、そろそろ休憩になさいませんか』

「姉上はやめて。時代劇じゃないんだから。もっとこう、フランクに」


『……姉ちゃん、休もうぜ』

「ガラが悪い! どこのチンピラよ」


『……お姉ちゃん、僕、疲れちゃった。少し休みたい……な』

「……うん、まあ、合格点だけど。目が死んでるよ」


 七千年のプライドが邪魔をするのか、彼が「弟キャラ」を演じようとすると、どうしても何かが破綻する。棒読みか、過剰な演技か、あるいは殺気が漏れ出ているか。

 可愛げのある弟、という役作りは、彼にとって世界を救うよりも難題なのかもしれない。


 そんな奇妙な二人三脚(精神的な意味で)を続けていると、前方の街道に土煙が舞っているのが見えた。

 風に乗って、微かに怒声や悲鳴が混じってくる。


「……あれ」


 わたしは目を凝らした。

 視力が強化されているおかげで、遠くの景色も双眼鏡を使ったようにはっきりと見える。


 一台の馬車。

 それを取り囲む、数人の男たち。

 男たちは剣や槍を振り回し、馬車を止めようとしている。馬車の御者は必死に鞭を振るっているが、道が悪く、逃げ切れる様子ではない。


「盗賊……?」


 わたしは統を見た。

 彼もまた、冷ややかな目でその光景を見つめていた。


「馬車をたしけるって、異世界テンプレだよね」


 たしける。

 助ける、と言おうとしたのに、また舌が滑った。しかし今は発音を気にしている場合ではない。


「そうか?」


 統が聞き返す。


「そう。王族とか貴族で感謝されて、送検とかしてくれる」


 わたしは力説した。

 小説や漫画で何度も見た展開だ。襲われている馬車には、たいてい身分の高いお姫様や、有力な貴族の子息が乗っている。彼らを助けることで強力なコネクションを得て、その後の旅がイージーモードになるのだ。


 これぞ、異世界転生の醍醐味。


「それ、犯罪者扱いだぞ“後見”な」


 統が冷静に訂正を入れる。


「それにその妄想は無理だと思う」

「なぜに」

「あれ幌馬車だし、おそらく小商人」


 統が指差す先をよく見る。

 確かに、馬車は豪華な装飾が施されたキャリッジではなく、荷物を運ぶための実用的な幌馬車だった。幌は薄汚れているし、引いている馬も農耕馬のようなずんぐりとした体型だ。

 王族や貴族が乗るような代物ではない。


「……あー」


わたしの夢が、土煙と共に霧散していく。

 玉の輿ならぬ、玉のコネクション計画、失敗。


「でも助けるでしょ」


 わたしは気を取り直して言った。

 相手が誰であれ、目の前で人が襲われているのを見過ごすわけにはいかない。それに、助ければ多少の謝礼や、街までの同乗くらいは期待できるかもしれない。

 下心があることは否定しない。生きるためには貪欲さも必要だ。


「あまり派手にやるな。おねーちゃん」


 統が、皮肉っぽく「おねーちゃん」と呼んだ。

 その響きには、まだ若干の違和感と、隠しきれない照れ(だと思いたい)が混じっていた。


「わかってるわよ、弟よ。サクッと片付けて、スマートに恩を売るわよ」


 わたしはサコッシュに手を入れ、愛用の(といっても数回しか使っていないが)短刀を取り出した。

 心臓の位置にある「深い鼓動」が、静かに、しかし力強くリズムを刻み始める。


 恐怖はない。

 あるのは、これから始まる立ち回りへの、少しの高揚感だけだ。


 わたしたちは視線を交わし、同時に地面を蹴った。

 十時間歩くはずだった道のりが、少しだけ短縮されそうな予感がした。

 まあ、その分、厄介ごとも増えそうな予感もするけれど。

 それが旅というものなのだろう。たぶん。


 砂埃舞う街道へ向かって、わたしたちは風のように駆け出した。




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