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旅する不死者は昼も歩く  作者: 真野真名


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32/42

32、顔を見る距離



 


 エチゴヤ商会の中は、夜でも完全には眠っていなかった。


 油灯がいくつか残されていて、床板はよく磨かれている。

 倉庫特有の埃っぽさはあるのに、そこに混じるのは──

 はっきりとした“金の匂い”。


 わたしは一歩、足を踏み出す。


 ……音が、しない。


 靴底が床に触れた感触はあるのに、音だけが抜け落ちている。

 すばるを見ると、当たり前みたいな顔で歩いている。


「……今、なにしてるの」


「音を殺している。お前だけだ」


「え」


「他人の分までやるほど器用ではない」


 いや、十分すぎるほど器用だと思う。


 胸の奥で、深い心臓が静かに鳴る。

 音を拾う力はまだあるけど、統の“圧”の内側にいるせいか、過剰にはならない。


 奥から、足音。


 二人分。

 革靴が石床を叩く、規則正しい音。


 巡回。


 反射的に壁際へ寄ろうとした、その瞬間。


 統の手が、わたしの肩に軽く触れた。


「止まれ」


 息を止める。


 灯りが近づく。

 油灯の揺れる影が、床を這う。


 男の声。


「……倉庫の鍵、閉めたか?」


「閉めたはずだ。さっき確認した」


「代官所の方、今日は妙に慌ただしいな」


 ──代官所。


 胸が、きゅっと縮む。


 灯りが、角を曲がる。


 近い。

 隠れる場所は、ない。


 でも、統は動かない。


 ただ、立っている。


 次の瞬間。


 灯りが──

 わたしたちを“通り抜けた”。


 正確には、男たちの視線が、わたしたちを「認識しないまま」通り過ぎた。


「……今の、なに」


「認識阻害」


「魔法?」


「似たようなものだ」


 統は淡々と言う。


「視界に入っても、重要でない情報として処理させている」


「重要じゃない……影が薄いってこと?」


 自分の体を見下ろす。


「……薄い……」


「そうだ、薄い」


「“影が”を省くな!」


 巡回が去ると、統は指先で奥を示した。


「事務室がある。帳簿があるなら、そこだ」


「……寝室は?」


「二階」


 その一言で、言葉に詰まる。


 寝室。

 眠っている顔。

 無防備な、命の距離。


 殺す気はない。

 でも、見てしまったら──。


「……行く?」


 統は、わたしを見た。


「判断は任せる」


 逃げ道を用意しない言い方。

 選べ、という意味。


 わたしは、深呼吸をひとつ。


「……行く。見るだけ」


「了解した」


***


 二階へ続く階段には、絨毯が敷かれていた。

 足音を消すための、贅沢。


 統は何も言わず、先に行く。

 その背中は頼もしいのに、どこか遠い。


 二階は、空気が違った。


 香の匂い。

 柔らかい布の匂い。

 金と権力の匂い。


 最初の部屋。


 扉の向こうから、規則正しい寝息が聞こえる。


「……エチゴヤだ」


 自分でも驚くくらい、声は冷静だった。


 統が扉に手をかける。

 罠解除の魔道具。

 カチリ。


 扉が、静かに開く。


 寝台は大きくて、男はその中央で眠っていた。


 太った腹。

 油の浮いた肌。

 指には宝石。


 ──この手が、金を数えた。

 ──この口が、値段を決めた。


 人の命の。


 胸の奥で、深い心臓が低く鳴る。


(……この人が……)


 一歩、近づく。


 刃物がなくても、統がいればどうとでもなる距離。

 今のわたしでも……。


 拳を、強く握る。


 殴りたい。

 叫びたい。

 起こして、全部吐かせたい。


 でも──


 フィーネさんは、こんな顔を見せたまま死んだわけじゃない。


 きっと、前を向いてた。

 守るものを、見てた。


「……行こう」


 わたしは、背を向けた。


 統は何も言わず、扉を閉める。


***


 事務室は、期待を裏切らなかった。


 帳簿。

 鍵付きの箱。

 封書。


 統が淡々と仕分ける。


「これと、これ。証拠になる」


「……わたしのバッグは?」


 統は、耳を澄ますような仕草をした。


「……奥だ。倉庫」


 倉庫。


 胸が、強く跳ねた。

 深い心臓も、同時に鳴る。


 ──近い。


 倉庫の奥。


 箱が積まれている。

 見慣れた形。


「……あった」


 思わず駆け寄りそうになるのを、必死で堪える。


 自分のバッグ。


 汚れてる。

 赤黒いシミもある。

 それでも、確かに、わたしの。


 フィーネさんが、命を懸けて守ったもの。


 手を伸ばした、その瞬間。


 胸の奥が、じん、と熱を持った。


七色どれみ


 統の声が、現実に引き戻す。


「……うん。わかってる」


 まだだ。


 バッグだけじゃない。


 証拠。

 全部、回収する。


 涙を飲み込んで、バッグを抱えた。


***


 外へ出る準備を整えた、そのとき。


 ──別の箱が、目に入った。


 妙に、薄い。

 板みたいな形。


 見覚えが、ある。


「……これ……」


 箱を開ける。


 中にあったのは、

 ひび割れた、黒い板。


 画面は真っ暗。

 でも、形は間違いない。


 スマホ。


 しかも──わたしのじゃない。


 胸の奥で、深い心臓が、嫌な音を立てた。


「統……」


「……ああ」


 統も、気づいていた。


「別の転移者だ」


 わたしは、その板を、そっと抱き上げた。


 まるで、遺骨みたいに。


***


 外は、まだ夜だった。


 エチゴヤ商会を出ても、誰にも気づかれなかった。

 街は、何事もなかったみたいに眠っている。


 でも、わたしの中では、確実に何かが動き出していた。


 ──これは、バッグを取り戻すだけの話じゃない。


 ひび割れたスマホを胸に抱いたまま、統を見る。


「……次は代官所。今夜中に証拠を集めたい」


「そうだな」


 統は短く答えた。


 夜のオーミを背に、わたしたちは音もなく離れる。


 胸の奥で、“深い心臓”が、もう一度だけ──


 低く、確かに鳴った。






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