14、初陣、ザ・チャンバラ
ティンバーウルフ。
昨日わたしを八つ裂きにした、あの大型犬の親戚みたいな魔獣たち。
統の言葉を聞いた途端、わたしの背骨はさっきまでの余裕を全部忘れて、あの日の森へ一直線に逆戻りした。
ほら、よく言うでしょ。
“トラウマは薄皮を剥がれるように戻る”って。
あれ、ウソよね。わたしの場合はカーテンレールごと外れる勢いで戻ってくる。
五匹。
統が正確に言い当てた通り、闇の奥で五つの光が並んだ。
目だ。あの、光る目。
「……ひぃ」
声が勝手に出た。情けない。でも仕方ない。
だって、あれ昨日わたしの足を持ってったやつらよ?
そりゃ声くらい裏返る。
統は、刀の柄に軽く指をかけながら言った。
「一匹はお前にやらせる」
「無理でしょ!?」
「やってみろ。日本人だし、刀は扱ったことがあるのだろう?」
「今時、ヨーロッパの片田舎の人でもそんな認識持って無いわよ! でもまぁ……触ったことはあるわ。ただし、2.5次元の舞台で、殺陣の練習でチャンバラした程度よ!?」
「なら十分だ」
「全然十分じゃない!」
統は聞く耳を持たず、また次元収納に手を突っ込んだ。
そこでわたしに向けて、もう一本の刀をスッと差し出してきた。
「持て」
わたしは思わず両手で受け取った。
重さは……あれ、思ってたより軽い。
日本刀というより、舞台用の模造刀の“本気バージョン”みたいなバランスだ。
刃文がうっすら光っていて、なんだか背すじが伸びる。
「なにビビってんだ。死なないだろう」
「言い方ァ!!」
死なないけど、痛いのは嫌なのよ。
わたし昨日めちゃくちゃ痛かったんだから。
「一匹だけだ。殺されはしない。どうせ斬れば終わる」
「そういう問題じゃ──」
言いかけたとき、前方の草むらがばさりと割れた。
五匹のティンバーウルフが、弧を描くようにわたしたちを囲んだ。
灰色の毛並みが波打ち、牙が月光を吸い込んで白く光っている。
二つの太陽の残照と夜の境目の中、彼らだけが妙にくっきり見えた。
「……わたし一匹でいいから、最初から一番弱そうなの選んでよ?」
「弱いのはもう殺した。残っているのは、昨日お前を追い回した連中だ」
「人選が悪い!!」
「獣だ」
「そういうことじゃなくて!!」
もういい、話は通じない。
統にまともな会話を期待する方が間違いだ。
それにしても、あいつらの唸り声を聞くと、膝の裏がじんじんしてくる。
人間って、ほんと正直な動物だ。
「いいか、最初は避けなくてよい。真っ直ぐ受ければいい」
「受けるって……何を?」
「攻撃を」
「無理よ!!」
「奴らの牙程度なら致命傷にはならん」
「そういう問題じゃなくて痛いのは嫌なの!!」
「では斬れ」
「急に全部わたしに丸投げした!」
ティンバーウルフたちは、わたしたちのやり取りを不思議そうに見ている。
たぶん狼語でこう言ってる。
──おい、あの人間、昨日のやつじゃね?
──今日も食べる?
──いや、あれ硬そうじゃない?
──いやいや、一口だけでも……
──やめとけ昨日の味思い出せ。
──あれ意外と美味かったよ?
……みたいな。
違うかもしれない。
「七色」
「なに」
「来るぞ」
統の声と同時に、一匹が飛んだ。
いや、飛んだっていうか、弾丸みたいだった。
空気が「ビュッ」と裂ける。
反射的に身をすくめ、刀を胸の前に出す。
殺陣でやった「とりあえず形だけ構え」はこんなとき本当に役に立たない。
ガツン、という衝撃が刀を通して腕に走る。
でも不思議と痛くない。
重いだけ。
受け止めた、というより、体ごと押されて草に転がった。
狼は距離をとって着地し、また低く唸り始める。
「ほう、悪くない」
統が後ろから言った。
「悪いわよ! 今ので普通死んでるわよ!」
「死なないから問題ない」
「だからそういう問題じゃ──」
言い終わる前に、二匹目が飛んできた。
今度は横から。
咄嗟に刀を横にして受けたら、狼の牙が刃にかち合った。
火花が散った。
狼はそのまま地面に落ち、転がった。
……あれ、これ意外といける?
「一匹やれと言ったが……二匹やるか?」
「やらせる気満々じゃない!!」
でも、心のどこかに、変なスイッチが入っていた。
統の余裕のせいかもしれない。
死なないと言われると、強気になるのが人間の悪いところ。
「ほら、一匹来たぞ」
「ひぃ」
「斬れ」
「ひぃを無視した!!」
狼が三度、飛んだ。
今度は正面。
距離が近い。
避けられない。
だったら──
刀を下段から思いきり振り上げた。
演劇のとき、殺陣の先生に言われたセリフがよみがえる。
「斬るんじゃない、“通す”だけだ」
わたしは、その言葉の通りに腕を伸ばした。
──すっ。
空気を割るような音。
重たい抵抗。
肉の奥に刃が通る感触。
狼の体温が一瞬、刀を通してわたしの腕に伝わった。
次の瞬間。
狼の体は横に滑り、ドサっと音を立てて落ちた。
ピクリとも動かない。
「…………え」
わたし、斬った?
「ほう。見たか、七色」
統が淡々と言う。
「……わたし、今、斬った?」
「斬った」
「マジで?」
「マジだ」
「演劇でチャンバラやってただけなのに?」
「関係ない。身体能力が跳ね上がっている」
言われてみれば、腕が妙に軽い。
視界もやたらクリアだ。
世界の輪郭がハッキリしている。
「二匹目はどうする?」
「まだやらせる気なの!?」
「残り三匹だ」
「増えてる!?」
「一匹は私がやった」
「それ早く言って!!」
残った三匹の狼が、低く姿勢を落としてわたしたちを囲む。
その目は、もう完全に“狩りモード”だ。
でも、さっきまでの絶望感はなぜか薄い。
自分でもよくわからないけど──
斬れた。
一匹、確かに倒した。
その事実が、胸の真ん中で温かく灯っていた。
「行け。もう一匹はお前だ」
統の声が、やけに遠く聞こえた。
足を踏み出す。
草を蹴る。
刀を握る手が震える。
けど、進んだ。
狼の目がわたしを捉える。
わたしも、狼を見据えた。
──次の瞬間、二つの影が重なった。
夜の草原で、わたしとティンバーウルフの、本当の戦いが始まった。




