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第25話

◇◇


 12月22日――。

 

 ついに余命まで2日を迎えた。

 発症してから24時間以内の致死率100%の病気で、僕は明後日に命を落とすらしい。

 らしい、としたのは僕にまだ実感がないからだ。

 だって体はまだぴんぴんしているのだから。

 

 とは言え、死神チェックの予測を無視するわけにはいかない。

 明日23日に僕は集中治療室に移されることになっている。

 健康体のまま麻酔で眠らされ、大勢の医師と看護師に囲まれて過ごす。

 つまり23日から24日が僕と病院にとっての最大の山場なのである。

 麻酔が切れるのは24日から25日へと日付が変わる頃。

 つまり麻酔から目を覚ますことができたならば、僕は死神との勝負に勝利したと胸を張れるわけだ。

 

………

……


 今日は僕が僕でいられる最後の日。

 もちろん僕は死神に勝つ気でいるし、25日の朝も今日と同じように迎えられると信じている。

 それでも周囲に張り裂けそうな悲壮感がただようのは、いたって自然なことだと思う。

 

「おにいちゃん……」


 朝一番で父さんの車に乗ってやってきたのは、家族と夢美の4人。

 美香は僕の顔を見るなり、大粒の涙をポロポロとこぼし始めた。

 つられるように母さんと夢美も、ハンカチで目元をおさえている。

 

「やめてくれよ。まるで葬式みたいじゃないか」


 僕の言葉に誰も何も返さず、気まずい空気が流れる。

 

「冗談だよ。誰が死ぬもんか」


 おのずと語気が強まってしまったのは、僕の覚悟の表れだ。

 美香のすすり泣きがピタリとやみ、一瞬だけ静寂が訪れた。

 ……と、そこに口を開いたのは父さんだった。

 

「死ぬ気でがんばってこい」


 目を丸くしたのは僕だけじゃない。

 みんなが穴が開くほど父さんを見つめている。

 すると父さんはばつが悪そうに、顔をそむけながらつぶやいた。

 

「冗談だ。死ぬ気でがんばられて、本当に死なれたら洒落にならんからな」


「ぷっ……。あはははは!! 父さんの冗談なんて初めて聞いたよ! あはは!!」


 こらえきれずに僕が大笑いすると、みんなつられて笑顔になる。

 それまでの空気が一変し、春を思わせるなごやかな雰囲気に包まれた。

 

「ありがとう、父さん」


 僕は小さくつぶやいた。

 父さんは聞こえているのかいないのか、分からないような素振りで、「ちょっとトイレいってくる」と、その場を離れていった。

 やせ型の父さんの背中は他人にしてみれば小さい方かもしれない。

 でも、僕にはすごく広く感じられたんだ。

 

 父さんが戻ってきたところで、美香が僕の横に座った。

 

「おにいちゃん! 夢美さんの持ってきたアップルパイ食べよ!」


 屈託のない美香の笑顔。

 

「大丈夫。順平くんの分は、シナモン抜きにしてあるから」


 細やかな夢美の気づかい。

 

「順平はコーヒーよね。今いれてくるから」


 あたたかな母さんの優しさ。

 僕はすべてに感謝していた。 


「ありがとう。みんな、本当にありがとう」


 僕は今日だけで「ありがとう」を数え切れないくらいに口にした。

 

「父さん、母さん、僕を生んでくれてありがとう」

「美香、僕の妹でいてくれてありがとう」

「夢美、最後まで友だちでいてくれてありがとう」

 

 するとみんなこう返してくるんだ。

 

「順平、父さんと母さんの子に生まれてきてくれて、ありがとう」

「おにいちゃん、私のおにいちゃんでいてくれて、ありがとう」

「順平くん、私の……友達でいてくれて、ありがとう」


 だから今さらだけど、僕は気づいた。


 きっと世界は無数の「ありがとう」で成り立っているんだって。


 そして『誰かのために』なんて肩肘はらなくても、ただ一生懸命生きているだけで、知らず知らずうちに「ありがとう」を積み重ねているものなんだと思う。


 現に、今の僕がそうだから……。

 

 もし僕が死神に愛されていなかったなら、僕は気付けていただろうか。

 こんなにも自然な形で、感謝の言葉を口にできていただろうか。


 僕は死神にも、心の中で感謝した。

 もちろん死神だけじゃない。

 今ここにいない、すべての人たちに心から感謝していたんだ。


 ゆっくりと、穏やかに時が流れていく。

 そうして空が夕闇に染まった頃。

 彼らは集中治療室に併設された家族の控室へと移っていったのだった――。

 

………

……


 時刻は午後10時。

 あと1時間もすれば、この部屋は病院のスタッフで埋め尽くされて、僕を集中治療室へ移す準備を始めるだろう。

 

 最後の安息の時間。

 ベッドに座る僕の横には、自分の病室を抜けだしてきたメイが腰をおろしている。

 僕の右手と彼女の左手が絡み合い、彼女は僕に寄りかかっていた。

 

「いよいよだね」


 僕が静かな声で言うと、

 

「うん……」


 メイは暗い声で返してきた。

 

「なんだよ。らしくないな」


 彼女の方へ顔を向ける。

 その直後。

 僕の唇は彼女の唇でふさがれた。

 

 愛しさと恐怖の二つが、唇を通じて流れ込んでくる。

 

 しばらくして、ゆっくりと離れた彼女の頬には一筋の涙が伝っていた。

 

「泣かないで。メイ」


「うん……」


 再び流れる沈黙。

 窓から差し込む月の明かりが、僕ら二人を青白く包み込んでいる。

 自分でも驚くほど心が静かなのは、きっとここまで後悔なく生きてきたからだと思う。

 それも全てメイと出会えたおかげだ。

 

「ありがとう、メイ。僕は君と出会えて……。恋をしてよかった」


「やめて……。もうこれが最後みたいじゃない」


「はは、そうだね」


「うん……」


 ふとテーブルの上に目をやると、古びたハーモニカが視界に入ってきた。

 僕は彼女から離れて、それを手に取った。

 

「こんな夜中に病室で吹いたら怒られちゃうかな?」


 僕が問いかけると、メイは目を丸くする。

 そしてすぐに目を細くして、微笑みかけてくれた。

 

「大丈夫だよ!」


「はは、ようやく君の笑顔が見られて、嬉しい」


「ふえっ!? ちょっとやめてよ!」


 メイは頬を赤くして顔をそらした。

 僕はハーモニカに口をつけると、ゆっくりと吹き始めた。

 

 いつも通りの『きらきら星』。

 島で暮らしていた時は、毎晩奏でたメロディーだ。

 あの頃と同じように、メイも歌を口ずさんでいる。

 

 そっと目をつむる。

 すると、広がったのは島から見た満天の星空。

 そして僕の横に立つ愛しい人……メイ。

 

 ああ……。

 これが僕の『風景』なんだ――。

 

 

――コンコン……。


「滝田くん、そろそろ時間だよ」


 村元先生の声で現実に戻される。

 メイは僕にもう一度だけ、軽いキスをすると、扉の方へ軽やかに歩いていった。

 そして振り返った彼女は、最後にこう言ったのだった。

 

 

「ありがとう、ジュンペイ! わたしは君と恋ができて、最高に幸せだよ!」



 この直後。

 麻酔を打たれた僕は、深い眠りについた。

 

 その寸前まで、僕はメイの笑顔を思い浮かべながら、祈り続けていたんだ。

 

 いつまでも、いつまでもその輝きが失われませんように。

 メイが自分の『風景』を追いかけられますように。

 どうかメイに明るい『未来』への道が開かれますように。

 

 と――。


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