第24話
………
……
メイがやってきてから、それまで無機質な灰色だった病院は、鮮やかに色づいていった。
「こら! メイちゃん!! また勝手に外出したでしょ!!」
「あは! ちょっとだけじゃん! 平気、平気! あ、村元先生! これ、ジュンペイと一緒に食べていい?」
「これは燕やのどら焼きだね。まさか池袋まで行ってきたの?」
「うん! メアリーとビリーにはナイショね。特にメアリーは怒らせると、ほんと怖いんだから」
「……メイちゃん、後ろ……」
「ほえ? ぎゃああああ!! メアリー!!」
「あははは! またメイちゃんが怒られてるね!」
「うふふ、ほんとメイちゃんはこりないんだから」
病院のいたるところが賑やかになり、笑顔であふれてきたんだ。
そして、
「おっはよー、ジュンペイ! どら焼き持ってきたよ!」
メイはいつも僕をたずねてくれる。
だから余命が1ヶ月をきり、関東特有のからっ風が冷たくなってきても、病室の中は温もりで満たされていた。
「ねえねえ、聞いて! わたしの手術の日が決まったの」
そう言えば1年間の治療が終わった後は、病気の原因となる部分を切除する手術を受ける必要があると聞いている。
「クリスマスイブよ!」
あっけからんと言い放った彼女だったが、僕の顔は固まってしまった。
「クリスマスイブ……。それって僕の死亡予定日じゃないか……」
メイは少しだけ目を細めると、しみじみとした口調で言った。
「一緒に戦うって決めたの」
ちなみにこの頃、僕の治療方針は大きく変わっていた。
それまでは投薬やレーザー照射、さらには簡単な手術にいたるまで、あらゆる方策で病気の原因究明と予防が試されていた。
でもそれら全てに効果は得られず、昨日の時点で終わりとなった。
その代わりに、『発症後』を想定した治療の体制が取られたのである。
病室は集中治療室からほど近い場所に移され、様々な器具が僕の腕や頭に取り付けられた。
わずかな数値の変化も見逃さず、発症が認められればすぐに処置するためらしい。
もちろん外出はいっさいNGで、院内ですら医師か看護師の同行が必要という徹底ぶりなのだ。
簡単に言えば、死神のカウントダウンが始まったということだ。
ちなみにメイがここにやってきてからも、『未来の恋愛成就の回数』は『0』のままだ。いったい何をもって『恋愛成就』とするのだろう、と僕とメイは結果を聞くたびに頭をひねらせていたんだ。
「大丈夫! きっとサンタさんは、わたしたちに最高のプレゼントを贈ってくれるから!」
そう言った後、どら焼きをほおばったメイは「おいひい」と、とろけるような目を僕に向けている。
何事もないように振舞っているが、彼女なりに相当な覚悟で決めたのだろう。
そもそも本来ならばその手術はアメリカで受ける予定だったはずだ。
手術そのものはナンチケンでできたにしても、万が一の事態が生じた場合、果たしてどこまで対処可能なのか。まだ治療法が確立してから間もないため、失敗の恐れだって多分にあるはずだ。
それでも彼女が日本で手術を受けることにしたのは、僕のそばにいたい、という一心からだろう。
「ありがとう、メイ」
自然と感謝の言葉が漏れ出る。
メイが大きな瞳を僕に向けると、僕も真っ直ぐに彼女を見つめた。
彼女の頬にたまっていたどら焼きが、ごくっと彼女の喉を通っていく。
同時にメイの薄い唇に僕の唇が吸い込まれていった……。
そしてまさに二人の唇が一つに重なろうとした、その時だった。
――バタンッ!!
「おーーっす!!」
陽太がノックもせずに部屋に入ってきたのだ。
その後ろには美香と夢美の姿も見える。
僕とメイは慌てて離れた。
「あれぇ? お二人さん、まさか病室で不純なことをしようとしてたんじゃねえよなー?」
「ふ、不純って……」
そう僕が口を尖らせた直後に、美香が僕とメイの間に飛び込んできた。
「ちょっとぉ!! おにいちゃん! なにやってるの!!」
「なにって。ど、どら焼きを食べてたんだよ!」
「ほんとかなぁ? あやしい」
美香がじーっと僕の顔を見てくる。
僕は顔を引きつらせながら、視線を泳がしていた。
どうにかごまかさなくちゃと、頭を巡らせる。
しかし響いてきたメイの声に、僕は度肝を抜かれてしまった。
「あは! わたしたちはキスをしようとしてたんだよ!」
「ぶふぉっ!」
思わず吹きだして、咳が止まらなくなる。
そんな僕の背中をさすりながら、美香がメイを睨みつけた。
ちなみに彼らとメイは今日が初対面だが、彼女の存在は「ホスピスでお世話になった人」と伝えてある。
「あなたが芽衣さんかしら? ずいぶんとお兄ちゃんに馴れ馴れしいのね」
「あは! だってわたしたち『恋』をしてるんだもん!」
「こ、こ、こ、恋ですってぇぇ!? そんなん聞いてない!! おにいちゃん!」
美香が顔を真っ赤にして僕の胸ぐらを掴んでぐわんぐわんと揺らしている。
もうどうにでもなれ……と、僕は彼女のなすがままになっていた。
するとメイが美香にぐいっと顔を近づけた。
「ところであなたがジュンペイの妹のミカちゃん?」
「だったらなによ?」
「あは! まだ彼氏がいないってジュンペイから聞いてるの。ミカちゃんも恋をすれば、私たちの気持ちが分かるさ! うんうん」
「なっ! むううう!」
美香が僕を揺らす力が強くなる。
これ以上激しく揺らされたら、死神がやってくる前に僕はくたばってしまう……。
「ちょっと夢美さん、なんか言ってやってくださいよ!」
「へっ? 私?」
急に話を振られた夢美は目をぱちくりさせながら戸惑っている。
すると彼女に目を向けたメイが、はっとした顔になって飛び出した。
「ねえ、君!」
メイが夢美の真正面に立ち、ぐいっと顔を近づける。
夢美は顔を真っ青にしてのけぞった。
まるで一騎打ちのような状況だ。
何が起こるのか、と美香までもがゴクリと唾を飲み込んで場を見守る。
……と、次の瞬間。メイはニンマリを笑って、夢美が手にしていた洋菓子の入った箱に手を添えた。
「これってbackのチーズケーキだよね!?」
「え? あ、うん」
「あは! もしかして冬限定のチョコ味だったりする?」
「え、ええ。そうだけど……」
「やったぁ!! わたし、一度は食べてみたかったんだよねぇ! 一個もらってもいいかな?」
「え……? でも……」
夢美は困ったように僕に視線を送ってきた。
僕が微笑みながら小さくうなずくと、夢美は「じゃあ、どうぞ」とメイに箱ごと手渡した。
「おおおお!! これこれ! う、うまーーーい!! ねえ、ミカちゃんも食べてごらんよ! 美味しいから」
「え、あ、うん……。うわ、ほんと美味しい」
「でしょー! あはは! ちなみに燕やのどら焼きもあるからね!」
「へ? そうなんですか? 私、あそこのどら焼き大好きなんです」
「おお! ミカちゃんはなかなかの通だねぇ! わたしたち話しが合いそうね! これからよろしくね!」
「は、はい。こちらこそよろしくお願いします」
「あはは! そこのお二人さんも突っ立ってないで、こっちきて一緒に食べようよ!」
メイが陽太と夢美を手招きして呼び寄せる。
彼らもまたはじめは美香と同じように、おずおずと近寄ってきたが、すぐにメイのペースに巻き込まれていった。
まるでみんなでピクニックに行ったかのように、陽気な笑顔で病室は満たされていく。
とてもじゃないが余命1ヶ月もない患者が過ごしている病室とは思えないほどに明るい。
もちろんその中心にいるのはメイだ。
彼女の笑顔は太陽と同じだ。
眩しくて、温かい。
あっという間に時間は過ぎ、辺りはすっかり暗くなっていた。
「じゃあ、私たちはそろそろ失礼しようか」
夢美が陽太と美香に声をかけた。
美香は下唇を突き出して「泊まっていきたいなぁ」と、ぐちぐち言っている。
しかし明日は月曜で学校があるはずだ。
「ダメだ。母さんと父さんも心配するし、帰りなさい」
僕は至極まっとうに注意したのだが、彼女は納得がいかなかったようだ。
「ふーんだ! どうせお兄ちゃんは、早くメイさんとふたりっきりになりたいだけでしょ! いいですよぉ! お邪魔虫はもう帰りますぅ!」
「な、なんてことを言うんだ!?」
僕が目を丸くしているうちに、美香は厚手のコートをきて部屋を出て行った。
「ちょっと待って美香ちゃん、一人じゃ危ないから! あ、じゃ、じゃあ順平くん、またね」
「ああ、またね。美香をよろしくね」
「うん!」
美香の背中を夢美が追いかけていく。
残された陽太もまた上着を羽織った。
そして俺をちらりと見ながら口を開いたのだった。
「じゃあな。元気でいるんだぞ」
「ああ、陽太もな」
そう返した瞬間だった。
目にした光景に、ずきんと心に痛みが走った。
それは……。
陽太のぎこちない笑顔であった――。
今はもう12月。
勉強、バイト、サークル活動と忙しくしている陽太は、ここ最近は月に1度顔を出すか出さないかだ。
だからもしかしたらこれが最後になるかもしれない……。
そんな予感が、彼の笑顔を不自然にしたのだろう。
相変わらず本音を隠すのが下手な奴だ……。
だからこそ僕は陽太のことが好きなんだと思う。
そしてこれが彼と交わす最後の会話になるのを僕は感じていた。
どんな言葉をかけようか、考えてもとっさには出てこない。
ならば心を空にして、なすがままに任せよう。
「またな」
それは毎日通学路で別れ際に交わした挨拶。
小学校の時も、中学校の時も、高校の時も変わらない。
毎日、何気なく交わした言葉を、僕の心は別れの言葉に選んだ。
陽太の目が大きくなると、目尻が少しだけ光る。
そして彼は震える声で返してきた。
「おう……」
そこで言葉が切れる。
その続きは『また明日な』。
でも彼は最後までその言葉は使わなかった。
冗談でよく嘘をつく陽太だけど、肝心な時には絶対に嘘なんてつかない。
だから『また明日な』を言えなかったのは、彼なりの誠意だったように思えてならない。
彼は何かを隠すように僕に背を向けた。
「ありがとう、陽太」
「よせやい」
そう言い残して彼は病室を後にしていった。
僕は静かな音を立てて閉まったドアに向けて、深々と頭を下げた。
陽太、出会ってくれてありがとう。
一緒に遊んでくれてありがとう。
最後まで共にいてくれてありがとう。
またな。
そんな想いを込めて――。




