第97話 賢者ギルバートによるイクリス魔獣(モンスター)学① 出席点呼1分前
私は二階の窓から身を乗り出し、広い中庭に立つ一本の大樹の影の下をのぞき込んだ。
そこには腰を下ろして静かに待つ、賢者ギルバートの姿が遠くに見える。
(……遅刻しちゃう!)
授業は三十分から。
現在時刻は──壁掛け時計に目をやると二十九分。
残された猶予は──あと一分しかなかった。
ギルバートがこちらの視線に気づき目が合った。
細い笑みを浮かべながら、自分の手首を軽く指さす。
──“時間がないぞ?”
言葉にはせずとも、その仕草ひとつで十分だった。
背筋に冷たいプレッシャーが走る。
(や、やばっ……完全に見つかったし、試されてる?!)
普通の生徒なら間に合わない……だけど!
私とノアの──刀神と剣神の身体能力なら、全力で駆け抜ければ間に合う!
そう確信し、二人で視線を合わせ足に力を込めた瞬間。
廊下の曲がり角から伸びる長い脚と、赤い髪。
マルシス先生が冷ややかな視線を浮かべながらすっと姿を現した。
「廊下を走ってはいけません」
彼女の瞳が、こちらの動きをぴたりと封じる。
(……っ、完全にタイミング悪すぎ……!)
歩いていたのでは、とても間に合わない……。
「ねえさん、こっち!」
その声に振り向くと、ノアがにっと笑う。
「よいしょ」
そう言うや否や、私の身体をひょいっと抱え上げた。
……よりにもよって、お姫様抱っこ。
「ちょ、ちょっとノア!?」
抗議する暇もなく、窓枠を蹴ったその瞬間――宙に投げ出される。
え、えええっ落ちる~~!?
思わず悲鳴を上げかけたその時、ノアの指先から青白い光がほとばしった。
一瞬で形作られたのは、窓から地上へ伸びる氷のロングスライダー。
きらめく氷面を滑り降りながら、私たちは一気に中庭へと滑り降りていく。
風は頬を心地よく撫で、眼下には光あふれる中庭と大樹の枝葉。
絶景と爽快感に、ほんの一瞬だけ恐怖を忘れた。
その刹那、背後から「勝手に遊具を作るのも禁止です」と、マルシス先生の声が聞こえた気がしたが──氷の滑走は速すぎて、一瞬で遠ざかってしまった。
凄い! 魔法使いは瞬時にこういう発想が出るんだな~。
こちとら無属性なおかげで、脳筋プレイばっかり思いついちゃう……。
でも。
「これなら余裕──だね!」
そう思わず笑みをこぼした瞬間、ふと横を見る。
……ノアが、まっすぐに私の目を見て爽やかな笑顔を浮かべていた。
「ねえさん……実は言わなきゃいけないことがある」
声まで妙にシリアスで、場違いに格好つけている。
胸が一瞬、ドキリと跳ねる。
(確かに……血縁フィルターを外せばイケメンなのよね。女子たちが惚れるのも分かるけど……この状況で何キメ顔してんの!?)
冷静にツッコミを入れてみせたが、頬の熱だけはどうにも誤魔化せなかった。
だがノアの笑顔が、加速と共に徐々にひきつっていく。
「……ね、ねえさん。実は……」
「……?」
「止まり方、考えてなかった!」
ゴゴゴゴゴ……!
「なんですとーー!?」
氷のスライダーは容赦なく加速し、中庭へ猛スピードで一直線。
(ちょ、ちょっと待って!? このままじゃ全力でギルバート様に突っ込むコースなんだけどーーっ!?)
賢者ギルバートの姿が近づくにつれ、その輪郭がますます明確になっていく。
ぶつかる──!
そう思った瞬間、ギルバートがゆるりと指をくいっと曲げた。
その仕草ひとつで、氷のスライダーの終端がぐにゃりと歪む。
「えっ!?」「ま、曲がった!?」
最終部はありえない角度──九十度に折れ曲がり、軌道を完全に反転。
次の瞬間、私とノアはロケットのように空へと打ち上げられた。
氷のスライダーの猛スピードで打ち上げられた私とノアは、想定よりはるか上空まで放り出された。
「う、うそぉぉぉぉぉーーーっ!!」
「ちょ、ねえさんしっかりつかまってーっ!!」
青空に悲鳴が響き、中庭からのギルバートの視線が一斉にこちらに釘付けになる。
(ギルバート様……! 手をかかげて“結構とんだなー”みたいな表情やめてください!!)
余りの勢いに、私を抱っこしていたノアもたまらず手を放し、離れ離れになってしまう。
「──浮遊!」
ノアの口から風魔法の詠唱がほとばしり、彼の身体はふわりと風に抱かれて落下を減速させる。
「姉さん、手を!」
必死に片腕を伸ばしてくるノア。
(あと少し──!)
私も手を伸ばす。だが──指先がかすめただけで、掴むことはできなかった。
「ノアっ!」
「姉さん!!」
次の瞬間、私の身体は空を裂くように急降下。
景色が逆さまに流れ落ち、空気の刃が頬を切り裂くように突き刺さる。
心臓は胸を叩き破るほどに暴れ、肺の奥まで冷気で凍りついていく。
(剣速で……勢いを殺すか!?)
一瞬、そんな無茶な選択肢が脳裏をよぎる。
──いや、この高さだ、ケガどころじゃない。
「あ、そうだ……!」
私は咄嗟に鞄へ手を伸ばし、マルシス先生の授業で貰った魔導アイテムのグローブをとりだす。
きゅっと指先まで通すと、手のひらに魔力の感触が馴染む。
(これなら──!)
迫り来る地面へ、私は迷いなく手を突き出した。
「お願い!」
魔力を込めた瞬間、グローブの紋様が鮮やかに緑色の光を放つ。
次の瞬間、手のひらから烈風が吹き荒れ、落下の衝撃を正面から打ち消した。
ドンッ、と砂煙が舞い上がる。
だが──足はしっかりと大地を踏みしめていた。
(なんとか……成功!)
息を吐き、胸の奥に張り詰めていた緊張がほどけていく。
間もなく、ノアもふわふわと風に抱かれて着地した。
「ふぅ……ねえさん、やっぱ無茶するなぁ」
「ノアのせいでしょうが!」
私は深呼吸をひとつついた。
このグローブ、このまま愛用品にしてしまおうかと思うほどだ。
ふと視線を上げると、ギルバートがこちらを見ていた。
その手は、いつでも魔法を放てるように半ばまで構えられたままだ。
私の失敗を見越し、即座に支えられるよう準備してくれていたのだろう。
ありがとう賢者様。と胸の奥がじんわりと熱くなる。
ギルバートはしばし私たちを見つめ──そして、肩を震わせた。
「……く、くくくっ」
抑えきれぬ笑いが零れ、ついには声を張り上げて大爆笑となる。
「あははははっ! ワッハッハッハ!!」
「えっ……」
あまりの反応に、私とノアは顔を見合わせて固まった。
笑いの合間に、賢者は手を叩きながら言葉を紡ぐ。
「いやぁ……何百と講義をしてきたが、こんな登場をした生徒は──君たちが初めてだ!」
やがてギルバートは笑いを収め、すっと立ち上がった。
その瞳は先ほどまでの茶目っ気を一掃し、厳然たる賢者の光を宿している。
「……では、座りたまえ。時間も丁度だ!」
空気が一変する。中庭に程よい緊張感が張り詰め、先ほどまでの騒動が嘘のように、私たちの背筋が自然と正された。
「それでは、授業を始める!」
朗々とした声が大樹の影に響き渡る。
「イクリス魔獣学──講師はこの私、賢者ギルバート・ピアソンが務める!」
私とノアは、大樹の下に据えられた平らな石に腰を下ろした。
ついに始まる、賢者様の授業。胸の奥で高鳴る鼓動を押さえきれず、期待にわくわくしながら待ちかまえる。
目を輝かせる双子を前に、ギルバートはひとつの巨大な大壺へと手を伸ばした。
指先でその表面を軽く撫でた瞬間――。
パコッ。
壺の蓋が静かに浮かび上がり、中から色彩豊かな砂粒がふわりと宙へ舞い出す。
砂は光を反射しながら渦を巻き、やがて――立体の世界地図を描き出した。
その砂の地図は常に変化し続ける。
風が吹けば海に波が立ち、雨や雪などの天候状況さえも表している。
さすが賢者ギルバート──その再現度はあまりにも高い。
「すごい! 本物みたい」
ノアが勢いよく立ち上がった、その時――。
ガサッ、と音を立ててノアのリュックが転がった。
勢いよく口が開き、中から色とりどりのモンスターフィギュアがドサドサとこぼれ落ちる。
「ぎゃっ……!」
ノアの顔が青ざめる。授業中に“おもちゃ”を広げるのは、さすがにまずい。
あわててかき集めようとする弟に、私も半ば腰を浮かせた。
ギルバートがすっと歩み寄り、床に散らばったフィギュアのひとつへ指先を伸ばした。
触れることなく――魔力でそれをふわりと引き寄せる。
「……ふむ。おお、これはちょうどいい」
口元に笑みを浮かべると、残りのフィギュアたちまでも宙へと持ち上がった。
色とりどりの人形が浮遊し、光に照らされてくるくるとい砂の立体地図へと沈み込んでいく。
ザラリ……と音を立て、砂が波紋のように広がった。
次の瞬間、砂の中から魔獣たちの姿が浮かび上がり、まるで生きているかのように動き始めた。
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