第82話 赤髪エルフ──マルシスによるイクリス魔法学③「先天属性の特異性」
マルシスがすっと右手を掲げると、地面が静かに波打ち、そこから三体の木人がせり上がるように姿を現した。
「ノア君──この木人が確認できますね?」
演習場の奥、等間隔に並ぶ三体の魔法訓練用木人。
それぞれが正面を向き、無機質に佇んでいる。
「順番に、“完全詠唱”、“簡易詠唱”、“詠唱破棄”の三種で火炎魔法を使ってみてください」
ノアはこくりと頷き、正面を向いて気持ちを切り替えた。
「わかりました! やっぱり僕は座学より、実習向きです!」
ノアは一歩前に出て、深く息を吸い込み、ゆっくりと詠唱を始める。
「焔よ、我が声に応えよ──熱を以て敵を焼き払え。──火炎弾!」
掌に赤い魔力が凝縮される。
小さな螺旋を描きながら熱の奔流が集束し──火球は一直線に飛び、木人の胸部ど真ん中に命中した。
ごうっ!!
爆ぜる火炎が木人を包み、炎柱が激しく吹き上がる。
「よしっ!」
ノアがガッツポーズを取ると、マルシスが静かに頷いた。
「なかなかの威力と命中精度です。では、簡易詠唱を」
ノアは軽く構え直し、呪文名だけを短く唱える。
「火炎弾!」
先ほどよりもやや小ぶりな火球が放たれた。
が、軌道はわずかに逸れ、木人の右肩に当たって炎を巻き上げる。
ごうっ、と炎は広がるが、胸部は無傷の致命傷とは言い難い。
「……威力と精度、どちらもやや落ちますね」
マルシスが補足しながら、最後の一体を示した。
「最後は無詠唱で狙ってみてください」
ノアは一呼吸おき、言葉を発さず、魔力に集中する。
指先に灯る赤い光──そこに言葉はなく、ただ意志の集中だけ。
(いけ……!)
無言のまま放たれた火球は――
──木人の肩をかすめて、外れた。
ボンッ!
後方の結界壁に火花を散らし、火はすぐに掻き消えた。
「くっそー……!」
ノアは悔しそうに拳を握る。
カナリアは腕を組んだまま、静かにその様子を見守っていた。
(……ノアが炎の魔法を使うのって、なんか新鮮)
いつもノアが使っているのは氷の魔法。
冷静で、制御が効いていて、鋭い印象が強い。
それに対して、炎は熱量が大きく、感情が乗りやすくて暴れがち。
どの魔法も使えるという“万能性”の裏には、熟練度という壁がある。
(全属性持ちでも、得意・不得意はあるんだ……)
剣士として、姉として、カナリアは少しだけ冷静にそれを理解していた。
マルシスが一歩前に出て、静かに言った。
「ではノア君。“使い慣れている”氷の魔法を試してみましょう。順番は──簡易詠唱、詠唱破棄、そして完全詠唱です」
ノアは即座に頷く。
「わかりました!」
マルシスが右手を振ると、地中が再び波打ち、新たな三体の木人が演習場の奥にせり上がって出現する。
ノアは一歩踏み出し、右手を軽く構える。
目を細めて標的を見据え、短く息を整えた。
「……行きます!」
氷の気配が空気に漂う。
「貫け──氷牙槍!」
術式展開は一瞬だった。
周囲に冷気が収束し、二本の氷槍が鋭く生まれる。
それは空間を裂いて放たれ、木人の“頭”と“心臓”を正確に貫いた。
ズガンッ!
白い霜が走り、演習場にはひやりとした静寂が満ちる。
マルシスは間を置かずに告げた。
「──二体目、詠唱破棄を」
ノアは静かに息を吐き、右手をかざす。
その瞳には揺らぎひとつなく、ただ“意識”のみを集中させた。
ズドン!
二体目の木人の額と胸を、まったく同じ軌道で貫通。
結果は、むしろ詠唱の有無すら感じさせぬ正確さだった。
カナリアが思わず身を乗り出す。
「えっ……?」
(……炎の魔法のときと、まるで違う……!)
「──気づきましたね。カナリアさん」
マルシスは、氷の残滓が漂う木人を見つめながら、淡々と語る。
「ノア君の場合、氷属性の魔法においては──精霊級以下の術式は、すでに“完全に理解”している状態にあります」
その視線には、驚きでも賞賛でもなく、
まるで研究結果を静かに読み上げるような、冷静な分析による結果を示していた。
「そのため、たとえ詠唱を破棄しても──威力・精度のいずれも、他の術者が《アイシクルランス》を“完全詠唱”で放ったときと同等になるのです」
マルシスは、わずかに目を細めながら告げた。
「──でも、本当に“面白い”のは……ここからです」
静かに、だが意味深に言葉を紡ぐ。
「ノア君。今度は“完全詠唱”で《アイシクルランス》を使用してみてください」
ノアは深く頷いた。
「……わかりました!」
彼は一歩前へ出て、静かに両手を前に差し出す。
次の瞬間──空気が、変わった。
カナリアは、思わず息を呑んだ。
(……ノアが“完全詠唱”するのって、初めて見るかも……)
そう思った瞬間、何かがおかしいと感じた。
彼の周囲──地面の芝が、音もなく凍りはじめていた。
ノアの瞳が淡い青光を帯び、その唇が静かに術文を紡ぎ出す。
「蒼き氷よ……いにしえの牙よ、ここに顕現せよ──」
「貫け、穿て──凍てつく大気の刃となりて」
「我が敵を撃ち、討ち払え──!」
(……っ!?)
カナリアの目に、はっきりと“違い”が映った。
簡易詠唱や詠唱破棄のときとは、明らかに空気が異なる。
魔力の奔流が、ノアを中心に渦を巻くように広がり、
辺りの温度が一気に下がっていく。
まるでこの場だけ、季節が変わったかのように──
空気が白く、霧のような冷気が肌を刺した。
耳を澄ませば、氷が軋むような音すら聞こえる。
その光景を見ながら、マルシスの目がわずかに見開かれた。
ノアの周囲を覆う魔力の密度と制御の精度──それは、彼女の予測すら超えていた。
「……面白い」
彼女は思わず口の端をわずかに上げ、魔力を込め右手をかざす。
ゴゴ……ッ!
地面が波打ち、ノアの正面──そして左右から、数体の木人が剣を構えてせり上がってきた。
それはまるで、完全詠唱中のノアを狙う“試験”のようだった。
カナリアが驚愕の声を漏らす。
「えっ……完全詠唱中って、“無防備”なはずじゃ……!?」
だが──
木人たちがノアへと飛びかかろうとした、その瞬間。
バキッ……バキバキバキッ……!
氷の気配が、暴風のように逆巻いた。
ノアの周囲半径数メートル──
近づいた木人たちは刀を振り下ろすことすらできず、体表から急速に凍結していく。
手、肩、脚──節々からバリバリと音を立てて氷が浸食し、
ノアに触れる前に、その場で凍りついた。
その冷気の波動は、演習場の空間ごと支配していた。
わずかに距離を取っていたマルシスの白衣のローブの裾さえも、
ふわりと氷の膜が張り、うっすらと白く凍りつく。
にもかかわらず、マルシスは微動だにせず、それを見つめていた。
カナリアは、呆然とその光景を見つめるしかなかった。
マルシスがぽつりと、しかし確かな声音で呟く。
「……素晴らしい」
そして──
バァン!
ノアの頭上と背後、左右斜め上下……空間のあらゆる座標に、無数の魔法陣が展開された。
淡い青光を放つ円陣群。
大小さまざまな《アイシクルランス》の詠唱陣が、次々に生成されていく。
「──《氷牙槍》!!!」
その瞬間──
氷の魔槍が、空間から無数に召喚された。
ズガガガガガガガッ!!!
空間を裂く鋭音とともに、槍群が一斉に発射される。
標的の木人は──心臓・頭部・肩・腹……あらゆる急所を同時に穿たれ、霜の中で崩れ落ちた。
残ったのは、凍りついた空間と、なおも漂う氷の魔力の残響──
カナリアは、呆然としていた。
(……え、なに、今の……)
(あれ、《アイシクルランス》って、2本のはずじゃ──)
氷の槍群が放たれた次の瞬間──
バァン!!
最後の一撃が木人を穿ち抜き、さらにそのまま後方の結界壁へと到達した。
ごうっ、と風を巻き込むような破裂音。
結界の一部がバリバリと凍結し、音を立てて粉砕された。
氷の霧が一帯に広がり、演習場の地面と壁面が、広範囲にわたって白く染まっていった。
「っ……!」
カナリアは呆然と見つめながら、思考を巡らせる。
(……マルシスさんの説明だと、完全詠唱は簡易より三割増しのはず……でもこれは……)
マルシスが口を開いた。
「──そうです」
「“先天属性”である魔法を完全詠唱したときに限り──その威力効果共に“倍以上”になります」
「そして、“修練度”によっては、それすらも超えることがある」
氷の霧が収まりきらない演習場の中で、ノアは拳を握りしめて叫んだ。
「すごい……! 詠唱ひとつで、こんなに違いが出るなんて!」
カナリアはその背中を見つめながら、思考を巡らせる。
(……もし、ノアが“全属性”の修練度を最高まで引き上げたら……)
(剣士としてだけじゃなく──魔術師としても、とんでもない存在になるんじゃ……!)
ノアが振り返り、目を輝かせて声を張った。
「ってことは! 全属性を持ってる僕が、魔法を極めたら……」
「とんでもない“大魔法使い”になって──何時でも、何処でも、最強ってことだよね!」
カナリアは半眼になり、肩をすくめた。
(……たしかに間違ってないし同じこと思ったけど……ほんと、すぐ調子に乗るんだから、ノアは)
その横で、マルシスの耳がぴくりと動いた。
彼女は静かに歩み寄ると、カナリアの横顔に小さく囁く。
「ノア君は──剣も魔法も、確かに天賦の才にあふれています」
「ですが……君に比べると、少し“調子に乗る”傾向がありますね」
そして、ごく僅かに口元をゆるめた。
「授業中に居眠りもしていますし……ここらで、少し“お灸”を据えるとしましょう」
……“場”の空気が、音もなく切り替わった。
マルシスの魔力がふっと解き放たれた。
その身体が淡く輝き、空気に揺らめく魔力の波動を纏う。
次の瞬間、彼女の白衣が風もないのに翻り、すっと宙に浮かび上がった。
ゆるやかに歩むようにして、ノアの正面へと迫っていく。
「ノア君。君にばかり実演させるのも不公平ですね」
「それに、魔法というものを──あまり軽く見てほしくはありません」
その声音は淡々としている。
だが、底冷えするような迫力が空気を支配した。
「ここで、私が“見せる”としましょうか」
「っ……!」
背中を針で突き刺されたかの様な魔力の圧に、ノアは反射的に振り返る。
「百年以上──魔術を極め続けてきた、“本物の魔法使い”の神髄を」
ノアの瞳に映ったのは、宙に浮かびながら冷徹な光を放つマルシスの姿だった。
その緑の瞳は、今まで見た誰よりも研ぎ澄まされ、氷より冷たく彼を見下ろしていた。
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