第80話 赤髪エルフ──マルシスによるイクリス魔法学①「魔法階級」
賢者の空中庭園 講義室
ふたりきりの教室には、静かに張り詰めた空気が漂っていた。
椅子の軋む音ひとつなく、カナリアはまっすぐ前を見つめている。
その隣では──弟ノアが、瞼をこくんこくんと揺らしながら、今にも眠りそうに舟を漕いでいた。
時おり肩がびくりと跳ねては、無理やり意識を戻している様子が、かえって目立ってしまっている。
(起きてるつもりなんだろうけど……ほぼ寝てるな。これは)
カナリアは小さくため息をつきつつ、視線だけは前から逸らさなかった。
教壇に立つのは、赤髪のエルフ──マルシス女教授。
白衣風の装束にリボンタイをきゅっと結び、静かな口調で言葉を紡ぐたび、赤い髪が光を受けてきらりと揺れた。
「──というわけで、少し前置きが長くなりましたが……さて、あらためて“魔法”とは一体何か。分かりやすく説明しましょう」
彼女が指先を軽く振ると、ふわりと宙に淡い光が灯る。
魔力で作られた“光のチョーク”が浮かび、空中へすらすらと文字を描いていった。
「魔法とは、“術者のマナを星──つまり属性神に捧げることで発現する、奇跡の現象”です」
白い光の文字がゆらゆらと揺れ、教室の壁や机に反射して、ふたりの顔を柔らかく照らす。
「属性を持つからといって、誰もが魔法を扱えるわけではありません。聖印核に刻まれた才覚とはまた別に、“魔術師としての適性”が必要です。つまり、魔法を扱えるというのは──選ばれた才能、ということですね」
再び指をひと振りすると、光の列が縦に並び、六つの階層が宙に浮かび上がった。
「魔法には、基本的にこの六つの階級が存在します。用途も威力も、段階によって大きく異なります」
光の文字たちは、解説に合わせてひとつずつ輝きを増しながら、ふわりと揺れた。
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灯火級…… 火を灯す、水を清める、小さな風を起こすなど、日常生活魔法。
霧術級 …… 煙幕や水蒸気、火球など、初歩的な攻撃や補助魔法等。
秘術級 …… 実戦向きの攻防及び回復魔法。兵士や前衛の魔術師が扱う。
精霊級 …… 自然現象を操る高位魔法。精霊と同等の威力を持つ。
天空級 …… 結界、天候操作、都市防衛。国家戦力に匹敵する大魔法。
星級 …… 神話級の領域。到達者は歴史に名を刻む、究極の魔術階級。
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「補足しますと──冒険者ギルドで“魔術師”として認定されるには、霧術級以上の魔法が使えることが条件です。一般人が到達できる限界は、秘術級まで。それ以上は……選ばれた者のみの領域です」
その言葉を聞いたリアは、そっと視線を落とした。机に置いた手を握りしめる。
(……くぅぅぅ、いいなぁ! 我が魔力はすでに星級に達している……とか、言ってみたかった)
(つまりは、魔法が扱える一般人の限界は秘術級までってことね)
ふと、マルシスが双子の方へ目を向ける。
「ノア君の氷魔法は、現時点でもすでに精霊級に達しています。年齢を考慮すれば、かなりの規格外。将来的には、さらにその上──天空級も視野に入るでしょう」
ノアは最初こそ背筋を伸ばして聞いていたが、説明が進むうちに瞼が重くなり……ついに背もたれに身を預け、ぼんやりとあくびをひとつ。
まるで緊張感とは無縁の世界。
その様子を見たカナリアは肘で小突いてアシストするが、当の本人はまるで意に介さない。
その様子に、マルシスの目尻がピクリと動いた──が、講義を続けた。
「さて……カナリアさん、あなたについても触れておきましょう」
カナリアが「えっ?」ときょとんとした目を向ける。
「あなたには“聖環”が存在しない。つまり、先天属性がない。そのため魔法は使えません。ですが──それはすべてにおいて不利とは限らないのです」
「どういう事です……?」
「この星のあらゆる生物は、必ず属性を持ちます。それは、常に“有利と不利”の相手がいるということ。しかし──あなたには“属性が存在しない”。それは、どんな属性からも極端な弱点を突かれない、ということでもあります」
リアは、はっとしたように顔を上げた。
「さらに──あなたには“刀神の才覚”がある。魔法は使えずとも、接近戦においては最高の才能を持つ者。敵を自分の土俵に引き込めば……あなたは誰よりも強くなれるでしょう」
マルシスは人差し指を立てて、やや厳しめの口調で続けた。
「ただし。魔法攻撃に対する魔法防御も行使できないのも事実。今後はその対策が必要になります。対魔法装備、耐性防具、魔道具の活用が必要になります……ですが戦い方を工夫すれば、十分に補えます」
「……なるほど」
リアは小さく返事をして、胸元で手を握りしめた。
(属性って……ジャンケンみたいなものなんだ。火は水に弱くて、風に強い。でも、私はその輪の外にいる。なら──魔法に対する防御術さえどうにかできれば……なんとか、なるかもしれない)
マルシスが静かにリアの左肩へ手を伸ばし、聖印の位置に触れる。
「失礼します」
マルシスの右目に宿す“解析”の聖印が淡い光を帯びると同時に、指先に一筋の光が走る。
その緑の瞳が細められた。
「……なるほど。確かに属性の感覚はまったくありませんね」
カナリアはその様子をじっと見つめる。
(マルシスさんの右目……あれが聖印? 私の魔力情報を読み取ってる? 鑑定系なのかな)
「不思議な感覚です。本当に“属性”の気配がない。でも魔力がないわけではないですよ、ほら──」
小さく閉じた掌に、かすかに青白い光が灯る。
「魔力自体は発せられる。でも……それを混ぜ合わせる“エレメンタル”が、どこにも存在しない。だから発現しないんですね。つまり……魔力だけが、星に還っていってる」
「……さしずめ、星から見れば、カナリアさんは“マナだけ貢いでくれる、都合のいい女”という事です」
「なんか嫌だなその例え」
「……というわけで、そんなあなたに朗報です。──じゃじゃーん」
無表情な顔に似合わぬテンションで、マルシスは机の引き出しから何かを取り出す。
「“魔力注入型・魔法発現機”です。一般的にはマジックアイテムと呼ばれています。詠唱も才覚も不要。魔力を込めれば誰でも魔法が発動する、便利アイテムですね。高価なうえ応用は利きませんが……戦術の幅を広げるには有効。魔力検知されにくいのも利点です」
「すごい! ちょっと見せてください!」
(ま、まさかの魔導具ッ……! これ、もしかして……飛べる? 浮ける? 空爆、いける!?)
カナリアが目を輝かせて前のめりになる。
「そのグローブを装着し、魔力を込めると──」
マルシスの説明が終わる前に、机上のグローブを颯爽と装着する。
緑の宝石がはめ込まれたその装置に、魔力を込めた──その瞬間。
――ボンッ!
教室内に突風が巻き起こった。
髪が逆立ち、マルシスが教材用に集めた書類が一気に宙へと舞い上がる。
カナリアの脳内では“魔法少女カナリア”の妄想が爆走する──が、
暴風の中、髪と紙がぐちゃぐちゃになって我に返った。
「うわっ! ごめんなさーい!」
(いい年して私ったら何やってるの!もう!)
舞い上がった書類の群れが、空中でピタリと停止する。
マルシスが、まるで空をなぞるように指先を動かし、魔力で紙を操作していた。
紙たちは寸分の乱れもなく整列し、静かに空中浮遊する。
「……このように、慣れない人が使う場合の魔力の調整は、慎重にお願いします」
無表情のまま、静かにひと言。
その一言で、カナリアはしゅんとおとなしくなった。
「はぁい……」
(どうしても魔法に憧れがあって、ちょっと暴走してしまいました)
マルシスはちらりとノアの方を見て、ため息まじりにぽつりと漏らす。
「……今の騒ぎでも起きませんか」
ちらりとノアを見る。そこには、も完全に夢の世界へと旅立った少年の姿があった。
口元はうっすら半開き。手は机の上にぐでんと伸び、まるで“ここが寝る場所だ”とでも言わんばかりの無防備さ。
まつげの奥でまどろむ瞳はぴくりとも動かず、時おり小さな寝息が聞こえるほどの熟睡ぶりだった。
(……これは、完全に落ちてますね)
マルシスは目元をわずかに細めると、静かに右手で銃の構えをとる。
指先から“ぴゅっ”と、小さな魔法の水弾を飛ばす。
それはノアの頬めがけて真っ直ぐに──
ぴしゅっ……ぼすっ。
ノアの机から、土の壁が音もなくせり上がり、水弾を吸収して消えた。
「……ふむ」
マルシスは次に、実験用の小さなエレメンタルストーンを風の魔法でいくつか宙に浮かべ、ノアめがけて飛ばす。
ビュン!
──だが。
緑石は途中で炎に包まれて燃え尽き、
光石は闇に吸い込まれ、
赤石は冷気で凍り落ち、
黄石は風に弾き返され、ふわふわと教壇へ戻ってきた。
どれも、ノアには触れることすらできない。
「無意識下で、すべて反属性で対応しますか」
「……魔導都市エルドランシアで“天才”と言われた私が、この才能の前では茶番のようですね」
マルシスの目線の先には、机に突っ伏したまま──
完全自動防御を成立させて眠っている少年、ノア・グレンハースト。
「……嫉妬、すら起きませんね。これはもう、ある意味尊敬の域です」
そうぼやきながら、空中に散っていた書類が一か所に集まり、紙の巨大な扇子を形作る。
そして──
バシンッ!
ノアの机に、容赦なく叩きつけた。
「ノア君。起きなさい。授業中ですよ」
「うひゃっ!?」
ノアが跳ね起きる。
教室はふたたび、静けさを取り戻した。
リアはぽかんとした顔でその様子を見つめ、心の中でぽつりと呟く。
(魔法が効かない相手は……物理で起こすのね)
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