第69話 賢者の空中庭園
朝日が差し込むハースベルの庭先に、双子の元気な声が響いた。
「父さん! 母さん! いってきますっ!」
リアとノアは声を揃えて、門へと駆け出す。
旅装束を模した軽装の上着に、小さな肩掛け鞄が揺れ、朝の光を跳ね返していた。
門の前には、緋色のショートカットのエルフ――マルシスが魔導書を片手に立っていた。
タイトな錬金術師風の装束に身を包み、どこか気品を漂わせながらも、相変わらず表情は涼しげで動かない。
その姿を見つけた母・シンシアが、小走りで駆け寄る。
手にした布張りのバスケットを、恥ずかしそうに差し出した。
「マルシスさん、これ……よければ皆さんでどうぞ」
「これは?」
「今朝、早起きしてフィンベリーパイを焼いたんです。甘すぎないように、ちょっとだけレモンをきかせてます」
マルシスはまばたきを一度だけし、わずかに耳がピクリと動いた。
「……ありがとうございます。甘いものは、好きです。私が全部食べますのでご安心を」
「み、みなさんで召し上がってくださいね……?」
口調は変わらず淡々としていたが、声音にほのかな柔らかさが滲んでいた。
それを見て、エルドが嬉しそうに頷いた。
「うちの妻のパイは最高なんですよ。きっと気に入ってもらえると思います」
「あなた、もう……お客様の前で褒めないで」
シンシアは頬を染めながら、笑顔をこぼす。
エルドは照れたように肩をすくめ、ふわりと彼女の腰に腕を回した。
「パイだけじゃない。スープも、焼き魚も、……いや、君の全部が最高だよ」
その言葉に、シンシアはふっと目を見開いて、恥ずかしそうに微笑む。
「……あなた」
甘い空気が、朝の日差しの中にふわっと広がる。
夫婦のいちゃこらを見背つけられたカナリアは、ジト目であきれたようにぼやいた。
(はいはい、朝からごちそうさまです)
「また始まったよ~見てらんない!」
ノアが顔をそむけながら、マルシスの背中を軽く押す。
「早く行こう! マルシスさん!」
タイミングを合わせたように双子が声を重ね、早い出発を促す。
「では、夕刻には戻ります」
マルシスは簡潔にそう言うと、礼儀正しく一礼した。
続いて、リアとノアの前に、小さな銀鎖のペンダントを一つずつ差し出す。
その中心には、淡く揺れる光を宿した宝石が埋め込まれていた。
「これは……?」
「転移用の位置安定装置です。移動時に、体の座標を保つ役目を果たします」
淡々と説明しながら、マルシスは取り出した小型の黒杖をすっと構える。
「……離れず、しっかり私につかまってください。飛びますよ」
「えっ!? どこかに“飛ぶ”の!?」
双子は一瞬戸惑い、すぐに慌ててマルシスの身体にしがみついた。
リアは腰に、ノアは腕に、それぞれ掴まりながら、ぎゅっと力を入れる。
マルシスは空を仰ぎ、静かに詠唱を口にした。
「風よ、光よ、空へ導き、道を繋げ──」
その瞬間、足元からふわりと緑色の風が巻き起こる。
温かな光が三人の身体を優しく包み、衣の裾がふわりと舞い上がる。
「うわあっ!」
「浮いてる……!?」
空気がわずかに震えたかと思った、その瞬間――
「……あ、言い忘れていましたが」
マルシスが視線を空に向けたまま、まるで天気の話でもするように淡々と告げる。
「初回の転移時、吐く人が多いので気をつけてください。……私の服が汚れてしまいますので」
「えっ!?」「そんなにすごいの!?」
双子の顔が同時にひきつる。
「空転の律、《ルマフーレ》」!
詠唱が終わった次の瞬間にはもう――
一筋の光の軌道が空に向かったかと思うと、三人の姿は風と光に溶けるようにその場から掻き消えた。
残されたのは、ひとひらの光の粒だけ。
門の前に立ち尽くすエルドとシンシアは、空を見上げたまましばらく沈黙していた。
やがてそよ風が頬を撫で、二人は同時にふっと微笑む。
「すごいなぁ……」
呟くエルドの横で、シンシアがちらりと夫を見た。
「ねぇ、あなた……」
「ふたりがいないと寂しい、って話だろ?」
エルドは笑って、空を見上げる。
「うん、俺もそう思ってた」
「それもあるけど……」
シンシアはそっと目を細め、少しだけ照れくさそうに、でもどこか真剣な眼差しで言った。
「ねぇ、私たち……まだ二十代じゃない?」
エルドが、ちらと視線を向ける。
「……ふたりに兄弟がいても、いいかなって思ったことない?」
一瞬の間。
そして、エルドはにやりと笑い、何の前触れもなくシンシアを軽々とお姫様抱っこした。
「今日は仕事、休みにしよう。久々に二人きりで、ゆっくり過ごそうか」
「きゃっ、も、もう……っ!」
軽く小突きながらも、シンシアの頬はほんのりと赤らんでいた。
やがて家の扉が静かに閉まり、
ハースベルの朝に、ひとときの熱の余韻が流れていった。
キュィィィィィン――!
鋭い高音とともに、全身を吹き抜ける突風が襲う。
まるで光のトンネルを滑っているような感覚。
上下の感覚も曖昧になり、身体がふわりと浮いた。
(うわっ、なにこれ……! やば、酔う……!)
リアは目をぎゅっと閉じ、ノアも必死で風に流されながらも体勢を保つ。
空間が揺れる中、マルシスの淡々とした声が響いた。
「……間もなくです。ご注意を」
上下左右の感覚が消えたまま――
「ドサッ!」
二人同時に尻もちをついた。
衝撃で少し跳ねた鞄が地面に転がり、リアは小さく呻き声を漏らす。
「いったた……もー……」
――やがて、世界がゆっくりと静まり、景色が輪郭を取り戻していく。
「感覚が戻りましたら、お声かけ下さい。」
マルシスの落ち着いた声が耳に届いたときには、ぼんやりとしていた視界がはっきりと形を成し始めていた。
リアとノアはまばたきを繰り返しながら、ゆっくりと足元に意識を戻していく。
ふと、空気を吸い込んだ瞬間――胸がきゅっと締め付けられるような感覚に襲われた。
どうやら、ここは地上よりも空気が少し薄いらしい。
だがそれすらも、目の前に広がる光景の前では些細なことだった。
蒼く澄んだ空がどこまでも続き、太陽の光がやわらかく肌を撫でる。
朝の風が頬を抜け、髪をそっと揺らす。
足元には朝露に濡れた草が茂り、一歩踏み出すたびに冷たくみずみずしい感触が伝わってきた。
そして島の縁へ近づいたその時――
遥か下に広がる大地が、まるで小さなジオラマのように小さく霞んで見えていた。
その景色すべてが、まるで空想画の中の世界のようだった。
「わっ、これめっちゃすごい! 雲の上じゃん!」
「……ほんとに浮いてる……信じられない……」
カナリアとノアは顔を見合わせ、再び視線を空へと戻す。
身体がふわりと浮くような錯覚に包まれながら、胸の奥からじわじわとわき上がる高揚感。
好奇心、不安、期待――さまざまな感情が入り混じり、未知の場所で始まる新たな日々を予感させた。
(やば……めっちゃファンタジーの世界じゃん……感動)
そんなカナリアの内心をよそに、マルシスはいつもの無表情で淡々と言葉を続ける。
「お二人とも、素晴らしい身体能力と体幹ですね。……嘔吐する様子すらありませんね」
「どうやってここまで来たの!? さっきの魔法なら、どこへでも行けちゃうの?」
興味津々で問いかけるノアに、マルシスは珍しく、得意げな笑みを浮かべた。
「それもこれも、偉大なる賢者――ギルバート様の発明と魔法研究の成果です」
マルシスは少しだけ胸を張ると、澄んだ青空の中に指を伸ばした。
その先には、宝石のように輝く巨大な岩塊が悠々と宙を漂っていた。
「あの岩をご覧ください。名称を"磁空石"と言い、とても稀少な鉱石です」
「磁空石は、小片でも本体に引かれ合う集合性を持っています。その特性を利用し、風と光のマナを流し込むことで――」
マルシスは、さきほど渡したペンダントをちらりと見やりながら続けた。
「ちなみにそのペンダントも、磁空石の欠片を封じたものです。転移中の位置安定にも役立っています」
そこまで言いかけたところで、再び語り口調に戻る。
「……さらに、ギルバート様が開発された魔ほ――」
カツン、と控えめな音が響いた。
「ハウッ……」
マルシスの頭に、杖の先が軽く当たる。
「なーんでお前が得意気に語ってるんだ」
いつの間にか隣に立っていたのは、白髪まじりの髪に深い知性を宿した瞳、落ち着いたローブ姿の賢者――ギルバート・ピアソンだった。
「ようこそ。カナリア、ノア。賢者の空中庭園――ギルバート・レアーへ」
その声が静かに響いた瞬間、風が吹き抜け周囲を覆っていた霧雲がすぅ……と音もなく晴れていく。
ゆっくりと視界が開けていく中、二人の目の前に現れたのは――
無数の空島が空に浮かび、虹のような浮遊橋がゆるやかに連なる幻想的な大地。
風にそよぐ草花が陽光を受けてきらめき、空に咲くように舞い上がる。
それは、まるで伝説の中にしか存在しないはずの“空の楽園”そのものだった。
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