第54話 カドゥラン領強襲⑲ 残党処理(オーバーキル)
「……先に行く」
それだけ言い残すと、彼は風を切るように身を翻し――
まるで羽根のように軽く、しかし揺るぎない自信と絶大な魔力を纏って、悪魔たちが蔓延る地上へと一人降り立っていった。
ただ大気そのものに抱かれるように、ゆるやかに降りていく。
だが着地と同時に、戦場の空気は爆ぜるように震え――魔力の奔流が四方へと拡散した。
その背中を、残されたふたりが見送る。
蒼氷の髪を風に揺らしたアデルが、目を細めてぼやいた。
「……あー、けっこうギルバート様、きてるな、アレ」
少し肩をすくめるように言ったその口調は軽いが、
その奥にあるのは、深い理解と信頼だった。
その隣で、マルシスが魔力光を安定させながら呟く。
「……私たち、必要なかったかもね」
口元だけがわずかに笑う。
――その頃、町の中央広場では。
副魔将・ズーマの討ち死にも届かぬ距離で、
魔族の残党たちがなお殺意を燃やしていた。
「……ダウロ様が……あんなガキに……馬鹿な……信じられん……!」
一体が呻くように言うと、
中位魔族と思しき副官が怒号を上げた。
「なにをしている! あれはもはや虫の息だ! くたばり損ないの子供ふたり……殺せ!!」
怒号が響いた瞬間――
時が、止まったように感じた。
カナリアは、反射的に身構えようとした。
だが、その体は――もう限界を迎えていた。
「……体が……動かない……もう、限界……」
張り詰めていた糸が、ぷつりと音を立てて切れる。
次の瞬間、膝が砕けるように崩れ、
カナリアの体は、その場に力なく倒れ込んだ。
顔を上げようとしても、指一本さえ動かせない。
全身が、まるで空気に沈んだように、重く、遠い。
魔力も、体力も、気力も。
すべてを――あの一撃に込めてしまった。
(こんな……せっかく、勝てたのに……いやだ……ここで……終わりたくない……!)
悔しさと恐怖がないまぜになりながら、
視界の端で、魔族たちの影がゆらゆらと揺れて見えた。
視界は霞み、色彩がくすむ。
音も遠く、まるで水の中にいるようだった。
手足の感覚は薄れ、まるで自分の体じゃないみたいに、何ひとつ動かない。
(これが……魔力切れ……? 立てない……動けない……!)
生まれて初めて味わう、“出し尽くした”という感覚だった。
どれだけ気力を振り絞っても、一歩も動けない――
そんな絶望が、全身をじわじわと蝕んでいく。
「……やだ……せっかく、倒したのに……」
歯を噛みしめようとするが、力が入らない。
ぐっと拳を握ろうとしても、それすらもできなかった。
ダウロを斬り裂いた直後の高揚感は、今や霞のように霧散し、
ただ、空虚な疲労と――動かない体だけが、そこに残されていた。
怒り、混乱、恐怖。
感情の渦の中、魔族たちは刃を振りかざし、
再び、牙を剥こうとしていた。
その時――
ギィン!
甲高い破裂音のような弦鳴が、戦場の静寂を裂いた。
風を切る音と共に、一筋の光が通過する。
カナリアに牙を向けていた魔族の額に、一本の矢が突き刺ささった。
だが――魔族はまだ、生きていた。
首が不自然にねじれながらも、
血を流す顔を怒りに歪め、矢の飛来した方角をギロリと睨みつける。
すぐさま、咆哮の様な声が響き渡る。
「爆風裂破!!」
鋭い叫びが飛ぶと同時に、矢に巻きつけられた呪符が脈動し、淡く発光した。
額に突き立った矢が一瞬、光を帯びて脈打つ。
──ズガンッ!!
重く炸裂する轟音とともに、魔族の頭部が内側から破裂した。
赤黒い飛沫が宙を舞う。異様な光景に、一瞬、場の空気が凍りついた。
その矢を放った男は、矢の飛来方向、崩れかけた屋根の上に立っていた。
肩で息をし、片膝をつきながらも、
ボロボロの弓鎧の下に、確かな意志と誇りを宿している。
足からは血がにじみ、動くたびに痛みが走るはずの傷。
それでも――彼は弓を構え、戦う姿勢を崩さない。
崩れた瓦礫に押し潰されたはずの男が――
瓦礫の中から這い出したその姿は、血と泥に塗れてもなお、誇りだけは折れていなかった。
「……ガキどもに、全部任せられるかよ……」
そう呟いたその顔は、間違いなく、
ダウロの鉄槌によって崩れ落ちた時計塔の下敷きとなり、生死不明とされていた―― カドゥラン警備隊長、アーキルその人であった。
「うおおおおおッ!!」
その一矢を皮切りに、怒声を上げながら飛び出してきた武装した騎士たちが雄叫びを上げる。北側の路地裏から、一斉に雪崩れ込むように突撃した。
「魔将は討たれたぞ!! 恐れるな、蹴散らせッ!!」
「全軍、突撃ィ!!」
その怒号を放ったのは、豪胆な声を轟かせる騎士団長バルクレイであった。
分厚い鎧に包まれた巨躯が、誰よりも先頭に立って駆ける。
振り下ろされた大剣が、魔族の武器を弾き飛ばし、肉体ごと薙ぎ払っていく。
背には、戦鬼の聖印が刻まれていた。
それは人の軍勢を前へと押し出す“猛き破壊の象徴”。
その姿は仲間たちを奮い立たせる旗そのものだった。
その背中を追うだけで、誰もが恐怖よりも誇りを選んだ。
「カドゥランのために! 進めぇ!!」
その雄叫びは、混沌とした戦場に灯をともすかのようだった。
咆哮とともに地鳴りのごとく駆ける騎士たちの勢いに、魔族たちの動揺が一気に押し寄せた。
戦場は、すでに混沌としていた。
騎士たちと魔族の軍勢が入り乱れ、鍔迫り合いと怒号が飛び交う白兵戦に突入していた。
だが――明らかに、均衡は崩れていた。
将を失い、指揮を喪った魔族たちは、ただの獣と化しつつある。
連携は乱れ、統率も取れていない。次々と騎士たちの剣が魔族の胸を貫き、斧が裂き、槍が穿つ。
「お、おのれ……! 脆弱な人間共が……!」
中位の魔族が、血と汗にまみれながら咆哮を上げた。
「全軍、一度南大門まで退けッ! 待機大隊と合流し、態勢を立て直す! 再突撃の用意を――」
その叫びに、一瞬、魔族の間に安堵の気配が走った。
合流さえすれば、まだ人間共を蹂躙できる――誰もがそう思いかけた刹那。
――ゴオオオォォォッッ!!!
南大門の向こう側で、凄まじい音とともに空が染まる。
大気が揺れ、場外の夜の空間が一瞬、昼間と錯覚させるように白く焼き尽くされたかのように閃いた。
ドォンッ!!!
重低音が地面を貫いた。
直後、南門の石造りの一部が崩れ――
「――っ!?」
残されていた鉄門の片翼が、凄まじい爆風に煽られて宙を舞う。
そのまま城内に突入しようとしていた魔族の群れへと、鋼の塊となって叩きつけられた。
「ぐあああああっ!!」
「門が……門が飛んできやがった……!?」
粉塵と炎の奥から、悠然と現れるひとりの男。
爆炎の渦の向こう。
そこに佇む人影は、恐ろしく静かだった。
だが、その身を包む魔力の奔流だけが、あらゆるものを焼き尽くさんと荒れ狂っている。
銀の髪、燃え上がるような魔力。
ローブを揺らしながら現れたその姿に、魔族たちが一斉に目を見開いた。
――賢者、ギルバート・ピアソン。
かつて魔将がこの門を破り、人に絶望をもたらした。
今、同じ門を破りし賢者は――魔族に絶望をもたらす。
「……な、なんだその出鱈目な魔力は……っ! 貴様、本当に人間なのか!?」
その存在は、ただ立っているだけで、まるでこの場の“秩序”そのものを握っているかのような威圧を放っていた。
突如、爆炎の中からひとりの魔族が飛び出した。
全身を焼かれながらも斧を振りかざし、狂気を叫び声にのせてギルバートへと迫る。
「があああああッ!! 死ねぇええええ――!」
だが、その声が届くよりも早く。
ギルバートは、詠唱すらしなかった。
ただ、片手を払うように振るだけ。
その仕草は、まるで机の埃を払うかのように、あまりにも些細だった。
だが次の瞬間、炎の掌が魔族を包み、跡形もなく掻き消した。
「――なっ!?」
掌は音もなく魔族を掴み取り、
次の瞬間、空気ごと焼き尽くした。
ジュオッ!!
声を上げる暇もなく、肉も骨も残らず消え去る。
ただ黒煙と焦げた匂いだけが戦場に漂った。
その“音もなく消えた”光景に、近くにいた魔族たちは息を呑む。
勇猛を気取っていた獣面の戦士でさえ、顔を引きつらせた。
「ひ、ひぃ……! 影も残さず……!」
「あれが……人間の魔法、なのか……?」
恐怖のざわめきが広がる中、炎の掌は分裂し、刃や槍の形へと姿を変えながら、ギルバートの周囲を静かに漂った。
その刹那。
数匹の魔族が、声を殺してギルバートの死角から這うように逃げ出そうとした。
だが――炎の武器が音もなく飛翔し、背を貫いた。
次の瞬間、悲鳴すらあげる間もなく、その身は燃え上がり、塵となって消え去る。
賢者からは逃げられない。
その事実だけが、戦場を覆い尽くしていった。
カナリアは薄れゆく意識の端中で、その背中を見た。
銀の髪をなびかせ、絶望を押し返すように立つ賢者の姿を。
そして感じた。
――全てを懸けたその先には、報われる瞬間があるという事を。
最後まで見ていただきありがとうございます!
【☆】お願いがあります【☆】
ちょっとでも、
「面白いかも?」
「続きをみてもいいかな!」
と思っていただけましたら、是非ともブックマークをお願いします!
下の方にある【☆☆☆☆☆】から
ポイントを入れてくださるとさらに嬉しいです!
★の数はもちろん皆さんの自由です!
★5をつけてもらえたら最高の応援となってもっとよいエピソードを作るモチベーションとなります!
是非、ご協力お願いします!




