第170話 禁書 追憶回帰 アデル・ハーロウ『復讐』⑦
アデルとユージンは収穫祭の会場へと到着した。
村の奥に設けられた大きな広場では、収穫祭が賑やかに進んでいる。
「カンパーイ!」
「森と湖の恵みに感謝を!」
楽器の音色が刻む拍子に合わせて、人々が集い、笑い、杯を交わす。
屋台の明かりが次々と灯り、香ばしい匂いと甘い酒の気配が、夜の空気を満たしていく。
広場のさらに奥側。
火の明かりの向こう側には、村の裏手に広がる湖があった。
水面は静まり返り、揺れる炎の光と賑わう人々をぼんやりと映している。
「結局ゴブリンなんてこないんじゃないか!?」
「森にいたのは確かみたいだが、襲ってくるとは限らないよな!」
「祝祭を中止にしなかった。シスター・ライアにも感謝しないと」
周囲には森と霧、そして後ろには湖。
村人たちは、その地形に守られるように集い、襲撃の疑いよりも酒と音楽に身を委ねている。
会場に据えられた、大きな火柱の前へと、一人の踊り手が歩み出た。
村の伝統衣装に身を包んだ、アデルの姉、マリン・ハーロウだった。
「マリンお姉ちゃんキレイ……」
「私も来年は巫女になりたい」
彼女が舞う度に、火の光を受けて揺れる。
刺繍に施された模様が、まるで生きているかのように浮かび上がった。
祝祭は最高潮へと向かっていく。
広場に集まった人々は、誰もが息を呑み、言葉を失ってマリンを見つめていた。
そして、アデルの予言通り、巫女の舞が戦いの幕開けとなった。
村の唯一の出入口に設けられた高台。
弓矢で警戒する村人たちの中に――大人に混じって、闇夜に染まった森を見下ろす一つの影があった。
アデルの親友の一人、ジェイク。
彼は、親指と人差し指で小さな輪をつくり、そこから片目を覗き込むようにして、村の周囲を取り囲む森を見渡している。
決して、遊んでいるわけではない。
彼の輝く瞳には、遥か遠方までを寸分の狂いもなく映し出す。
『完全視野』の聖印が、静かに輝いていた。
闇でさえ、彼の視界では何も映らぬ黒ではない。
森の奥――木々の隙間に、地を這うように広がる魔の気配。
無数の赤い眼光が、村を包囲するように、不気味に輝いている。
「……来た!」
理解したその瞬間に、ジェイクは迷わず弓を引き絞り、夜空へと狙いを定める。
放たれたのは、――警告の矢。
キュウウウウウウウン……!!
甲高く、長く引き伸ばされた音が、夜空を裂くように鳴り響く。
次の瞬間、村の空気が一変した。
兵士たちが一斉に顔を上げ、武器を握り直す。
武装した村民たちが、息を詰め、配置につく。
緊張が、フィッシー村全ての者に連鎖する。
「ゴブリンどもだ! 来るぞおおおおおお!!」
怒号が上がり、鐘が鳴り、足音が重なった。
無数の影が、防壁へ向かって突撃してくる。
「ギャギャギャギャ! コロセぇぇぇ!」
獣じみた咆哮が、村の周囲に一斉に響き渡る。
開戦の合図は村の奥、祭りの会場まで鳴り響いた。
キュウウウウウウウン……!!
「ジェイクの合図だ!」
アデルは人波をかき分け、マリンのもとへ駆け寄った。
「姉さんは、安全な所へ!」
即座に、マリンが首を振る。
「だめよ! 一緒にいるんでしょ!?」
一瞬だけ、視線が交わる。――時間が、ない。
「……一匹でも多く、食い止めてくる!」
アデルは言い切り、踵を返した。
「ユージン! 子供たちを頼む!」
振り向きざまに叫ぶと、ユージンが力強く頷く。
「任せて!」
その返事を背に、アデルは走り出した。
戦いが、始まっている場所へ。
◇ーー
村の入口では、高台から放たれる魔法と弓矢による遠距離攻撃が効果を発揮し、押し寄せるゴブリンたちを次々と蹴散らしていた。
矢が闇を裂き、魔法の光が弾ける。
防壁に辿り着く前に、倒れていくゴブリンも多い。
隊長が戦況を見渡し、声を張り上げた。
「よし! アデルの情報のおかげで、有利に立てている! このまま数を減らせ! 入口に近づけさせるな!」
ゴブリン本隊のさらに奥。
屈強なボブゴブリンたちに担がれた粗末な玉座の上で、赤黒い王冠を戴せた一体のゴブリンが、悠然と鎮座していた。
――ゴブリン君主・レッドキャップ。
その手に握られた角笛が、夜空に向けて掲げられる。
ブォオオオ……
低く、不吉な音が森に響いた。
次の瞬間。突撃していたゴブリンたちが、一斉に動きを止め、命令を待っていたかのように、森の奥へと一斉に引いていく。
「……ゴブリンたちが、引いたぞ?」
「俺たちに、恐れをなしたんだ!」
安堵と歓声が、入口付近に広がった。
だがその退却は、戦略的な一時撤退。むしろアレに巻き込まれない為のゴブリン達の回避行動。
ズン……ズン……
地鳴りのような振動が、足元から伝わり、地面を揺らす。
次第にそれは、重なり――
ドッドッドッドドドドドドドドドドド……!
何かが、巨大な何かが近づいてきている。
「隊長! なにか……森の奥から、近づいてきます!」
「なにっ! もっとよく確認しろ!」
見張りの兵士の声が、わずかに裏返った。
次の瞬間。
森の奥で、木々がつぎつぎと薙ぎ倒されていく。
太い幹がへし折られ、枝葉が宙を舞い、
その破壊を引き連れるように――それは、村へと迫ってくる。
兵士や村人が、高台からその姿を捉えた時には、すでに遅かった。
ゴブリンライダーに手綱を引かれ、二体の岩犀が、入口へと突進してくる。
巨体が地を踏み砕き、角が夜を切り裂く。
――バゴオオオオオオンッ!!
凄まじい衝撃音とともに、強固に張り巡らされていたバリケードが、その圧倒的な質量を前に、紙屑のように砕け散った。
入口を守っていた兵士たちと村人が、衝撃に耐えきれず、次々と吹き飛ばされる。
「ぐわあああああああ!」
土煙が舞い上がり、視界が一瞬、白に染まる。
「ぐおっ……! 一体、なにが――」
兵士達が呻きながら起き上がろうとしたが、煙の向こうから、影が飛び込んできた。
――ゴブリン。
振り下ろされた刃が、迷いなく何度も体に突き立てられる。
「ギャギャギャ! ハイレタ!」
「ウバウ! コロス!」
叫び声とともに、身体が崩れ落ちた。
突破された入口から、武装した大量のゴブリンたちが、濁流のようになだれ込んでくる。
隊長が、血と土にまみれた戦場を睨み据え、叫んだ。
「体勢を立て直せ! お前達いくぞおおおっ!!」
その声を合図に、兵士と村人が再び前へ出る。
剣がぶつかり、盾が弾かれ、怒号と悲鳴が入り乱れる。
そこから先は、もはや陣形も何もなかった。
人とゴブリンが入り乱れる、血みどろの白兵戦へと突入した。
「ハァ、ハァ、ハァ」
子供だけが通れる近道を走り抜け、アデルは村の入口付近へと辿り着いた。
――だが。
そこに広がっていたのは、あまりに凄惨な光景であった。
建物には火が放たれ、赤々と燃え上がっている。
地面には、無数の村人とゴブリンの死体が折り重なるように転がっていた。
血と煤の匂いが、喉の奥にまとわりつく。
「そんな……」
思わず、声が漏れる。
「これじゃ……昔、見た光景と同じじゃないか……」
驚愕と焦りに縫い止められ、アデルはその場に立ち尽くした。
――その背後。
歪な剣を手にしたゴブリンが、足音を殺し、忍び寄る。
次の瞬間、影が跳ねた。
「しまった!」
振り向くより早く、刃が振り下ろされ――
「暗黒槍!」
鋭く放たれた声と同時に、影が凝縮し闇の槍がゴブリンの身体を貫いた。
断末魔も上げられぬまま、ゴブリンは崩れ落ちる。
そこに立っていたのは――満身創痍のダークエルフ、クレットだった。
「アデル……もう村はだめだ。逃げろ」
「クレットさん……血が……!」
視線を落とすと、腹部から血が滲み、服を赤く染めている。
それでも、クレットは自嘲気味に口角を上げた。
「……あんたの言う通りだな。ちゃんと戦装束に着替えてて、正解だったよ。普段着だったら……とっくに死んでた」
アデルはクレットの肩を担ぎ、魔法具店の中へと滑り込んだ。
扉を閉めると同時に、彼を床へ横たえる。
「今、手当します。動かないで」
そう言いながら、治療の準備に手を伸ばす。だが、クレットは荒い息の合間に、無理やり笑った。
「あいつら……女なら見境ないからな……汚いもんぶら下げて、近づいてきたから……二十匹以上は、ぶっ殺してやったよ……」
げほっ、と血混じりの咳。続けて、喉の奥から、がはっ、と嫌な音が漏れる。
「しゃべらないで!」
アデルが声を荒げた、その瞬間。
アデルが伸ばした手首を、クレットの手が掴んだ。
力は弱い。だが、意志だけははっきりしている。
「……もう、いいんだ」
掠れた声が、静かに続く。
「正直なところな……もう、体の感覚がない。たぶん……全身に、毒が回ってる」
「いや……助けます! 僕は、そのために、この時にこの時代に戻ってきたんだ!」
アデルは、はっきりと言い切った。
その必死さに応えるように、クレットは静かに、ほんの少しだけ笑った。
「あたし、ダークエルフだろ?」
天井を見つめる視線が、どこか遠くを映す。
「本国の“白い奴ら”とは違ってさ……迫害や差別の対象として見られることが多くてね。生きていくのに、必死だった」
少し間を置き、クレットは続ける。
「……そんなあたしでも、この村は受け入れてくれた」
視線が、さらに遠くなる。
「でもさ……人として、やっちゃいけないことを、たくさんやってきた。結局、罰が当たったんだと思う」
自嘲気味に、言葉が出る。
「女神さまは……見逃しちゃ、くれなかった」
アデルは、その腕の中で、彼女の命が静かに消えていくのを感じてしまった。
「……なんで、お前が泣くんだよ。アデル」
クレットが、かすかに笑った。
「死んじゃだめだ……! 生きのびてくれたら……今朝の話。了承します! 一緒に……あなたについていくから……だから……」
アデルの声が、言葉が、震え途中で詰まる。
クレットは、ゆっくりと目を細めた。
「……約束、覚えててくれたんだ。それに、私のために……泣いてくれる人間が、いるなんてね」
掠れた息とともに、微かな笑みが浮かぶ。
「あたし、自慢できるものは……何もなかったけどさ……男の……見る目だけは、あった……ろ……? お前は死ぬな……アデル。」
その言葉を最後に、クレットの身体から、ふっと力が抜けた。
アデルの腕の中で、彼女の記憶と重みだけが、静かに残る。
静かに彼女を横たわらせ、そっと、その瞳を手で覆った。
そして、立ち上がる。
外へ出た瞬間、待ち構えていたかのように無数のゴブリンが、アデルを取り囲む。
「コイツダ! ナカマ、タクサンコロシタ!」
「コロセェ!」
一斉に、襲いかかってきた。
だが――次の瞬間、閃光のような斬撃が走り、
ゴブリンたちは肉片となって、ばらばらと崩れ落ちた。
(クレット……忘れない。そして、今は一人でも多く、救い出す)
剣を握る手に、迷いはない。
「こいつらは……一匹たりとも、逃がさない」
最後まで見ていただきありがとうございます。
【☆】お願いがあります【☆】
ちょっとでも
「面白いかも?」「続きを見てもいいかも?」
と思っていただけましたら、是非ともブックマークをお願いします!
下の方にある【☆☆☆☆☆】から
ポイントを入れてくださるとさらに嬉しいです!
あなたが思う以上にブックマークと☆評価は作者は喜ぶものです!是非よろしくおねがいします!




