子爵家の異変⑦前編 -斜陽-
暗くなる前にレオンを担いで家に帰ろうとした俺たちだったが、森からの帰り道をレオン以外知らない。泣き疲れてぐしょぐしょの顔で気を失っていたレオンには悪いが、叩き起こすことにした。
目を覚ましたレオンはガバッと上体を起こすと周りをキョロキョロと確認する。
「ベル……いや、あの悪魔は?」
俺はメリアとルイドと目を交わしてから答えた。
「消えたよ」
「消えた?」
「ああ」
レオンは複雑な表情で何か考え込む。しばらくすると、憑き物が落ちたようにスッキリした顔を俺に向けた。
「アル、今回のこと本当にごめん。メリアも、それと…」
「ルイドだよ」
「ルイドさん、みんなを危険な目に合わせてしまって本当にごめんなさい」
そう言ってレオンは俺たちに頭を深く下げる。こういう時は何て声を掛ければいいんだろうか。掛ける言葉を迷っているとメリアが口を開いた。
「レオン、あのとき、私を助けてくれてありがとう」
メリアがレオンに微笑みながら告げたのは、レオンに対する感謝の言葉だった。
「そんなっ、元はと言えばメリアが危険な目に遭ったのも僕のせいなんだから当たり前のことをしただけだよ!
僕のせいなんだから……みんなを危険に巻き込んだ。子爵家のみんなも、病気になった原因は僕にあったんだ」
「それは違う!」
メリアが声を上げる。
「レオンの恋心に付け込んだ悪魔が悪いんだよ!もちろん、付け込まれたからといってアルを監禁したことは許せない。すごく心配したんだから!ルイドにも迷惑かけちゃったし!」
怒りが再燃したかのようにメリアはキッと眉毛を吊り上げる。だが唇をキュッと結んでからフーッと息を吐くと、穏やかな顔に戻り言葉を紡いだ。
「でも、悪魔の言葉に騙されちゃうくらい、好きだったんだよね?お嬢様のこと」
「……うん、すごく好きだったんだ。叶わない恋だとわかっていても夢中になるくらいに。秘めた恋でよかったのに……欲が出てしまった」
レオンの止まっていた涙が再びポロポロと流れ落ちる。たまらず俺はレオンを抱きしめた。
「レオン、悪かった。レオンが苦しんでたこと、全く気が付かなかった。頼りない友達でごめん」
声が震える。何が友達だ。俺がレオンの話をもっと早く聞けてさえいれば、悪魔なんかに付け込まれることはなかったかもしれないのに。
「アル、それは違うよ。恥ずかしかったんだ。そんなことを君に言ったら笑われるかもしれないなんて……アルはそんなことしないってわかってたはずなのに」
それからしばらく俺とレオンは抱き合って号泣した。あの時ああしていればこうしていれば……そうしたら結果が違っていたのではないか?
だが、どれだけ後悔してももう遅い。レオンが起こした駆け落ち未遂は、貴族令嬢に対する誘拐未遂だ。いくら悪魔に唆されたといっても、罪から逃れることは難しいだろう。
俺たちがようやく泣き止んだ頃には青い空に少しオレンジ色が混ざり始めていた。随分と長い間泣いていたらしい。待たせてしまっていたメリアとルイドを見ると、2人の顔も涙でぐしょぐしょになっていた。
「僕、警察に行くよ。罪は償わないと」
涙を拭ったレオンが晴れ晴れした顔で言う。
「私も一緒に行く。レオンがしたことはもちろん悪いことだとわかってるけど、悪魔のこと話したら少しはレオンの罪も軽くなるかも」
「僕も証言するよ」
確かにメリアの言う通り、悪魔に唆されたとなれば、少しはレオンの罪も軽くなるかもしれない。しかし、警察に行く前にやることがある。
「いや待て、警察より先にテレンヌ子爵に伝えた方がいい」
「なんで?」
メリアの疑問に答える。
「これはテレンヌ子爵家で起きたことだ。もちろん、誘拐の協力者を捕まえるために警察の協力は必要不可欠だろう。だが、それはレオンからではなくテレンヌ子爵家から伝えてもらった方が警察も動いてくれるはずだ。だからまずは子爵に伝えた方がいい
…そもそも、今は例の協力者がテレンヌ子爵家にいたままだろう?早くテレンヌ子爵家に伝えて、お嬢様を守るためにも、信頼できる人たちで固まるように言おう」
「たしかに……あの人たちがまだテレンヌ子爵家にいるままだ。早く子爵家に行こう」
そうと決まれば日が暮れてしまう前に子爵家に戻る必要があるということで、俺たちは急いで小屋を出た。
先導するレオンの後を小走りで着いていく。途中でメリアがふらふらしだしたので、俺とルイドで支えながら森の中を抜け、なんとかテレンヌ子爵家の前に辿り着いた頃には空が茜色に染まっていた。
俺たちを振り返ったレオンが言う。
「みんなここまで付き合ってくれてありがとう。ここからは僕だけで大丈夫だから」
「えっレオンだけだと心細いでしょ?私も行くよ!」
今にも倒れそうなほどふらふらしているのに、表情だけキリッとさせてメリアが言った。
「メリア、ありがとう。でもここからは僕がやらないといけないんだ。
アルも、ルイドさんも、ここまで着いてきてくれてありがとう。このお礼と謝罪は今度必ず」
そう言ってレオンは、俺たちに深々と頭を下げた。ここまで反省しているレオンが、このままお嬢様の誘拐を決行することはないと信じたい。
「わかった。でももし私たちの証言が必要になったら必ず教えて!約束だよ!」
「俺も、そのときは証言する」
「僕も同じく」
俺たちの言葉を聞いて顔を上げたレオンの目には、また涙が滲んでいた。
「みんな本当にありがとう……。行ってきます!」
もう一度頭を下げてから、レオンはテレンヌ子爵家に入っていった。
俺たちはレオンの後ろ姿が見えなくなってもしばらくその場に止まっていたが、そうしている間にも日が暮れそうになっている。
「帰ろうか」
メリアの言葉に俺もルイドも頷いて、無言で家路を急いだ。ふらつくメリアを心配して俺たちの家まで着いてきてくれたルイドに感謝を伝え、今度2人でお礼をさせて欲しいというと遠慮されてしまったが、そこはメリアのごり押しもあって最後は受け入れてもらえた。
ルイドと別れてメリアと家に入る。2日ぶりの我が家がひどく懐かしく感じた。
俺はメリアを椅子に座らせるとコップに水を注いでメリアに渡す。
「ありがとう」
コップを俺から受け取ったメリアは一気にそれを飲み干した。
「おかわりは?」
「のむ」
メリアのコップを取ってもう一度注ぎ、メリアの前に置こうと視線を戻すと、メリアはテーブルに突っ伏していた。
「おいメリア!大丈夫か?」
メリアの顔を覗き込むと、メリアはスースーと寝息を立てていた。よく見ると、目元に酷いクマができている。もしかして、あまり眠れていなかったのか?
俺は寝室のドアを開けると、メリアを抱き上げて、そっとメリアをベッドに寝かせた。俺も眠りたいが、2日連続で仕事を休むわけにはいかない。
キッチンに戻り、残っていたカチカチになったパンを腹に入れる。タオルを濡らして身体を拭き、服を着替えて鞄とランタンを持ってランタン組合に向かった。
「こんばんはアルです。昨日は申し訳ありませんでした」
受付のアベルさんに開口一番謝罪をすると、なぜかアベルさんはポカンとしている。
「昨日?特に問題なかったけど、アル何かしたの?」
「え?」
問題なかった?どういうことだろうと思ったが、思い当たる節がある。メリアだ。
「あっちょうどよかった!今日の見回りなんだけど、こいつがどうしても明日と当番変えてほしいって言うんだ。
アル、せっかく用意してもらってるところ悪いんだけど、変わってもらうことってできる?」
「わりぃ、アル!お願いします!」
「もちろんいいですよ。こういうのは助け合いですからね」
助かった。正直この状態では今日の仕事を満足に遂行できなかっただろう。
こうして俺は感謝を背に、帰宅することができたのだ。
考えなきゃいけないことは色々ある。だが今日はこれ以上頭も働かないだろう。
なんとか家に無事に帰り着いた俺は、そのままベッドに直行すると、倒れ込むようにして眠りについた。




