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16/22

three *

【八月 ある日】


 八月も半ば、ちょうどお盆と重なってしまい、校内はそれでなくとも静けさに満ちていた。

 

 夏休みはほぼ毎日、四宮は部室に通って作業を続けていた。

 そして、スタンプ・オンシステムの簡易版が、昨日ようやく完成したのだ。


 みずきを誘ったのが昼前。そうしたら

「マックでいいからおごりね」

 そう言われ、四宮は仕方なくみずきと駅前のマックで待ち合せ、お腹が空いたとうるさい彼女にセットをおごってやった。


 みずきは昔から食べるのが遅い。駈けっこは速いのに、それに行動的で思いついたらぱっと動くところから見てもせっかちにも見えるのに、なぜか、食べるのだけは人一倍遅かった。

 イライラしながらも顔には出さないように、四宮はアイスコーヒー一杯で過ごし、ようやく学校にたどり着いたのだ。


 夜中は怖いからいやだ、と言うので日中でもいいよ、と譲歩したのに、こんなペースでは結局暗くなってしまうだろう。


 できるなら暗くない方がいい。


 怖いから、ではない。

 電気は点けられないからどうしても懐中電灯に頼らねばならなくなるし、スマホの操作も必要だ。その分、外から発見される確率も高い。


 ようやくストローから口を離したみずきと、目があった。

「……何よ」

「ポテトは持って行けよ、もう行くぞ」

 四宮の細い指先が神経質にテーブルを打っているのに気づいたのか、みずきもしぶしぶ立ちあがった。


 二人は炎天下の菜園を突っ切って、フェンスの隙間から校内に入って行った。

 本館の南館、事務室と職員室にはかすかに人の気配がしたが、窓が閉まっているのであまり気にすることはなさそうだ。

 四宮は黙ってみずきに手招きし、手にした針金を確認してから、事務室と職員室との死角から北館の入り口に近づいていく。


 視聴覚室のカギは相変わらず壊れたままだった。

 貴船が言ったように、ドアのまん中、かぎ穴のところにぽっかりと穴が開いている。

 引き手に指をかけると、ドアは簡単に開きそうに思えた。


「なんか、気味悪いね」

 みずきが言わずもがなのことを口に出す。

「静かすぎ、それに暑いわー」

「あんまり廊下でウロウロするな、あっちから丸見えになるぞ」

 四宮は音のしないようにわずかにドアを引き開け、隙間から中をそっと覗いてみた。暗幕に近いカーテンがぴったりと閉ざされ、ただでさえ暗い北側の教室はほぼ真っ暗に近かった。


 みずきが小声で言った。

「なんだ……これなら電気つけても大丈夫じゃん」


 確かに、南にある廊下側の窓もすべてカーテンに覆われているようだ。

 みずきは入口から手を突っ込んで、ドア近くのスイッチを手探りで操作しようとした。

「待てよ」

 四宮が早口で止める。「外に灯りが漏れるとまずい」

 その時にはすでにみずきの手はスイッチに届いていたようだ、しかし、


「あれ」

 何度か、無神経にカチカチと音をさせて、みずきが首を傾げた。

「電気、来てないのかな……」

「まあいい」

 四宮はようやくのことみずきを入口前から一歩退かせてから、言った。

「一応懐中電灯も用意してある」

「えっ!」裏切り者! みたいな目をしてみずきが叫ぶ。

「アタシ持ってないよ!」

 四宮は肩をすくめ、黒いショルダーバッグから懐中電灯を二本出し、大きいほうを彼女に渡した。

「なんだ~」

 みずきは安堵の吐息だ。

「さすがケイちゃん! 用意周到だね、さすが頭脳派」

 四宮はため息まじりに、背後の彼女に言い聞かせた。

「灯りは中に入って、ちゃんと戸を閉めてから使えよ」

「はいはい」


 軽くため息をついてから、四宮は、スマホに用意してあった画面を開く。


 簡易版のスタンプ・オンシステムによる視聴覚室と周辺の様子が黒い画面の中にレモンイエローの枠で現れた。


 スマホでも簡単に操作できるよう、解析プログラムを視聴覚室と手前の廊下のみに限定したものだった。


 システム稼働が七月中旬、そこから今までの足跡履歴の全てを表示させている。それでも八月に入ってからこちらの館はあまり使われていなかったようで、特に視聴覚室近辺の足跡はかなり薄くなっていた。


 ぼおっとかすかに白く残されたかすみのような足跡の群れ、その中、視聴覚室前に新しく蛍光グリーンの足跡がふた組、くっきりと記されている――四宮と、みずきのものだ。

「入ろう」

 中に入ってすぐに戸を閉め、みずきに懐中電灯を点けさせる。

「まん中の、例の場所照らして」

 黄色い光の輪の中に、ぼんやりと教卓の角が照らされて見えた。


「もっと下」

 床が見えた。二人はゆっくりと歩を進める。


 教卓のすぐ前側が照らされている。何の変哲もない、ただの

「いや……あれは……何だ?」


 四宮はスマホの画面を見た。

 穴は、うっすらとすぐ目の前に迫っている。すぐに床に目をやる。ただの床のはずだ、だがなぜかその場は黒々とした闇に覆われている。


「みずき、しっかり照らしているのか?」

「光、当ててるよ! ちゃんと!」みずきの文句がすぐ左肩のあたりから聞こえる。

「何か暗いんだよ、もっとまっすぐ照らせよ」

 そう言いながらも、四宮はスマホの画面を確認した。


 今、四宮が立っているのはまさに『穴の縁』だった。


「これは……」

 足もとを直視した方がいいのか、画面を見ていた方がいいのか、四宮は急激に速まる動悸の中、うろうろと目をさまよわせる。


「本当に、穴……なのか?」


 信じられなかった。


 床のその場所に、ぼんやりと暗い部分が見えた、ような気がした。

 四宮は目を凝らす。


 あまりはっきりとはしていない。穴、というよりも真っ黒な霞がかかっているような感じだった。霞のように縁が定まらず、縁がわずかに揺らいでいる。

 見れば見るほど、焦点がずれて見えにくくなる、星を観察している時のようなもどかしさを感じ、四宮は何度も瞬きをくり返した。


「ケイちゃん、見えないよ、何なの?」

 みずきが背後でジタバタしている。


 その時

「早く来て頂いてありがたいです」

 廊下の向うの方から、声が近づいてくるのに二人は同時に気づいた。


「誰よ?」

「しっ」

 四宮は体を固くして、外の音に集中した。


「いえ、視聴覚室ってあそこですよね」

「はい、一番向うの」

「映らなくなったのは、二台ともなんですか?」

「中で説明しますよ」

 聞き覚えのある、顧問の夏目の声だ。誰かを連れてこの教室に向かって来ているらしい。


 四宮はちっ、と舌うちしてみずきの方に手をのばす。

「ジャマが入る、ちょっと避難するぞ」

「えっ、どこに?」

「教卓の影に入ろう」

 見えていないみずきを引きずるように教卓の影に入った時、がらり、と入口の戸が開いた。


「あれ」

 同じことをやっているらしい、夏目はスイッチを何度か押している。

「電気がつきませんね、まあいいや、僕の後からついて来てください、ここずっと通路あるんで。カーテン開けるついでにこっちの電源を」


 教卓のすぐ前に夏目が迫ってきたのが判った。四宮は思わずあ、と声を上げそうになる。

 このままでは夏目はあの『穴』の上を通るだろう、歩幅から考えてもそこを踏む確率はかなり大きい。


 だめだ、と夏目に声をかけたい……いや、本当は見てみたい。


『穴』を踏むのか、それとも、うまくまたぐのか、もし踏んだらどうなるのか。


 四宮はつい、教卓の影でスマホの画面を見る。

 スマホからの灯りが漏れないよう、教卓のくぼみに嵌り込むようにして、彼は育ち過ぎた胎児のごとく、身体を丸めてただ、息をつめる。


 夏目は、タグ付きの靴を履いていた。蛍のような光が二つ移動している。

 光は一瞬ゆらいで、穴の上を跨ぎ越した。ちょうどいい距離で。

 まるで見えているかのように。


 急に足跡が止まった。


「あっ」

 後ろからついてきた修理業者だろうか、夏目の背中にぶつかったらしい。

「すみません」

 夏目がふり向きざまにそう声をかけたのと、

「ひ……」

 業者の男が喉から笛の鳴るような音を立てたのは、ほぼ同時だった。


 生臭い風が四宮のかがむスペースにまで回り込んだ。教室はむし暑いくらいだったのに、その風は妙な冷気を帯びていた。ぞくっ、と首筋のうぶ毛が逆立つ。

 画面から目が離せず、彼はただ小さく固まっていた。夏目の足跡と、すぐ後ろ、黒板に貼りつくようにあるみずきの足跡は微動だにしない。


「なん……あっ」


 修理の男らしい声は明らかに怯えていた。床から細かい振動が伝わってくる。地震よりもまだ細かく激しく、耳の中が痒くなった。


「なんですかっ、これは!!」

 ようやく男が声を絞り出した。

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