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リメラリエは王太子妃教育のため、城内を歩いていた。ドレスはせっかくなので、アキリアの贈ってくれたものを身につけていたが、装飾品は必要なものだけ身につけた。貰ったときはなにも思わなかったのだが、着てみると気恥ずかしが込み上げてくる。形式的に送ってくれたのだとしても、心がふわふわしてきて、これから苦手なダンスだと言うのに足取りも軽い。ちなみに後ろからマリーが付いてきており、若干注意された。
ふと誰かとすれ違い、なんか見たことあるような?と思いながらそのまま歩いていると、相手の方が後ろ向きのまま戻ってきて再び顔を合わせる。「あ」とリメラリエも思わず声を上げた。
それはアキリアの同僚騎士のザイだった。しかし、以前とは違う白服だったため、パッと見だだけではわからなかったのだ。
「あぁ、やっぱり、ファクトラン嬢でしたか。見たことある服だったんですよね」
どうやら顔じゃなく服で気づいたらしい。
「この服に見覚えが?」
「それはもちろん、殿下が執務の合間を縫って悩みに悩んで選んだ1着ですからね」
その言葉にリメラリエは、衝撃を受ける。
「……てっきり侍女の方が選んでくださったのかと」
「いや、絶対俺が選ぶって聞かなくて、必死に選んでましたよ」
リメラリエの頭のなかは「やっちゃったよぉお!」と叫んでいた。ちゃんと心のこもった贈り物になんて言うお礼状を出してしまったのかと言う絶望感に見舞われる。
ただ、王太子妃教育の賜物か、表面上は笑顔を取り繕えていた気がする。にっこり笑ってリメラリエは質問する。
「今日、アキリア殿下に少しでも会うことはできますでしょうか?」
ザイはにこにこと微笑むと頷いてくれる。
「はい。確か、ファクトラン嬢の終わる時間は17時でしたよね。殿下もその時間にはひと段落してると思うので、お迎えにあがります」
「お願いします」
そう言って別れたが、リメラリエは疑問だった。なんで予定も場所も知られているんだろうと。そう言うものなのかな?と思いながら、教育用に用意されている部屋へ向かった。
部屋に着くと見慣れたダンスの女性教師がいた。いつもは割と優しく笑うタイプの方なのだが、ダンスが始まると途端に人が変わる。
「あら、素敵なお召し物ですね。では今日もよろしくお願いします」
「お願いします」
正直リメラリエはダンスが大の苦手だった。前世にダンスなんてない。精々学生の時の体育に出てくるぐらいで、あれもここで言うダンスとはかけ離れている。
ステップを覚えているのは過去のリメラリエで、現在は前世の記憶が大きく出てきているせいで、苦手意識が大きい。それでもなんとか形になっているのは、幼い頃からの教育の賜なのだろう。
伴奏者の伴奏に合わせて、教師はリズムを手でとっていく。今日は架空の相手と共に、一人で踊る。
「はい、1、2、3、1、2、3」
ゆっくりとした曲ほど正直足腰に来て厳しい。今までサボッていたツケが痛いほどここで責めてくる。しかもこの先生はとても厳しい。
「早い!」
王太子の婚約者とか関係なく、しっかり教えてくれるのはありがたいが、たまに泣きたくなる。
「ありがとうございました」
みっちり1時間絞られると、あとは座学が続く。しかし、場所が違うため移動が伴う。
その場所へ移動していると、前方から女性の一団が見えてきて、リメラリエはすっと廊下の端へ避けた。
今の城内であんな集団で歩くのは王妃しかいない。マリーもそれがわかったのかすぐに、リメラリエと同じくさらに端へと下がり、二人して首を垂れる。
だんだんと足音が近づいて、そしてリメラリエの前で足音が止まった。
「あら、もしかして、貴女……」
王妃の言葉にリメラリエは慌てた。そのまま頭を下げたまま、挨拶することの許しを得る。
「お初にお目にかかります。ファクトラン大公家のリメラリエ=ファクトランと申します」
「顔を上げて頂戴」
許されたため、ゆっくりと顔を上げると、真っ赤な唇が印象的なとても20歳の子供を持つとは思えないような若々しい女性がいた。ウェーブのかかった金色の髪の派手さも全く違和感がない。
(この方がミリアルト殿下のお母様であり、現王妃)
流石のリメラリエも最近の王族事情は学んだばかりだ。色々気になる事も出てきてしまって、頭が痛い。
「貴女が、アキリア王太子の見初めた女性ね。一度お会いしたいと思っていました」
「ありがとうございます」
「ねぇ、わたくし今からミリアルトとお茶を飲むところなの、ご一緒しません?なかなか会わせて貰えないから良い機会だわ」
リメラリエは笑んだまま固まった。これは逃れられないやつだ。
一応こちらの意思を聞いてくれているようだが、王妃からの誘いを断れる人なんていない。リメラリエは心の中で「落ち着け落ち着け」と唱える。
「ぜひ、ご一緒させてください」
「まぁ、嬉しい。では、参りましょう」
近くにいた別の侍女に向かうはずだった場所へ伝言を頼み、リメラリエは王妃の後に続いた。
場所は王族の居住区間にあたる場所であり、ミリアルトの私室に近い部屋のようだった。リメラリエにはまだこの区間への勝手な立ち入りは許されておらず、初めて足を踏み込んだ。
逆にここにくるのは王妃であれば自分の私室から近いのではないかと思う。何故全然異なる方向から向かってきたのか、不思議に感じた。
王妃の侍女がノックをすると扉が開き、王妃が進んでいく。王妃の侍女たちに勧められ、リメラリエもゆっくり中へ進む。中にいたのはミリアルトとその護衛と思われる騎士だけで、他は誰もいなかった。
「ミリアルト、遅くなってごめんなさいね。先程リメラリエ嬢にお会いして、せっかくだからお招きしたの」
そう言った母に対してミリアルトは目を見開き、ひどく困惑したような表情をした。彼にしてみれば想定外の出来事だったようだ。やや、青ざめた様子で頷くしかできない。リメラリエも申し訳ないと心の中で思いながらもどうしようもなかった。ミリアルトに正式に名乗り、なんとか微笑んてみると、ミリアルトの方も少しだけ笑顔を返してくれる。
王妃に席を勧められてリメラリエは席に着く。王妃の侍女たちが次々に手早くお茶会の準備を進めていく。ミリアルトの私室の近くであろうと特に関係はなく、仕切るのは王妃のようだ。
すべての準備が整い、王妃が最初にお茶に口をつけた。それに習うようにミリアルトもリメラリエもお茶を飲む。花の香りが広がるようなお茶だった。
「リメラリエ嬢も突然のことに驚いたのではないの?王太子の婚約者になることになって」
そう、王太子の復帰も、王太子の婚約者の発表も外から見ると全てが唐突だ。王妃がどこまで事情を知っているかわからない以上は肯定以外の答えはない。
「はい、とても驚きました。それでなくとも世間に疎い私が婚約者なんて……」
リメラリエが引きこもりの社交力ゼロな令嬢であることは世間の周知の事実だ。事実を口にすることは問題ない。
「王太子が強く希望されたのでしょう?」
「そのように聞いております」
「何故かしら?」
何故かしら?と聞かれて、リメラリエは少し首を傾げてみる。
「王太子はお優しいかたのようなので、行き遅れの私を可哀想に思ってくださったのかもしれません」
それはほんの少し、リメラリエの中で思っていることのひとつだ。好きと言われて驚いた通りに、何故好きになってくれたのかわからない。だからなのか、少しそんなふうに自虐的に考えてしまうこともある。なんせ相手は結婚相手に困りそうもない。
「それならあなたはどう思っているのかしら」
「私は……」
言いかけたところで、扉がノックもなく開かれた。開いた扉から姿を表したのはアキリアだった。その後ろを引き止めようとする侍女たちが青ざめた顔で王妃に向かって頭を下げている。アキリアが強引に入るとは思っていなかったのかもしれない。
「私の婚約者とお茶を飲んでいると聞いて、いても立ってもいられませんでした。私もご一緒しても?」
アキリアは止まることなくリメラリエの横まで来るとそう王妃に向かって言い放つ。王妃は笑顔のままで首を振った。
「いいえ、その必要はないわ。リメラリエ嬢、また今度お誘いしますわ」
リメラリエは退出を許されたため、王妃に礼をしてアキリアと共に部屋を出た。部屋を出るとアキリアはリメラリエの手を取り足速に歩き始めた。
(怒ってる?)
いつもと少し違う様子のアキリアに戸惑いつつ、なんとか遅れないように足を進めるが、彼の足の速さについていくのは厳しい。
「殿下、もう少しゆっくり歩いて貰えませんか」
そう声をかけると、アキリアの足がピタリと止まり、リメラリエを振り返る。その表情は絶望感が漂っていて、訳が分からず首を傾げる。
「やっぱり私の思い過ごしでしたか」
「なんの話ですか?」
素直にそう聞くと意外な答えが返ってくる。
「両思いだったと言うのは、私の思い過ごしでしたか?」
訳がわからずも先日のことを思い出して顔が赤くなる。子犬が目の前で何かを訴えているような、悲しそうな問いかけに焦る。
「わ、私もそう思ったんですが、違ったんですか?」
「何故、名前で呼んでくれなくなったんですか?」
「そこです!?」
思わずリメラリエが声を上げるとアキリアは小さく頷いた。
「違いますよ。最近の王太子妃教育で敬称とかに関して厳しく言われたんです。その通りだなと思って、ここは城内ですし」
「二人の時は、名前で呼んでください」
アキリアの顔があまりにも真剣なのでこくこくと頷く。するとアキリアはホッとしたような表情を見せた。しかし、リメラリエはふとザイとの会話を思い出す。自分の形式的なお礼状のせいかもしれないと思うと、アキリアが不安に感じるのは自分のせいだなと感じる。
「アキリア様、申し訳ありませんでした」
名前で呼び直すとアキリアは安心したように微笑む。
「たくさんの贈り物ありがとうございます。私てっきり形式的なものなのかと思ってしまって、とんでもない勘違いをした手紙を出してしまいました」
頭を下げるとアキリアが慌てたように首を振る。
「あ、いや、気にしないでください」
「いえ、先程ザイ卿からお聞きしました。このドレスもアキリア様が選んでくださったと」
それを聞くと少しバツが悪そうな顔をしたが、リメラリエの方に向き直る。
「慣れないことをして大変でしたが、身につけている姿を見るととても似合っていたので、安心しました」
嬉しそうに笑うアキリアにリメラリエの方が赤くなる。アキリアは意外にストレートに褒めてくれる。
「他のドレスは、アキリア様に一番に見せるようにしますね」
照れ隠しも含めてそう言うと、アキリアが満面の笑みで応えてくれるので、全然照れを隠せなくなってしまった。
「でもどうして王妃殿下のお茶会に気づいたんですか?」
リメラリエの素朴な疑問にアキリアは目を逸らした。そのまま見つめ続けていると、観念したように話し始める。
「……、実はリメラリエ嬢に護衛をつけています」
「護衛?」
思わず周りを見渡すが、控えてくれているマリーの姿しかみえない。はて?と首を傾げる。
「姿は見せません。以前と違って、国としての対策として騎士をつけることができません」
リヴァランへの警戒のときは、イクトがリメラリエの護衛としてついた。
「何に対する護衛ですか?」
「……、内部の敵です」
そう言ったアキリアにリメラリエはなるほどと納得する。内部の敵に対して、騎士はつけられない。騎士は国のものだ。敵が他国であればいいが、そうではない。
「どうしても私の敵が多くて、次にお会いするときには一掃しておきたいと思っていたのですが……」
歯切れの悪い言い方に、納得する。流石にここまでの王太子妃としての教育で、最近の情勢については理解したつもりだ。
アキリアが臣籍降下を選んだ理由もなんとなくは見えていたが、はっきりとはわからない。ただ、最近よく考えるようになった。ここに、アキリアの婚約者でいることを自分自身で選んだのなら、ちゃんと知るべきだと。いつまでも自分だけ何も知らずに守られているなんて、そこにいる意味がない。
リメラリエはアキリアの手を握った。急に掴んだせいか、アキリアがひどく驚いたような顔をする。
「アキリア様。私にも背負わせてください。後ろに抱えてる大きなもの」
その言葉にアキリアが大きく目を見開く。
「私、これでもアキリア様の婚約者という場所は、ちゃんと自分で選んだと思ってます。決めた時にはもう形的には成り立ってましたけど」
リメラリエの言葉にアキリアは申し訳なさそうな顔をする。
「だから、ちゃんとその場所に居て良い自分でありたいんです。アキリア様の悩んでいること、共有して貰えませんか?」




