8枚目 「Buffoonery」
時計の短針が西を指す。十二の数の九つ目。
針だらけの背中は島の外れ、崖の上にいた。
「……」
彼は一人、蝙蝠を待つ。
「……」
何か考え事をしているようだ。うつむいた彼の首筋が露になる。
白い肌。数本だけ、茶色の頭とは対照的な色をした毛が覗いていた。
「……」
わしわしわし、と、針頭を掻いて後、彼は真っ暗な海に硝子のような瞳を向けた。
瞬間、左腕を掲げると、狙いすましたようにカンテラサイズの蝙蝠がぶら下がる。
「……ノワール。ヘッジホッグからロゼ、アネモネ、スフェーンへ」
『ロゼ様は眠たげですが、繋ぎますか?』
「寝てないなら構わないよ。繋いでくれる?」
『です』
ぶわん、と、蝙蝠の眼から光が溢れる。
白い砂の地面をスクリーン代わりにして、三人の顔が個別に映し出された。
白衣を着て眼鏡を掛けた、亜人の男性。
赤毛で長い三つ編みが特徴的な、魔族の青年。
癖のある赤紫の髪をした、眠たげな魔族の女性。
『ふああああ……おはよう、ハーミット』
「ロゼ、寝てたのか?」
『目覚まし鈴は用意してたわよぅ。そこは信用して頂戴な』
赤紫の髪を掻き上げた女性は答えると、半分降りた瞼をゆっくりと瞬かせた。
『は、なーにが目覚まし鈴だよ。さっき俺が連絡した時は爆睡だったじゃねーか』
三つ編みに結った赤い髪が軽々しい口調と共に揺れる。
『そう言うなアネモネ。ロゼは我々以上に働いているんだぞ』
言いながら眼鏡の手入れをする白衣の男性。
『あーん? 分かってんよそれくらい。いちいち突っかかって来んなっての』
『……』
『ふああああああああ』
「ちょ、まって、ロゼ。まだ寝ないでくれ、お願いだから」
『ふぇ……あたし?』
「そうそう、他に誰が居る」
『どうしたハーミット。何か気がかりでもあるのか』
白衣の男性の問いかけに、針頭は左右に揺れる。どうやら否定したらしい。
「ちょっと聞きたいことがあって」
『うーん、それはあたしにというより、メルデルさんに頼みたい感じかしら?』
「俺は今繋いでるメンバーに聞きたいかな」
『あらそう?』
『何だ何だ? ハーミットが遂に俺らを「聞きたいことがある」ってだけで呼び出す程に強欲になってやがるぞ?』
『口を慎めアネモネ』
『慎めってお前なあ、俺は感動してるんだぜ! いい意味で!』
『だ、ま、れ、赤長髪』
『だーれが赤長髪だ万年白髪男』
『あぁ? 白髪じゃなく白髪だ。知らんのか?』
「……えーっと……はあ。まあいい、俺だけで考えても仕方がなさそうだったからな」
獣人の声音が低くなると、まるでそれが合図であったかのように静まり返る三者。
「皆の個人的な意見が聞きたいんだ。良い?」
『おう』
そうして獣人が続きを口にすると、砂の上に映し出された三人は思い思いに一秒考えて。
それは勿論。それでこそ――だろう。
声は、揃った。
「……」
針頭の鼠顔が、申し訳なさそうに上下する。
『しんみりするなよなー、俺達はその程度のことでお前を見捨てたりしねーよ』
『右に同じく。お前がそう言う変人だということを我々は良く知っている』
『ふふふ、本当に幸せな愚か者ねえ。ハーミットは』
「最後の一言だけが不穏だけど気にしないぞ俺は!」
針鼠は言って、蝙蝠の頭をわしわしと撫でまわした。嫌がる蝙蝠に連動して、浮かぶ虚像も揺れる。
『あー、でも、ということは、だ。』赤い三つ編みが思い出したように身を乗り出す。『そうなると烈火隊の立ち回りが少々厄介になるなあ、俺、いっそ外に居といた方が良くねぇ?』
『そうだな。中は烈火隊だけで済ませなければならなくなるが……行けるか?』
『甘く見積もるなよ白髪男。俺が手塩を掛けて育てた部下だぜ? 余裕余裕』
『そうか。……まあ、これだけ五月蝿い赤長髪が上司なら或いは……』
『手前、今何を言いかけやがった』
『俺が下に見るのはお前だけだという話だ』
『よーし分かった、てめえも一緒に乱闘な! んでもって楽しく殴り合おうぜ!』
『それは良いな、酢漬けにして海へ放ってやろうじゃないか』
「おーい、話が済んだからって回線越しに喧嘩をおっぱじめるな。乱闘も駄目だ!」
『ふふふ、私は陣の組み直ししたから寝まーす――ぐう』
「……ノワール!」
『です。十秒で切断します』
「……っ大まかの流れは作戦通り、後は現場に任せる。それ以外はいつも通り――分かっているとは思うけど、誰も死ぬことは許さないからな」
鼠の顔から、一言だけ鋭い言葉が飛んだ。
映像の向こうの三人はそれぞれに反応を返して、消えた。
蝙蝠は羽音を立てて飛び去る。
白い砂だけが残った。
硝子玉のような眼からは、何も読み取れない。
舞台袖に通されて三十分。
会場には続々と客が入っているらしく、暗幕越しに大勢の気配を感じる。
足音が反響していて、どれぐらいの人数が入っているのかは定かじゃないが、それでも、天井を見た時に感じたこのテントの広さからしてかなりの収容数になるんじゃないだろうか。
「……」
退屈さに思わず欠伸が出る。
おっと、声も吐息も出さぬように飲み込まなければ。
「随分と余裕ですね。売られるのは初めてですか」
「?」
声がした方に振り向くと、私の鎖を握った若い人売りが苦笑いしていた。
黒い髪をしているが、赤い眼をしているので魔族だろう。魔族で黒髪というのも珍しい。
返答したいのは山々だったが、『沈黙』が掛かっている設定の為に声が出せない。無言のままに表情で会話を試みる。
余裕に見えたかしら。
「うわ、笑えるんですか。……確認しますけど、貴女って搬入日に逃げ出したんでしょう? どうして戻って来たんです、いっそ死にたいとか思いませんでした?」
死んだら人生終わりでしょうよ。
「まだ笑うんですか。……あの、旦那の拷問に一晩耐えた挙句退路を吐かなかったそうじゃないですか。自白剤が一つ減ったって聞きましたよ。旦那が薬使うなんて殆ど無いのに」
ん?
「貴方自身もかなりの手練れらしいですし。僕、さっきからボコボコにされないかすっごい不安なんですよ。ほら、旦那も腕に痣できてましたし。で、ですから。僕らを恨むのは自由ですが、僕を殴らないで下さいよね?」
あの、あらぬ噂話が大きくなっている気がするんだけど。
明らかに私が横暴で往生際の悪い女性のようにイメージを持たれているんだけど?
「……商品の癖に怖い眼しないで下さい」
酷い言われようである。
勝手に話しかけて来た挙句勝手に委縮してしまった若い人売りは、私の鎖を握ったまま、私の視界に入らない所まで逃げてしまった。
内心納得しないまま視線を正面に戻すと、変哲もない暗幕がなびいた。
善悪、ねえ。
人を売って得たお金で生きる人間と、人を売らずに生きていける人間と。
どちらが良いとか悪いとか、そういうことは私には判断できない。
かつて勇者が命を賭けて挑んだ魔王が和平を結んだ世界が、比較的穏やかであるように。
私が今からやろうとしていることですら、人によっては悪かもしれない。
強情でも偽善でもなく、強欲な独りよがりなのかも。
……それでも、やるのだ。
暗幕の外から一際大きい歓声が上がった。どうやら競りが始まるらしい。
真っ黒い床に視線を落とし、目つきの悪い白魔術士が言っていた言葉を思い出す。
私は深呼吸して目を閉じた。
奇跡は只の現象の結果。
伝説の勇者とやらは、決して私達を救わない。
「――お待たせいたしました、皆々様。この度は、枷の島センチュアリッジへようこそお越しくださりありがとうございます。
「まずは、このような小さな孤島で催しを執り行う異例を謝罪申し上げます……さあ、前回の即売会から左程期間は空いておりませんが、我々の祭典が帰って参りました。目の肥えた貴族様に、興味本位でこちらに足を踏み入れた猛者の方。今宵は法も倫理もありません、己が欲望のままに商品を購入頂ければ幸いです。
「さて、入場されたお客様方は承知してらっしゃると思われますが、初めてこのテントにいらっしゃった方も少なからずおられる筈、競売に入る前に一度ここでの注意事項を説明させて頂きます。本会場での競りには、表で回収させてもらった前金とは別に落札を行ってもらいます。商品を落札された方にはお支払いの義務が生じますので、ご理解ご協力の方宜しくお願いします。
「また、会場内での司会者、従業員、首輪贈呈以前の商品に対する魔法、魔術の使用は禁止とさせて頂きます。魔法の使用を確認した時点で魔法瓶にて酢漬け致します。尚、会場内で作成した酢漬けは、即売会が終了した際に海獣への撒き餌となります。ご了承下さい。
「それでは商品の購入についての説明に入りたいと思います。お客様のお手元には入場の際に配布されました札があると思われます。購入を希望する際はその札を掲げて頂くことで購入意思があるとみなします。
「始値は百万スカーロから、一度掲げるごとに十万スカーロずつの加算となります。お支払いは現金硬貨のみ、エフを始めとする他通貨での購入はご遠慮ください。支払いがお済みになりましたら、商品の引き渡しは首輪を着けた瞬間から可能でございます。お近くのスタッフまでお声かけ下さい。また、一度購入した商品の返品、他商品との交換は行わない決まりとなっています。
「人生の大きな買い物の一つになることでしょう、しっかり目を効かせて購入の判断を宜しくお願い致します。はい、以上で本即売会の規定は以上となります。細かい注意事項に関してはお手元のパンフレットなどをご覧ください。そちらに記入してあります内容を皆様理解していらっしゃるという前提で本会を進めます。
「加えまして、本会場外に出た際にはこちらの管轄外となり、空から怪鳥が舞い降りようと、海から怪魚が現れようと身の安全は保障しかねますのでご了承ください。ここまで理解して頂いた上で退席なさる方はいらっしゃいますでしょうか?
「……ええ、ええ。皆様がその様な低俗では無いと我々も承知しております。軽いジョークでございますよ――それでは会場も温まって来ましたので、皆様の熱が冷めない内に開演と致しましょう」
金髪少年は目元を仮面で隠し、舞台の上でそう謳った。
身振り手振りは大げさに、発言に抑揚を持たせて楽しげに。
「――挨拶は本会の代表を務めさせて頂きます、シャイターンでした」
口元に浮かんだのは、道化の笑みだった。




