6枚目 「嘘つきだって目を見て話す」
この世界には魔力子と呼ばれる物質が溢れている。
産まれたすべての人間には血と魔力子が通っているのだ。
魔力子――魔力を操る行動全般を魔法。
魔法を名称付けし、詠唱や魔法陣で即発動できるように現象を確立させたものを魔術と呼ぶのだ。
人売りが私に使った『沈黙』は一般的には呪術と呼ばれるもので――通常、精神や身体に干渉し、五感を封じるなどして対象の行動を制限する類の魔術全般を指す。所謂黒魔術の一種である。
そして、手順をならって呪うだけならまだしも、解呪には知識と技術が必要になる。
術者本人か呪術士のような専門家、白魔導士のような白魔術の専門家による『解呪』を頼って解くというのが普通――これは、魔術を学んだ人からすれば常識で基礎知識だ。
それなのに。
彼は「呪い」を「触っただけ」で解いた。私は思わず狼狽してしまった。
ただ接触するだけ。そんな発動条件の魔術が、この世に存在していいものなのかと。
「ああ、そうとも。普通に考えれば存在して良いわけがない。魔術の使用には詠唱や術式の構築が不可欠。無詠唱で扱える魔術は未だに魔法に近く、普通は下級の域を出るものではない」
「下級って、具体的には? 『念動』とか『点火』とか?」
「まあ、そういうことになるな」
「じゃあ、彼のは何? しかも獣人は白魔術を使えないはず――まさか、特異体質?」
「それに近いな。無理矢理分類するにしても、大雑把に『無魔法』と言ったところだ」
「そんな、希少な魔法系統がこんなにあっけなく……」
「まあ、奇跡は只の現象だからな。そこに居るのが現実だ」
暗幕を挟んだ向こう側、そこは小さな診察室のようになっていた。
赤緑青と、様々に色分けされた魔力補給瓶がズラリと棚に並んでいる。
部屋に入って奥側の椅子へ案内され、その横にドクターと呼ばれる男性が腰を下ろした。私は先程まで手洗いを借りたり、赤い皮で中が黄色いアプルの実や、バナの実だったりを頂いていた。
お蔭で、ここ数日空腹だった消化器官が栄養を吸収分解しようと必死に働いているのである。
「お二人さん、話は済んだ? そろそろ本題に入りたいんだけど」
「あら、これが本題じゃ無かったのね。てっきり魔法学に関しての個別授業かと」
「違うよ」
「私はそれでも構わないが」
「そこは否定する所だよ、ドクター」
私こそ、この状況下で魔術の話が弾むとは思ってもみなかった。
背中に針の生えた鼠の獣人は肩を竦め、お湯で茶色い粉を溶かす。
「それ、なあに」
「コーフィーっていう飲み物だよ。飲む?」
「頂こうかしら」
「因みに苦いからね」
「は……?」
どうして嬉々として苦い飲み物を飲むというのだろうか。苦いイコール毒じゃないのか? 私からすればティ (発酵乾燥させた香草を煮出したもの)の方がさっぱりしていて好みなのだけど、そんな口を挟む余裕はなかった。
三つの白い器に、トクトクと色つきの湯が注がれていく。
「これはブラックだから、ミルクとか砂糖とか適量入れてね」
「は、はあ」
「こら、話を脱線させるなヘッジホッグ。私のは砂糖五つにミルクは多めだぞ」
「自分で入れてくれ」
「コーフィーには砂糖五つ……それが標準なの?」
「違う。断じて違う」
獣人はそうぶつくさ言いながら、私と、私の隣に座っているドクターと呼ばれた男性に白い器を手渡した。熱を通し辛い素材なのか、湯気が立っているのに外側は常温だ。
調整しやすいようにと、ミルク多めに砂糖を二つ入れたようだが。彼らは湯気の立つそれを尻込みもせず喉に流し込んだ。
私もほんの一瞬だけ逡巡して一口だけ含み、痺れや痛みが無いことを確認して飲み込んだ。
うん、悪くはない。悪くはないけど……。
しかしこの、舌の上に残る独特の苦み……何も入れずに飲んでいるこの獣人はどんな味覚をしているのだろうか。薄めてこれなら元は相当苦い筈なのだけど。
獣人は黒い液体を半分程度飲み込んで後、おもむろに口を開いた。
「そろそろ、いいかな」
「……そうだった、何か話があるんだったわね」
「うん。えっとね。俺達は魔導王国の役人なんだけど」
「んんんんん!」
飲みかけのコーフィーを吹き出しそうになって噎せる私。
魔導王国、魔導王国と言ったか? つい数年前、私の母国を更地にした国じゃあないか!
「だ、大丈夫?」
「大丈夫なもんですか、溺れるかと思ったわよ! 魔導王国が人族の私に何の用!?」
「いや、種族はあんまり関係ないんだけど……俺達は君と取引したいなあと思って」
「取引? 何? 魔導王国は人身売買にまで手を染めたのかしら!?」
「染めてないよ!?」
「それじゃあ商品を個別に売り込んでるとか、軍に入れる為に引き抜きに来たとか」
「ないない」
「……何よ、夢がないわね……」
「今の会話の何処に夢があったんだい」
「陰謀論とか」
「うわあゴシップ案件」
獣人は首をカクンと右に傾げて俯いた。
「君は、魔導王国嫌い?」
獣人は純粋な黒眼で私の顔を覗き込む。
「き、嫌いというか、何というか――」
まさかそちらの国のお蔭で故郷が更地になったとは言い辛い。
「――もしそれが本当だとして、どうしてこんな法外の地にいるのかしらねーって思っただけよ」
追求から逃れるように、言い繕う。
獣人はゆっくりと頷いて、元のように深く座り直した。
「あー、えっと。詳しくは説明できないけど。ざっくり言うとお仕事の一環として、だね」
「仕事」
「うん。俺とそこに居る白魔術士と、他にも何人か」
「ああ。というわけで、我々は君がここから出るのに必要な手助けができる」
白衣の男性は言う。
「勿論条件はあるがな――ここを出て後の援助も保証しよう」
「……それ、どういう意味?」
私が聞くと、男性は眉を顰めて獣人の方へ顎を向けた。腰を浮かせていた私は、警戒しながらも元の位置に背中を落ちつかせる。
男性は再び、口元に器を運んだ。
獣人はやれやれといった様子で、膝に手を置く。
「俺たちは、とある任務を遂行する為に潜入しているんだ。けれどそれを説明する前に、君の目的を確認したくてここに招かせてもらった次第なんだよ。君が行った脱走行為が、俺たちの任務を邪魔する計画の布石だとも考えられるから、念の為ね。だからあんまり緊張しないで。ああ、嘘は吐いてもバレると思うけど……」
言われて隣を見ると、男性は眼鏡の縁を撫でていた。嘘を見抜く効果でもあるのか、それとも魔力の流れを観察して精神のブレでも測るのか。
どちらにせよやっかいな人達に目を付けられてしまったということだろう。こうなると分かっていたなら、派手な逃げ出し方はしなかったんだけれど。
「まさか、この飲み物にも仕掛けが?」
「へ? それは只のコーフィーだよ、お客さんをもてなす用の」
「……」
たった一言で毒気を抜いて来る獣人。
あの金髪小僧然り、最近はこういう人ばかりに会う。良いのか悪いのか。
「……大丈夫?」
「ええ。目的って言ってたわね、目的ねえ――大層な目的なんか無いわよ。どうやったら逃げ出せるか模索してただけ。さっき檻の外に出てたのは、頭の悪い人売りがたまたま鍵を開けてくれたからよ」
「ほう」
「実の所、昨日脱走した時に散々騙されたから、今もそうかもしれないという前提の上で話を進めさせて貰うけれど……そうね。このテントの中に居る売り物の数って、どれくらいなの?」
ここで黙り込んでも埒が明かない。正直に知りたかった疑問を口にすると、獣人と男性はぴたりと動きを止めた。
「それはつまり、このテントに集められた商品の数ってことか」
「そうね。そういう扱いを受けている人間の総数」
「それなら――百二十八人だ」
帰って来た数字の大きさに言葉を失う。確かにこの規模の建造物だ。空間魔法具を使用したなら、収容場所は幾らでも確保できる計算になる。
「そう、百二十八人。多いわね」
「それをどうしようと?」
「どうしようというか。どうしたら皆で売られずに済むかしらって、そう考えただけよ」
「……」
人が商品扱いされる事情にも色々あるだろう。
私のように有無を言わさず市場に乗せられたり人攫いにあった例もあるかも知れないが、その中に我が身を売ってお金を作ろうとしている人が居ないとも限らない。
もし後者の人間が居たとしたら、自分を売らないという選択肢は死んでも選ばないだろう。その裏に誰を人質に取られているのか、どんな事情があるかも分からない。
「自分の都合でそういう勝手を考えるもんじゃないって言うのも、分かってるわ。現に私には知恵が足りない。ここは島、次の満月に全員を陸路で逃がすなんて遅すぎる――私は『空間魔法』を扱えないから転移術なんて以ての外、加えて空を飛ぶことも、飛ばすこともできない。仮に逃げることができたとしても、その後の策がない。だから、今のところは絵空事。夢のような話ね」
「絵空事」
「ええ。絵空事よ」
私はそう言って、コーフィーを口に含んだ。
目の色は変えない。
暫くの沈黙の後、口を開いたのは隣に座る白衣の男性だった。
「くはは!」
「!?」
吹き出されたミルクと砂糖混じりの茶色い液体が、目の前に座る獣人の茶色い鼠顔に飛来する。
「ぎゃあ!?」
「ごめんなさい!!」
「はは、すまん。面白い事を言う娘だと思ってなあ――聞かせてもらうが、お嬢さん。あんたは善行を意図して働くことを偽善だと思うか?」
「ぎ、偽善よ。意図している時点でそれは心からの善じゃないわ」
「そうだな。今現にあんたはヘッジホッグの顔をどうにか拭いてやろうと必死になっている。そういうとっさの判断って奴は、正しいとか正しくないとか、判断してる余裕は無いからな」
「……」
「ちょ、痛い痛いそんなに強く拭かないで! ドクターも彼女を煽らないで!」
獣人の反応に構わず、私は彼の頭を拭き続ける。短い毛がモフモフと気持ちいい。
「そう、それだ。自分がやりたいようにやっている分には、善悪を気にしない。気にする必要が無いからだ。やりたいようにやっている以上、ストレスにならない」
「何が言いたいのよ」
「素直になれという話だ。お嬢さんのさっきの台詞は偽善だと言っている」
「……人の心配をすることが偽善だって言いたいの?」
「は? 他人の心配か? 辞めておけ、自分じゃ力不足だって分かっているなら尚更だ。もっと純粋な動機で良い。お嬢さんは檻を出た先で何を求める」
「何って――」
私は一度口を閉じて、考えてみる。
残念ながら、人に胸を張って言える目的は見つからなかった。けれど。
欲なら、ある。
「恨んでるわ。私を攫った人も、私達家族を騙した人も、このテントの人売り達も、全員」
「それで?」
「懲らしめたいわ」
「そうか、それで?」
何が面白いのか、モスグリーンの瞳がきつく細められる。絶対楽しんでいるなこの人。
「死なないくらいにぎったんぎったんにしてから牢屋にぶち込んで更生させたい」
「…………」
眼鏡を中指で上げようとした男性がポカンとする。
獣人に至ってはカタカタと小刻みに震えている。
「因みに、今話している俺たちがやっぱり君を騙してて、他の人売りに情報流すとか言い出したら、どうする予定だったの?」
「全員燃やして逃げるつもりだったけど」
「おっかねぇ!」
「その場合、このテントの中に居る人まで巻き添えにしちゃうかもしれないけど、でも私が安全に助かる為だもの。仕方ないわ」
「聞きたくなかった本音! さっきまで全員で脱出とか言ってたのに迷いがなさすぎる!」
「貴方達が聞いてきたんでしょうが。私だってこんな考えが浮かぶ自分が嫌いよ」
正直な話、今言ったことは半分以上がはったりである。当然、テント内部に生きた人間が居る以上、それが悪人であれ私が火を放つことは無い。そもそも火系統は苦手なのだ。
「それに、信用されていないのは私の方みたいだし。私、『名乗らない魔術師には冷たくあたれ』と言われて育ったの」
「……君は魔術師なのか?」
「そういう貴方だって、両薬指の魔法具の核に使用されている石、天使の石でしょう? まあ、さっき白魔術士だって言ってたから、それなりの実力なら妥当な装備よね」
「良く知っているな」
「……できる限り、魔術に関する勉強だけはしてきたつもりなのよ。だから、警戒もするわ」
魔術を付与する対象の名前を知るということは、その効果を向上させることと同義である。
故に魔術の心得がある人間は自分の名前を伏せて生活することが多いのだ。
「年頃の女性を個室に連れ込んでもてなすっていう所も怪しいじゃない。このコーフィーには何も入ってないみたいだけれど、ドクターさんは私の退路を断ってるし、ヘッジホッグさんもここに来てからずっと私の挙動を気にしているでしょう? むしろ私の方から聞きたいものよ。貴方たちが本当はどちら側の人間なのか」
私は飲み干した器の縁に中指をかけた。何かあればいつでも投げつけられるように。
ここまで揺さぶったのだ、これで反応がなければ灰色判定は覆らない。私の中の魔導王国に対する評価は黒になるだろう――私は男性から視線を外し、正面に座る針の生えた鼠顔の獣人を見据える。
硝子玉のような丸い眼からは、やはり何も読み取れなかった。
彼の左眼に焦点を合わせていると、針だらけの頭がカクンと小さく上下した。
「……ドクター。俺は構わないよ」
その一言に、場の空気がほんの少しだけ緩む。
どうやら気を張っていたのはお互い様だったようだ。
「はあ。……しかしなあ、そういう展開を避けようとしていたのは何処の誰だ? ヘッジホッグ。まんまとルートに則って事態が進んでいる気がするぞ」
「全部ロゼのせいだ。もっと言うと、ロゼの寝言を言伝した彼女の使い魔のせいだ」
「タイミングが悉く悪いなお前は。まあ、そのお蔭で生き残って来たようなものだが」
「全くもってその通り、残念ながら、この展開も決定された事象というわけだ」
奇跡なんて只の現象である。
と、ドクターが口にしたのに似た台詞を、今度はヘッジホッグが口にした。
「うん。俺達の計画の要になる君を運良く見つけられたというこの状況も、また奇跡。そして、これらは現象の結果だ」
ヘッジホッグは、私を見つけたことを奇跡だと言った。
「俺は末来よりも現在を重要視する。だからこそ君の声を聞き、君の望みを知ることが必要だった。けれど、それはこちらの杞憂だったかもしれないね。君はとても向いている」
獣人の背中の針が、さわさわと逆立つ。
「向いているって、何が?」
「……この悪質な即売会をぶち壊して、百二十八人を助け出して、虫寄せ殺虫剤宜しくやって来る、人を物扱いして売り買いしようとか言う外道を纏めてしょっぴく手伝いをするのに、さ」
問いかけに応じるように、黒い瞳は私を射た。
「そうだな。今回だけ、君に協力を依頼しよう。だから、お互いに名乗るのは通り名まで、ということにしようか」
獣人は言うと顔を上げた。今度は赤い手袋を嵌めた左手が、差し出される。
「俺の名前はハーミット・ヘッジホッグ。見ての通り獣人さ」
一拍置いて、亜人の男性も呟く。
「私はスフェノス。スフェーンでもドクターでも好きな様に呼べ」
圧に押された私は、躊躇いながらも獣人の方へ手を伸ばした。
赤い皮手袋の上に重ねた手からは、確かに人の温度がする。
「……私は、ラエル・イゥルポテー」
これが、私と彼との出会い。
「黒魔術師よ」
強欲な針鼠との、邂逅だった。




