5枚目 「再会と硝子玉」
私が彼の存在に気が付いたのは、檻の錠が外れる音がした時だった。
ばっと振り向くとそこには一人の男性が居た――金髪小僧ではない――先日私を襲った人族の男が、居た。全身が標準以上に肥えていて、全身で脂汗をかいていて、黒い縁の小さな丸眼鏡をしていて、ぼてっとした唇で、短パンで、鼻が太い。
男は一人だった。用件は何となく想像がつく。
「よう、女……昨日はよくも俺の息子を握りつぶしてくれたな!」
ああ、あの気持ち悪いキノコ。
「お蔭で地獄のような痛みを味わったんだぞおらあ! ただでさえ給金低いってのに朝から晩まで細眼の男にこき使われるし! しかもてめぇを捕獲した手柄、全部あの金髪に持ってかれちまったし! 弟は行方不明だし! せっかく出稼ぎに来たってのにどうしてくれんだああ!?」
……その怒りの原因、ほぼ私じゃあなくない?
前半はともかく、後半は多分あの金髪小僧が原因だよね? 最後のは本当に身に覚えがないし。
呆れ半分の私を尻目に、男は両手をわさわさと蜘蛛の足のように動かす。
「というわけで! 俺の気を! 紛らわさせろ! 具体的に言うと俺を癒せ! 女!」
えぇ……嫌だ……。
そう考えながら――両手の指を組んで、思いっ切り男の顔に向けて振り抜いた。
ズゴンッと、人の頭から鳴っちゃいけない類の音がした。
「――っ! なんのこれしきいいい!」
いや、つべこべ言わず寝ていて欲しい!!
顔を上げた男のうなじに足枷の鎖を引っ掛け、顔面を鉄の床に叩き付ける。
男はビクリと跳ねたがその後は静かになった。これでしばらくは起きないだろう。
環境に素早く適応し、先手必勝、鉄拳制裁、小技と火力で捻じ伏せる。
これぞ、砂漠の砂魚の群れと共存する上で身に付けたサバイバル術のモットーである。
「……」
普段は魔術を使うのだけどね。
予想外の乱入で檻が開いたので、私はこの機会を逃すまいと外に出ることにした。
とはいえ、対策なしに探索をするには危険過ぎる。
なるたけ足音を立てずに壁に沿って立ち、自分の檻が置かれていた舞台裏と呼ばれた方向を確認する。
勿論、檻に鍵を掛け直すのも忘れない。いびきもかかずに沈黙した男性を視界の端に入れながら、錠の閉まりを確認して進路方向に向き直った。
二十歩先の足元が見えない暗闇を踏みしめ、裸足のまま歩き出す。
昨晩より幻術式による方向感覚の狂いが酷いが、まずは水を口にすることが第一目標だ。その為にはこの口の球を抑えている布の結び目を解いてくれるような、気の良い人売りに出会わなければならない……気の良い人売りという概念が存在するのかが不確かだけども。
ぼんやりと考えながら歩いていると、あっという間に檻の前まで戻って来てしまった。
どうやら水を飲むどころじゃあなく、脱出を試みること自体が難しくなっているのかもしれない。
溜め息を吐こうにも声は漏れず、相変わらず『沈黙』が効いていることを実感させられる。
……現術式を突破する方法について知識がないわけではないのだが、白魔術も使えないのに手指を犠牲にするのは気が進まない。
私は両頬をぺしりと叩いて気を取り直し、先程向かった方とは真逆へ向かうことにした。
振り向きざま、人売りに遭遇するなど思いもせず。
「……」
「……」
喉の奥を、ひたすらに冷たい空気が貫いていく。
悪戯の瞬間を見つかった子どもの如く固まった私は、ぎ、ぎぎぎと油の足りていない駆動みたいな音を立てながら、全力で見なかったことにしようとした。脱兎した。
当たり前だが相手も馬鹿ではない。手枷足枷で動きが鈍った商品を追って全力疾走してくる。
赤と黒のストライプを身に纏った細身の男は長身を活かした歩幅であっという間に距離を詰め、私は床に引き摺り倒された。
――あまりの衝撃に声が出ない。というか『沈黙』の効力で声が出ない私の首に、人売りは長い指先を絡ませた。ぎょっとしてどうにか身を捩ると、瞳を真っ赤にして私の首を絞める男の姿がある。
「おまえ!! よくも兄貴を……っ!!」
空気を求めた鼻から、上手く息が吸い込めない。
耳に届いた言葉が正しいなら、先程私が昏倒させたふくよかな男性の身内ということらしい。
硝子玉で蹂躙された口の中、無遠慮に涎が喉に落ちる。
ぶれる視界に、脳へ血が足りなくなっているのだと知る。
理不尽だ。家族を大事にしたいのは、お前たち外道だけじゃあないんだぞと言いたい。
それなのに、どうしてこんなにも。うまくいかない。ん、だろ……。
指先から力が抜けていく。板枷が重力に負けた。
けれど、死はいつまで経ってもやってこない。
少し遅れて――どす、と。鈍い音が耳に届いた。
「っ、ぐ、あ、あ!?」
「…………!?」
霞む視界の中をもがいて、苦悶の表情を浮かべた男の懐から脱出する。
随分と鈍い音だったが、見れば男の腰元に太い針のような物が突き刺さっているではないか。
細身の男はふらふらと立ち上がるも自分で足を縺れさせ、横にあった檻の柱に頭をぶつけ。ずるずるとその場にへたり込んでしまった。
当たり所が悪かったのか口の端から泡を零している。これなら、兄共々しばらく寝ていてくれるだろう。
しかし、一体誰の仕業だろうか。
開放された首元をさすりながら顔を上げると、静まり返った舞台裏には人影が一つ増えていた。
逆光になって表情が伺えないが、何故か目が合ったことだけが理解できた。
彼は何も言わず、私との距離を詰める。
私が右に動くと、相手は左に身体を向ける。
私が左に動くと、相手は右に身体を向ける。
私が後ずさりするのも構わず、相手は距離を詰めた。
私が座り込んで地面の染みを数え始めると、私の顔色を伺おうと覗き込んでくる始末である。
(何だこの人。何だこの人。敵意も害意もないだけに気味が悪いんだけど!?)
それでも逃げ出せなかったのは、相手の力量が私の力量を遥かに上回っていると肌身に感じたからだった。
硝子玉のような黒い瞳が、細長いその顔が、じっとこちらを眺めること数十秒。
「……こんばんは」
どうせ檻に引き摺られる展開だろうと予想していた私は、くぐもったその声に身体を震わせるフリをする……が、何だか頼りない口調に驚いて顔を上げることになった。
暗闇の中、僅かに灯るカンテラの明かりを頼りに、その色彩情報を記憶の奥から引き出す。
黄土色のコートに黒いブーツ。
真赤な革の手袋に、硝子玉のような黒い眼。
頭の天辺から背中にかけてびっしりと生えた太い針。
そこでようやく思い出した。彼は島に上陸した時に目が合った獣人である。
なんだ、彼も人売りの仲間だったらしい。
あのとき列の傍にいたのは野次馬としてではなく、私達商品を監視する為だったようだ。
私は檻に連行される準備として、抵抗せずに板枷の付いた両腕を前に出す。必要以上に殴られたり蹴られたりしないためにはこれが一番だ――と、大人しくその時を待っていたが、一向に枷が手繰られる気配がない。思わず疑問の視線を投げると、獣人の黒い眼と私の目とが合った。
「君が、明日一番目の品物なんだね」
「!」
明日一番の品物。……私が?
そんな事になっていたのか。新たな情報を手に入れた半面、どうして自分を捕まえようとしないのかが気になった。枷を前に出しているのに、この獣人は鎖を手に取ろうともしない。
「?」
無抵抗の意思が通じていないのだろうか。
思いっ切り顔の前で腕枷を上下させてみるが、腕が疲れる一方で反応が返ってこない。
あの、私に何か用?
口にしても、『沈黙』の掛かった喉は震えず、私は頬を膨らませる。針鼠は無反応を貫くばかりだ。
反応しなよ。
「……その服」
はい?
「ちゃんとお願いしたはずなんだけどなあ」
ふ、服? 私の服の話をしているのか? どうして? 脈絡がないぞ?
確かに、このボロ着はサバイバルしていた時からの相棒、八年着古したワンピ―スだけども。
「しかし、こいつら臨時の……リストから漏れてたとなると、まだ取りこぼしがあるかもしれない。引き続き警戒を。ああ、片づけも頼むよ。汗ひとつ残さないでくれ」
「……?」
私が座り込んだままで目を白黒させていると、獣人は針だらけの頭を毛並み (針並み?)通りに撫でる。
そのまま赤い指を眉間に当てたかと思えば、パッと顔を上げた。
「んー。少し考えたいこともあるけど、それは後回しにしようかな。じゃあよろしく」
まるで誰かと話しているような調子で独り言をした獣人は、腰元から手を離して立ち上がる。
どうやら現在進行形で考えるのを辞めたらしいが、何を考えていたのだろうか。
「ねえ、君立てる? 手を貸そうか?」
い、いえいえ、立てます。一人で立てますとも。
差し出された手を払って私が立ち上がると、獣人はシュンとした様子で赤い手袋をした左手を引っ込めた。
「じゃあ、行こうか」
「……」
なんだ、やっぱり檻へ引き戻すつもりだったのか。
そう思って腕枷をもう一度差し出すと、獣人は意味が分からないとでもいう風に頭を傾げた。
私が余程不服そうな顔でもしていたのか、獣人は更に首を左右に交互にゆらゆらする。
そして三往復目で突然、ポンと手を打った。
「あぁ、そうだ。女の子にはエスコートが必要だったね! 気が利かなくてごめん!」
言うなり、私の枷に付いた鎖ではなく手のひらを取った獣人は、足元に鎖の付いた私の歩幅に合わせ、ゆっくりと歩を進める。
「……」
何だこれは。
これでは同意の上での連行じゃないか。
革靴が擦れる音が響いた。
獣人は私の手を引いて私が居た檻とは逆の方に進んでいた。幻術式が効いていないのか、足元に迷いは見られない。戸惑いながら体感にして数分歩くと、彼は足を止める。
「ちょっとしゃがんで」
は?
「いいからいいから」
まあ、しゃがむだけなら……。
正直な話、膝を着いた瞬間に蹴りを喰らうなんて展開はごめんなのだが、どうやらそういう趣味はなかったらしい。代わりに私の頭上に手を回すと何か作業を始めた。
獣人の鼻先が頭の天辺につんつん当たって、少しだけくすぐったい。
「いいよ、吐き出して」
……流石にこの言葉には耳を疑った。
まさか、本当に良心的な心を持つ人売りに行き合えたとでもいうのだろうか?
言われた通りに口の中を占領していた固形物を吐き出すと (見る限り、それは丸い水晶玉のような物だった)、獣人はそれを器用に布で受け止めた。
「……」
おおっと。
顎が疲れて閉まらない。無言のまま両手で抑えると、すーっと閉じた。
取り敢えず、外れてはいないようだ。
「その次は……はい、お水」
み、水う!
「わ、待って、落ちつけって――ゆっくり飲んで、絶対噎せるから!」
「……!」
「あー、言わんこっちゃない」
二日ぶりの水にありついた喉はすっかり張り付いてしまっていて、水分を受け入れられる状況じゃない。私は当然の結果として、口に含んだ分の水を盛大に吹き出してしまった。
ああ、貴重な水が宙を舞う。
「ほら、このレバー上げたら出るから。落ち着いて器に入れてくれ」
何? ここでは水が飲み放題ということ?
「言いたいことは何となく理解できるけど、ここは楽園じゃないよ、むしろ最悪寄り」
そりゃそうだ。
楽園幻想がガラガラ音を立てて崩れていくが、その間に器一杯分の水を胃に入れた。これ以上飲んでしまうとさっきの二の舞になることだろう。
「……あれ。前にもこういうことあったの?」
水を飲むのを辞めた私を見て、珍しい物を見たように獣人はぼやいた。
私は一度だけ縦に首を振る。
これでも砂漠育ちですから。水不足の経験は何度でも。ある。
獣人は頭をカクンと傾けると空になった器を懐に仕舞い、また歩き出した。
後ろについて行くと、一際黒い暗幕に行き当たった。
針だらけの獣人はそれに手をかける。中から人の気配がした。
「居るか」
「合言葉は」
「朔の次、繊月」
「外れだ。お引き取り願おうか」
「おい、そもそも合言葉とかないだろう。開けてくれ」
「……」
しゃっ。
横方向に引かれた暗幕の裏から姿を現したのは、白衣を着た目つきが悪くて背の高い、亜人の男性だった。髪は短くて白く、眼鏡を掛けている。
彼は獣人の彼とその後ろに居る私とを見比べると。
「あぁ? ……ああ、成程」
何が成程だ。分かるように説明してもらいたい。
「入ってくれ。ふあ、今日はシラフなんだな」
「相変わらず目つきが悪いねドクター……さ、おいで。別に取って食いはしない」
「……」
と。まあ、流れるように手招きされた私は当然、襲われたのが昨日の今日でさっきなので、部屋へ招き入れようとした彼らと距離を取った。
じりじりと二、三歩後ずさる感じである。
「おー、おー。だいぶ警戒されてるなぁ。お前のせいだぞヘッジホッグ」
「ひ、酷いこと言うなぁ、ドクター」
確かに。私を騙した奴等とも、私を襲おうとした男とも彼等は別人である。
その辺りは理解しているつもりだが、これでまた騙されても身が持たない。今度こそ、五体満足では居られなくなるかもしれないのだ。
「分かった、分かったからちょっと待って」
獣人は慌てた様子でそう言って、装着している赤い手袋の右手だけを外す。
獣人は人の世に紛れる為に人型に化けているという話を聞いたことがあるが、彼もそうらしい。手袋の下から現れたのは肌の白い人族のような掌だった。
な、なに? 一体どんな魔術でも駆使して私にいうことを聞かせようとして――。
「まずは! 俺と握手してみよう!」
ずこーっ!
「あ、いや、別に仲直りしようとかそういうノリじゃないんだけど」
そういう解釈でずっこけたわけじゃないんだけど!
「まあまあ、お嬢さん。騙されたと思って繋いでみな、奇跡が起きるから」
き、奇跡!? なんて胡散臭い!!
「奇跡って……そんな大したものじゃないよ、悪徳宗教じゃあるまいし」
そーだそーだ、悪徳宗教じゃあるまいし。
「悪徳宗教は奇跡をでっち上げるから悪徳なんだろーが。本物の奇跡は只の現象だからな」
「そういう台詞を言うから君は友達が少ないんじゃないかな……」
「そんな私に付き合わされるお前も十分な変人だからな」
「……」
目の前で交わされるやり取りを眺めながら、私は先程言われた言葉を反芻していた。
奇跡は只の現象……か。
私はつま先の向きを改める。
こんな性格だから、騙されてえらい目に遭うのだろうけど……。
私は、白衣の亜人に軽口を飛ばす獣人の手を取って、やけくそ気味に握り込む。
無言のまま、枷の付いた両手を前に出し、獣人の白い手を上下にぶんぶんぶんと三回振って。それから手を離した。かっさかさの掌だが、満足して頂けたのだろうか?
「……これでいい?」
「う、うん!」
「そう、それは良かった」
年ごろの乙女の握手一つで満足するとはどんな変態だ。まるで何かの有名人みたいになった気分すらある――って。
どういうわけか獣人は握った手を解放しようとはせず、固まっている。
その様子を見て、暗幕を支えながら笑いを堪えている男性。
「何よ、いきなり笑い出して」
「いや、くはは、最高だぜあんた」
「意味分かんないわよ全く……ん?」
私はそこでようやく、自分の喉が震えていることに気が付いた。
こういう場合、取るべきリアクションは決まっている。
「声が出てるぅうううううううううううう――!?」
「うわあぁぁぁぁしゃべったぁああああああ!?」
「お前等うっせぇぇぇえええええええええ!!」




