281枚目 「破顔」
随分と風通しが良くなった部屋に、支えを失った窓枠が落ちる。
トカは崩れた部屋の内、瓦礫を踏みつけた。
発生した音は全て魔術陣の壁に吸収され、外には響かない。
屋根材の雨に降られた割に、ハーミットは傷ひとつ負っていない。
視線と平行に構えていた強欲なるものの剣身を引くと、コートに積もった埃を気にすることなく半身になる。
トカは薄笑いを浮かべた。
「ふむ、剣を抜いたな……まあいい。顔を合わせる直前に防音魔法具を使用したのはつまり、そういうことだろう?」
鏡面の靴が、ゆったりと宙を踏む。
余裕しゃくしゃくなトカに対し、ハーミットは無言で剣を奮った。
が、周囲に向けて放たれた剣先には、霧を切ったように手ごたえが感じられない。
剣の呪いは生物特攻だ。魔力糸のような、魔力子の塊には効果が無い。
「どうした。術者を狙う為の呪剣じゃないのかね」
「……貴方は、この剣のことも知っているんですね」
「あぁ、散々見たし研究したとも。私は魔族ではなかったから、王命でね」
「そうですか」
針鼠の少年は返ってきた言葉に納得の頷きを返す。
そうして、呪いの剣を鞘へ納めた。
トカにはハーミットの意図が読めなかったらしい。暫く開いたままだった口を閉じると、嫌悪を隠そうとしない目で少年を見下ろした。
「ふむ、打開できないとなれば直ぐに理解を放棄するか。経験豊富を自称する若者がしそうなことだな」
「……確かに、俺は何も理解できていない」
針鼠は頭を揺らし、それから鼠頭を押し上げる。
金糸の髪を頬から剥がし、琥珀の瞳が現れ――剣呑な視線から身が竦むほど強烈なプレッシャーが放たれた。
ハーミットはコートの襟を開け口元を晒すと、トカの一挙一動を観察しながら右手袋を外す。素手を何度か握り、やがて躊躇いなくトカとの距離を詰めた。
少年が距離を詰める度に、魔力糸が千切れる音がする。
(力業で振りほどいているのではなく、触れた傍から「破壊」している……?)
背中を嫌な汗が流れていく。身じろぎひとつできないままでいたトカの目と鼻の先に辿り着いたハーミットは、作った手刀をトカの足元へと振り翳す。
足場を失った魔術師は成す術なく瓦礫に落ち、派手な音を立てた。
受け身もできなかったトカは舞い上がった埃と木片に咳き込むことも忘れ、尚も距離を詰めてきたハーミットを見上げる。
影になって、男には少年の表情が読めない。
「……俺は、ラエルや貴方たちの境遇に上手く共感することができないんだ。両親の人格に恵まれて、子どもの頃は比較的平和な環境で育ったからね」
ハーミットは素手になった右手を眺めると、徐に人差し指を立てる。
「それでも、ラエルと話せば話すほど個人的な疑問が生まれてね。色々と考えるようになった。例えば――食事の作法や服の着方を、いったい誰から学んだのか」
「……」
トカは、少年が口にした素朴な問いに押し黙ってしまった。
この場合の「誰」は、「ラエルの両親がどの地方の人間なのか」ということだ。
思い返せばラエルは、魔導王国浮島に足を運んだ時点でテーブルマナーを心得ていた。しかしサンドクォーツクでカムメの丸焼きが出た際はハーミットに教えを乞うた。このことに、ハーミットはずっと違和感を覚えていたのだ。
白砂漠でサバイバル生活をする以前、彼女が故郷と呼ぶパリーゼデルヴィンド君主国ではカムメを食べる機会がなかったんだろうか? と。
(地図から消された国の情報を集めるのは骨が折れたけど、第三大陸では北南問わず、渡りのカムメを食用としていたと記録にはあった。残火に記憶制御と認識阻害の使用許可を出してまで元現地住民の証言を集めてもらったんだ。信憑性は高い)
加えて、第三大陸で食用のカムメを畜産に頼るようになったのは魔導戦争によって政治監視権が魔導王国へ移って後……今からたった六年前の話である。
「貿易国だったらしいし、異文化が盛んだったのかと思って調べもしたさ。けど、カムメの骨抜きに至っては南部とそう変わらなかったそうだ」
だから。戦争が始まる前までパリーゼデルヴィンド君主国で生活していたはずのラエルが鳥の食べ方を知らないということに、ほんの少しだけ引っかかった。
そうして、当たり前のように見てきた景色にも違和感が産まれた。
「……あの君主国での食事は鉄串とスプーンが主流だったそうだ。にもかかわらず、ラエルは誰にも教えを請わないまま魔導王国のカトラリーを行儀よく扱えたんだよ。不思議だろう?」
そう。あまりにも自然すぎて不自然だった。
両親が人族だというわりに、ラエルの身振りや作法は魔導王国の文化に寄っている。
彼女が浮島に来てすぐの頃、モスリーキッチンでも周囲に人が寄り付かなかったのは、その食事作法が魔族の目を引いたからで――食事前の礼に始まり、食器を手に取る順番も、飲食の順番も、果ては素早く食事を済ませることも、日に二食であることも――「かつての魔導軍的」な作法に、そっくりだったからだ。
特に、ラエルが人族で感情欠損でもあるという事実とはあまりにもミスマッチである。これが取っつきにくさに拍車をかけたのかもしれない。
だって。砂漠でサバイバルしたからといって、魔導王国の作法が身につく道理はないだろう。それは、滅ぼした側が思い知っていた。
故にラエルは、人族としても感情欠損としても疎まれていたにもかかわらず、周囲からそれほど酷い手出しをされることはなかったのだ。
「誰が育てたのかも分からない相手」に手を出し、万が一「序列」に抵触したとなれば我が身が危うい、と――未だ多くの魔族が撤廃された旧制度に心や立場を縛られている証拠ともいえる現象だが――さて。
こうなると、ラエルを育てたのは「誰」なのだろうか?
トカは、ローブに刻まれた不死鳥の刺繍を握りしめた。
ハーミットは眉間に皺を寄せ、二本目の指を立てる。
「二つ目の疑問。片親が魔導師になるほどの実力があったのに、ラエルの暴発癖が矯正されず、魔力導線が傷むほどに放置されていた理由は?」
ラエルの自己申告によれば、彼女の母親は黒魔導師であり父親のトカは白魔術師である。
ラエルが使用していた魔力発散法――高火力の魔術発現を魔力制御代わりにするという脳筋的で古い手法が導書に記載されていたのは、終戦前に出版された書籍が最後だった。
これはハーミットが赤魔術士資格に関して資料を作った際に知った事実だが……重要なのは「この後」だ。
「導書……術書であったとしても、幼年期から青年期の魔力制御指導は『魔法具や魔導書を使用した魔術発現を心がけるように』と数百年前から明示されている。この手帳の記述が本当なら重大な指導違反だし、意図的かつ故意であるなら見過ごせない」
言って、少年は三本目の指を立てる。
「――何故だ? ラエルには確かに魔術の才がある。そして周囲にその成長を支えられる魔術師がいた。意図せず過酷な環境に放りだされたなら猶更、魔力導線を傷つけない訓練をした方が生き残る確率はあるだろう。なのにどうして? ……この件に限って魔術欠損は関係ないのかもしれないけどさ」
仮に王様やハーミットが危惧している事柄にトカたちが気づいていたのだとしても。それらがあの「教育」を肯定する理由には値しない。
彼女を育てた両親は、いったい「誰」なのか。
彼女の魔術暴発癖が放置されてきたのはどうしてなのか。
検討から浮かび上がるのは、更なる疑問だ。
「俺は、彼女が恐怖を感じられない体質だと知って……俺たちと出会う前からそうだったと聞いて、『どうしてこんなにまともに振る舞えるんだろう』って。ずっと不思議に思っていた」
感情欠損、「恐怖」。
ラエルの症状は、器質的に感情が消失した場合に比べると少々特殊である。時々口にする不安感を始めとして、彼女自身は非常に感情表現が豊かだ。
痛みを嫌い、他者から嫌悪されることに対して忌避感を抱く――痛みに恐怖できない為に自己愛は弱いが、コミュニティからの追放に怯えることは無い。
好奇心豊かで未知の事物に対しては驚きと興味を隠さない――未知に恐怖できない代わりに、研ぎ澄まされた直感で最悪の事態を回避する。
心配も期待もするし、怒りもする。
人や物を嫌うし、好く。
徹底的に、「恐怖のみ」が抜け落ちているのだ。
不安を発端とした感情の高まりが、一定以上から断線しているような。
しかし。ここに矛盾がある。
(本当に「恐怖」を少しも認識できないなら、彼女が時折見せる「服従」や「無力感」の姿勢は生まれないんじゃないのか?)
本当にラエルの認識の中に恐怖が存在しないなら、自らを含めた誰の恐怖にも共感できないのだから、自らを含めた何かしらを害することに対して心の底から思い悩む理由も持たないはず。それこそ思いつきで黒魔術を四方八方に放ってもおかしくはない。何も考えずに突拍子もない行動を起こす方が、明らかに適応としても楽だろうとハーミットは思うのだ。
コミュニティから追放されることに対して恐れを抱かないのだから、周りに合わせようとか、好かれるようになりたいだとか、迷惑をかけたくないだとか、思わなくてもいいはずだと。現にラエル本人は時折、そのように口にすることがある。
なのに。ラエルは悩む。
共感できなくても必要なことだからと、知らないことを理解するための努力をする。
「何故だ」と聞けば、彼女は同じ言葉を口にする。
「そうしなさい」、「そう在りなさい」と教えられたから、だと。両親が私にとっての倫理道徳を組み立てたからなのだと。
だから。そうするのだ、と。
台本を読むように、悩まずに。
その教育には、自らの命すら投げだせるのだと。
「……俺は。この言葉を疑わず信じてきたラエルの心情にも、この言葉を彼女に押し付けた貴方たちの意図にも少しだって共感できない」
恐怖感情が欠落している彼女が、他者を慮る。他者に心を砕く。それが、どんなに歪なことだったかハーミットは今の今まで思い至らなかった。
心のどこかでラエルを「特殊で軽症な感情欠損だから」と理由付けして特別扱いしていた。
診断を下したスフェーン自身は、一言も「軽度」とは言っていなかったのに。
彼女が普通と溶け込めるほど平均的に振る舞うことが可能になるような「人間性の基盤」を作った「教育」が果たしてどのようなものだったのか、想像が及ばない。
どれだけ道徳的で、丁寧で、道行きが舗装された強固な教えだろうと思う。
「何故こんなものを彼女に押し付けた? これが諱を奪ってまでする所業なのか? それとも貴方たちの中では、『これ』が普通のことだったのか……?」
惜しむらくは、その教えが途中で人道を離れたということだ。
自己肯定感を削ぎ徹底的に優れぬよう抑圧し、選択権を取り上げ受動するよう仕向け、無理な魔術発現で魔力導線を酷使させ、それでいて親の為なら命を捨てられるように言い聞かせて育てるなど。
「一体、どういうことだ。説明を求める。貴方たちに何があったのか、洗いざらい吐いてもらうくらいしないと……俺が貴方を、人として見ることができなくなりそうだ。それは」
言いかけて逡巡する心を押しのけ。声は出た。
「それは。俺も、困る」
ハーミットは、琥珀を揺らす。
溢した本音が信じられないという顔で、飲み込めなくなった言葉を凝視する。
琥珀が陰り、黄に青が滲み、透き通っていたものがたちまち濁る。
その一部始終を見逃すことなく目に焼き付けた糸魔術使いは、始めこそ呆気に取られていたその顔を歪にして、もはや笑っているのか怒っているのかも分からない顔で、震える足で立てないまま瓦礫に膝をついて血だらけの手で少年の胸倉を掴み取った。
「は、はははははははは、ははははははははははははは!! なんだ。お前も、同じじゃないか。勝手に憐れんで勝手に救おうとして勝手に可哀想だと思い込む偽善者、私たちと同じだ何も変わりない。私たちは私たちの信念によって見殺しを選択しなかっただけだ、お前はお前の信念によってあの娘に手を貸しただけだ、違っているのはそれだけだ、お前が私たちと違うところなど、何もない!!」
心臓を潰す勢いで握り込まれた拳に、少年の左手が添えられる。
手袋と長袖の隙間に覗く白肌にはごうごうと血が巡り、赤みを増した皮膚に管が浮き出ていた。
「……まさか、仲間が見つかって嬉しいとでも?」
「ああ、嬉しいとも。この歪みを抱える者が私たちだけではなかったという事実が誇らしいとも。確かに人間だったと思い知らされて、相応に不愉快ではあるがな」
「例えエゴだとしても。俺が貴方たちの間違いを許すことはない」
「間違い? まるで正解がどこかに落ちているかのような言いぶりだな? 善悪として問うならそれこそお前の勝手だろう。力あるものが『そうあれ』と願えばその通りになる!」
「そうか。共感できないなりに貴方の言い訳は理解した。けどな。貴方がどんなに詭弁を重ねようと俺の意見は変わらない」
自らの胸倉を掴む手を引き剥がすことなく、ハーミットはトカの胸倉を掴み返した。
「親から子に向けられる暴力が、唯一解なわけがないだろ!!」
「…………!」
「故に質問を繰り返させてもらう。何故だ。何故そうした? 答えろ!!」
「……君は先ほどから、何を勘違いしているんだ?」
「はあ!?」
もはや隠す素振りもなく怒声を発するハーミットに、トカは困ったように眉を下げた。
顔が引きつるのを必死に堪え、少年は理性を握りしめる。
「っだから俺は、貴方の娘であるラエルが、どうしてこんなものを押し付けられて育たなけれはならなかったのかって」
「それは違う。ああ、成程。認識に乖離があったか、話が噛み合わないわけだ」
トカは言う。
「私の諱は■■■■だ。君なら、私のことを知っているのでは?」
……言葉に、頭を殴られた心地がした。
ハーミットは、一度見た資料のことをあらかた記憶している。仕事に関係する事物であるなら猶更だ。つい最近調べた人物の家族構成くらいなら、そらで暗唱できるくらい頭に叩き込まれている。
だから、諱を聞いてすぐに分かった。
目の前の糸魔術使いが「誰」なのか。
どこで何を調べていて、その名前を目にしたのか。
その事実が、何を意味するのか。
「私は第五大陸の悪名高い黒魔導師に買われた元奴隷。娶った妻との間に産まれた娘はこの世に一人だけ。時系列上、私たちがラエルの親になれる訳がないのだよ」
「……その事を、ラエルは知っているのか」
「教える必要がないと判断した。ラエルは私たちを親のように思っているからね」
「――」
「私たちが親ではないと分かれば、ラエルは見知らぬ他者に横取りされたように思って気分が悪くなるだろう。加えて、本来の親でもないのに『親』として心に居座られるのも辛抱ならないだろう。それなら、教えない方が幸せだろうと判断して」
先を言う前に、言葉が途切れる。床に叩きつけられた衝撃で肺から息が絞り出されたからだった。ハーミットはトカの言葉の続きを待たず、掴んだままの胸倉ごと床に縫い付けた。
「貴方、は……!! どうして、どうしてそんな風に普通の顔をして、なんでそんなことができるんだ、なんでそんなことをして平気でいられるんだよ!? 今だって彼女がどうして必死になっているか知らないわけじゃないだろう、貴方たちが教えたことを破ることになってでも答えをだそうって、神経をすり減らしてまで迷って!!」
「それだって、権力を持つ君の選択を覆すには足りないんだ。そうだろう?」
「違う。そうじゃないだろ、そういうことが聞きたいんじゃない、俺が、知りたいのは」
床が軋む音がして、少年の言葉が詰まって。
頃合いとしては最悪で、これ以上にないタイミングで。
「もういいわ、ハーミット」
――いつの間にかそこに居た、ラエル・イゥルポテーの声が聞こえた。
黒髪の少女の手には、設置したはずの魔法具があった。
(……まさか。ここまで織り込み済みで俺をここに呼んだのか、この人)
ハーミットが仕掛けた防音魔法具は、地面の揺れを隠すことができなかったのだ。
音が無くとも揺れは伝わる。場所が水の上に作った浮島であれば水面の揺れに多少誤魔化される部分はあるだろうが、今回は相手が悪かった。
長期間砂中から危険な生物に命を狙われるような生活をしていたラエルには、普段と違うと感じた揺れの原因を放置することができなかった。
敵襲かも知れない。地震かもしれない。
鍋が倒れて調理済みの豆煮がこぼれたのかも。それは、もったいない。
そんな気分で小屋の前まで来た彼女が足元を見て歩いたものだから、やけに見覚えがある魔法具を見つけてしまった。
後は、言わずとも分かることだ。
「酷い顔ね? 貴方がそんな顔になる必要はないじゃない」
「ら、ラエル……」
「ハーミット、父さんから手を離して。話はそれからよ」
トカに馬乗りになっていたハーミットをどかして、ラエルが二人の間に距離を作る。
壁側にハーミットを立たせると、身体を起こした父親の傍にしゃがみ込んだ。
「おはよう父さん。ねぇ、貸した部屋を壊すなんて酷いじゃない。気に入っていたのよ」
「……どこから聞いていたんだ?」
「そうね。『説明を求める』って言い合ってたところからかしら」
「……耳に痛い思いをさせてしまったな」
「そんな、思ってもいないことを今更言わなくていいわ。だって今の話が本当なら、私の方がよかったんでしょう?」
紫の目が、色を濃くする。
場違いな微笑みが、明るい声音と共に目に入る。
「母さんじゃなくてラエル・イゥルポテーがああなればよかったんだ、って。――もぅ、そう思っているならそうだって、遠慮しないで初めから言ってくれればよかったのに!」




