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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
6章 黒魔術士は科を織る
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279枚目 「撚ると」


 時間は少し遡る。

 ツァツリーらが対岸に辿り着くより、少し前のこと。


「そういえば。魔術訓練は難しくても他の訓練はできるのよね」


 小屋からかごを抱えて戻ってきたハーミットに対し、調理器具を洗い終えたばかりのラエルは何気なくそんなことを口にした。


 烈火隊で走り込みを覚え、バクハイムで持久走を覚えた彼女である。病み上がりとはいえ体力は取り戻しておきたい――それは明らかに判断の先延ばしだったが、否定するには理に適いすぎていた。


 ハーミットは洗い終えたお玉を手に、考える。


 この様子では本日中に答えが聞けるか怪しいものだが、今はストレスの発散をさせた方がよさそうだ。

 小屋から連れてきたノワールは早くも昼寝前の欠伸を始めていて意見を求められなかったので、針鼠の少年は脳筋なりの結論を出す。


「我流が相手でよければ、俺と組手してみる?」

「えっ。いいの!? 本当に!?」

「……お、思ったより食いつきがいいね」

「そりゃあ。イシクブールで賊を相手にした時も無我夢中だったし、魔術が使えないからって非力のままじゃ困るわ! もう少し戦えるようになれたらな、とは思うじゃない」


 それに、ラエルはハーミットと仮にも手合わせをしたことが一度もない。魔導王国浮島で見たラーガと少年の凌ぎ合いまでは再現できないにしても、この針鼠と組手ができるなど願ってもないことだった。


 ラエルが拗ねたようにすると、ハーミットは口を丸くする。


 少女がどうして自身の立ち回りに興味を持つようになったのかまでは想像が及ばなかったようだが、彼は彼なりの解釈に辿り着いた。


「成程。ラエルは黒魔術士だけど、実際は近接戦ばっかりだから……」


 斜め下の着地点だった。


「貴方は私の心を折りたいの?」

「ごめん」


 しかしオブラートに包み損ねた言葉を撤回することなく、ハーミットは立ち上がる。


 黒魔術士でありながら魔術を扱いきれていないラエルには、魔術以外の戦闘術が必要だ。これまでは大した準備をする暇もなく騒動に巻き込まれてきた故に土壇場のひらめきで対処するしかなかっただろうが、今回は状況が違う。


 現時点で相手が誰なのかは明確で、その上で苦戦すると分かっている。

 このような提案をするなら、彼女の中で「対峙しない」という選択肢は用意されていないのかもしれない。


 無意識か意図的か行動に移し始めたラエルに、ハーミットは安堵した。


 ――安堵した自身の愚かさが、嫌にもなったが。


「ハーミット?」

「ん? ああ、組手の前に洗ったものを片付けないとだよなって思ってね」

「あぁ! そうね。そうだった、すっかり忘れるところだった。さっきまで小屋に居たから部屋に置きっぱなしにしちゃった物もあるし」


 久しぶりに表情を柔らかくしたラエルを眺めながら、ハーミットは調理器具をかごに集めて腕に抱く。畑の方から、グリッタとレーテが土つきの野菜を抱えて来るのが見えた。


 ラエルとハーミットは顔を見合わせる。

 組手の前に、野菜洗いをする方向で意見が一致したようだ。


「よう。朝食に皿洗いまでさせちまって悪いな」

「いいえ、何かしていないと落ち着かなかったからいいの。……それは、畑の野菜? 随分と実の成りが早いのね、昨日はまだ花だったのに」


 レーテの腕には葉野菜、グリッタの腕には果菜(かさい)がある。

 どれも収穫したてで美味しそうだが、初日見た畑から採れたにしては早すぎるように思った。


「バクハイムの麦畑がそうだったように、高魔力地帯化の影響を強く受けているみたいでね。植物類は白木聖樹と生態が近い分、真っ先に影響を受けるんだろう」

「そうなの……でも、収穫が早くなるのは嬉しいわね」

「その通りだ。土地枯れさえ気をつければ安定した収穫を見込むことができるだろう。ここは、知れば知るほど魅力的な土地で困ってしまうよ」


 レーテは苦笑しつつそう言って、川の水を適量だけ持ち上げると葉野菜の根に纏わせた。水と魔力を無駄にしない滑らかな魔法行使の隣で、グリッタは平型の器に水をくみ上げて果菜を水に放り込む。


 ぷかぷかと水面に浮かぶ色とりどりは、どことなく青みを帯びていた。

 ハーミットは水に浮き沈みする果菜を眺めながら、かごを抱え直す。


「そうだ、グリッタさん。回線硝子(ラインビードロ)の見張りは引き継いだ?」

「勿論。トカさんが居たからな、彼が見ているはずだ」

「分かった。ラエル、組手はちょっとだけ待ってくれるかな? かごを小屋に持っていくついでに、トカさんと話しておきたいことがあるんだ」

「構わないわ。……あの人、貴方と決定的に合わない所があると思うけれど、根は悪い人じゃないの。あんまり酷い喧嘩は、しないでね」

「ああ。気をつける」


 針鼠の少年は言って、川辺を後にした。

 野菜を手にした三人は針山の背中を見送って、目を瞬かせる。


「何か、いいことでもあったのかい?」

「いいえ特には。でも、『善処する』じゃなかったわね」

「珍しいこともあるもんだなぁ」


 野菜を漱ぐグリッタの横に膝をついて、ラエルは手袋を外す。

 虹の粉(コンシーラー)で隠した手首の熱傷は、冷たい水に浸すと僅かに赤らんだ。


 目に焼き付くような赤色と朱色。時々緑と茶色。そして黒。


 ラエルは紫の目を徐に瞬かせた。

 野菜を手にしたまま、静かに顔を上げる。


「そうだ、貴方たちにも相談したいことがあるの。構わないかしら」

「うん?」

「支給された武具の使い勝手が、いまいち分からなくて」


 ラエルは気まずそうに肩を竦めた。


 第三大陸へ来る前。マツカサ工房で装備を受け取った際に一通り指導を受けた彼女だが、実際は装身家(ポフ)の起動方法と駆動操作資格の内容を頭に詰め込むだけでいっぱいいっぱいになっていた。


 彼女が武具の説明について唯一思い出せるのは、あのフランがハキハキとしながら説明をしていたということだけである……彼のテンションが上がる仕上がりなら、何か特殊な仕掛けがあってもおかしくない。


 これまでは武具の使い方に悩む暇もなかったラエルだが、「支給されているからには扱えるようになりたい」とは思っていた。

 彼女が通信鏡がつながる内にあれこれ聞いておけば良かったと後悔したのは、洞窟で遭難した後の話である。


「ハーミットに聞こうとも思ったのだけど、この村に来てから色々あったし……彼は魔術的感覚に疎いところがあるから聞きづらくって。貴方たちは商人だから、見ただけで分かることもあるのかなって思ったのよ」


 グリッタとレーテは「ふむ」と野菜を洗い終えた手を拭きつつかごに置いた。どうやら、興味を持ってくれたらしい。


「今も持ち歩いているのか?」

「ええ」


 ラエルは頷くと、ワンピースの裾越しに太ももを探る。


 ぱち、ぱち、と。何かを外す音がして大人二人組はぎょっとしたが、ラエルは特に気にすることなく「それ」を抜き取る。鞘ごと、二人の前に差し出した。


 気まずそうに視線を逸らしていた商人たちは、少女が手にしたものを前に目を丸くする。


 傍目には、武骨な黒鞘でしかない。

 魔導王国の紋章が入っただけの、短剣(ナイフ)だった。







 ハーミットは足を止める。


 畑の真横、昨日昼食をした切り株の一つに放置された回線硝子(ラインビードロ)消音(ミュート)中なのか、ゆったりと点滅を繰り返していた。


「……居ないじゃないか。トカさん」

『です』


 ハーミットは鼠顔を押し上げて周囲の音を確認する。

 どうやらトカは小屋の外ではなく中にいるらしい。


 今のところ回線硝子(ラインビードロ)の通信が切れる心配は無さそうだが、見張りが居なければ万が一もある。しかし、ハーミットには魔石を砕く以外に魔力を注ぐ術がない。


「……ノワールから見て、何か分かることはあるか?」

『何も。この地域ではノワールの鼻も眼も使い物にならないと何度も言ってるです』


 そうぶつくさ言いながらも数度魔力可視を試みて、見える範囲の異常はないと報告するノワール。ハーミットは黒い毛並みを撫でてやりながら礼を言い、対岸へ視線をやった。


 サンゲイザーたちを治療しに向かった四人は、まだこちらに戻って来る気配がない。


 ハーミットは、懐から取り出した防音魔法具を出力最大で発動させる。小屋を覆った結界を硝子玉越しに確認すると、拳大の魔石を充填用に添えた。


 ノワールはそれを見て嫌そうに顔を歪めたが、ハーミットは素知らぬ態度で指示を出す。


「ノワール、回線硝子(ラインビードロ)の見張りを頼めるかな。念のため、小屋から距離を取って待機しててくれると助かる」

『……買うおつもりです?』

「これだけ根気強く売り込んでくるなら期待が持てるだろう。いずれ必要になるのかもしれないし」

『きぇ』


 つまりは、意地の張り合いである。

 伝書蝙蝠は盛大な溜息を吐くと、歯を食いしばりながら被膜を広げた。


『もうすぐ昼寝の時間だというのに。ノワールの仕事を増やす輩、許すまじです』


 呪詛のような悪態を吐き、伝書蝙蝠はえっちらおっちら羽ばたいた。


 低空飛行と滑空を組み合わせて遠ざかる毛並みを見送って、針鼠の少年は小屋へ入っていった。







 低い天井に、木材の黒。


 壁を覆う丸太椅子に、黒色の板壁が部屋をいっそう狭くしていて……恐らくは「手慣れ」を隠したかったのだろうが。


 荷物になっていたお玉やボウルを手早く片付ける。積極的に生活音を立ててみるが、姿を見せようとしない糸術使いに疑問を持った。


 小屋の奥で何か作業でもしているのか、こちらを気にしていないだけなのか。


 作業を終え、短い廊下を進む。


 男性陣が物置に使っている左小部屋の扉は開けっ放しで、中には誰もいなかった。それぞれのパーソナルスペースを加味して置かれた荷物たちに物色されたような形跡もない。


 小部屋に踏み込まないまま扉を閉めて、振り返る。閉まったままの扉が一枚あるが、狭い小屋の中で人が潜めるだろう場所はもうその部屋しか残っていなかった。


 この小屋に、鍵がある部屋はひとつもない。


「……」


 鼠顔を深くかぶり直し、袖に仕込んだ針の本数を確認する。


 何が起こってもいいように、どうあっても相手の命を奪うことがないように。


 呼吸を一つして、思考が冷たくなるのを待った。


「……」


 扉はひとりでには開かない。

 敢えてノックせず、手をかけた。





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