273枚目 「緑の回線硝子」
外部との連絡手段を隔絶されるような秘境にて回線硝子の調子が悪くなる事態はそう珍しくない。不調の原因は、通信魔術や魔法具と相性が悪い僻地であったり、魔力だまりの余波であったりと様々だ。
ただ、昨今の技術進歩はすさまじいもので戦前は難しかった白木聖樹周辺での回線接続などは不可能なことではなくなっている。
常にブレを生じ続ける魔力だまりとは違い、一定のパターンが測定できる高魔力地帯であれば、試行を重ねることで通信が可能になるのだ――無論、距離の制限は存在するが。それさえ突破できたなら、可能だ。
呪いを付与した結界を構築されようと、高魔力地帯化しそうになっている土地だろうと。その内側での通信であれば、条件さえ揃えば不可能ではない。
しかし、この村でその条件を潜り抜けるのは骨が折れる。現に伝書蝙蝠は合流時に回線硝子の不調に見舞われ、情報伝達に支障をきたした。
今回だって、ラエルが小屋を飛び出さなければ……更に言えば、彼女が浮島の北側ではなく南側へと歩を進めていたなら、この通信がつながることはなかったかもしれない。
この村の中で回線硝子を使用するには「高魔力地帯やそれに類する場面での使用を想定した、割と新しめの魔術が搭載されている回線硝子」がなければならなかった。
そして「通信を受け取る側と発信する側で情報を交換している、若しくは受け手側で緊急通信を受け取る設定」になっていなければならなかった。
更に片方の発信がうまくいったとしても、「通信可能な距離に居る受け手に許可を出してもらわなければならない」という強烈な縛りが、実はあったのだが――この時この瞬間、彼らはそれらの条件を満たしたのだ。
穴がない針に、目視できない糸を通した瞬間である。
ラエル・イゥルポテーとハーミット・ヘッジホッグに、この通信を逃す理由はない。
二人は明滅する緑の回線硝子を前に息を整え、速やかに通信を受けた。通信者のみ可視できる魔力の帯が、瞬く間に北へ伸びる。
浮島の端と、川とを飛び越えた遥か北北東。
『…………え、あれ……もしかしてこれ、もしかするっすか?』
魔法具から聞こえた声はラエルにとって聞き馴染みがない男性のものだった。
閉口した少女の代わりに、針鼠の少年が口を開く。
「ああ、無事が確認できてよかった」
『!?』
「サンドクォーツクの城門以来だね」
『…………』
「……返事ぐらいはしてくれないかな?」
続いた沈黙にしびれを切らした針鼠の言葉に、通信先の誰かは飛び上がるか背筋を正すかしたのだろう。衣擦れの音と石を踏みしめる音とが回線越しに響き渡る。
『え、っっっとちょっっっと待っててください切らないでくださいね!? ちょ、ちょっと坊ちゃんどこですか!! 奇跡的につながったっす!!』
「……えっと、どういう状況なんだ?」
『はあ!? あ、あんたもこの村に居るならなんとなく分かるっすよね!?』
叫び声と共に一際大きなノイズが入る。
大声で会話できるような安全地帯に居るということしか分からないが、暫くすると回線硝子から口を話したのか息遣いが遠くなった。足音がざくざくと響くが、走るのではなく歩いているらしい。
通信先の男性が次に口を開いたのは、何秒か歩いた後のことだった。
『あ、居た!! こっちの部屋だったっすか……そうそう、外部と連絡がとれまして……相手は誰だ、って? えー……あの。教えていいもんですかね?』
どうやら合流した相手にラエルたちのことを話していいものか悩んでいるらしい。魔法具を持つ男性と身長差があるのか、通信越しにはもう一人の声があまり聞こえない。
ラエルは耳を澄ませながら緑色の光を見つめていたが、すぐに顔を上げてハーミットに視線を投げる。針鼠はその反応を見て確信を持ち、頷いた。
「そこに居るの、青灰の眼に灰髪のダブルだったりする?」
『ん? その通りっすけど、なんでそんなこと分かっ……あ、ちょっと!?』
魔法具の通信が一瞬ブレて、魔術発現の主導権が変更される。次に聞こえてきた声は少し前のものより明らかにクリアだった。
『明らかに胡散臭さを隠さない信用しがたい野郎の声なのに衛兵さんに妙に信用されているような人物にはひとりしか心当たりがないから――ハーミットさんだな!? 間違ってないよね!?』
「せ、正解だよキーナくん。思ったより元気そうでよかった」
誰かはもう分かっているが、回線硝子の主導権を奪い取ったのはキニーネ・スカルペッロだった。魔法具への魔力供給者が魔術師見習いになったことで光の帯は更に安定する。
『ら、ラエルさんは!? 割とぐっさりやられてたけど無事!?』
「無事よ。ツァツリーさんたちのおかげでどうにか、だけれど」
『わ、ぁ、生きてる! よ、よかったぁ……』
「キーナさんこそ、無事で居てくれてよかったわ」
ラエルの安堵した声があちらにも届いたのだろう。何度か相槌を打ったものの、灰髪の少年はそこまで話すと回線硝子を元の男性へ押し付け戻したようだ。
一人分の足音が遠ざかる。なにやら、場所を移動するつもりらしい。
再びノイズ交じりの会話に戻ってしまったが、男性はため息を吐くことなく少年の後を追いかけるようだった。
『えっと……移動のついでに改めて自己紹介を。俺はエヴァン、サンドクォーツクの衛兵で……骨守です。ハーミットさんたちのことはスカリィさんから聞いてますんで理解してます。えー、ご存じの通り大蜘蛛の返り討ちにあってしまいまして。途方に暮れてるところ、繭玉にされてた坊ちゃんと合流した次第っす』
「坊ちゃん?」
『キニーネさま、もといスカルペッロ家の坊ちゃんですね』
「あぁ、成程。エヴァンは骨守だから、元々繋がりがあったんだな」
『そういうことっす』
説明の手間が省けて助かりました。
と、危機感を感じられないのんびりとした口調でエヴァンは言葉を続ける。
『実は要救助者がもう一人居るんすけど……そっちは初対面でして。ハーミットさん、赤褐色の鱗をした獣人に覚えはあるっすか?』
「ああ、彼は俺たちが連れてきた力持ち兼、護衛役だね」
『そうなんすか。見た目的に素行が悪そうっすけど、立場は保証されてるんすね』
「(現在進行形で裁量測定待ちの札付きだけどね)」
『?』
「……本人から説明はなかったのか?」
『それが、毒の回りを遅くするために心拍下げるとか言って、ずっと寝てるんすよ。身体の作りが違うもんで平温なんかよく知りませんが、体温もどんどん下がる一方で』
「毒?」
ハーミットは思わず聞き返したが、返ってくるのはしどろもどろな言葉ばかりで要領を得ない。エヴァンは回復術を始めとした白魔術の知識に乏しく、できたのは毒を出すための瀉血と応急処置だけだったという。
(……不味いな。サンゲイザーは咄嗟に神経毒と判断したかもしれないけど、もし消化系なら高位の回復術が必須だ)
心拍を下げようが瀉血をしようが、一度始まった化学反応は否応に進む。昨日の今日で息があるというなら前者で間違いないのだろうが、毒にも色々あるので油断はできない。
『なんか、めっちゃ考え込まれてるっすね。申し訳ない……』
「ハーミットは薬と毒に関する知識があるから、対応に悩んでるのかもしれないわ」
『っすか……因みに、貴女の所感はどうっすか? 一か月以上ハーミットさんと一緒に居るなら、今の話で何かしら思うところが出てきてもおかしくないと思うんすけど』
「思うところ、と言われても」
暫し考え込むハーミットの横で、顔も思い出せない衛兵から問われ。ラエルは先ほどから考えていたことを言うべきか戸惑いに言葉を詰まらせた。
ラエルは先ほど「母が成った大蜘蛛に知性が残っているかもわからない」という結論に至ったばかりだ。この想定が正しかった場合、大蜘蛛が賊の手足を落とした理由が必ずしも「私怨だけ」とは言い切れなくなる。
祭壇に乗り込んだサンゲイザーと、先に祭壇へ赴いた衛兵が同じ場所に逃げ延びていることはともかく――別ルートで攫われたはずのキーナが同じ場所に居る、というのは。
「……捕まえておくにしても、餌と敵は別々にしそうなものだけど」
前者はともかく、後者に至っては生かしておく理由がないだろう。
この村の生態系のトップはあの大蜘蛛なのだから、ジェムシやトカが話したように一撃で首と胴体を切り離せばそれだけで蟲の勝ちなのだ。
毒なんて絡め手を使わずとも無力化は容易だったはずなのに。
「貴方たちを合流させたままにするメリットも、分からないわ」
『……言われてみればそうっすね。ここが餌の貯蔵場所だとしても、全員繭で包むなり見張りの蜘蛛を置くなりすればいいのに、それもないですし』
『まあ、僕とエヴァンさんが合流する間に、サンゲイザーが外から蟲が入ってこられないように壁を作っていた――なんて可能性も否定できないよ。僕、今日一日は出口を探してたけど、歩いて行ける場所はどこも行き止まりになってたし』
「錬成された土壁かどうか、キーナさんの目でも見分けがつかないの?」
魔力感知能力に長けているキーナならと思ったラエルだったが、キーナは首を振ったようだ。
『周囲の魔力濃度が高いから、僕の目には「魔術由来」と「自然由来」の区別がさっぱりなんだ。魔術を学んでるとはいえ僕は見習いだし、本人から聞き出さないことには確証が得られないよ』
「――ともあれ、蟲がいきなり襲ってくるような場所にはいないみたいで安心したよ」
いつの間にか上げていた腕を下ろし、針鼠の少年は肩を落とす。
少女がふと視線を遠くへやってみると小屋の方で影が動いたように見えたので、屋根の上に居たファレあたりに伝言をしたのかもしれない。この十数秒の間に器用なものだ。
「いい案が出たの?」
「……条件が厳しいことを除けば、だけどね」
ハーミットは言いながら、ラエルの顔を見上げる。
どこか不安げだった少女の瞳に、僅かな光が差したように思えた。
「しかし、洞窟か。空気の薄さを感じないなら通気口になるような場所があるんじゃないかと思うんだけど。エヴァン、心当たりはないか?」
『んー、壁にあちこち罅が入ってるんで隙間風がそこから。ちょうど獣人が伏せてる部屋の天井から空が見えますけど……俺が五人に分裂して肩車したところで届かないっすね』
「穴の大きさは?」
『目測っすけど……坊ちゃんの肩幅なら、なんとか……?』
穴の直径は上腕分あるかないか、といったところだろうか。
ラエルとハーミットは長さの違う腕をそれぞれ眺めて、それから衛兵の背丈を思い起こす。想像するしかできないが、人が通るには小さい穴かもしれない。
「ノワールなら余裕だろうけど、あの怪我で送り出すのは無茶が過ぎる」
「だとしたら、貴方か私か――」
言いかけたラエルは口を閉じた。
それは背筋を這う悪寒と、身に慣れた視線を感じたからだったのだが、失言を回避するには少々遅かったらしい。
「……立ち直っているのはいいとして。何を勝手に話を進めているんですか。病み上がりの身で自分自身を勘定に入れないでくださいラエルさん」
「!!」
ゆっくりと小屋の方を振り向けば、不機嫌を歩調に出しながら白魔術士が距離を詰めてくるところだった。ラエルは顔を引きつらせながら後退しようとして、手にした回線硝子の存在を思い出して踏みとどまる。
「こ、これは違うの。私だって、考え無しに立候補してるわけじゃ」
「……」
「つ、ツァツリーさん……?」
「現場の天井の様子は? 洞窟だとお話されていましたが」
身構えていたラエルに対してツァツリーはそれ以上何も言わず、代わりに少女が手にしていた回線硝子に声をかけた。
向こうのエヴァンは急に話し相手が変わったので声をひっくり返したが、彼も器用なもので聞かれた質問を咀嚼して打ち返す。
『え、えっと、流石に天井は通路みたく手彫りにはなってないっすね。穴の周辺まで氷柱みたいな石が沢山垂れ下がってます』
「……そうですか。むやみに天井部分を破壊するとどこまで崩れるかわかりませんね。道を広げる手段がとれない以上。治療者が行き来することを目標とするならこの中で一番小柄な人物が赴くのが最善でしょう」
『へ? え、あぁ、言われてみればそうなのかもしれねぇっすね?』
『……エヴァンさん、もしや押しに弱かったりする?』
『ん、んなことねぇっすよ!?』
回線硝子の向こう側が騒がしくなったところで、ラエルとハーミットはパチリと目を合わせた。
目の前で強気な発言をしたツァツリーに対し、お互いに言わんとしていることは何となく想像ができるのだが……ここは、ハーミットが口を開くことにした。
「確かに、任せられるなら頼もうと思ってたところですが。……ツァツリーさん、任せても大丈夫なんですか?」
「大丈夫も何も。彼に何かあれば私は職を失ってしまいますし」
「いや。そうじゃなくて」
針鼠の少年は、逆立てていた針並みを軒並み寝かせた。
「ツァツリーさん、高所恐怖症だよね?」




