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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
6章 黒魔術士は科を織る
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272枚目 「その因循に正邪なく」


 ハーミットはコートの襟を開け、鼠顔をほんの少し上に持ち上げた。


「ラエルの心の機敏は風より掴みどころがないからね。今の俺には、君が何を考えているのか、ひとつも分からないよ」

「…………そこまで言うなら、白状してあげる」


 ラエルは元の位置へ戻るように仰向けになる。

 真剣な顔で口を結んだ金髪少年の表情を目に留めて、黒髪の少女は徐に唇を動かした。


「私ね。執着しているの、貴方に」


 ハーミットは口を丸くした。

 ラエルは苦笑して、視線を天球へ逃がした。


 頬を赤くするわけでもなく、声が震えるわけでもなく。

 淡々と、言葉が続く。


「センチュアリッジでのことがあったでしょう?」

「あ、あぁ」

「助けてもらった経緯はともかく、あの一件で私は貴方を敵視できなくなったどころか、依存するようになったんだと思う」


 雲を掴むようだが、自覚がある。あの時、ラエルの中で針鼠の少年が「良し悪し」の基準になってしまったのだ。

 そうして少しでも「正しく」あろうと行動する内に――見放されるかもしれない「もしも」が嫌悪の対象になっていった。


 勿論それは、ハーミットが意図して仕向けたことでもあるのだろう。


 ラエルのサポートに駆けずり回り、就職支援に衣類調達に各種装備の発注を始めとする生活支援。傷痕隠しの虹の粉(コンシーラー)や、今回の遠征のために用意された装備の提供などがそれにあたるだろう。

 大半は善意によって行われたものだろうが、その行為に全く打算がなかったのかと問い詰めれば――彼は、口を噤むのではないだろうか。


感情欠損ハートロスの私が誰かを害することがないように、貴方は私の目を心を惹きつけて飼いならし、防波堤の代わりをしている。私に妙に甘い対応をする理由は、そういうことでしょう?」

「……」

「大丈夫。分かっているわ」


 分かっているの。

 少女は、繰り返し言った。


「この執着は錯覚よ。だから、貴方には関係ない」

「嫌わないよ」


 薄い朱色の唇は、滔々(とうとう)と語る。


「俺は。理由なく人を嫌いになったりしない」

「私が、未だに迷っているって言っても?」


 紫の瞳は、星を映したまま硝子玉を射る。


「あの(ひと)はもう、歴とした人殺しだっていうのに。ここで起きた惨状を知って。生き残った人たちの後悔と怒りを知って。それでも心の底で母親をずっと庇い続けている私を。貴方は嫌いにならずにいられるかしら」

「……」

「私は母さんがしたことを肯定しないけれど、否定することもできない。頭のどこかでずっと、死んだ人たちを自業自得だと嗤う自分がいると認めるわ。賊の彼らを許せないのに、ちゃっかり母さんのことだけ許したいだなんて、気持ち悪い思考でしょう? 私は、この感情を正しいとは思えない。間違っている。間違って、いるから……」

「……」


 少年は、何も言うことができなかった。


 二つの月が雲に隠れ、周囲をいっそう暗闇にする。

 ぬるい風と共に、気持ち悪い汗が首を滑る。


 それでも聴く姿勢を崩さないハーミットに、ラエルは苦笑する。


「ハーミット。あの蟲を殺せるか、って聞いたわね」

「……ああ」

「私ね。ジェムシさんと父さんの話を聞いて、一刻も早く殺さなきゃいけないと思ったの――できれば。恐怖を感じたりしない、私の手で」

「……」

「それなのに。これだけ理由があるのに。そうすべきなのに、まだ迷っているの」

「……」

「こんな状況なのに『これ以上酷いことにはならない。きっと大丈夫だ』なんて。そんな、連れていかれた二人が無事で居るかどうかも分からないのに――」

「君は。俺に嫌われないためなら何でもするのか?」


 紫目が瞬くのと同時に、その頬が指でつつかれた。

 ラエルの目にはハーミットの口の歪みが見えたが、それだけだ。


「……まさか。貴方が嫌がるようなことをしないようにしてきたつもりだけれど、何度も言いつけを破っているし、愛想をつかされるのも時間の問題だと思っていたわ。現に今の話を聞いて『諦めた』でしょう?」

「そっちからは、俺がそういう顔をしているように見えるのか?」

「そうじゃないの?」

「……」

「理由はどうあれ、私の感情は明らかに許容範囲を超えている――間違って、いるでしょう?」

「分かった。それ以上言うな」


 重い声だった。


 これまでと違う声音にラエルは思わず身を起こそうとしたが、ハーミットはそれを制すると鼠顔をすぽりと外した。

 この場所なら変装を解いても構わないと判断したのか、そうするべきだと判断したのか。やはり慌てて身を起こそうとするラエルを、もう一度ハーミットが制する。


 暗い視界の中、汗ばんだ肌に金の髪が貼りついているのが分かった。


 揺るぎない黒の瞳孔。琥珀の虹彩。

 革手袋越しの手のひらが、前髪ごとラエルの額を撫でてくる。


 空は既に目に入らない。視界を支配された気分に、なる。


「……俺には君が、怒られるのが当然だって顔をしているように見えるけど」


 雲が晴れる。

 周囲が、僅かに明るくなる。


「俺が険しい顔をしているんだとしたらそれは、俺の虫の居所がたまたま悪いだけだ。俺がただ、君の言葉を遮りたかっただけだ。……君のことをとことん悪く言う君を、俺が個人的に許せなかっただけだ」


 少年は眉間に皺を作って、少女を案じるように両眼を細めていた。


 この場で誰よりも辛いのは少女であるはずなのに。彼女が憂うよりも、彼が辛そうに顔を歪めている。それこそまるで――鏡のようだ。ラエルが抑え込んだままで吐き出せていない感情まで受け止めているようだ。


 しかし、ハーミットの本心を確認する術をラエルは持たない。

 とにかく何を言われているのかよく分かっていないらしい彼女は首を傾げて、額に乗った革手袋を剥がそうとした。


 剣呑な目つきになった少年の手はのらりくらりと避けては黒髪をぐちゃりとするので、ラエルは頬を膨らませるしかできなかった。頬を膨らませたいのはハーミットも同じだろう。


「元はと言えば君が俺に説教したのが始まりなんだけどなぁ……?」


 やや怒気交じりに言われ、ラエルは再び目を瞬かせる。


 ハーミットが言っているのはいつかの飛空船でのことだろうが、ラエルは自らの発言をよく憶えていないようだった。


 金髪少年は複雑な心情を抱きつつ、琥珀の眼を歪める。


「あと、前言撤回したいことがあるんだけど」

「なにを?」

「さっき、理由がなければ人を嫌いになることはないって言ったけど。あれは嘘だ」


 針並みを撫でながら、ハーミットが琥珀の瞳を濁らせる。


「俺が他者に忌避感を抱くのに『理由』は必須じゃあない。よほどのことがない限り、嫌いな奴は良いところがあると分かっても嫌いなままだ。通常業務中にも嫌悪感が態度に出てしまう自覚はある。悪いとは思ってるけど、こればかりはどうしようもない」

「は、はぁ。そうなの」

「……ここまで言ってもまだ通じないと。もっとはっきり言えというのか君は」

「私、察しがいい方じゃあないし。分かりやすく言ってくれないと伝わらないわよ」


 金髪少年はその言葉に引きつった笑みを浮かべると、大きく息を吐き出す。

 緊張から固まっていた身体を解して、態度を改めると向き直った。


「俺は、君を見捨てない。今回の件で君が何を選ぼうと、選べなかろうと。だ」


 嘘を言っているようには、見えなかった。


 ラエルにとってそのことは強烈な違和感でもあったが、疑問を咀嚼する前に思考が霧散した。前髪と額を撫でていた手のひらが離れていく。


「それにノワールは全面的に君の味方だ。仮に俺たちが対立することになっても、君には味方がいるんだってことを、忘れないでいてほしいな」

「……貴方は、どっちを選んだの?」

「教えられない。君の選択に影響が出ないように。誘導や同調が発生しないように、トカさんと約束しているんだ」

「約束」

「あぁ。……俺と彼がこの件に関して出した見解は真逆(・・)だったからさ」


 吐き出された声に、冷たさはなかった。


 ラエルは今、何を選んだとしても後悔が付きまとう決断を迫られている。


 しかし。ハーミットとトカはそれぞれが思う「正しさ」を選択した。

 ラエルが少なからず「信頼」している彼らが迷い、選んだものですら違っているのだ。


 ……それさえ理解できたなら、後はラエル自身が心の整理をつけるだけである。


 どちらも間違っていて、どちらも正しいのかもしれない。

 そう考えると楽になった気がして。ラエルはむくりと起き上がった。


 自責の念がなくなったわけではない。これで荷が軽くなるなどそれこそ錯覚に違いないが――持ち方を工夫すれば、荷物の負担は減るものだ。


「……ありがとう、ハーミット」


 それは完全復活とは言えない、まだ心細さを隠せない声音だった。


 けれど呼びかけられた少年は「多少はましになった」と判断したのかニコリと笑みを作った。小屋の中で作っていた作り笑みとは違い歪なそれに安堵して、ラエルはうんと伸びをした。


 雲はすっかりはけて、二つの月が光っている。


 時折キラキラと視界に入る光が少しだけうっとおしく感じたが、それはそれ。ちらちらと川の水面に反射する緑色がやけに文化的で魔法具的であろうと、自然に囲まれた空気は懐かしいものだった。


「……」

「……」


 暫く川が流れる音を堪能して、鼠顔を被り直した少年が口を開く。


「ところで、ラエルのケープってそんなにピカピカ光る仕様だったっけ」

「まさか。夜間に光るケープなんて使い物にならな……光ってるわね」


 光っている。


 いつからかという疑問はさておき、暗闇に明滅する魔法具の光は無視しようにもできるものではなかった。


 ラエルは胸元の紐止めを外すとケープを裏返す。

 光の出どころは内ポケットだったらしい。


「……もしかしてそれ、回線硝子(ラインビードロ)だったりする?」


 二人は一瞬「まさか」と冗談交じりに一蹴しようとして、笑い損ねた。

 ラエルは慌ててポケットに手を突っ込み、ハーミットは思わず身を寄せる。


 少女の手に握られていたのは、硝子を装飾した一本のピン留めだった。


 それは、出入国管理局で配布された第三大陸の滞在許可証。

 緑の回線硝子(ラインビードロ)は緩やかな点滅で――通信の許可を、求めている。





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