270枚目 「祭壇と祈り」
トカは、砂漠から連れ出された一人目だ。
ラエルの証言から洗脳の深度が低かったと予想される彼らは、謎の宗教アダンソンの信者の唆しを利用して、誘いに乗っかる形で砂漠から人里への帰還を試みたのだろう。
結果としてその企みは成功したが、輸送係を引き受けた賊たちが案外真面目に仕事をしたので思うようには逃げられず……アダンソン信者の目論見通りこの「本村」にまで連れてこられてしまった。ということだが。
ここで、ひとつ疑念が生じる。
ラエルたちはイシクブールで得た情報から「竜骨と蟲を崇める骨守の祈りが歪んだものがアダンソン」なのではと結論付けている。しかしラエルらが受けた歪んだ教えを前提とするなら「女性と子ども」は供物扱いされることになるはずで――そうなると、供物をささげるために最低一人以上の「信者」がこの村には必要になるはずなのだ。
しかしラエルの証言によれば、彼女やその両親に対して施された洗脳は失敗していた。
そして話の流れから渥地の酸土に「アダンソンの信者」が居たとも考え辛い。
魔晶石の成長にどれほど時間がかかるか分からないが、遅くとも数か月前にはバクハイムと本村の連絡通路が魔晶石によって断たれ、物資補給が滞っていたことだろう。
もし信者がその場に居合わせたなら、供物となる女性や子どもならともかく賊を始めとした供物にもならない人間たちを――トカを、村に招き入れる理由があるだろうか?
サンゲイザーの話によれば、賊に輸送を依頼した本人は同行していないのだから、終着であるこの村には「トカの身柄を引き取る役」が待機していなければならなかったはずで。
けれどジェムシの話の中には「先に行った賊たちの末路」はあっても「村人」の話題は少しも出てこなかった。
故に、もしこの村に「信者」が居たならば「この村に『村人』は居たか?」というハーミットの質問に対してトカから肯定が返って来るはずもないのだが――少年の言葉に、彼は少し驚いたような顔をした後に目を細めると右の口角を吊り上げた。
肯定、である。
トカは薬草茶を口に含みながら、ようやく口を開いた。
「……指摘の通り。私が来た時、この村には一人たりとも居なかった。雪は無くとも空気は乾燥し、水場は悉く凍り、木々が風に軋むだけで何もなかった。誰も、いなかったのさ。
「けれど私をここへ連れてきた賊の者たちは熱心で、臆病だった。受取人が居ないという異常な状況に置かれてなお帰還を選ばない蛮勇を持ち、しかしながら自らが置かれた状況に対する怒りのはけ口を求めた。
「確かに私は酷いことをされたし、労働のいくらかを不公平にも押し付けられはしたが、魔術が使えるまで回復した後は苦ではなかったのだよ。
「君たちの目に見えるかはさておき、私は魔力糸の生成を非常に円滑かつ多目的で活用することに長けている。こう見えてかなり応用が利くんだ。だから魔術を使えば、大抵の力仕事は無理なく終えられた。
「彼らは力仕事よりも食料調達に困っていたね。風を凌ぐ空き家が腐るほどあるといっても、季節は冬の終わりだった。今時期のように三つ首鷹は飛び交っていなかったし、何より誰もが疲弊していた。そうすると、食べるものもなりふり構わなくなるだろう?
「草を食べ、木の皮を食べ、土を口に含み、氷をむさぼって、岩に噛みついた。当然それじゃあ腹は膨れないから、村の奥へ奥へと、備蓄を求めてさまよった。
「そうすると否応なく辿り着いたわけだよ――それが、封印の施された岩穴だった。誰かが逡巡しながら槍でひと突きすれば、あっけなく解ける結界だったがね。
「さて。村の最奥にある大岩の中に何がいるのか、君たちは既に知っているね。そう、私たちを運んできた賊が出会ったのは八本足の蟲の群れだった。
「賊の彼らはたいそう喜んでね。比較的小さな蟲の群れは、とにかく沢山の食料であるように見えたんだろう。蜘蛛は火を通せば美味しいと聞いたのか思い込んだのか、何人かが飛び込んで、怪我をしながらも成果を上げて戻ってきた。
「これがまさかの、食べられない味ではなかったんだ。食料調達の場所に余裕ができたからか、力仕事を押し付けている私にまで蟲肉が回ってくるようになった。味は、そうだね。淡白な鳥肉みたいだったな。特に魔力や毒があるわけでもなく、ただの肉だった。
「私自身も、アダンソンという謎の教えに関わったことで散々な目にあっていたものだから、仮にも信仰対象になっていたその蟲を食らうことに躊躇はなかったんだ。腹は満たされるし、人間に食われて『ざまあみろ』とすら思っていた。
「それが、しばらく続いてね。
「そうすると当たり前だが。蟲が、一匹たりともいなくなったんだ。
「八つ目玉八本足の蟲が絶滅したんだ。あっけなかった。
「蟲が消えうせた後、賊と私は大いに飢えた。取り戻した理性と余裕は再び手放され、まだ残っている冬の終わりを凍えてひもじく過ごすことになった。寒いばかりでは終わらず、見たこともない草木が元気に生えるようになった。比例して、賊は頭痛や腹痛を訴えることが増えた。
「そうしたらだね。誰かがぽつりと言ったのだ。
「あの祭壇に、あの依頼人が口にしていたように『お供え』をささげれば。蟲がまた現れるんじゃないか。そうしたら、飢えずに冬をのりきれるんじゃないか、とね。
「次の日。賊の中に居た女性がひとり、姿を消していた。その夜、何日ぶりかになる蟲の爪が食卓に並んだ。
「何が起こったのか分からなかった。だが、食べなければ死ぬ。どこから湧いた蟲なのか、何を食って成長した蟲なのかなど、理解したくなかった。だが、食べなければ死ぬ。
「暫くしてまたひとり、賊たちの中から女性が減った。暫くすると、同じようにまた減った。
「……『暫く』というのは数日単位の話でね。数日の空腹にも耐えかねて、賊たちは定期的に女性の構成員をどこかへ連れて行くようになった。彼女たちは一人たりとも戻ってこなかった。聞けば『教え』の通りに捧げているのだと、ほざくのだ。
「何の教えだとそれとなく問えば、『蟲への祈りだ』と言う。
「頭の奥で、食欲と倫理の天秤がひしゃげた音がした。
「私は育ちが特殊だったからね。産まれてこの方ずっと不死鳥信仰だ。だから人々の祈りが発露するとき、その思いは決まって美しいものだとばかり思っていた。希望を願い繁栄を願い安寧を願う。……すべからずそういうものだと、思っていたんだ。
「醜いと思った。これは、祈りのガワを被っただけの、ただの罪なのだと思い知った。
「この廃村では。生きているだけで全員が罪人だった。
「…………そんな場所に、私の妻が連れてこられたんだ。
「賊の者たちだって、食料を得るためとはいえ必要最低限仲間の命に情をかけていたのだろう。既に私を連れてきた一団に居た女性はひとりも生き残ってはいなかったが、そこに追加の人員がやってきた。しかもそのうち一人は賊ではない部外者の女性だ。
「荷物を受け取る者は存在しない。依頼の遂行は果たされず、しかし滞在を選べば食料は枯渇し底をつく――しかし食料の枯渇については、祈りに興じた賊たちにとっては回避できうる未来だった。
「聡い君たちなら、私の妻がどのような扱いを受けたか。分かるだろう?」
空になってしまった器に、薬草茶を注ぎ直すトカ。
感情が無いわけではないだろうに、その動作はなめらかで震えもない。
斥候役として訪れたジェムシらにも同じ話をしたのだと、トカは続けて口にした。同じ話、とはいえ。先に来た彼らがおかしくなっていく様子まで事細かに伝えることはしなかったとも、言った。
仇討ちを望むだろう彼らに、身内の狂乱は雑音でしかなかっただろうから、あの時は詳細を伏せたのだ。と。
「蟲の群れの中核を担う大蜘蛛が息絶えていている状態で祭壇に女性をささげると、その女性がどういうわけか周囲の魔力子と溶けあって次代の大蜘蛛になる。賊たちは、場の呪いとも呼べる事象を発見してしまった」
「……」
「大蜘蛛は子を産み育て続けるが、すぐに知性を手放し脳まで蟲になる。そうなると大蜘蛛は子蜘蛛を狙う者を害するようになる。母にとって子どもは大事なものだからだろうね」
「……」
「そうなれば、食料は他にないからと賊たちは邪魔になった大蜘蛛を殺す。子蜘蛛を産む役がいなくなるから、次の女性を捧げる……その繰り返しだ。最悪の連鎖だったとも」
「……止めなかったのか」
トカはハーミットの問いに頷きを返す。あまりにも軽い調子で頷くものだから、どこか自暴自棄になっているようにも見えた。
「ああ。私は賊のことを嫌っていた。恨んでいたし、このようなことに巻き込んだ報いを受けろとも思っていた。私自身は巻き込まれないのだから、頼まれた通り力仕事ばかりこなし続けたさ。彼らはその報酬として、僅かな食料を分けてくれたからね」
「そ、そんなの。間違っているわ。絶対に、間違ってる」
「ああそうだよラエル。私は酷く間違った。間違ったことを知っていて間違い続け、遂に最後まで正すことができなかったんだ」
生きることを諦められない理由があった。
「けれどね。あの場で死を許容するということは。後から来るだろう家族を助ける唯一の手段を自らの意思で手放すのと、同義だったんだよ」
トカは、一人目だった。
後から連れ出された妻と娘は、どちらも「捧げもの」になる条件を満たしている。
「私にできたのは『生き残る』ことだけだった。そして、ラエルが言う通りそれすらも間違いだったのかもしれない。私たちは欲深さ故に、最初からずっと、間違い続けているのかもしれない」
そうして生き続けたトカは――その時、何もできなかった。
運び込まれた二人目は、すぐに手足を奪われて。喉をつぶされて。
妻が祭壇へ引きずられていく。トカはその時、何もできなかった。
……しかし捧げものをした者たちがいっこうに返ってこないので、賊は次々と様子を見に行った。一人、二人と賊が減っていく。恐怖と飢えに怯えながら、次々人が減っていく。
残った者たちに引きずられ、トカが初めて祭壇がある洞窟へ足を踏み入れた。そうして。その日その場に居た賊の全員が、蟲の爪に狩りつくされたことを知った。
トカは。逃げることしかできなかった。
逃避に没頭するしか、なかった。
そうでなければ、おかしくなりそうだった。
蟲が来られない場所を探し、食料を確保し、持ちえた全てを使って小屋を建て――酷い味がする食事を時折摂るだけの生活に甘んじ、この村に引きこもることを選んだ。
三人目が運ばれてくるのを、生きて待つために。
「父さんは、母さんを助けられなかったよ」
「……」
「母さんをあんな姿にしてしまった。私は、見ているだけだった」
「…………」
俯いた父親に黒髪の少女は何も言わず、唇の端を噛んだ。
蜷局を巻く思考と感情と、理性が押し流される音がする。
普段ならここで声を張り上げてでも感情を表出するところだが――できなかった。
表情が読めない針鼠と目が合って、ラエルは躊躇いなく挙手する。
「少し、休憩してもいいかしら」
ちょうど、扉の風鈴が鳴るのと同時だった。
小屋に戻ったグリッタと腕にノワールを抱いたレーテの間とをすり抜けるようにして、返事を待つことなくラエルが外へ出る。
入れ違いになった二人は驚いた表情で背姿を追い、ハーミットは何かを言おうと手を伸ばして……その指は届かず、何もない空中をかく。
「えっと、ツァツリーさん」
「私は。彼女に声をかけられる立場にありません」
「……分かりました。今は無理に声がけしなくていいので、周囲の安全確保だけ、お願いします」
「はい。承りました」
白魔術士は、一貫して無表情を貫いたまま出て行った。
ハーミットは大きく息を吸い、吐き出す。
過去を飲み込んだ記録魔法具は色をくすませたように見えた。




