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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
6章 黒魔術士は科を織る
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267枚目 「乾いた川浴」


「『乾いた川浴(セイシキ)』」


 味がしない夕食を終え、ラエルは浄化術式を詠唱した。


 皿の汚れを取り払うと同時に肌を覆う魔力を新しいものに差し替え、浮いた汚れを水魔法で拾い集めて焼却する。油を焼いたような嫌な臭いが窓の外へ逃げて行った。


 病み上がりだ。という理由から半強制的に夕食を寝台の上でとることになったラエルだが、この通り生活魔術を使用できるまでには回復していた。衣類を含め、べたついていた身体がすっきりして心地いいことこの上ない。


 隣で普通に皿を片付けようとしていたツァツリーに凄い目をされたが、ラエルは気が付かないまま伸びをする。


「はぁ。長い一日だったわ」

「ラエルさん……?」

「ああ、浮島で教わってからは意識的に使うようにしているの。野営の時とか便利なのよ」

「便利なのは分かります。が」

「?」

「どうやら病み上がりの自覚が足りないようですね」

「…………」


 皿を下げ、引き返してきたツァツリーがベッドの隣に椅子を引く。


 離れた棚の上の手袋、床に揃えてある革靴。

 どうやら、ラエルがこの部屋から飛び出すことは許されていないらしい。


「困るわツァツリーさん。私、あの人から聞きたいことが沢山あるのに」

「それはそれ。治療進捗は治療進捗です。どれだけ快方に向かっていようと。貴女が昨日生死の淵を彷徨っていたことは事実です」

「で、でも。ほら、傷は塞がっているじゃない?」

「空いた穴を塞ごうと失った血が戻ることはありません。散歩程度ならともかく。明らかに論戦になると分かっている場に参加するのはリスクが高すぎます」


 「でも」も「だって」も「お願い」も一旦。禁止です。


 ツァツリーは言い、無表情のまま床に目を落とす。視線が黒木板の木目を這った。


「貴女に施された治療のことですが」

「ええ」

「回復促進は私が。縫合と再生に関してはトカさんが行いました」

「父さんが?」

「はい。私たちは今日貴女が目を覚ますまで。貴女が彼と家族関係にあるとは知りませんでした。確かに。そうだというなら色々と得心がいきますが……」

「?」

「いえ」


 黒髪の少女はこの話題に自覚も興味もないようで、眉間に皺を寄せた。

 少女にとって「トカ」が自身を助けてくれた事実は曲がりなく真実であり、そこに疑念を抱く余地はないのだろう。


 白魔術士は少女の反応を確かめながら指を編む。鳥を作り、魚を作り、蛇の口を作る。カンテラの橙色に照らし出された影絵は壁に映り、器用にも動き回ってみせた。

 ラエルの意識が完全に影絵へ向いたことを確認して、ツァツリーは指を解く。魔法手袋を外した黒麦色の指先で、目の前の手のひらを拾った。


 魔力の流れを読み、淀みや綻びがないか確かめる。


 それはツァツリーにとって瞬くほどの時間であり、気が遠くなる一秒でもあった。


 黒曜の瞳が、徐に少女の顔色を伺う。仮面のように張り付けた表情から何もにじんでいないことを祈った。それほど、ツァツリーにとって目の前の現実は理解しがたいものだった。


(ああ。どうして彼女は――恐ろしいほどに健康だ)


 身体を貫かれ一時は生死を彷徨ったばかりだというのに、彼女は一日で全快した。

 湯水が湧くように血が作られる仕組みが人間の身体にあるわけがないのに、今では貧血の症状も見られない。


(回復術で血を増やすことはできない。だからといって輸血をしたわけでもない。ラエルさんの体質でしょうか……それにしては都合が良すぎる)


 高性能な魔術を使用したにしても発現には対価(デメリット)が伴う。


 いったい()()()()()


 刹那の間に疑問を抱き、数瞬後に答えに辿り着いて。瞠目する。

 それはやはり、理解しがたい現実に変わりなく。


 ツァツリーは。息を呑みそうになったのをこらえた。


「ど、どう? 私も自分で不思議なくらい元気なのだけど、白魔術士の診断だとまだまだ回復途中なのかしら。やっぱり、素人が自己診断しちゃあだめね」 

「……」

「ツァツリーさん?」


 白魔術士は首を振って、ラエルの手を離す。


「大声では言えませんが。どうやら怪我の後遺症を含めて完治していると思われます」

「は?」

「それは私の台詞です」


 黒曜石に似た瞳を面倒臭げに逸らされて苦笑するラエルだったが、彼女にも怪我と貧血の治りが早い事実に思い当たる節がない。


 血中毒の治療に魔力譲渡が必要になるように、貧血の治療には血が必要になる。


 特に後者に関しては魔力のように体内生成だけで急速な回復が見込めない。それは、ストレンと喧嘩をした際に思い知っていた。


「現状を鑑みれば健康に勝るものはありませんが……暫くは全快したことを吹聴せず。普段よりしおらしく行動していただければと思います」

「元気になったことを知られない方がいいの?」

「……常識的に考えてこの短期間での全快は不自然でしょう。不和の原因にしないためにも。留意するに越したことはありません」


 ふむ。と、ラエルは共感できないなりにツァツリーの言葉を飲み込む。


「ツァツリーさんは、この小屋にいる人たちを手放しに信頼しているわけじゃないのね」

「えぇ。ジェムシは顔見知りですが信頼できるかは別ですし。他の方は初対面ですし」

「……貴女の眼から見て、トカ・イゥルポテーは怪しい内に入るかしら」

「かなり」

「そう」


 ラエルは窓の外へと視線を逃がす。

 暮れた空には星がちらつき、夜の始まりを告げている。


「尚更、質問したいことが増えたわ」

「……話し合いに参加するというなら。心に留めてほしいことがあります」


 ツァツリーは荷物を整えて立ち上がる。どうやら彼女も気が変わったのか、ラエルと共にこれからの話し合いに参加するつもりらしい。


「存在しない敵を生み出さないこと。対話する相手の本意を見定めること。……貴女自身の本心を。何があっても殺さないこと」


 深呼吸をひとつ挟んで、揺らぎのない黒と紫が交差した。


(本心、と言われても。私には覚悟も選択もまだできていないのよね)


 黒魔術士の少女は、何も言わずに頷く。

 素直な振りをすることしかできなかった。







 川上、浮島の上に作られた黒木肌の小屋はそう大きくない。ラエルが寝かされていたベッドがある部屋が一番大きな個室で、その個室より広い部屋は台所と一体になったリビングだけだ。


 服を整えて部屋を出たラエルとツァツリーは、夕食以来顔を出していなかったリビングへ合流した。男ばかり六名は各々が壁に持たれ、武具や防具の手入れ、読書や所持品の確認など、好きなことをやっている。


 話がしたいと事前に声をかけて集まったのは、渥地(あつしち)酸土(テラロッサ)の内二人と白魔術師トカ、バクハイムからやってきたラエルたちを合わせて八名だった。


 獣耳の弓 (?)使いの姿だけが見当たらない。


「ファレさんは?」

「安全地帯とはいえ、見張りは必要だろ。心配せずともあいつは耳がいいからさ、魔法具を使わない限り話は筒抜けだと思ってくれ」


 白髪の賊ジェムシの言葉に口元を抑えるラエル。無意識に「さん」付けしてしまったことも筒抜けなのだろう、天井の更に上の方から威嚇ともとれる打音が聞こえた。


「な?」

「……あとで謝らなきゃいけないわね」


 この声量で聞こえているとなると、先ほどラエルとツァツリーが話していた内容も知られてしまったと考えてよさそうだ。


 ラエルの体調がよくなったことについて、ファレの口からバレた方がいいのか、それともファレが気を利かせて閉口する可能性に賭けるか。悩ましいところである。


 ジェムシはというと、百面相するラエルを不思議そうに眺めながら会話を続ける。


「いいっていいって。考慮してくれるのはありがたいが、ファレのルールに引きずり回されても良いことねぇしな。それに、配慮を強制するほど子どもでもない。そうだろ、クリザンテイム」


 話題を振られた巨躯の男性は、黒フード越しに首肯して見せた。


 ラエルは彼のことをよく知らない。大男クリザンテイムとは昼間の狩りから戻った際に会釈を交わしただけ。今は無言で胡坐をかき、傷だらけの(つち)を磨いている。


 錆浅葱の眼を歪めたジェムシが丸太の椅子を用意するが、クリザンテイムは首を振る。


 ジェムシは苦笑すると、椅子を肘置き代わりにして自分も床に座り込んだ。


 各々顔を見合わせながら、椅子を椅子として使ったり使わなかったりした。椅子に座ったのはラエルとツァツリーとハーミット。レーテとグリッタとトカは床に胡坐をかく。


「ともあれ、ようやく全員揃ったな。昼間っから今まで、あんたらに返す借りがどれほどか量りかねて仕方がないったらなかった」

「……その言葉、『待ちかねていた』という解釈で受け取っても?」

「ああ! 俺たちだって話す相手が欲しかった。今回の提案は渡りに船――まあ、開示するだけで苦痛を伴う話題だが、告解は魂を軽くする。それが錯覚だとしてもな?」


 だからこれは必要なことだ。と、笑顔を絶やさず言うジェムシ。


 トカは苦い顔をしたままだし、ツァツリーもハーミットもそうだ。ラエルは昼食時にハーミットが指摘していたことを思い出しながら、顔を歪める白き者(エルフ)へと眼差しを注いだ。


 ジェムシは錆浅葱色の三白眼を呆気にとられたように丸めると、きつく目を細める。意図的か、声を出して笑ってみせた。


「トカさん。時系列が前後しちまうが、俺たちのが先で構わないか?」

「ああ。情報の整理は彼らが勝手にやってくれるだろうさ」

「よっし、そんじゃあ話すぞ。耳の穴かっぽじって、一語一句漏らさずに聴けよな」


 ……そう言ってジェムシは、自らの左肘のあたりを触った。

 留め具が外れ、重たげな音を立てて木製の義腕が転げ落ちる。


 彼は外れた腕と嵌め込んでいたソケットとを並べ、一文字に唇を引く。


「まずは、俺たちがこうなった経緯から話すことにする」





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