264枚目 「冷や酒」
苦渋味スープから一転、炭火焼きの鳥串は非常に美味だった。
固い筋や油肉は骨と共に仕込みに回り (スープ係は再びトカだったがラエルが必死に止めたのでクリザンテイムとツァツリーが担当することになった)、水とアラを入れた鍋がぐらぐらと煮られている――その横。食器を片付けた面々はというと。
「あー、分かる。さっきのスープ、薬草酒に近い味だ」
「ああ。流石に鳥串二つでは足りないが、ツマミが用意できれば酒の代わりになりそうだ」
「酒もどきで一杯やるのも乙だよなぁ」
肉の油が付いた鉄串をぴしりと差し向け、白髪の賊は錆浅葱色の目を爛々とさせた。
串先に座っているのはカフス売りの商人とイシクブール町長の旦那である。
「しっかし、馬乗りが持つような長剣を持ってるから第二出身かと思ったんだが口ぶりからして違うみたいだな。俺は第四の変哲ねぇ城市の産まれだが、そっちは?」
「それが、地図から消されてしまっていてなぁ」
「亡国か? 酒にどんなのがあったかだけでも教えてくれないか?」
「酒?」
「そうそう。俺は割と酒が好きなんだけどさ。ここには話が合うやつがいねぇんだよ。ファレもクリザンテイムも酒に興味ねぇし、トカさんに限っちゃ酒嫌いだしな」
つまり、話し相手ができて嬉しいということらしい。先ほどまで殺伐とした雰囲気で情報交換していた人物とは思えない変わりように、グリッタは苦笑しながらバンダナの位置を直した。
「記憶は朧気だが……竜歯球根酒を使う『夜の芽』というカクテルが有名だったな。元は薄い黄金色だが、魔力を一定量注ぐと黒い酒になるんだ」
「色変かよ派手だなー! 聞くだけでかっこいい! はー、喉が渇く。マジ飲みたい。なあ、そっちはどうだ?」
「わ、私かい?」
「そうそう。えーっと、あんたは結界術使いだっけか」
「レーテで構わないよ。うーむ」
急に話を振られたレーテは一瞬あたふたとしたが、咄嗟に商談モードに切り替えたのかぴしりと背を正し、ゆったりとした動きで指を組み「私は嗜む程度なのだが」と前置きした。
「そうだね、地元の酒なら麦酒だ。仕事の付き合いでラクスの果実酒を口にすることもあるが……第二には竹稈酒があるんだろう? 酒が収穫できる環境というのは、非常に興味深いと思っているよ」
「竹稈酒なんてレアもの、地元住民しか手ぇだせねぇんじゃねぇか……?」
「そうなのかい?」
「ああ。俺も、機会があればお目にかかりたいもんだ――それによぉ、実は、俺自身酒は飲めなくてな? 正確には飲めるんだが、控えてるんだ」
予想外の物言いに、二人はぽかんとする。
青年はあっけらかんと言って、すごく残念そうに眉根を寄せた。
「第二に着いてすぐの頃、飲んだくれて悪酔いして目が覚めたら周囲がひでぇ惨状になっててな。けど酒好きは治んねぇから、自主的に呪いで封印せざるを得なかった!」
「それは、封印して正解だな……!」
「いつの時代も、酒と口は災いの元だからね……!」
「ははははは! 違いねぇ!」
成人男性三人がゲラゲラと笑う。
ラエルには、今の会話の何処に笑いどころがあったのか分からなかった。
苦渋味スープの不味さを共有したからか、まだまだ盛り上がっているらしい彼らをよそに二人と一匹は遠巻きに苦笑する。
「ここにお酒はないはずなのだけど……」
「共通の話題がお酒だったんだろうね。彼も器用なことをするなぁ」
「含みがある言い方ね?」
ラエルの問いに対し、ハーミットは肯定の笑みを返す。
「ラエルが交流のきっかけをくれたから、お互いに動きやすくなったんだよ」
「きっかけ? そんなもの、作った憶えないけれど」
「あぁ、手帳覗き見事件のことだよ」
黒髪の少女は目を丸くして、顎元に手をやる。
確かに、あの事件が起こらなければラエルたちが渥地の酸土の話をすることは無かっただろう。
隠し事がばれて殺伐とするより、何倍も良い展開に転がっていることは間違いない……間違いないが。
「事件がきっかけなら、ファレさんの功績にならない?」
「そうかなぁ、そうかも?」
「……」
『この流れで否定しないのは度胸がある針鼠です』
「そうね。私もそう思ったわ」
「うーん手厳しい」
手厳しい言葉を捨て台詞に、ノワールはふらつきながら空へ舞い上がる。小屋の屋根の下まで行くと足を引っかけて逆さになり、いよいよ昼寝のために目を閉じた。
ラエルたちは顔を見合わせ、気持ち声量を落として会話を続ける。
「見知らぬ他人と集団生活をするにあたって、息が詰まったままになるのはあまり良くない。疑惑と不信は原因がなくとも発生するからね。そういう意味でも、会話は精神安定の材料になる」
「……それって、ジェムシさんに気を使わせているということ?」
少女の言葉に、少年は微笑みをもって答えた。
ハーミットが「器用」と例えたのは、つまりそういうことだ。
人が変わったようにすら思えるジェムシの人当たりの良さは、集団生活の中で最も危惧するべき「不和」が起こる可能性を少しでも回避するための気遣いで、処世術。
根っこのところで何を考えているのか分からないという点では、スターリングの態度とも良く似ている。
「そうだね。でも、精神安定の材料になると考えれば悪い取引ではないよ。どうしようもなく不安になったとき、身内の言葉で安心を得ることは難しいんだ」
針鼠の少年は言いながら、口元を抑える。
襟の内側には自虐に歪んだ口の端があった。
「ほら、俺の言葉では信用もなにもないだろう?」
「……う、嘘も誤魔化しも、貴方の得意分野だものね……」
「そう。だから、外部からテコを入れるのが手っ取り早い。もっと言えば、この場で緘口令がらみの話が出ても俺は傍観を選ぶしかない」
ぱっ。と手を放し、元の調子に戻るハーミット。
彼が襟元を開けて口元を晒し「獣人ではない」と明かしながらも、鼠顔を頑なに外そうとしない理由は想像に難くない。張りつめた空気の正体が苦いスープだけのはずがないのだった。
ラエルはそのことに気づかない振りをして、咳払いと共に視線を逸らす。
「……貴方が困るだけで済むなら、私も会話に混ざって構わない?」
「帰国後の安全を保証できなくなるけど。それでもいいなら止めないよ」
「止めなさいよ」
「止めないよ。この村から出る時、全員が無事で居る保証はないからね」
ハーミットは、ラエルの方を見ずに言う。
「だから俺は、君の選択を尊重するよ」
「…………」
それは、ラエルが故郷の話題を口にすることについてだろうか。
あの蟲に関して、決断を先延ばしにしたことについてだろうか。
結局ラエルは閉口してしまって、立ち上がることなく黙りこんだ。
むすりとした表情で隣に居続ける黒髪の少女に、針鼠の少年は意外そうに視線を投げる。
「行かないの?」
「行かないわよ」
口に出すことこそしなかったものの、ラエルの不満げな声から何かを読み取ったハーミットは、肩を小さくした。
「ハーミット。さっきは父があんなこと言って、ごめんなさい。本人が謝るべきだとは思うけれど、すぐに謝らせるのは難しそうだから。先に、半分だけ謝らせて頂戴」
「ああ、あれか。気にしてないよ、大丈夫」
「……貴方が自分自身に対して使う『大丈夫』は、あまり信じられないわ」
今のハーミットはラエルが知る中で……無理をしている方に入ると思うのだ。
地面に向けられた紫目に、硝子玉の内で琥珀が細められる。
「それはまいったな。君の信用を得るために、俺は何をしたらいい?」
――それは、少年の素直な疑問が溢れたが故の言葉だった。
ハーミット・ヘッジホッグはラエル・イゥルポテーに自身が信用されているとは毛ほども思っていないのだと、思い知らされる声音だった。
ラエルは思わず自身の耳を疑って。それから、目を閉じる。
「判断材料を集めたいの。協力してくれる?」
顔を上げないまま指を組み、少女が言う。
少年は鼠顔を「こてり」と傾ける。
「……俺の意向に沿うように、君を誘導するかもしれないけど?」
「貴方が本気でそう企むなら、私に考える猶予を与えないでしょう」
まさか、また疑って欲しいの?
そう聞き返され、ハーミットは口の端を「きゅっ」と結んだ。
ラエルは波打つ黒髪を指で梳きまとめ、革紐で髪を括り直す。
「貴方が自分自身を『大丈夫』だと言い切れるなら。私に力を貸して」
「いいよ。そこまで言われなくても、手伝うつもりだった」
「……今の私が、貴方の同僚だから?」
「うん」
ラエルは少しの無言の後に相槌を打ち、纏めた髪先を後ろに回すと立ち上がった。
そうして、閉じていた瞼を上げる。
ハーミットはその目を見て立ち上がった。
腕組みはせず片手を腰に、もう一方の手で話の続きを促す。
「で。誰に話を聞きに行くんだ? トカさんや賊の三人からは後で聞く予定だろう?」
「……目星はつけているの」
ラエルは言って、目を向ける。
視線の先に居たのは、酒の話題に盛り上がるカフス売りの商人だった。
盛り上がる男三人組の会話に割り込み、ラエルは小屋の裏にカフス売りを呼び出した。
楽しい会話で体が温まったのか、緩い顔をしたグリッタがやってくるまでそう時間はかからない。
「お兄さんを呼び出して何の話をしようっていうんだ? ラエル嬢ちゃん」
「それが残念なことに俺もいるんだよなぁ」
「うん?」
「ははは。逃げられると困るからね」
ハーミットはとぼけた顔で退路を塞ぐと、薄い唇で綺麗な弧を描いた。
酔いの雰囲気は霧散して、グリッタは慌てて少女の方を振り返った。
ラエルはにこりともせず、淡々と呼び出した趣旨を説明する。
「ただでさえ異常事態続きで頭が回っていないのに、一人で情報集めなんかしないわよ。グリッタさんを呼び出したのは、確認しておきたいことがあったからなの」
「じょ、情報か? ラエル嬢ちゃんも話は聞いているだろう、ここまで全く役に立っていないカフス売りの商人が、一体どんな情報を提供できるっていうんだ」
「本当に、そう思うの?」
問いかけにグリッタは目を丸くして――僅かに、唇を噛みしめる。
その様子を見て、ラエルは疑問の続きを口にした。
「それじゃあグリッタさん、手早く済ませるために本題から聞くわ。貴方バクハイムに来た時からずっと、キーナさんのことを気にしながら行動していたわよね?」
紫色の目つきを、鋭くする。
「彼が蟲に攫われたのに、貴方はどうしてそんなに冷静でいられるの?」
視線で、射る。




