263枚目 「苦渋味スープと炭焼き鳥」
昼時。
日が真上に来るより少し早く、温かい薬草のスープとパンが全員に配られた。二等分に縦切りされた丸太を椅子代わりに、木彫りの器で湯気がたつ。
黄色い油が浮いたスープは、口に含むだけで痺れる辛さと共に鼻を抜ける爽やかな匂いが駆け抜ける――と同時に、ノハナ草が共に煮込まれているらしいこともすぐに分かる。そういう味だった。
具体的にいうと、頭が割れるかと思うほど苦い。そして渋い。そのくせ後味が爽やかなのがむかつく。
とにかく形容しがたい味で各々手が止まる中、ハーミットだけが普通にそれを飲み干しておかわりしていた。
味覚が死んでいるのではないかと疑いの視線を投げられる針鼠をよそに、ちびちびとスープを飲むラエルはメインディッシュである肉類が焼けるのを今か今かと心待ちにしている。
ラエルたちがパンなどの食料と共に持ち込んだ野営セットは、現在「肉焼き係」の三人が使用中だ。
羽を毟り、血と内臓を抜いた鳥らしきものをひと口大に切り分け、香草と油を塗りたくって串を刺し網の上に乗せ。その焼き加減をじっと見ているファレとトカと、もう一人。
血が苦手だというジェムシはツァツリーの近くで薬草スープに悶え苦しんでいるので、肉を焼いている三人目は別の人物である。
狩りから戻ってきた賊の三人目――ぼろぼろの黒革のマントにすっぽりと全身を包み、目元まで影が落ちるフードをかぶっている大男の名はクリザンテイムというらしい。
サンゲイザーが細身の大蜥蜴であったのに対し、彼はがっしりと肩幅があって更に背があるように思う。
蜥蜴が逆三角形なら彼は四角形だろうか。
今も肉に向き合いながら壁に似た威圧感を振りまくクリザンテイムだが、合流するなり元気そうな黒髪の少女を見て「にやり」とするなど、見た目に反して感情表現が豊かだった。
尚、彼は現在に至るまで一言も声を発していない。
無口というより寡黙、寡黙というより沈黙……というようにラエルの目には見えている。
焼き鳥からこぼれた油によだれを垂らす獣耳の獣人は、大男の彼の言わんとすることを理解できるらしく、時折話しかけては笑い声をあげていた。
ラエルはスープを口に含んでは眉間に皺を寄せて飲み込み、すっきりした後味の先に顔を出す僅かな旨味を探しながら嚥下する。
黒髪の少女の隣には先ほどまで針鼠の少年が腰を下ろしていたが、今は伝書蝙蝠が留まっている。口元にはアプルかラクスか、果汁が滴っていた。
伝書蝙蝠ニュイ・ノワールは翼の被膜を舌でつつき、黒飴の目を瞬かせる。
『ともかく、無事に目が覚めてよかったです。ラエル』
「……ええ。私も、ノワールちゃんが無事でいてくれてよかったわ。まさか翼が治りきっていない状態で狩りの手伝いに行っていたとは思わなかったけれど」
『無茶はお互い様です。狩りに獣魔法が役立つと分かっている状況で、ついていかないわけにはいかなかったです』
「……」
『……』
無言のまま、ラエルがスープを飲み込む。
『同調』を繋いでいるノワールには、沈黙しながらもラエルが何を思考しているのかダイレクトに伝わっているだろう。それでもノワールが何も言わないで居てくれるのは、ラエルにとってありがたいことだった。
ラエルたちを運ぼうとした渥地の酸土の件も、イシクブールで明らかになった骨守信仰についても、じっくり考えて飲み込むことができたのだ――だから、今回のことだって。どうにかなる。
(そう思いたい。……結局のところ、安心したいのかしら、私は)
どうにもならないと分かっていて尚、あがこうとしている。
心の底の欲求に呆れと皮肉がこみあげる。思わず攣った口角を隠すように器を口に寄せた。
いくら彼女自身が気晴らしをしようと、周囲が言葉や態度に配慮してくれようと、現実逃避を重ねようが回答を保留しようが置かれている状況は微動だにしない。
決めきれない優柔不断は不動である。
まだ何も――……諦めがつかないのだから。
『焦ることはないです、ラエル。まだ二日あるです?』
「……そうね。そうだった」
雑味だらけのスープを飲み干し、ラエルは器を膝に置く。
顔を上げると、軽い足取りでおかわりのスープを受け取ったハーミットが戻ってくるところだった。
目が覚めてから、ラエルの憂鬱と焦燥は落ち着く気配を見せない。それでもイシクブールにいた時と比べて、目の前の針鼠が纏う空気が異質なものに変わっていることには気がついていた。
浮島より、あの天幕で出会った時より、張りつめている。
「ハーミット。大丈夫?」
「ん?」
「貴方、このスープが美味しいとか思っていないわよね?」
「……」
『ぶっふぁ!!』
吹き出した伝書蝙蝠が人差し指の突きを食らって丸太から落っこちる。
空いた席に針鼠は迷わず腰を下ろして、二杯目を口に含んだ。
「……焼き鳥、もうちょっとかかるんだって」
「結構しっかり焼くのね」
「生焼けが原因でお腹を壊すのは避けたいだろう?」
「それはそうだけれど。待ち遠しいわ」
嚥下の音を聞きながら、よくもまあガブガブと苦汁を飲めるものだと人ごとに思った。
かくいうラエルも皿は空になっているので、空腹の力というのは凄まじい。
「ところで、さっきの質問だけれど。どうなの? このスープは貴方の好み?」
飲んでみたところ材料は薬草と薬味と香辛料のペーストらしい。不味かろうが体にいいものなら料理として成立しているし、再現も可能だろう。
ハーミットが苦みや渋みを好んで食べるというのであれば料理のレパートリーに加えるのもやぶさかではない――そう言いかけて鼠顔を伺うと、少年は何とも言えない笑みを浮かべていた。
「……飲めないことは、ない」
「飲めないことはない」
「苦味も辛味も爽快感も渋みも知覚してるよ? 食べられるっていうだけでありがたいことだ。重ねて言うけど、味覚は死んでないからね」
硝子玉の向こうから、とても必死な眼差しがラエルに向けられる。
『同調』で思考が読めるわけじゃあないが、少女も察して頷いた。
どうやら張りつめていた空気の正体は、顔を歪ませないようにポーカーフェイスを頑張った結果だったらしい。ガブガブと飲んでいたのは味をなるべく体験したくなかったからだろう。
あっという間に空になった器を膝にのせて、ひと息つく。
ノワールを腕に留めたハーミットは、ノワールの小さな額を撫でて毛並みを整えていく。席を取られたこともあって眉間に皺を作っていた伝書蝙蝠は、しばらくすると転寝を始めた。夜型のノワールに真昼の長時間活動はあまり向いていないのだろう。
針鼠の少年は蝙蝠の毛並みを撫でながら、何も言わずに背中の針を畳む。
黒髪の少女は空の器で手が塞がっているので何もできず、手帳も鞄も次の予定も気にせずに、ぼんやりとしたまま視線を持ち上げた。
少し離れた場所で白魔術士ツァツリーがスープを飲んでいる。先ほどまで彼女の隣にいた青年ジェムシは苦渋味に耐えながら立ったり座ったり、その場をうろうろとしていた。
グリッタはどうかというと意外にいける口らしく、レーテと酒のつまみについて盛り上がっている。酒の味をラエルは知らないが、多様なそれを飲んできた大人だからこそ受けいられる味、なのだろうか。双方笑顔が引きつっていなければ、素直にそう思えるのだが。
「そういえば、何の匂いに似ているのかと思ったら獣除けにそっくり」
『……あぁ、通りで変な匂いすると思ったです。てっきりそういう食べ物なのかと思ったです』
意識を浮上させたノワールの言葉に、その場でスープを飲んでいた全員が固まった。
思えば、焼き鳥係の三人はラエルたちとスープ入りの鍋と距離をとって焼き鳥を作っている。作り手のトカはともかく、鼻が利く者には耐えがたい匂いなのかもしれない。
そもそも。調理した本人は味見をしたのだろうか。
「……俺、二杯飲んだんだけど」
「……明日の朝、身体の調子が良くなりすぎないように祈っているわ」




