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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
6章 黒魔術士は科を織る
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257枚目 「薪割りに斧棍」


 小屋の前は、だだっ広い庭になっていた。すぐそこにある川の流れと対岸にある鬱蒼とした林とを見て、ラエルは獣人が口にした「こっちに来ない」の意味をようやく理解する。


 洞窟の中で会敵した際は観察できなかったあの蟲たちは、これだけの川幅を挟めば追って来ないらしい。あの蟲には機動性があるが、身体が大きくて重いから水に沈んでしまうんだと――立ち耳の獣人は言った。


「ファレ」

「え?」

「呼び方。いつまでも呼べないのは、面倒だ」

「……貴方の名前がファレ。なのね?」

「名前じゃない。よー、びー、かー、たー。分かる?」

「よ、呼び方ね。分かったわファレさん」

「ファレ」

「……分かったわ、ファレ」

「にゃあ」


 呼び方に満足したのか、ファレと名乗った獣人は尾を揺らしながらふらふらと歩き始めた。見失うわけにもいかないラエルは、その細長い背を追いかける。


(押しが強いわね……でもそうか。(いみな)以外に用意する仮の名前は、確かに名前(いみな)とは違うものよね)


 ただ、呼称である時点で「名前」と同じように扱っても問題はないのだろう。ファレはもう一度、改めてラエルに呼ばれると丸い瞳を屈託なく歪めて、かと思えばとてとて走って行ってしまった。


 満足したのか、これでも案内しているつもりなのか。


(どうにも動きが読めない人ね)


 黒い木肌の小屋を振り返る。

 材質からして、ラエルには見慣れた素材だ。


炭樹(トレント)は砂漠でも育つ生命力を持った、無機物と魔力を糧に成長する樹木だけど……)


 直近の記憶にあるのは、浮島五棟「鼠の巣」で意図せず育ったその幹と根が、針鼠が取り出した魔石着火で燃やされる、という光景である。


(この小屋だけじゃ、手慣れた人が扱っているってことしか分からないわね)


 そもそも、ラエルにはこの小屋がいつ建てられたのかが分からない。

 木肌に雨風による激しい傷みは見られないので最近ではあるのだろう。それが半年前なのか一年前なのか、もっと新しいのかは判断できなかった。


 ラエルは、そこまでの知識を持ち合わせていない。


「……」


 無力感で息が詰まる。

 ラエルがこめかみを小突かれたのはその時だった。


 右を向けば、苦い顔をしたファレが人差し指をラエルに向けている。


「にゃー、こら」

「あっ。ごめんなさい。私のことを呼んだの?」

「あっちに、行く」

「?」

「来る」

「……見せたいものでもあるの?」


 ラエルが小屋の壁に添えていた手を離してファレを追うと、そこだけ耕された土があって、ぽつぽつ花が咲いた野菜が植えられている。畑だ。けれど誰もいない。ファレは尾を揺らしながらどんどん先へ歩いていく。


 小屋の裏に近づくにつれて、何かを割るような音が聞こえてきた。


「ジェムシー」

「ファレ。何度も言ってるが俺の名前は()()()()だ。いい加減伸ばして呼ぶな! ……って」


 小屋の真裏、曲がり角の先で短い髪束が揺れた。


 ラエルが知らない顔である。


 声を荒げたのは黄銅色の斧棍を持った白髪の青年だった。腕も足もしっかり着込んでいるのに腹の部分だけが露出していて、そこに目立つほどではないが筋肉が隆々としている。


 ジェムシと呼ばれた白き者(エルフ)はピアスを幾つもつけた尖り耳を弄った後、ラエルのことを視界に入れて薪をひとつ割り、斧を置き――必死の形相でこちらを二度見した。


 ファレは欠伸をしてみせる。


「ん。起きた」

「あー、起きたのかー! ……って馬鹿かテメェ起きたから連れてきた、じゃねーよ!! ちょ、娘さんも娘さんでなんであの怪我でケロッとしてるんだ!? 気分悪いとかねぇの!?」

「え? あぁ。少しだけ血が足りないかしら」

「大問題じゃねぇか!! 寝床に括りつけてやろうか!?」

「脅しても私には効かないわよ?」

「脅しじゃなくて安静にしてろってぇ忠告なんだよなぁ!!」


 病人がベッドから降りて動き回っていることが相当気に食わないのか、果ては斧棍を向けてまで叫び出した青年に対し、ラエルは曖昧な相槌しか返せなかった。


 というのも、騒がしくしている謎の青年よりも面倒臭い空気を放つ白魔術士がすぐ目の前に立っていて……既に目が合っている。


 今も黒曜石のような真黒の虹彩と白い水晶体が、無感情にラエルの顔を見ているのだ。逃げられる気がしなかった。


 思えば、青年が手にしている斧棍は尻尾取りの七回目で奮われたものと同じだった。切れ味がいいからと貸したのかもしれないし、薪の切り口を見る限り、実際切れ味が良いのだろうが……。


 ラエルは、無手だろうと今の体調で飛びかかられたらと思うと生きた心地がしなかった。経験上、白魔術士を怒らせると面倒だと知っている。何より彼女の手足を捌ききれる保証がどこにもない。


 逃亡の選択肢は儚い夢みたいなものだった。


 しかし、二つ分けにした黒布を振り子にしたツインテールの白魔術士――ガルバ・ツァツリーは、すぐに無言の圧を解いた。


 ラエルの手を取るなり簡単な診察をして、目元を緩める。


「これといった後遺症は見られません。顔色もよろしくてなによりです」

「つ……ツァツリーさんこそ、無事で良かったわ」

「いえ。協力者が見つけられなかったら今頃どうなっていたか分かりません。……というか。私。回復術がほぼ使えないと説明していたはずですが。それなのに貴女。無茶をしましたね」

「う」

「……おおよその経緯は聞いています。あれだけした練習が実を結ばなかったことは仕方がないとして。この場で謝罪を要求することはしません。聞いた通りであれば誰であっても混乱するでしょう。なので。ここは素直にお互いの無事を喜びます」


 ラエルの手から、ツァツリーの手が離れる。

 ラエルの視線は下に向いたまま、噛みしめた歯が軋む音が漏れた。


「そんなに優しくしないで。私が貴女たちを危険に晒してしまった……」

「それがどうかしましたか。貴女以外の全員も。その覚悟をして着いてきたんですが」

「……」

「それに私は。ちゃんと。怒っていますよ」


 ツァツリーは、さっぱりとした表情でラエルの前に立った。


 相変わらず表情筋は微動だにしていないが、ラエルが無事に目覚めたことで肩の荷がひとつ降りたのだろう。


「ひとまず。状況報告と情報の共有をしましょう」

「……分かったわ。ファレさん、ここまで案内してくれてありが」

「ファレはファレ」

「…………ファレ。ここまで案内してくれてありが」

「んー、ジェムシ臭い。これなら川臭い方がマシだ、水被る?」


 完全に会話のペースを乱されたラエルが行き場のない手を持て余す。

 ジェムシと呼ばれた白き者(エルフ)は苦笑して、自らに纏わりついたファレを引き剥がした。


「ファレ、お前なぁ。いい加減、話の途中で諦めるの辞めろ……あー、娘さん?」

「ラエルでいいわ」

「そーか。んじゃあラエルさん、寝床に戻るか小屋に戻るか選べるけどどっちがいい?」


 こちらはこちらで、まだラエルを部屋に戻すつもりでいるらしい。優しいのか面倒臭がりなのか過保護なのかを量りかねていると、ツァツリーがラエルの袖を引いた。


「ラエルさん。彼は白き者(エルフ)の中でも魔力耐性が高い方なので。やるなら肘か膝を使用した物理攻撃がお勧めです」

「……ツァツリーさん? 私、部屋に戻るつもりはないけれど暴力を伴う抵抗をするつもりもないわよ?」

「はははははっ!! なんだ、近頃は丸くなって容赦っつうもんを覚えたんじゃなかったのかよガルバるぃうげぁぐはぁ!!」


 最後まで口にさせずに青年を殴り飛ばしたツァツリーは、肩で息をしながら拳をおさめるとラエルの背中を押しながら小屋裏を後にした。


 薪山に突っ込んだ青年ジェムシのことは完全に無視である。


「……ツァツリーさん。彼、知り合いなの?」

「いいえ」

「そう。詮索はしないでおくわ」

「そうしていただけると助かります」


 角を引き返して畑へ戻ると、川から汲んできたのか水をかける人物がひとり。こちらは、初対面ではなく見知った顔だった。


「グリッタさん!」

「お! 目が覚めたのか、ラエル嬢ちゃん!」


 バンダナを額にしたカフス売りの商人――グリッタは水桶を置くと駆け寄ってラエルの手をとり、顔色を見たり身体の軸がしっかりしているかを確認して、どうやら大事には至らなかったのだと知るなり盛大に安堵の溜め息を吐いて蹲ってしまった。


「はー……酷く深い傷だったからな、気が気でなかったんだぞ!? 念のため確認するが、何処も辛くないか? 無理はしていないか?」

「ええ、立ちくらみがちょっとだけあるけれど平気よ」

「万全じゃあないじゃないか、まだ寝ていてくれよぉ!!」


 グリッタの言いようにラエルは眉を下げて苦い顔をする。ベッドに戻れと言われるのは彼で二回目だ。


 ようやく目覚めて状況把握の為に外へ出てみれば、部屋で休めと皆が言う……この感覚は浮島でも味わったことがあるが、いっこうに慣れない。


「商人さん。気持ちは分かりますが。安心して下さい。私が見ていますから――貴女も。その身体で無茶をしようとは考えていないでしょう?」


 白魔術士ツァツリーすら、助け船に偽装した言質を求める始末である。

 ラエルは顔を引きつらせて笑みを作ったが、ツァツリーはラエルの目を覗きながら首を傾げた。


「返事は?」

「…………はい」


 黒髪の少女は、既に逆らう気力を失っていた。


「間があった上に棒読みなんだが」

「大丈夫です。そうですね? 信じていますよラエルさん」

「うぐぅ……」


 「怒っています」と宣告されたあとに言質までとられるとは思わなかった。ラエルは肩を落としそうになって「はっ」と顔をあげる。


「そ、そうだ。グリッタさん、ツァツリーさん。この小屋は安全な場所にあるってファレが言っていたのだけど――全員、揃っているわよね?」


 ファレは三以上の数が「沢山」だと言って、ラエルと共にやってきた具体的な人数を教えてはくれなかった。


 三人なのか、四人なのか、六人なのか。

 それとも、ラエルを含めて三人なのか。


 不安を訴える気迫に押されて、二人は困ったように顔を見合わせた。


 ……全員が無事だと即答しないということは。


「ラエルさん」

「私が、私のせいで」

「ラエルさん。まずは。お互いの認識をはっきりと擦り合わせましょう。ここが何処で。どうやって私たちが辿り着いたのか。起きたことは包み隠さず。全て説明します」

「……」


 ラエルは辛うじて頷いたが、言葉の意味を飲み込めるほど頭が回らなかった。


 ツァツリーとグリッタが次に向かう場所の確認と、誰がそこに居るのかを話している。話の流れは理解できているはずなのに、耳に詳しい情報が入らない。


(だって、「誰が助かったのか」が分かってしまったら)


 胸騒ぎと焦燥感が思考を埋め尽くしていく。

 他人の手のひらで胃を揉みしだかれているような不快感。


 連れられるまま小屋の前を通り過ぎて反対側へ行くと、釣りをしながら談笑する男性たちの背姿があった。


 目が覚めたらしいレーテが釣竿を握りながら結界について話している。

 その隣には、見覚えのある細身の男性が立っていた。


 黒髪が、うんと短くなっている。

 肉付きが悪くなって、頬がこけている。


 それでも確かな面影。


 男性は、グリッタが声をかけると振り向いた。

 その人を見て、ラエルは思わず足を止める。


「……父さん?」





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