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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
6章 黒魔術士は科を織る
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255枚目 「pass a baton」


 ――灰色の峰で、振り下ろされた蟲の爪を受け止める。


 動かせる腕の数が違うこともあって、呆気なく自分の身体が掬い上げられたのが分かった。鉄棒を前に回る要領で前転し、勢いを殺しつつ踏みつけて足場にした。


 自らの足を登る小柄な体躯を刺し貫かんと、他の足が左右から追撃を繰り出す。針のような鋭さをした黒い爪、その目に追えるはずもない刺突を全て弾くと、金糸の髪を乱した少年は女性の体躯の目の前で両手剣を思い切り振り抜く。


 蟲は()を受け、衝撃を殺しきれずに吹き飛ばされた。


 ハーミット・ヘッジホッグはその場で後転して着地する。

 そこは水の堀に囲まれた浮島ではなく、口を開けた洞窟がある方の岸だ。


 周囲には大蜘蛛が「子どもたち」と呼んでいた蜘蛛の残骸がバラバラと散らばっていた。これらは全て強欲なるもの(グリーディ・カース)で切り刻んだものだ。


 「現状維持」の呪いは、「死」のみならず「再生」をも拒む。


 腹の先まで切られた蜘蛛たちは、無為に軋む音を上げるだけだった。


 一方、吹き飛ばされた大蜘蛛は徐に人の上体を起こし、人間がするように首を傾げて見せた。


『……なぜ? 私は、嘘など、ひとつも……?』

「嘘かどうかは疑っていない。貴女の証言が本当なら、辻褄も合う」

『それならどうして――貴方は聡いはずでしょう、無意味だと分かっているでしょう』

「貴女がその口で、どちらでもいい、と言ったんだよ」


 長い睫毛の下、琥珀色と蟲の目が合う。

 深淵を覗いたような漆黒の瞳と、濁り。


「俺は。貴女の尊厳を優先すべきだと判断しただけだ」

『……はは。愚か者め……!』

「ははは。うん、なんとでも言ってくれ」


 悪役になるのは慣れてる。


 ハーミットは乾いた笑いと共に剣を奮う。大蜘蛛は応戦するしかない。

 しかし、先程の一撃にせよ女の身体には僅かに線がついただけで殆ど無傷だった。


(峰打ちとはいえこっちは殺す気で振ってるっていうのに、どうなっているんだ……魔力供給源を断たないことには、同じことの繰り返しか)


 加えて、目の前の彼女が口にした内容が本当なら、今のハーミットたちには()()()()()()


 ラエルも含めて全員が、だ。

 全員で指をくわえて見届けるしかない――それ以外は、悪手。


 ハーミットは蟲爪を受け止め後方へ跳躍する。鼠顔を被り直した。


(どちらにせよ、このまま闘いが長引くのは良くない)


 どれだけ魔力で強化と回復を繰り返そうが、ハーミットの体質を活用すれば彼女を殺すことに苦労はしないだろう。


 そしてハーミットがこの体質だからこそ、蟲は息の根を止めようと必死だ。この蟲はラエルを追いかけて出てきたというよりは、少年を一番に危険視している節がある。


 巣を出て追いかけてまで、その手で止めを刺そうとするほどに。


 ――今、殺される可能性を残すわけにはいかないから、と。

 「だから殺されてくれないか」と、蟲は取引を持ちかけたのだ。


(呑めるわけがないんだよな)


 ハーミットには死ねない理由がある。恨まれる覚悟も、ある。


「なら、せめて俺がするべきだ」


(彼女ではなく、俺が)


 だって、そうでなければ。

 ここまでラエルを連れて来てしまった自分自身を、許せるか分からない。


 考えた矢先、サンゲイザーが走り去った方角から一際大きな音がした。先程も林の奥の方で火柱が立っていたが、それよりも近い。


 酷く、嫌な予感がした。


『ふ、ふふ、あはは、あはははは』


 関節が軋む音が響く。

 きしきしきしきしきし。きしきしきしきしきし。

 笑う声と反響して耳を刺す。


 蟲の背に下半身を埋めた女性はひとしきり笑った後で、表情から笑みを消した。


『感謝するわ、少年。私たちは目的を達した』

「……目的?」

『ええ。活きの良い()()()()が手に入ったの。もう、貴方を足止めする理由もない』

「!!」


 ハーミットが咄嗟に距離を詰め、逆袈裟に切り上げる。

 大蜘蛛はその剣筋を避けることなく全身で受け止めてみせた。


 血でも肉でもない、どろりとした透明な液体が零れ出る。


「……っ!! 『身代わり(サブスター)』か!!」

『あっはははははははは!! 騙される方が悪いのよぉおおおお!!』


 小麦粉をほんの少し混ぜた水のように、粘ついたそれが女の身体から蟲の頭へ落ちると、鎧に似た甲殻が一瞬で半透明の泥に変わり崩れ落ちた。


 どろどろと解けていく女の顔を、鼠顔は目を逸らすことなく見届ける。


 本体の居場所は明らかだ。祭壇へ引き返せばすぐにでも再戦が叶うだろう。


(けど、彼女が人質をとったと考えると、下手に刺激を加えるのは……)


 何より、あの蟲を殺しきるだけの策をハーミットは持ちえない。無理やりことを収めるのでは、ラエルの件も解決できないだろう。


 ハーミットは歯を食いしばり、視線を落とす。


 蟲が去ったあとに残ったのは、少年が切り捨てた大量の子蜘蛛 (子蜘蛛というには巨大だが)と、じゅくじゅくしたゲル状の何かである。


 蟲の殻はともかく、これが高濃度の魔力塊であるならハーミット以外の人間には劇物になるだろうか。調べてみないことには分からないが、分析は得意分野だ。


(祭壇の真上にあった巣みたいなやつから出てきた液体も、これなんだろうか。……しかしこうなると相手が何を考えているのか、それとも考えていないのか、分からなくなってきたな……)


 そうしてハーミットが蟲の殻を複数と、謎の物質と、その辺に落ちていた蜘蛛の糸とをそれぞれ採取して懐に収めたところで。橋を落とした対岸からやって来る人影が見えた。


 棒状に成形した土塊を使って、棒高跳びの要領で川越えをしてくる。


 器用なものだと感心しながら、ハーミットは気まずさ半分、無事に再会できた安堵半分とで手を振った。


 川越えの間一度も落水していないにもかかわらず、蜥蜴の獣人の鱗は何故かほどよく水気を帯びている。


「はー……生きて再会できて嬉しいよサンゲイザー。ラエルが居ないということは、安全地帯が見つかったんだな」

「しゅるるるる、ああそうだ。話が速くて助かるぜ」


 ハーミットは立ち上がる。


 先程から血の匂いがしている。サンゲイザーは、できる限りの手を尽くしたのだろう。


 ハーミットですら攻め手を決めあぐねているのだから、この場は一度引くのが確実だ。


 黄土色のコートについた土を払い落とし、少年は踵を返した。


「――よし。一度、策を練り直すぞ」

「――ああ、さっさとガキ連れ戻すぞ」


 ざり、と。


 お互いの足が正反対の方角へ向いていたと気づいたのは、踏み出して後のことだった。


 針鼠は水の堀を背に振り返る。

 蜥蜴の獣人は無表情のまま、洞窟を正面に動こうとしなかった。


 ハーミットは両手剣を鞘に納めると、腕を組んだ。


「人質が居ることは俺も知っている。だからこそ、一度引くべきだ」

「あー、そうかよ。そうだな、つって振り返ればアンタは満足するのか?」

「……俺は」

「しゅるるるる! 迷ってる奴がアレを殺せるわけがねぇだろ。相手は母蜘蛛だぞ? 子を守るためならなんだってする――それとも。ガキを見捨てるつもりかぁ、あの抗争ではたかが一人の為に暴れまわってたテメェらしくもねぇじゃねぇか、うん?」


 ひうん、と。棒が回る。


 その動きに気を取られた一瞬で、鱗肌の尾が鞭の如く唸った。

 不意に足元を思い切り払われ、受け身が遅れたハーミットが膝をつくのをサンゲイザーは見逃さない。


「そんなに合流してぇんなら、させてやるよ役人サマ」

「はぁ!? ちょ、何を」


 サンゲイザーはハーミットの首根っこを掴んであっという間に自身の身長を越えた高さまで持ち上げると、何を思ったか、もう片方の腕で手にしていた土棒を振りかぶり――勢いよく()()()()()


 咄嗟にガードをした針鼠の耳に、はっきりと骨が軋む音が届く。

 そしてそのまま、小柄な体躯は魔力衝撃の余波と共に空へと吹き飛ばされた。


 高く高く、その方角にあるのは蜥蜴のみぞ知る安全地帯。


「精々、水に落ちねぇことを祈れよなぁカナヅチネズミ!!」

「おまっ……おま――――――――っ!!」


 断末魔の叫びが遠くなり、聞こえなくなる。


 明らかに怒っている声だったが、これだけ飛ばせばしばらくは邪魔できまい。


 叱られても怒られても、愛想を尽かされても構わない。

 取り敢えず、あの針鼠はひとりにしない方が幾らかマシになるだろう。


「ま、引き返す気が失せたっつぅのも理由だがなぁ」


 生憎、誰に聞かせるまでもない独り言だった。


 獣人は砕けそこなった土棒を崩し、祭壇へ続く洞窟に向き直る。


(ともかく、まともな人間に孤独は猛毒だろ)


土塊錬成(ゲー・アルキミア)――『重畳せよ(エバイオス)』」


 外道の自分を庇って捕らえられるなど、間抜けにもほどがある。

 サンゲイザーは軽口を叩きながら洞窟に足を踏み入れ、蟲の巣窟に蓋をした。





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