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強欲なる勇者の書 ~ 魔王城勤務の針鼠 ~  作者: Planet_Rana
6章 黒魔術士は科を織る
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249枚目 「際会」





 身体から、嫌な音がした。


 かつて虫の胃で聞いた脈動よりも、潰した蟲の腹よりも醜い半固形が縺れたような音だと思った。どうやら腹に口が開いたようになっている。少しでも動けば容易に裂け広がり、大して綺麗でもない中身がこぼれてしまうだろうと予測できる。


 流れていく視界に、変わらない岩壁。


 思い切り泣いたり叫んだりして気が済んでしまったのか、私の思考は異様に冷たかった。神経を凪に、砂魚を狙い撃つ瞬間に近い感覚である。


 まるで激しい運動の後、腕のいい白魔術士に疲労回復の魔術を発現してもらったような。見知った人間に髪を結わって貰っているような。

 転寝をしているときの心地よさ。人が居る中で仮眠を取れるという平和さ。

 好きな料理を作ることも、食べることも。今に、酷く近い。


 日常的で「普通」とされる、破綻した記憶と「近い」。


 ……そうだ。思い出した。


 解れたなら結び留めればいい。破れたなら当て布をすればいい。

 同じ糸が手に入らなくとも、似たような役割の何かに生まれ変わらせることは容易なのだ。


 誰の言葉だったかは忘れてしまった。けれど、きっと大事なことだった。


 私はずっと「正しくない」。

 だから「正しくないことを理解して生きなければならない」。


 今日の為にあってしかるべき言葉だった。


 千切れた糸の色も種類も役割も知らない私に、何も対処できないことが心苦しい。


 支えを外された内臓がのたうつ。痛みで色が抜けた世界は現実を把握するには十分で、砂嵐で聞こえなかった音がようやく耳に入った。


 瞬く間に視界が鮮やかさを取り戻す。肌で振動を受け取れるようになる。額が冷える。匂いがする。血の匂いと生臭さ。汗の匂い。吐いた呼気に混ざって、濃く煮出したノハナ茶の如く酷い鉄の味がした。


 直前、自分が何をしでかしたのか思い出す。何を見たのかを、何をされたかを鮮明に思い出す。


 岩壁は続く。気を失っていたのは数秒だったんだろう。


 いつの間にか引き寄せられていた肩が砕けそうで顔を顰めると、頭上から大きな声がした。が、耳に入るまでに意味をなさない音の羅列になる。私は、音のシャワーを浴びた気分になって適当に頷いた。


 笑う余裕はない。


 いつか友人と試合をした時とは傷の種類が違う。それは自分自身が一番理解していた。


 話を聞かずに突っ走り、今の状況を作った原因が自分だということも分かっている。だから、「置いて行ってほしい」と震える唇に鞭打って声に出した。


 ……なんだか額を弾かれた気がする。まさか怪我人に追撃するとは。腹部の激痛にかき消されて痛みは感じなかったけれども。


 再び眩む視界に目を細める。世界の輪郭が滲んで霞む。

 それでも意識は飛ばず、現実は優しくなかった。


 泥の中から引きずり出されたように覚醒の波が来る。同時に、脳を焼くような苦痛が全身を貫く。波を打つように何度も、何度も。


 痛みとか寒さとか通り越して、苦しい。

 吐く物もないのに吐きそうだ。


 実際は吐くどころではないのだけど、身体が内側から破裂したかと思った。穴が空いたという意味では既に破裂したようなものだけど、それが更に裂け広がろうとするんだからたまったものではない。


 口にねじ込まれた魔力補給瓶(ポーション)の苦味に悶え、溺れそうになるのを気合で飲み干す。

 理性を握り締め、崖の縁で朦朧としていた意識がまた、現実に引っ張り戻された。私の口から零れたのは意味を持たない呻き声だった。


 身体が揺れる。地に足が着いていない感覚がする。

 そうして、私を案ずる声が降る。


 優しげなそれが、彼なりに怒りを孕んだ声なのだと知っている。


 私が後先考えずに突っ込んだことを怒っているのか、置いて行けといったことが許せないのか。どちらも理由としては捨てがたいが、今回はそれだけではなさそうだと妙に勘が働いてしまうのも確かだった。


 ……ああ、それなら。


 笑う余裕はないけれど、伝えることはできる。

 この場に居る誰もが知り得ない情報。私にしか判断できない事実。


 これは、ここまで付き合ってくれた彼に対しての礼儀であり、私の認識をはっきりさせる為にも必要なことだった。


 口を開いて、言葉にする。

 苦しそうに歪められた琥珀を見届けて、私は目を閉じた。


 自問する。事態は想像していたよりも最悪だった。


 ここまで大言壮語を吐いて来たものの――さて。実のところ私の手は、あの蟲を殺せるんだろうか、と。


 今の私には、答えの出せない問いだった。







 ドーム状の岩蔵の中から、爆発音と共に小石を撒き散らす影が二つ。


 ようやく開いた邪魔者の居ない道を休むことなく前進し、黒髪の少女を抱きかかえた針鼠の少年が通路を出たことを確認すると、蜥蜴の獣人は振り返って地面に尾を叩きつけた。


土塊錬成(ゲー・アルキミア)――『重畳せよ(エバイオス)』!!」


 地響きと共に走り抜けてきた通路の壁から幾重にも岩作りの壁が生えて塞がれていく。


 奥に霞んで見えた祭壇が見えなくなり、追いかけてきた巨大な蜘蛛の数が視界から減る。三十匹、十五匹、六匹、四匹、二匹――爪先が洞窟から出そうになった最後の蜘蛛を下方から生成した岩壁でひっくり返し――どうにか、閉じ込めることができた。


 蜥蜴の獣人は黄金を血走らせながら瞳を細め、ひと息に魔力補給瓶(ポーション)をあおる。


 口の端から溢れた分を拭い飲み込む。「しゅるる」と口癖がこぼれた。

 クレマスマーグ・サンゲイザーは、引きつった笑みを浮かべる。


 ガリガリガリガリと、塞いだ岩蔵の内から蟲がうごめく嫌な音は止まない。が、十数秒の時間稼ぎにはなるらしい。


「……おいおい、どうするよ針鼠」


 地面が僅かに揺れる。


 結界術と即席の土壁とでは、鉄塊の壁一枚と重ねた瓦ほどの強度の差がある――即席の土壁で耐えられる時間など、たかが知れていた。


 鼠顔を背中に回し、ハーミット・ヘッジホッグが琥珀の目を開く。

 腕の中で息を浅くしているラエル・イゥルポテーが気を失ったのはつい先程だ。


 ハーミットは慣れた手つきで傷の状態を確認する。


 ――左鳩尾から斜め下に向け、深い裂傷。


 初撃を受けた時点で、心臓の左下を蟲爪が貫通していたらしい。咄嗟の判断で距離を取り離脱を選択したが、あのまま爪を引き落とされていたらと思うとぞっとする。


(傷口に血液凝結の阻害なし、消化器官、呼吸器官共に重度な損傷見られず――心臓もぎりぎり無事みたいだ。動脈と神経系が心配だな)


 ハーミットはラエルの応急処置を終えると、サンゲイザーにもう一本魔力補給瓶(ポーション)を投げ、先の質問に言葉を選んだ。


 確か、「どうするよ」とのことだったが。


「……んー。人命優先(おてあげ)かなぁ」

「しゅるるるるるる!!」


 蜥蜴の獣人は今しがた塞いだ岩穴から視線を外さないまま、二本目の栓を引き抜く。

 引きつった顔を戻すことは容易ではないらしい。再び口の端から零れた液を舌先で掬う。


「茶化すな。普通にオレらまで命の危機なんだぞマジ信じられねぇ。そもそも紫目っ娘が飛び出さなきゃすんだ話だがなぁ!! 監視対象に首輪のひとつも着けねぇとか魔導王国の平和ボケにも拍車がかかってんなぁ!?」

「ははは。何を言っているんだサンゲイザー、首輪ならついているだろう? ここに!」

着いて居る(・・・・・)ってか? ……まっっったく機能してねぇじゃねぇかよ!! 機能してんなら不満なんか持たねぇよ!!」


 蜥蜴の獣人は言って、後方へ瓶を放り投げる。

 堀のようになった水面を崩した空瓶が、二本の水柱を立てた。


「っち、しかも最後の最後に胸糞悪くなること言いやがって寝落ちかよ辛抱ならねぇ、何が何でも再起させて事情を吐かせろよ針鼠……!! それともなんだ、アンタは例に及んで全部読んでた(・・・・)とでもいうのか!?」

「ノーコメントだ。雑談の時間が惜しい」

「雑談で悪かったな!! それで、助かる見込みはあるのか」


 染みわたる魔力に冷静さを取り戻したのか、蜥蜴の獣人が苦々しく口を開く。この場に居る三人の中で最も心身ともに重傷を負っているのは黒髪の少女に間違いない。


 だから――眉間をひそめながらも、ハーミットは平静を保っている。


「五分五分だね。毒の心配はないと思うけど、傷口が広いから出血が多い。動脈が切れてないとも限らないし」


 金髪少年は少女を慎重に抱え上げるとサンゲイザーの前に立った。


「できることはした、残りは本職に任せよう。サンゲイザー、ラエルをツァツリーさんのところに連れて行って欲しい。できるか?」


 琥珀の眼は濁り、黄金の眼を見据える。

 蜥蜴の獣人は歯を軋ませると、無理矢理に口角を吊りあげた。


「おい、ひとこと多いぞ。『跳痺の牙』だぞ、余裕だ余裕!!」

「ああ、頼む。俺は蟲の相手をした後に向かうからさ。そうだ、通った橋は全部落としてくれよ? そうじゃなきゃ蟲がそっちに行きかねない」

「……ちっ、テメェこそ必ず追いつけよ!? オレがあいつらをまとめるとか無理だからな!?」

「あぁ、言われなくても。容易に死なないことだけが、俺の数少ない長所だからね」


 返事をしながら血に濡れた手袋を脱ぎ捨てる。茶手袋の下に着けていた戦闘用の赤いロンググローブが、鞄に仕舞い込んでいた一本の(つるぎ)を引き抜く。


 片刃の両手剣、強欲なるもの(グリーディ・カース)


 相手を殺さず、無力化することに特化した呪いの品。

 これが、ハーミットが持つ中で最大威力の武器だ。


(……問題は、「俺」だよな)


 塞いだ岩穴から伝わる振動は次第に激しさを増している。最後の壁が破られるのも時間の問題――祭壇に現れた大蜘蛛が加勢せずとも、間もなく突破されてしまうだろう。


 そうなれば、この村はどうなるだろうか。

 そもそも、この村が閑散としている理由は「これ」なのでは?


 巨大な蜘蛛の大群が濁流となり、固い甲羅が全てを押し流していく――そんな光景が脳裏を過ぎる。


 片腕に少女を抱えて腕に槍を持ち直したサンゲイザーは指示された通りに、前方と後方へかかった橋を渡れなくなるほど破壊すると後方へ駆けて行った。


 ハーミットは鼠顔を被り直し、硝子の視界で足場を把握する。


 岩穴の前にあった浮島の上が現在地点だ。

 前方には蟲が這い出る穴がひとつ。眼前と後方には深さの分からない水の堀。


(こちらの体力が尽きるのが先か、あちらが諦めるのが先か)


 ――破裂音と共に壁が崩れる。


 本能的に、自らの命を保障しなければならないと自覚する。


 洞窟から出てきた蜘蛛は一匹一匹が金髪少年と同等かそれ以上の大きさをしている。多対一では、先程のように抑え込まれてしまうだろう。


 しかし蟲たちは、壊された橋を前に足を止めているようだった。


(やっぱり水は苦手か。「蟲」だもんな)


 少年の故郷でも、泳げる虫の種類は限られていた。身体の大きさを利用し、表面張力や油を利用して浮くものも居たが、目の前にしている蜘蛛の身体は重く、水に浮くほど軽くはない。


 だとしたら勝機はある。

 そう思いながらも、少年は剣を構えた。


 岩の壁をよじ登り、高所で足踏みをする個体が居る。


 関節を曲げ、身を低くし、まるで極限まで溜めるような姿勢から、ピョンと跳ぶ。

 すると、他の蟲も同じように身を低くして各々飛び跳ね始めた。


 先程の戦闘が堪えていないばかりか準備運動に似たその動作に、ハーミットは思わず顔を引きつらせる。


(あー、そうか。道がないならないなりに、移動の手段を用意していると……まあ、そうだよな。相手も俺たちと同じ生物だ、能がある)


 それなら、この展開すらも想定内ということだろうか?


 橋を落として退路を断った者の相手をしつつ、逃げた人間の後を追う計画性。


 機動性と数の理を利用した獲物の追い立て方。


 獲物が罠にかからずとも、そのことを利用して狩りをする方法はある。


 あの人型を取り込んだ蟲が司令塔であるなら、指令時に人間に似た思考が適応されていても不思議ではないのでは――。


「はは……いくらなんでも、獲物ひとつに執着しすぎじゃあないか?」


 顔面の引きつりを抑えられないまま、ハーミットが剣を振り抜く。

 飛びかかってきた蟲は、着地も叶わず千切れて吹き飛んだ。







 蟲の正体。祈りの根元。

 答えを待たず(ページ)は進む。





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