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247枚目 「渓谷と決断」


 夜。


 暗くなってから川を渡るのは危険だということで野営をすることにした一行は、代わる代わる火の見張りをしながら一夜を明かすことになった。


 河原の石で組んだかまどを前に、鼠顔を外したハーミットが木片を投げる。


 風に揺らぐ火だけが影の先を知っている。

 白い岩肌には時折、黒と赤のストライプが映し出されていた。


「……」


 落水後にも拘らず松明の油が保ったことを考えると、今日は探索を始めて一日目の夜だろう。

 アクシデントはあれど順調に進んでいることを喜ぶべきか、更に警戒を強めるべきか。


(あの洞窟、最初はスターリングが掘ったものだとばかり思っていたんだけどな……)


 序盤にあった文様の特徴はイシクブールでアステルが見せた意匠と一致していた。


 地底湖に落ちた時は晶砂岩の装身具が原因でトラップを作動させたと考えていたが、キーナとグリッタの話によれば開け方を知る者には難しくない仕掛けだったともいう。


 つまり、知識がある人間なら通れるように作られていた、ということになる。

 バクハイムの村民に知られていなかっただけで、あの道は昔からあるものなのだろう。


(祭壇の件もあって骨守の本村は閉鎖的だと聞いてきたけど、別に連絡通路があるなら話は変わる。本村とバクハイムを行き来したり、一方に移り住むことも可能だったはずだ)


 しかしその場合、骨守の教えには逆らうことになってしまう。


 本村との関わりに消極的で、ただでさえ結界を開かねばイシクブールとも行き来できないバクハイムだ。本村から逃げるにせよ移り住むにせよ、そんな袋小路の村に逃げるより、もっと別の場所に行こうとするんじゃあないだろうか。


 山中か。砂漠か。海か。


「……」


 「それ」ができない理由があるのか。積極的に「そう」したから今があるのか――知り得た情報でハーミットが考察できるのはここまでだった。


 ハーミットは乾燥した琥珀の目をぎゅっとつぶって、わざとらしく伸びをする。

 影絵になった金髪少年に近づく人影は、うねり髪を低い位置で結えた黒髪の少女だった。


 暗い影に落ちた紫色は、焚き火の灯りで黒く反射する。


 ラエルが感情欠損(ハートロス)になる以前の瞳の色をハーミットは知らないが、いま目にしている空のような黒色だったのだろうか。


「交替にはまだ早いんじゃないかな。しっかり寝ておかないと明日に響くよ」

「ええ。分かってはいるけれど、眠れなくて」


 ラエルはそう言って、力無く微笑んだ。

 ハーミットは鞄から椅子を一つ引っ張り出すと河原に置く。


 湿気を吸った焚き木が火の粉を散らしている。火の周囲は星が読めなくなる程度の明るさしかないが、獣避けには十分だ。


 ラエルは暫く火の揺らめくさまを眺めていたが、ふと口を開いた。


「ハーミットは、どうして魔導王国で働こうって思ったの?」

「……成り行きが半分、思想への賛同が半分ってところだね」


 琥珀は火を映したまま、濁ることなく照らされる。


「拾われるまでにも色々あったけど、結局は自分の意思だ。……ただ、選んだのは信念と仕事だけでね。四天王になりたかったわけじゃあない」

「そうなの?」

「あぁ」


 知識。経験。信用。人脈。人望。

 実力。実績。資金。発言力。権力。


 自らに課した仕事のクオリティを維持する為に必要なことは山ほどあって、それは到底短期間で会得できるものではなかった。


 一人で居ては――誰も救えなかった。


「より多くを拾うためには、()()()()()()()必要だと説得される内に、俺の知らない所で話が進んでいてね。つまりは王様に嵌められたわけだよ。あれよあれよと担ぎ上げられて、気づけば『強欲』の名を割り振られていた」

「……」

「ラエルはどう?」

「え」

「君は、君が望む結末を手に入れた後に王様に話をすると言ったけど。……話をした後、何をしたいと思っている?」


 ハーミットが木片を一つ投げ込む。

 かまどの内で舞い上がる火の粉にラエルは目を細めた。


 彼女にとって、魔王と話すことは罪の告白と同義である。


 例え生き残るためにしたことだったとしても、その証拠が残っていなくとも。ラエルはあの日のことを忘れられない――だからこれは多分、叶わない願いごとだ。それはハーミットも承知の上だろう。


 強欲な彼が幾ら望もうと、裁量の判断は魔王の手の内にある。


(それなら。とびきりの無理を言っても許されるんじゃないかって)


 ラエルは前方にそびえたつ谷肌を見上げる。

 夜空色の髪が風を孕み、欲を零さぬように口の端を抑えた。


「……白砂漠に行きたいわ。死ぬ前にもう一度、砂魚を食べたいの」


 言いながら水筒を手にしたかと思えば、誤魔化すように喉を鳴らす。


 ハーミットは目を丸くして、それから笑った。







 晶砂岩の山脈竜の尾骨(ドラゴン・コックス)の深い谷で、かまどを作り焚き火をすること二回。

 洞窟探索開始から三日目になってようやく、一行は先へ続く道を発見した。


 河原を踏みしめて崖肌の穴を覗き込めば、そう遠くない距離に光が見える。


 人が通るのに十分な高さと広さ。壁の彫り痕を見るに、人為的なものとみて間違いなさそうだった。一行はノワールに偵察を任せ、報告を待つ為に待機を選択した。


 石を集めてかまどを作り、最後の野営準備に入ったところでハーミットが口を開く。


 ここまで順調に来ている割に鼠顔の声音はあまり明るいものではなかったので、その場にいた全員が作業の手を止めて振り返ることになった。


「さて。ここまで谷を東へやってきたけど、海に落ちる滝が目の前で他に道らしきものもない。詳しいことはノワールの報告待ちだけど――」

「この道を抜けたら、本村なのね」

「……その可能性は高いね。気持ちは分かるけど、焦らないように」

「ええ」


 ラエルは何処か落ち着かないまま答えて、背中に回した指を絡める。ようやく辿り着いたという喜びと、現状への不安とがない交ぜになっているようすだった。


 彼女が躊躇うのも無理はない。キーナとグリッタが使った通路が塞がっていなければ、彼らは一度バクハイムに引き返すことを選択していただろう。


 というのも――地底湖に落ちた後に気を失った、レーテの意識が戻らないのだ。


 呼吸は安定しているし、ツァツリーの診断にも穴はない。

 外傷も内傷もなく、瞳孔や反射反応に異常があるわけでもない。


 それでも目覚めない。

 彼は落水してから三日間、眠り続けている。


「しゅるるる。それなら運搬役はオレと白魔術士との三名になるだろうなぁ。この二人を無事に連れ帰らなきゃ首が危ういのはオレらだろ」

「……それはそうですが。移動する間に更に瓦礫が降ったらどうしますか。最悪。引き返した全員が生き埋めになりかねません」

「それでも、あの地底湖をのぼるよりは現実的だと思うよ。ただし、もしそうなったとして。俺には三人を護衛するだけの実力がない」

「私たちではなく。ラエルさんを含めての三人ですか」

「そうだ。君たち二人を外した四人で本村へ行くことはリスクがありすぎる。だから、別れて行動する選択肢はない。戻るなら()()()引き返す」


 針鼠が、きっぱりと口にする。

 丸三日かけて辿り着いた異変の鍵と人命を、彼は天秤にかけて判断した。


 しばらく沈黙が続き、水色の手袋が上がった。


「そうなった場合、私は残らせてもらうわ」


 紫の目が、硝子玉を射抜く。


「蟲のことだって、元は私一人の問題だもの。復讐も報復も、他の誰に任せたいとも邪魔されたいとも思わない。ここに辿り着くまでだって、お互いの利害が一致しただけでしょう」

「……」

「もし貴方が邪魔をするなら、『霹靂(フルミネート)』をうち込むだけの話よ」

「それは、困るな」

「ええ。私だって、貴方を敵に回すのはどうかと思ってる」


 どうかとは思っているが、それ自体は躊躇いの理由にはならない。


 恐怖感情がないラエルにとって、ハーミットを敵に回した場合に危惧するのは「痛みを伴うか否か」の一点だけだ。言い換えるなら「多少我慢すればいい」。元より、関係の継続に興味はないのだ。


 居心地が良くても、笑いあえても。嫌われたくなくても。

 コミュニティから離脱すること自体に恐怖はない。切り捨てることができる。


 それでもラエルが強行突破しようと思わなかったのは、この数か月で知り得た知識と観察が実を結んだ結果だった。


 ……とはいえ、これは他者を慮る余裕があるからこその発言だ。


 一つの枝が永遠に同じ実を成らせることはない。

 実が落ちる前にことを決めなければならない現実は、変えようがないが。


「……ちょっと待ってくれよ。どうして今になって険悪になる必要があるのさ? 確かにレーテじいちゃんは心配だけど、どうするか決めるのは伝書蝙蝠が戻って来てからでも遅くないだろ」

「キー坊」

「ハーミットさんも、ラエルさんの味方なんじゃなかったのかよ」

「キー坊。気持ちは分からんでもないが人命が優先だ。それに、お兄さんたちがここに来ちまったことも原因の一つだ。そうでなきゃ、こうも悩まないだろう」

「……それは、そうだけど。だ、だったらどうして。レーテじいちゃんは良くて、僕らの同行は拒否したんだよ……」

「…………」


 グリッタは黙って、キーナの腕を掴む力を強くする。

 商人は灰髪の少年がより生き残る可能性に賭けるつもりでいるようだ。


 構成員の今後を左右するサンゲイザーと、彼を生きて連れ帰る必要があるツァツリーは一蓮托生だが、気を失っているレーテの治療には白魔術士が必須である。


 ラエルはこの先にある目的を諦められない事情があるし、何よりハーミット自身が黒髪の少女を一人にできないと考えている。この流れで行けば意見の衝突は必至だった。


 キーナが言う通り、偵察に行った蝙蝠の言を待つしかない。


 ペグ式カンテラを石の間に突き刺し、風を避ける陣を組む。

 偵察に行った蝙蝠が戻って来たのは日が暮れた後のことだった。


 眉間に皺を寄せた蝙蝠の第一声は引き気味の『うわぁ……』だったことは言うまでもない。

 同調(リンク)を使用した意志共有によって状況を把握したノワールは、剣呑な目をそのままにラエルの隣に足を留めた。


『なにしてるんです貴方たち。これしきのストレスで(おのれ)見失ってんじゃねぇですよ。ノワールの働きを無為に帰すつもりです?』

「あ……えっと、ごめんなさい。空気が悪いのはおおよそ私のわがままのせいで……」

『違うです全員が悪い。大体把握したです。主に針鼠がはっきりしないのが悪い。ついでに意見表明しておきますがノワールはラエルの味方です、他は知りません』

「え? え、っと、ありがとう……?」

『です』


 円を描くように腰を下ろした一行の横、陣を構成しているものとは別のカンテラに足を留めると、焚き火から目を逸らすように黒い瞳を閉じる。


『良い知らせと悪い知らせがあるです』

「……良い知らせから聞こうか」

『です。人の足で洞窟を抜けるのにかかる時間は半刻ほどでしょう、上向きの傾斜があるですが障害物もトラップもありません。もっと言えば、抜けた先にある集落は本村と呼称される区域であると見て間違いなさそうです』

「!」


 立ち上がりかけたラエルをハーミットが制する。

 良い知らせだけを鵜呑みにして飛び出しても益はない。黒髪の少女は複雑そうな顔をして腰を下ろした。


「悪い知らせは?」

『通路を抜けた先が一方通行の崖になっているです。梯子がなければ戻るのは難しいかと。あと、ひと気はないですが生活の痕跡があるです。少なくとも数人は住んでいるかと思うです』

「敵か味方かは分からなかったんだな」

『姿さえ捉えられればノワールにも分があるですが、気配がないことには話にならないです。あと、見過ごせないことがあったです。……聞くです?』


 蝙蝠の発言に、鼠頭の内側で眉間の皺が深くなる。


「今更確認をとるのか?」

『聞いたら、貴方は引き返せなくなるです』


 飴色から黄色へ変わった蝙蝠の目が、ハーミットへ向けられる。


 ノワールから警告を貰うことは珍しくない。珍しくないが、胸騒ぎがする。

 ハーミットは、ここで聞かずに判断を下すことが正しいとは思えなかった。


「……聞こう」

『です』


 この場に居合わせた中で、ノワールが同調(リンク)で真意を知ることができないのは針鼠だけだ――伝書蝙蝠は、その言葉を待っていた。


『先に行ったという人物かはわからないですが、ご丁寧に上着が枝に引っ掛けてあったです。見知ったサンドクォーツク所属の衛兵のもので間違いないです』


 その言葉に、ハーミットの動きがぴたりと止まった。


 一方、ラエルを含めた五人は首を傾げる。

 イシクブールならともかくサンドクォーツクの話題など、ここまで少しも出てこなかったからだ。


「……サンドクォーツクの衛兵? どうしてここに船都市の人が?」

『さあ。ノワールに聞かれても、です。ひとつ確かなのは、それが木に提げられたのは最近だろうということです。トドメに悪い知らせがもう一つ』


 蝙蝠は報告を続け、皮膜を舌でつつく。


『匂いを辿った先に明らかに魔力が濃い場所があったです。結界を施していただろう魔術陣が破壊された痕跡あり、衛兵の匂いがそこで途切れていたです』

「……」

『というか、あんなの放置してたら何が沸いたものか分からんです。一人か二人でも残って対処しないと、近い内に人里に影響がでること必至です』

「猶予は?」

『バクハイムへの影響で判断したならひと月前後、乗り込んだだろう人物と本村に居住している人物たちの安否を優先するなら今日明日にでも、です』

「罠の可能性は?」

『五分五分でしょう。ただ、衛兵がこちらを誘い込もうとした可能性は低いと思うです』

「……」

『どうするです。ハーミット』


 一人の命か、多くの命か。


 第三大陸は魔導王国の配下にある。立場的にも、実力的にも、この場にいる誰よりも発言力が強いのは四天王のハーミット・ヘッジホッグだ。


 全員の視線が針鼠の少年に注がれる。


 決意を固める少年が居れば、不安を隠さない白魔術士も居る。

 決定に従うとばかりに受け身な獣人も居れば、最後まで迷うつもりの商人が居る。


 最初から最後まで、意見を変えるつもりがない少女が居る。

 最後の最後まで、見届けるつもりの蝙蝠が居る。


 ……目覚めない者も。


 四天王強欲は、決断を迫られた。


「…………できるなら。本村の異変の調査を継続、原因の対処を優先したい」


 針鼠は、苦悶しながら言葉を絞り出した。

 これで。どう転んでも、引き返すことはできない。


 ラエルはともかく、一般人であるキーナやレーテを巻き込んででも解決を優先しなければならなくなった――それは、ハーミットが強欲である故に。


 押し黙ってしまった針鼠の少年に、しばらく誰も声をかけることはしなかった。本村へ行くという目的の為にここまでやってきた黒髪の少女ですら、何も言葉をかけられなかった。


 そんな中、静寂を裂くように白魔術士が口を開く。


 何処までも感情を潜めた、聞く人によれば無関心とも無感動ともとられそうな声音と口調のまま、彼女だけは変わらずに言葉を紡いだ。


「強欲さま。レーテさんの容態は一刻を争うものではありません。バクハイムへ引き返すよりも早く安静にできる場所があるなら。まずは河原や岩肌以外の寝床を用意するなどして安全を確保したいというのが本音です」

「……ツァツリーさん」

『先の村には使われてなさそうな住居があったです。使えるものは使うです』

「ありがとうございます。そうさせて頂きます」


 ツァツリーは答えると、いち早く荷物の整理を始めた。

 何時でも発てるように、何時でも武器を構えられるように。


 ハーミットはそれを見て、一度目を閉じて、深呼吸する。


 決めたのなら。しっかりしなければいけない。

 ラエルの真似をして、頬をぺしりと叩いた。


「レーテさんの治療はツァツリーさんに任せます。サンゲイザーは彼女を気にかけていてほしい。意識がない人の補助は力仕事なんだ、頼まれてくれるか」


 ハーミットの声に「しゅるるるる」と、蜥蜴なりの返事が返ってきた。

 白魔術士もまた、レーテの脈をとりながら力強く頷く。


「グリッタさんは、キーナくんを見ていてほしい。この先何があっても、目を離さないように」


 次に声をかけられたグリッタとキーナは顔を見合わせて、針鼠の言葉に二度見する。 


「え。僕たちも行っていいの!?」

「ここに置いていくことができないからね。今は襲ってこないけど、この渓谷は三つ首鷹(スリーヘッドホーク)の巣の真下だ。人数が減った時にどうなるかまで保障できない」

「ひぇ」

「グリッタさん。頼めますか」

「……おう。任せてくれ」

「お願いします」


 針鼠の少年は一度全員に頭を下げると、最後に黒髪の少女の方へ向き直る。

 ラエルは膝に蝙蝠をのせ、首元に指を埋めては甘噛みをされていた。


 紫目は、ゆっくりと硝子の瞳を射る。


「……ラエル。俺は」

「私は大丈夫。貴方の信念は嫌いじゃあないから」


 それに。と、黒髪の少女は言葉を続ける。


 焚き火の揺らぎに応じて暗く、熱が浮かぶ。

 情熱とは呼び難い、期待と諦めの入り混じった、紫目。


 花が咲くようにそれを歪めてみせる。


「例え間に合わなかったとしても、受け入れる覚悟はできているわ」


 ラエルは言って、にこりとした。


 ハーミットは何も言えず、相槌を返すことしかできなかった。


 出発は明朝に決まった。

 川の流れる音が、耳について消えない夜だった。





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