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245枚目 「水玉宿なしカラコール」


 時間は少し遡り、ハーミットとサンゲイザーが焚き木を片づけて探索を再開したころ。

 洞窟内では別の通路を使って踏破を試みる人影が二つあった。


 ぼたっ。と、湿り気のある嫌な音が追いかけている。


「……獣対策で静かに探索するのは、洞窟潜りの鉄則だぞ……!?」

「わ――かった、分かったから、僕のせいでこうなってるのは分かってるから!!」

「あーもう叫ぶな……! 頼むからお兄さんが守れる範囲に居てくれよ!」


 紐で固定された革靴が踵を返し、脳天に覆いかぶさろうとした殻なしの貝を長剣が切り裂く。人の頭ほどある巨大な腹足の身体がぼとりと地面に落ちて蠢いた。


 天井から落ちてきたそれを器用に避け、叫びそうになる口元を抑えた少年は引きつった笑みを浮かべた。


 岩肌にひっくり返ったぬめりけのある軟体生物には浅い斬撃が刻まれている。


「こ、こいつら、切ったら死ぬの?」

「いいや、大抵の傷は時間をかけて完治するし、切り分けようものなら核ごと分裂する」

「うげぇ」

「実物を見るのは初めてか?」

「う、うん。というか、図鑑だと大きさとか質感とか全然……うっわぁ……」

「色々寄って来るからなぁ、後先考えずに吐いたりしない方がいいぞ?」

「うぇ、難しいことを」

「!」


 降って来たそれを再び振り払い、身体にあたらぬよう岩肌へ落とす。

 これらの粘液は厄介だ。刃が滑る上に、地面に落ちれば足元が滑りやすくなる。


 尻もちをつくだけで済むならまだしも、岩に頭を強く打ちつけた日には即死の可能性だってある――洞窟に潜る者にとって、軟体生物カラコールは警戒に値する生物なのだ。


 長剣を振り、手元にした布で粘液を拭き取る。それでも鞘に戻すのを躊躇うほどだった。


「こりゃあ、洗うまで抜き身のままだなぁ」

「……水が必要なのか? それなら集めればいいだろ?」

「ん?」

「僕はキニーネ・スカルペッロ=ラールギロス――『水玉拾い(ポイス・ラクロッタ)』」


 音を立てて開かれた魔術書――灰髪の少年は、指揮棒型の杖を手にする。

 あっという間に魔力が渦巻き、抱えるほどの大きさの水球が目の前に発現した。


 洞窟のあちこちから集められたらしい水の塊を前に得意げにする顔を見て、長剣を持ったカフス売りは一人頭を抱えた。


 この少年はさっきからずっと、もみあげを弄る暇もバンダナを直す隙も与えてくれない。


「キー坊。ひとつ憶えていてほしいことがある」

「え?」

「カラコールが天井に貼り付いていられるのは、空気中にほどよい湿気があるからなんだぞ」


 ぼたっ。


「……」

「……」


 ぼたぼた。ぼたぼたぼたぼた。


 ぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼたぼた――――







 ……そういう経緯で、身構えた針鼠と蜥蜴の前に現れたのは見慣れぬ手袋を嵌めた灰髪の少年だった。カラコールの腹足を顔面に受け止め、全身どろどろになった有様からは最早、次代スカルペッロ当主候補の面影がなかった。


「あ!? 光か!? 誰かそこに居るのか!? 助けてくれー!!」

「……えっと、キーナくんで間違いない、よね?」

「その声は!! ちょ、剥がれろって、ぶあっは!!」


 べり、と若干乾いた音を立ててカラコールが苔の上に落ちる。


 粘液に塗れた青灰の瞳が、どうにか片目だけ開いた。呆然と武器をおさめる針鼠を目にすると不安やら恐怖やらが吹っ飛んだようで満面の笑みを浮かべた。


「やっぱり針鼠の四天王じゃないか!! って、うっわぁすっげぇ生臭い」

「少し見ない間に凄いことになってるね……水魔術でも使ったのか?」

「よく分かるね? まだ説明もしてないのに」

「キーナくん水系統得意そうだし、カラコールから水を取り上げるのは悪手だからね」


 身体に張りついたそれを一匹ずつ引っぺがしてあげながら、苦笑を隠さずハーミットが言う。

 キーナはされるままにカラコールから解放されてようやく両目を開くと、残ったネバネバを指で摘まんで外しながら周囲を見回した。そこでようやく、蜥蜴と目があう。


「あ。サンゲイザーも居たんだな。ラエルさんとかは?」

「しゅるるるる! 色々あってはぐれちまってなぁ。合流する為に探索中だ」

「なるほど」

「成程じゃあない。どうしてここに居るんだキーナくん」

「ど、どうしてって。一度断られたぐらいで諦めてたら商家をやっていけないだろ」


 もはや粘液を取り払うことを諦めたのか、キーナは腕に抱き直したカラコールを指でぷにぷにとする。

 見た目は可愛らしいかも知れないが、無駄に刺激を与えると毒素を吐く個体がいる事実を知らないらしい。ハーミットとサンゲイザーが無言でカラコールを取り上げた。


 子ども扱いされていると感じたのか、灰髪の少年は「むすり」とした。

 サンゲイザーは軟体生物を遠くに投げ、キーナのようすに片眉を上げる。


「服が濡れていないっつぅことは、地底湖を経由してここに来たわけじゃあないんだな」

「地底湖? 川ならあったけど。教えてもらった道と方法を使って、ここまで歩いてきたんだ。まさか晶砂岩の装身具を捧げなきゃ通れないとは思わなかったけどさ」


 キーナはため息をつく。所有物を失った悲しみにくれるというよりは、持っていた装身具の価値と現状を天秤にのせてはぐらぐらと揺らしているらしい。


 ハーミットは鼠顔の内側、眉根を寄せて笑う。


「そうかー。うん、そうかそうか。ということは十中八九絡んでいるよなぁ」

「?」

「はぁ……やっぱり、遭遇と同時に無力化しておくべきだった……!!」


 この洞窟の入り口をハーミットらに教えたのは、あの自称絵描きである。


 「白の許し」の正しい使い方を知っていてもおかしくはないし、禁書を駆使すればレーテにそうしたように思考や行動を誘導することも難しくないのだろう。


(にしても、レーテさんに加えてキーナくんまで巻き込むとは……あの人、一体何を考えているんだ?)


「もしかして、ハーミットさんはリグさんと知り合いなわけ?」

「……………………まあ、うん。知り合いだよ」

「めっちゃ間があったけど」

「嘘は言ってないよ。犯罪者と役人の関係だけどさ」


 針鼠の言葉にキーナとサンゲイザーは首を傾げる。物見台でレーテたちに話をした時と同じように、認識阻害魔術の影響で情報が上手く伝わらないのだろう。


(キーナくんはともかく、サンゲイザーは実際に取引をした相手だろうから、もしかしたらとは思っていたんだけどな……面会の時も剪定中に聞いた時も、釈然としないみたいだったし)


 どちらにせよ、この場に居ない相手の話題を出してもしょうがない。


「キーナくん」

「おう」

「どうして危険だと分かっていて追いかけてきたんだ。何か理由があるんだろう?」

「……聞きたいことがあったんだよ、ハーミットさんに。だけどずっと忙しそうにしてるからさ。仕事ってやつが終わったら、時間を貰いたいと思って……」

「思って?」

「……待ち切れなかったんだよ」


 仕事が終わらなければ時間が貰えない。

 なら、仕事が早く終わるように手助けすればいい――と、キーナは考えたらしい。


「ああ、でも。流石に危険だって言われたから僕も少しは考えたんだよ? どうにか危険じゃない方法で手助けができないかな、ってさ。それで、たまたまグリッタさんと話してたリグさんに流れで相談して」

「……リグって人が、グリッタさんと?」

「うん。条件がどうのって言ってたけど、グリッタさんの交渉力のお蔭で、僕はここにいるというわけ」


 お守り代わりに貰ったという手袋をひらひらさせ、道中で帽子と眼鏡を失くしたらしいキーナは「なんのことはない」と笑って見せる。


 ハーミットは乾いた笑いを零しつつ、鼠顔の内側で琥珀を濁らせる。

 その肩をサンゲイザーがこづく。キーナの方からは見えない位置だった。


「くくっ。おい、例の商人と合流するまでに声を整えておけよ。得意分野なんだろう?」

「……勿論。そうじゃなきゃやってられないからね」


 グリッタに真意を問う必要がある。だがまずは一般人であるキーナの安全確保と、はぐれた三人との合流、洞窟からの脱出が最優先だ。感情に引き摺られて目下の問題を忘れてはいけない。


 それに、二つ目の足音がこちらに辿り着くまでにはまだ距離があるらしい。


「キーナくん。俺に聞きたいことって?」

「え?」

「ほら、即答できるものかもしれないだろう」


 そして、あわよくば村に引き返して貰いたい。

 針鼠の心の声でも聞こえたのか、青灰の目が歪む。


 しかしキーナとしては願ってもいないチャンスだ。これを逃せば、本当に「仕事」が終わるまで待たされて聞けないままになってしまうかもしれないのだから。


「蚤の市の時にさ、ハーミットさんが僕を解術したよね」

「……ああ」

「あの時、ネオンのこと以外の記憶も取り戻したんだ。魔導戦争の時のこととか、父親のこととか、さ」


 灰髪に絡んだ粘液を外す手を下ろし、キーナは腹の前で指を組んだ。


「シンビオージで反転が起きた時、僕の目の前で父親とネオンが言い争ってたんだけど……その場に勇者一行の聖女が居合わせていたんだ。ハーミットさんは魔導王国の人だけど、同じような金髪だし……何か知ってるのかなぁ、って」


 言いながら、ポカンと立ち尽くす針鼠を見た灰髪の少年は、バツが悪そうに視線を逸らす。


「――期待してたんだけど。反応が薄いなぁ」

「あぁ、いや。魔導王国に勤めている以上、聖女の存在はそれとなく知っているけども……血縁とかは、拾われた身だから詳しいことは分からないな。夢のある話だとは思うけど、あんまり力にはなれそうにない……」

「あー、そっかー、空ぶりかー」


 勇者疑惑をふっかけた時と合わせ、キーナが疑いをかけるのはこれで二回目である。

 髪から粘液を引き剥がしつつ、灰髪の少年は半ば諦めながら指を一本だけ立てて見せた。


「じゃあもう一つだけ。大人二人が真剣な顔で胸ぐら掴み合って喧嘩する様子を、傍で笑ってみていられるのって、どう思う?」

「……性格が、悪いなぁと思う……」

「それ、聖女の話か? 加虐趣味が過ぎねぇ?」


 キーナは二人の反応を見て、困り眉を寄せながら苦笑した。


「うーん、そうなんだよなぁ。記憶自体を見せられたらいいんだけど、もうおぼろげで口から下しか覚えてないし、六年以上前のことだし」


 キーナは鼻頭に指を持っていくと、眼鏡がないことを思い出して腕を下げる。


「答えてくれてありがとう。僕が聞きたかったのはこれだけなんだ――ただ、帰り方が分からないから一人で戻るのは無理だし。だから断られても着いていくつもりでいる!!」

「……そ、そうなのか……」

「しゅるるるるる!!」


 サンゲイザーがハーミットの肩を叩き、首を横に振る。

 ハーミットは振り向かずにそれを払うと、もう一つの足音の方に意識を向けた。


「……そういえばグリッタさんは?」

「商人のおっさんなら、カラコールに降られながら大蛇に絡まれて乱闘してるはずだけど」

「それを先に言ってくれ!!」

「だから最初に言ったじゃん。助けてって」

「カラコールまみれの人が助けを求めてきたら、そりゃあカラコール絡みだと思うに決まってるだろう!?」


 話している間にも、グリッタらしき人物の足音はどんどん距離を詰めてくる。

 キーナが飛び出てきた通路の方を振り返ると、カフス売りが腰を庇いながらこちらへと飛び出てきた。


 長剣テレケーを片手に前転着地を成功させたグリッタは、右左と安全を確認して視界に入ったキーナの無事を確認すると、歯をぎしりと噛み合わせて無理矢理笑みを作る。

 しかし同時にハーミットとサンゲイザーまでもが居ることに気がついて、赤い顔が青くなったんだか紫になったんだか――。


「き、キー坊!! 無事かぁ!?」

「あ。商人のおっさーん!! 聞きたいことは聞けたけど空振りだったぁー!!」

「……はぁ!? ううん!? え、それじゃあお兄さん、もう帰ってもいいか!?」

「いやいや、道中天井が落ちたの見ただろ? 引き返すのは無理だって!」


 けらけらと笑うキーナに、冷や汗全開のグリッタが悲壮に顔を歪めた。


 再会と同時に何から咎めたものか考えていたハーミットは若干の同情を抱くと共に、更に近づく気配に眉間の皺を深くした。詰問や説教は後回しである。


 腰に提げたナイフを引き抜き、背中の針を逆立たせる。


「あー……先が思いやられる……」

「しゅるるる! 何をぶつくさいってるんだ、さっさと刻んで先に進むぞ」


 野郎ばかり四人が、各々武器や魔術書を手にして鎌首をもたげた斑蛇に身構える。

 闘争心に早鐘を打つ心臓の内、鼠顔のそれだけが異様なまでに静かだった。





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