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242枚目 「薪を添う」


 ラエルとハーミットがバクハイムにやってきて九日目の朝。


 ハーミットはマツカサ工房とのやり取りを終え、刃こぼれを直してもらった支給ナイフをラエルに手渡した。


 通信鏡は引き出しの箱(ドロワーボックス)搭載の鞄に入れておくにしても、この先で魔法具が使えるかは分からない。

 浮島の魔法具技師は大眼鏡越しに悲壮な顔をしながら別れを告げた。今生の別れというわけでもないのに、女性が絡むと大げさになるのはいつものことだった。


 ラエルは手持ち荷物にした食料と簡易寝床とを腰に括りつけ、すっかりお馴染みになった受け流す壁(パリング)搭載のゴーグルーを(ひたい)にする。


「……昨日一日、忙しすぎて特に気にしていなかったけれど。貴方たちが装備補充の時点で当然のように同行前提で話を進めたのには驚いたわ」


 装備確認を終えたラエルが顔を上げると、そこには白魔術士ガルバ・ツァツリーの姿があった。黒髪の少女と同じくゴーグルーを額にかけ、見慣れぬ意匠が施された詰襟服の上に、白魔術隊の上着に袖を通している。


 黒布のツインテール。ぴっちり纏められた白い髪が朝日に反射して「ちかり」と光った。


「そうですか? 私は町へ引き返すより罪人の監視を優先したにすぎませんが」

「いえ、白魔術士が居てくれることは、心強いのだけど」

「不都合がありますか。ラエルさん」

「……いいえ。よろしくね、ツァツリーさん」


 ラエルはツァツリーの顔を半眼で見た後、ハーミットと話しているサンゲイザーへと視線を向けた。


 クレマスマーグ・サンゲイザー。東市場(バザール)とイシクブールの蚤の市を強襲した盗賊団、渥地(あつしち)酸土(テラロッサ)の幹部にして裏切り者。


 彼は牢屋に繋がれて然るべき罪人だが、事情あって四天王の呼び出しに応じることになりバクハイムに送り込まれた「力持ち」の助っ人だ。それが昨日になって急に、ラエルとハーミットに着いていくと言い出したのだ。


 サンゲイザーは剪定が終わった後、魔法瓶に収容されてこの村に待機になる予定だった。

 しかし彼は、有事の戦力として、万が一の盾として「自分を使え」とハーミットに直談判したのだ。自分自身を売り込んだと言ってもいいだろう。


 これが、剪定の時の真面目さが評価される形で同行が許されると誰が思うだろうか。

 そして話し合いの末、白魔術士ツァツリーも同行することに決まったのである。


 監視相手であるサンゲイザーに万が一が起きてはいけないという建前が半分、罪人によって役人二人に危害が加わってはいけないという抑止的立場からの意見が半分、である。


 もとはと言えば、急な人事で休暇を潰されたツァツリーだ。

 同行を決めた本意は、当人にしか分からない。


「恐らく。いま引き返しては怒られてしまいますし」


 当のツァツリーはそんなことを呟きながら、手袋の心地を確かめていた。

 ラエルは自らの装備を再確認しながら首を傾げる。


「怒られるって、貴女は何も悪いことをしていないじゃないの。巻き込まれているだけで」

「……この村に送り込まれたときはそうでしたが。現状がそうだとは限りませんよ」

「?」

「貴女には難しい話でしたか」


 ラエルはぎゅっと口を一文字に結ぶ。

 彼女の性格上「難しく聞こえるように言っている」というのが正解だろう。


 一方、これから潜る洞窟を覗き込んでは顔をしかめるサンゲイザー。ハーミットは巨体の影に入り、腕を組んだまま同じ方向を眺めていた。


「一応、先行してノワールに潜ってもらってはいるけど。どう思う?」

「さぁな。高魔力地帯化さえしてなけりゃあ、魔力が豊富なだけで獣の巣になる条件は満たす。変質個体含めて色々居るだろうよ」

「そうか。あまり出くわしたくはないな」

「しゅるるるる! なんだ、獣狩りは苦手分野かぁ?」

「違うよ。ほら、フタクチとかが群生すると――」

「あー……、それは確かに」


 珍しく意見が一致した針鼠と蜥蜴が、お互いに神妙な顔をする。


(フタクチっていうと、図鑑とかに載っている蝙蝠から変質した魔獣のことよね。知識だけだと、出会いたくないほど酷い相手には思えないけれど……)


 ラエルからすれば魔術を封じる粘液を吐くというカラコールや、毒つきの槍を飛ばして来るという陸槍貝(コニダエ)、人の丈を越えるほど成長するという大蛇斑(オオジャマダラ)の出現などを警戒したいところだ。


 加えて、例の「(クモ)」が実在する生物だった場合、それらを相手どる可能性も視野に入れておかねばならない。


 眉間に皺を寄せたラエルが顔をあげると、視界に入る範囲で見知った人物が一人増えていた。


 周囲を見てくれているはずのレーテやエイブソル、宿屋の一室に籠もったまま出て来なかったキーナや、彼を心配して宿に残ったグリッタとは関係がない……ひとりの絵描きである。


「やぁ。準備の方は順調みたいだね」

「本当、毎回前触れなく現れるわね貴方」

「そればかりが得意みたいなものだからね。やあやあ、針鼠くん!」

「……」

「うわぁ睨まれたぞ、まだ何もしていないのに」


 スターリングは口を逆さカムメのようにすると腕を組む。洞窟の入り口を見つけた当本人として、出発の場には居合わせると決めていたらしい。

 カーリー・パーカーの姿はなかったが――代わりに、林の入り口で見張りをしていた村長とレーテが、ゆっくりとこちらにやって来るのが見えた。


「ああそうだ、錆目の彼が同行の許可を申し出たいらしいよ。灰髪の彼の代わりに見に行くと決めたらしい。教えを破る恐怖もあるだろうに、真面目なことだ」

「……唆したの?」

「まさか、彼の意思さ。さて。どうだい四天王、彼の護衛を頼まれてはくれないか。もし頼まれてくれるなら、追加の情報を幾つか差し上げようとも」

「この場で取引を持ち掛ける以上、こちらに断らせる気はなさそうだな」

「それはまぁ。この場に居合わせた全員が君らに対する人質だからね」


 自称絵描き、スターリングはそう言って赤目の三白眼を細めた。


 受け答えしているラエルとハーミット以外には彼の言葉が届いていないらしい。

 ツァツリーはサンゲイザーと、レーテはエイブソルと話している。


 ハーミットとラエルは互いに表情を硬くしたまま、スターリングに向き直った。


「……分かった。取引しよう、情報は多い方がいい」

「ははは! これは私も、信用を得る為に努力したかいがあったと言うことかな!」

「軽口をたたくだけならなかったことにするぞ。レーテさんは一般人だ、連れて行く時点で俺たちにもリスクがある」

「ああ、それはそうだね。では手短に行こうか。一つ目、本村に関する伝承や教えは、彼らが自らを追い詰める為に作った()()()()が発端だろう。万が一、教えを破ったことによる何かが起きるなら、原因は別にあると見ていいだろうね」


 骨守の本家が、分家との関わりを断った理由はラエルたちも知らない。


 その理由が「教えを守らなかったことに対する罰」だとして。そこに魔術的要素が介入しないというなら――現在に至るまで口伝されるに至った原因は何だろうか。


「まあ、本村へ立ち入ったところで人が魔術的に呪われるということはない。これを保障しようというわけだ! いい知らせだろう?」

「……一つ目、ということは二つ目があるのか」

「はっはっは。そう()くな。焦っても最善は掴めないぞ!」

「……」

「は、ハーミット。今だけ抑えて」


 手袋越しに骨を鳴らした針鼠を制し、黒髪の少女が続きを促す。


「どうぞ。二つ目、よね?」

「ああ。冷静な取引相手がいると助かるね――二つ目、この洞窟には既に一人が本村へ向けて潜っている」

「は?」

「向こうで会ったら、リグがよろしくと言っていた。と伝えてくれたまえ」


 まさかの情報にラエルは眉根を寄せた。

 もしかすると、イシクブールでスカリィが話していた「骨守」のことかもしれない。


 スターリングがニコリと笑う。ハーミットが殆ど反応しなかったところをみると、彼はその可能性に気がついてはいたのだろう。


 ……新たな情報から検討事項が二倍三倍になった事実を、受け止めなければならない。


「私から君たちに渡せる情報はこれくらいだな。一応、通ってきた道の壁にはペイント液を塗布してきたが、あちら側に墜落したのが一カ月前の話だからね。発色に期待はしないでくれ」

「いや、助かる。活用させて貰うよ」

「ふむ。やけに素直だね? 熱でもあるのかい?」

「俺に熱があるとしたらそれは、この数分のやり取りで頭に上った血が原因だろうと思うけど……?」

「ちょっ、抑えてって言ってるじゃない! スターリング、貴方も彼を煽らないで!」

「はっはっは!」


 細目の魔族は高笑いして踵を返す。

 麦藁外套が草木に擦れ、「そういえば」と呟くと半身だけこちらを振り返った。


 黒手袋の細い人差し指が向けられた先は、ラエル・イゥルポテー。

 咄嗟に針鼠が間に入るが、スターリングはひらりと指を解いて手のひらを返す。


「紫目の娘よ。かの村へ行くなら、覚悟をすることだ」


 淡々と、感情のこもらない声が向けられる。

 ラエルは眉を寄せ、腹の内側で燻る感情を抑えながら口を開く。


「私に、覚悟が足りないっていうの?」

「いや、所詮は老兵の戯言さ。心の片隅に留めてくれさえすればいい」


 スターリングは逆さカムメの口で笑う。

 覚悟したなら引き返すなよ、と。暗に釘を刺されたような心地がした。


「武運を祈るよ少年少女。お互い生きていたら、また会おう」


 その言葉を最後に、白磁の禁書は彼の姿をかき消した。


 紫髪の魔族が立ち去り、呼吸を整えたレーテが意を決したように針鼠の前に立つ。

 絵描きの背を追うことも許されず、一行はひとりの一般人を列に加えることになった。







「おーい、キー坊。ふて寝は構わんが今は夏だ。水と食事をとらんと身体に毒だぞ」


 声をかけるも返答はない。グリッタはドアノッカーから手を離し、もみあげを弄る。

 一昨日の「ばっさり」があって以降、キーナはずっとこの調子だった。


 彼に動きがあったのは、今朝方になって村長宅から荷物を宿屋に移動した際、起きて歩いた時ぐらいだ。そのあとは鍵をかけて閉じこもってしまっている。


 貴重な鍵を息子に託した母親や、ここまで送り出してくれた使用人と三女を含めて、こうなってしまった要因は多々あるのだが……中途半端に期待を抱かせてしまったグリッタにも責任の一端がある。


(着いていけないなら昨日の一日で聞くだけ聞けばよかったのに、なんて思っちまうのは……俺が当事者じゃねぇからなんだろうな)


 グリッタは、キーナがなぜ自身の父親に関わった「聖女」とやらに興味をもったのかは聞いていても、彼が魔術書を携えてまで本村への同行を志願したのかまでは知らない。


 ラエルとハーミットが本村とやらを目指す理由についても……知らない。


 自分も気になるなどと口では言いつつも、グリッタはいい年をした大人だった。自らに不利益が起きそうになると、咄嗟に空気を読んでしまう癖が出る。


 だから、キーナが声を張ったあの瞬間に、なにもできなかった。


 あの場で唯一の味方であったはずなのに。

 味方であろうと決めた筈なのに、何も言い出せなかった。


 つまるところ灰髪の少年のように、かつて第二大陸で斬った友人の死因を、命を焦がすようにまで「知りたい」、「暴きたい」とは思っていなかったのだ。


 協力を願い出された時のような一過性の熱は、冷静に思考を進めた瞬間に揺らぐ。

 後に残るのは燃え切らなかった焚き木だった。


 燻る火を大火にせぬよう、水をかけて止めを刺したのだ。


 行動に起こす前から勝手に諦めたのは、紛れもなくグリッタ自身。

 後に残るのは、二度と使い物にならない可燃材だった。


「……」


 それでもグリッタは、一昨日のことを思い出す。

 リュックサックに縊り留められた紙。酷い文字の走り書き。


 あれは、商人の心を揺さぶるのに十分――。


「……」


 カフス売りの商人は荷物を背負い、開かない部屋の前を後にする。

 廊下を行き階段を下り食堂と正面玄関を抜けて、宿屋から外へ出た。


 歩調を緩めることなく西へ向かう。西へ、西へ。


 西へ行けども、そこにあるのは通過不可能の結界だけだ。

 そのはずなのに、麦藁外套と赤紫の髪が目に入る。


 待ち伏せていた男の手元には、見慣れない白磁の書があった。


「……お前さんか、お兄さんに手紙を出したのは」

「いかにも。しかしなんだ、村から逃げ出そうというわけではなさそうだね」

「お前さんの出した要求を飲むと決めた」

「ほう」


 意外と言いたげな声音に歯噛みする。一度口に出せば取り消せはしない。


 それでも。ふがいない大人なりに自分が信じる最善を薪にくべようと――決めた。迷ってばかりのグリッタは、ようやく、決めた。


 ……これは人生最大の博打(・・)になるだろう。


「ただし、まだ村から町へは引き返せない。そのことを踏まえて頼みがある」


 浅くなる呼吸を捻じ伏せ、商人は余裕を装った。

 魔族の男は赤い目を細めて、それから口の端を歪めた。





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