241枚目 「一角に足らず」
剪定。剪定。剪定。
ここ数日耳にこびりついた言葉を脳内で繰り返す。
カフス売りの商人は額に浮かんだ汗を拭いながら一呼吸入れた。
(しかし、結局何の枝切りだったんだろうな……)
グリッタとキーナは、バクハイムに生えた聖樹の存在を聞かされていない。
レーテやエイブソルが村人たちに現状を明かしていないように、一般人枠である商人と少年には情報が渡っていないのだ。勿論その事に本人たちが気づく由もない。
カフス売りは荷物をまた一つまとめて、鞄の中に詰め込む。
(貰った湿布で腰の調子は戻って来たものの、問題はここから、だよなぁ)
グリッタがキーナと共にこの村に来て、今日で六日になる。
最長七日かかるだろう、と見通しを語っていたハーミットだったが、作業五日目にして必要な剪定が済んだと先程報告があった。
つまり、謎の石板の前で弁当を食べる生活も今日でおしまいということだ。
ラエルやハーミットがこの村に来た理由が「剪定」であるならば、それが済んだ以上イシクブールに引き返すのだろうか――グリッタは東市場でのことを思い出していた。
(この村に用があるだけなら、ラエル嬢ちゃんがあれだけの食料を買い込む必要はないはずだよなぁ)
となれば、まだ一山残っているのだろうか。
グリッタは旅商売で鍛えた直観を冴え渡らせた。
しかし、村に留まらず町へ引き返すこともないというなら、少年少女は何処へ行くつもりなのだろうか?
荷物を詰める手が止まる。
グリッタにとっての問題はそれだけではない。
(キー坊はキー坊で、まだハーミットくんと話していないとも言っていたな。連れ出してしまった身としては、早々に話を聞く場を設けてやりたいんだが……おっと)
キーナを思わず子ども扱いしてしまったことに首を振り、凝り固まった思考をばらす。
それもこれも、自分が忖度と遠慮をし過ぎるのがいけないのではないか。そんな思考が脳裏によぎった。
あたらずとも遠からずだろう。
空気を読むということは、他者の地雷を避けて歩くということだ。
商人グリッタはずっとそうして生きてきた。だからこそ、キーナがハーミットに問おうとしている内容が針鼠にとっての地雷である可能性を危惧してしまう。
良くも悪くも、カフス売りは大人だった。
「……ん?」
そうして荷物を収めた鞄をひっくり返して、聞きなれない音がした事実に眉を顰める。
持ち上げてみれば、リュックサックの背中面に一枚の紙が縊り留められていた。
麦藁で結ばれた紙には、色々な相手と取引してきたグリッタだからこそギリギリ読めるような乱雑な走り書きがされている。
カフス売りはそれを目でなぞって、何度もなぞって、それから天井を仰ぐ。
わしゃわしゃと悩みをかき消すように髪を掻きまわすと、麦藁ごと手のひらで握りつぶす。
無言のまま鞄の底へ押し込んだ。
必要最小限の貴重品のみを身に着けて、グリッタは村長宅を後にする。
段々とつくられた麦畑の中腹、宿屋隣の空き地まではそう距離も無い。道中に視界を遮るような木もないので、空き地に居る彼らが何をしているかは一目瞭然だった。
(……ラエル嬢ちゃんと村のおっさんが地面に転がってたのは記憶に新しいが……)
カフス売りは目を細めて視力を振り絞り事態の把握に努めるが、結局は近づいた方が早いと判断して足を進めることにした。
宿屋隣の空き地では何やら掘り起こされたり罅割れたりしている地面を農具で一生懸命埋めたり慣らしたりしている。
黒髪の少女、白魔術士、針鼠の三人だった。
「……珍しい組み合わせだな?」
「ん。あぁ、グリッタさん」
針鼠はカフス売りの姿を見て手を振ると、すぐに作業へ戻る。
どうやら農具の頭が緩いらしく、土を引き寄せる力加減に手こずっているらしい。
「何かあったのか?」
「……あったというか、やらかしたというか……」
ハーミットは鍬を引く。農具の頭がすぽんと抜けた。
少年は四角く削られた木の棒の先に金属部分を嵌め直すと、何事も無かったかのように作業を再開する。針鼠は手近な穴をひとつ埋めたところで口を開いた。
「ラエルとツァツリーさんの訓練、お互いに力が入りすぎたみたいでさ。ついさっき、騒音と地響きの相談と地主の苦笑を同時に頂いたところなんだ。だから責任者の俺と、当事者の彼女らで訓練に使わせて貰っていた空き地を整地してるというわけ」
「要約すると、あの二人が大分はしゃいだということか?」
「そういうこと」
「ほぉ」
グリッタは改めて空き地を見回してみる。土中を掘り進む生き物が通ったかの如くあちこち抉れ、この場で激しいやりとりがあったことを想像させる有様だった。
少し離れたところで土を均すラエルとツァツリーはというと、注意されたばかりだからか黙々と作業をしている。半分納得がいっていない顔をしているあたり、若いなあとも思う。
彼らの姿を微笑まし気に見つめたあと、グリッタはハーミットに視線を戻した。
「因みに、素手対素手の尻尾取り? で、こうも地面が抉れるもんなのか?」
「いや。今日は武器を振ってたね。聞くところによれば昨日の夕方かららしいんだけど。ラエルがナイフで、ツァツリーさんが両手持ちの斧棍だって。凄いよね、あの細腕でそれを振り回すっていうのは……それをナイフで受けてたラエルもラエルだけどさ……」
「『凄いよね』で済むことなのかそれは」
「んー。済まないから、こうして手作業で土を戻すわけだ」
言うと同時に、再び農具の頭がすぽんと抜ける。
何度か同じことを繰り返しているのだろう。ハーミットは肩を竦めると、棒だけになったそれを宿屋の壁にたてかけて、金属部分だけになった鍬を手にしゃがみ込み、作業を再開した。
グリッタはバツが悪そうに黒髪を搔き乱す。
「あー、お前さんが珍しく怒っていることは分かったぞ」
「そりゃあね。武器を扱う時点で命の危険があるんだ、神経質にもなるさ」
少年は言う。が、「武器を使ったこと」自体を悪いと言ったわけではないのだろう。
彼が咎めたのは「武器を使っての訓練を事前に報告しなかった」報連相不足、周囲の迷惑を考えずに動いた浅慮な思考といったところか。
役人だろうが白魔術隊だろうが、仕事の根本に必要な気配りの内容は変わらない。
そして内容を聞く限りかなりの本数のブーメランが少年へ投擲されている気がするが、この針鼠にはそれを回避するだけの実力があるのだと、グリッタは知っている。
無謀と無茶は、違うのだ。
「カフス売りの手伝いは必要か?」
「うーん、この調子なら日没までには終わると思うけど」
やんわりと断られたことを察し、そりゃそうか、とグリッタは引き下がる。
キーナと話をする時間を作って欲しいと頼むのは、少なくとも今ではなさそうだとも――考えたのだが。
「しゅるるるる。なんだ、まだ終わってねぇのか」
宿屋へ向かう足を止めて気だるげな声に振り向いてみれば、いつの間にか蜥蜴の獣人が立っていた。
サンゲイザーは鱗を掻きながら空き地に踏み入ると、そのまま尻尾をびたんと地面に叩き付ける。
「『土塊錬成』」
「あ!?」
針鼠が口を開けるも遅い。
蜥蜴が発動させた魔術は土の上を滑り、あちこちめくれた地面を元の平らにならしていく。
瞬く間に平らになった空き地には目を丸くしたラエルと、相変わらず無表情を維持しているツァツリーとが残された。
そうしてハーミットの持つ鍬だけ土に埋まったまま、静かになった空き地に、蜥蜴の喉が鳴る音が響いた。
少年は暫く無言でいたが、気を取り直して農具を引き抜く。
「サンゲイザー……この村では魔術禁止だってお願いしたはずなんだけどなぁ……!?」
「っは、この後も打ち合わせがあるっつったのはどこの誰だ? ここで土埋めるのに時間割いてどうするよ。じいさんたちの睡眠時間まで削る気か? しゅるるるる!」
「くっ……!」
「……お前さんたち、この数日ずっとこの調子だったとか言わないでくれよ。お兄さんどんな顔したらいいのか分からんじゃないか」
グリッタは言いながら、壁に立てかけられていた木の棒を手にする。
ハーミットから受け取った鉄具を嵌め込むと、そこに落ちていた木片をかませる。急ごしらえの楔もどきだが、無いよりはましだろう。
「グリッタさん、来てたのね」
「おう、ラエル嬢ちゃん。少し見ない内にハーミットくんにどやされたと聞いたぞ」
「あっ、あはははは」
注意された事実を引き摺っているのか、若干目を逸らしつつ苦笑するラエル。後を着いてきたツァツリーにしても、悪いことをしたと自覚はしているようだ。
一介の商人であるグリッタには、ここ数日の彼女にどのような心境の変化があったのか窺い知れない。ただ、イシクブールではあまり見なかった年相応の反応を見て、思うことがないというわけでもなかった。
グリッタは手を腰に添え、大人に徹する。
「剪定は終わったらしいが、察するにまだ仕事が残っているんだろう?」
「おっ、さすが旅商人。勘がいいねグリッタさん」
「はっはっは、濁すなぁ。まぁお前さんたちのことだ、先の見えねぇ問題の一つや二つ抱えているんじゃないかと予想しただけだが――」
周囲の反応を見る限りラエルとハーミットに「剪定」以外の目的があると知っていたのは、伝書蝙蝠のノワールと剪定について話し合っていたレーテ、エイブソル村長あたりまでだろうか。と、あたりをつけていた。
しかし実際の所、蜥蜴の獣人は不敵に笑ったまま。ツァツリーに至っては表情筋がピクリともしない。二人とも、そう驚きはないといいたげである。
(……まさかとは思うが、事情を知らずにこの場に居合わせているカフス売りのお兄さんは、もしかしなくても浮いているのだろうか)
ただ一人だけ、事情の一片すらも聞かされていないのだとしたら?
あのキーナが駄々をこねてまでこの村に来た真の理由が「聖女のことを問い詰める」ことではなく「彼らの目的」に関わることだったなら?
商人グリッタは灰髪の少年の手のひらの上を転がされていたことになる――。
ひとりで頭を抱えたグリッタに皆が首を傾げる間、一人だけ挙手をした者がいた。黒髪を一つ結びにしたラエルである。
手袋についた土を払い落とす鼠顔の少年に、紫の瞳が向けられた。
「剪定が、終わったの? 七日かかるって言っていたけれど、無理はしていない?」
「大丈夫。明日は一日装備補充にあてて、次の日に出立しようかと思ってる」
待たせたね。と、ハーミットが言う。
ラエルは相槌を打つと共に朱色の唇を横に引いた。
「そう。分かったわ、ベリシードさんの所にも連絡を入れなきゃいけないわね」
「……ああ」
ハーミットは何か言いたげにしたが結局口にはできなかった。
代わりに宿屋方面から聞こえてきた騒がしい声に意識を傾けることになる。
「――だぁから!! 僕はそもそもその為にバクハイムまで来たんだってば!! ネオンも母様も承知の上なんだってば!!」
「何を言っているんだ!! この村の向こう側には何が潜んでいるかも分からない。変質した獣に出くわしでもしたらひとたまりもない、もしもがあったらどうする!?」
「そうだキニーネ。レーテの言葉を聞きなさい!! スカルペッロの人間が本村へ立ち入ってはならないと知っているだろうに!!」
言い争いながら宿屋を飛び出してきたのは、緑のハンチング帽を被った灰髪の少年だった。
二人の親族を振り切るようにして、青灰の目が歪む。
「そんな事情が協力しない理由になるのかよ!! 仮にそうだとしても、本村に立ち入った時点でスカルペッロの継承権が剥奪されるとしても――僕だって彼らには恩がある、この魔術書があれば補助強化魔術だってかけられる!!」
それは泣きそうな顔で、喉を壊す勢いだった。その場に居合わせた全員がキーナへと視線を注ぐ。小さな身体で精一杯走って、少年は空き地に居るラエルとハーミットとを目に捕らえた。
青灰と共に頬がゆるむ。
その様子を見たラエルは戸惑い、ハーミットは口を閉じた。
グリッタは、キーナの視界には入らなかった。
一介の商人は、唇を噛むことしかしなかった。
……若者に、僅かでも希望を抱かせるのが大人の役目だとしたならば。
「ハーミットさん!! 僕もこの先へ連れて行ってくれないか!?」
「許可できない。いくらなんでも危険すぎる」
それはもう、ばっさりと。
悲しいほどに現実を思い知らせるのも、大人の役目だったりするのだ。




