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239枚目 「六回目」


 完食した皿を前に、徐に口を拭く白き者(エルフ)が一人。


 昼食をとらないラエルを広場に残し、ツァツリーは食堂で待っていた。

 これは、監督者が居ない場で復習と反省を落ち着いて行えるよう配慮してのことだった。


(私も似たような理由で同じことをさせられましたし。それ自体は一般的じゃなかった訳ですけど。その他のあれこれに比べたら。随分と良心的ですし)


 今のガルバ・ツァツリーは白魔術士。

 過去を他者に推しつけるようなことはしたくなかった。


 不愛想なのは自分だけで良い。真面目に熱くなれるのは自分だけで良い。

 同じ舞台に上がってこいとも思わない。もう誰にも期待したくない。


 それでいて。自分は幸せになりたいだって?


(傲慢なのは私の方)


 内心を一喝して、気配がした方角へ振り向けば黒髪がたなびいたのが見えた。

 リリアンで結び留められていた筈の癖毛が、彼女の動きに合わせてふわふわと前後する。


 重なるのは、三カ月前は檻の中に居た自分と目を合わせたあの瞬間だ。


(ラエル・イゥルポテーさん。私があの日。救いを求めた人)


 薄く研ぎ澄ました氷刃のような、冷たい紫色を思い出す。


 彼女はあの時、檻の内で笑った。

 そして、人売りの天幕(テント)は崩された。


 久しく姿を目にした少女は随分と角が取れていて、けれど瞳の奥は変わっていない。

 ずっと、何かしらへ向けた怒りと恨みが蜷局を巻いている。


 共に行動している針鼠がそれに気づかないはずもない。ツァツリーに頼んだ内容を加味しても、彼女の行く末が破滅だろうが最後までつきあうと決めているのだろう。


(……ですが。私は彼ら(・・)の気持ちも加味するつもりでいるんですよ。強欲さま)


 ツァツリーは無表情のまま、ラエルに浅い礼を返した。

 何か良いことでもあったのか。少女はキラキラと目を輝かせている。


「ごめんなさい、食事の途中だったかしら」

「いえ。少し前に食べ終えて。今は考え事をしていました」


 黒布に包まれたツインテールが、金属輪の重さと相まって振り子のようになる。


「再開しますか?」

「ええ」


 紫の瞳が、黒曜の瞳を射抜く。


「宜しくお願いします、ツァツリーさん」

「……はい。こちらこそ」


 ツァツリーはそっけなく返し、皿を持って立ち上がった。


 石工の町に残った彼ら(・・)には悪いが、こちらが予見した通りの展開になりそうだなと、思いながら。







 麦の村、バクハイム唯一の宿屋から東にある空き地にて。


 戻ってきたラエルとツァツリーは空き地の両端に立って――それからお互いに何も合図がないまま、五分ほど膠着状態が続いている。


 長椅子に座って見守るのは灰髪を一つ束ねにした少年、キーナ。

 長椅子の上に足を揃えて座っているのが、伝書蝙蝠のノワールだった。


「……動かないなぁ……」

『何をしているか気になるです?』

「うん。ラエルさんってたまに変なことするじゃないか。だから、どんな面白いものが見られるんだろうって期待はしてる」

『無茶だけはしてほしくないですが。白魔術士が立ち会っているとなると……です』


 ノワールは翼で顔を洗い、皮膜を舌でつつく。


「そういえば、同調(リンク)の効果範囲って相当なはずだけど。現在進行形でラエルさんの思考回路って流れて来たりしてるの?」

『ノワールはそこまで万能じゃあないです。貴方の場合は術者が卓越した魔術士で白き者(エルフ)でしたから、町全体まで範囲を広げられたんだろうってところです』


 同じ魔術でも、キーナがネオンにされていた監視とは勝手が違うということらしい。

 キーナの視線はノワールの足輪へと滑る。猛禽の足には似つかない金属光沢が目に入った。


「……だから回線硝子(ラインビードロ)なのか」

『です。ノワールも管理食で魔術効力を維持しているですが、範囲はそう広くないです』

「はっきり言わないところがまた、役人サマの使い魔って感じだなー」

『一般人の貴方に能力の限界を告白するメリットがないだけです……それより、そろそろ始まるです』


 促されて前を見ると、ラエルが髪を束ね直したところだった。

 白黒のリリアンが結ばれて宙を舞う。黒髪の先がほんの少し浮き上がる。


 一度、軋む程に手のひらを握って――(ほど)いた。


「よし。行くわよ」

「どうぞ」


 ツァツリーは変わらず、半身でラエルと対峙する。

 ラエルはその場で「とん」と一度だけ跳ねると、身体を前に倒して駆けだした。


「……うん?」


 横でそれを見たキーナが何かを言いかけて、蝙蝠の翼に止められる。

 白魔術士も、そのことに気づきながら、駆け寄って来るラエルを目で追った。


 尻尾取りに必要なのは、相手の懐に滑り込む身のこなしと素早さが主だ。元来それを持っているはずのラエルが、距離を詰める速度を明らかに落としている。


(わざとそうしているなら。理由があるはず)


 敢えて今までしてこなかった闘い方を実践しようとでもいうのか。

 それともツァツリーの反撃やカウンターを警戒しているのか。


 どちらにせよ、懐に入る前に間合いから蹴り出してお終いだ。


 ツァツリーは右足を前に、右腕で迎え打つ。


 ラエル・イゥルポテーは右利きだ。右腕を伸ばしたところで進行方向をずらすように転ばせればいい。そのあとで半身を捩れば、それだけで背中は取られない。


 足音を数える。この距離でこの速さなら、あと何歩で何秒かかるのか。


 黒髪をたなびかせ、少女が腕を伸ばすタイミングをはかる。ツァツリーは腕を払い落とそうとして腕を伸ばし――しかし。振り払ったはずの腕が宙をかく。白魔術士が腕を引き戻すまでの間に、少女との間合いが詰まった。


 瞬きの間に起こった展開を同時に対処しようとして、ふと息が詰まる。

 ツァツリーは思わず歯を食いしばった。


(あぁ。そういうこと。始めるまで間があったのは私を見ていたからで。歩調が遅く見えたのは彼女が私の呼吸に合わせようとしたから。ですか)


 人には、それぞれ心地よく感じるリズムがある。音楽に合わせてのりよくすることも、運動の中に自分なりのペースを見つけることも、そうだろう。


 ラエルが尻尾取り開始までにとった五分の間に、ツァツリーの呼吸は整っていた。

 心地よいテンポを刻む身体に、急な横槍を入れたならば――崩れるのは必至。


 そう、ツァツリーは分析する。

 スローモーションでこちらに手を伸ばすラエルを見ながら。


(弾きそびれたのは左腕。右手は握り込んでいる。これは私本体に向けられたものですね)


 突きの速度を考えて、後退では回避に間に合わない。


 なら。


 結果としてラエルの正拳づきはツァツリーには当たらず、宙を穿った。

 頭上を通過する拳に対し、両膝を折ってしゃがみ込んだツァツリーが右足でラエルの後ろ脚を狩る。


「っ!!」


 体制を崩されたラエルの顔が引きつったように歪む。肩から着地した少女はごろごろ転がって受け身をとると、ツァツリーの方へ向き直った。


 紫の瞳が、強いまなざしと共に不安を孕む。黒曜の瞳を気押すように。


「…………」

「……まあ。いいでしょう」


 最後に振り抜かれた拳。

 あの指を()()()()()()()()届いたのも頷ける。


 白魔術士の背中に、解けた黒布が落ちた。







「ラエルさん。ひとつだけいい」

「なぁに」

「あれ、さっき僕がやったやつだよね?」

「気のせいよ。一度見た程度で真似できるわけないじゃないの」


 参考にはさせてもらったけれど。と返しながら、明後日の方角を見るラエル。

 ノワールは途中から同調(リンク)で思考を読んでいたのか呆れた視線を返した。


『ともあれ、六回目突破お疲れ様です。次は七回目です?』

「……次なんてありませんよ。私が頼まれた事柄は済んでしまいましたから」


 水をとったツァツリーが言う。

 ラエルは気まずそうに口の端を結び、キーナは首を傾げた。


 尻尾取りは回数に応じて難易度が跳ね上がるようにされていた。剪定にかかる日数を鑑みて最低でも七回は予定を組んでいると思っていたのだが、どうやら違ったらしい。


「事柄は済んだって……ツァツリーさんがあの四天王に頼まれたことって、結局なんだったんだ?」

「それは。彼女自身に聞いた方が早いのでは」

「ラエルさんに?」


 キーナは促されて、ラエルの方を振り向く。

 普段通りにも見える黒髪の少女は、難題を突破したにも関わらず優れない顔をしていた。


「……もしかして、突破しちゃ不味かったのか?」

「え? いえ、そうじゃないわ。ただ、その」

『あー、理解したです。そういうことなら納得です』

「ここぞとばかりに思考を読むのは辞めて頂戴ノワールちゃん」


 紫目の少女は若干照れくさそうにして、軽く咳払いをする。


 ここから先はただの確認だが、あの絵描きにまで釘を刺されたとなると相当だったのだろうから。


「ツァツリーさん、私を見て『最善手を繰り出すことに躊躇いがある』って言ったじゃない」

「はい」


 全力を出せ、というのも。

 自分を信用しろ、というのも。

 成長に協力することはできない、と言い切ったのも。


「あれ、『捨て身にならざるを得ないような状況を安易に作るな』って意味よね」

「はい」


 白魔術士はラエルのことをしっかりと見ていた。

 ラエル・イゥルポテーが試行をこなす間、一度も残心を取らなかった事実を知っていた。


 遠慮、慢心、浅慮、諦め。


 要因はあれど、大きな隙を「訓練だから」と、そのままにしている――考えの甘さ。


「……貴方がハーミットに頼まれたことって、そういうこと、よね」

「はい」


 ツァツリーの端的な返答に、ラエルは口を一文字に結んだ。


 ……白砂漠時代は時効としても、センチュアリッジの件に始まり、浮島の時箱(クロノス・アーク)事件、東市場(バザール)での魔術暴発、イシクブール蚤の市での強行突破敢行。


 ここ三カ月の間にラエル・イゥルポテーが血中毒に見舞われた回数は未遂を含めても四回、魔力暴走を合わせると五回だ。

 尚、この数は魔力関係で危機に瀕した回数というだけで、危機に瀕したこと全てを数えたならばもっと増えるだろう。


 ラエルは魔導王国の軍人であるストレンと喧嘩をした際に引き分けたとはいえ大怪我を負っている。蚤の市では盗賊の集団を相手に囮役を買って出るという危険な賭けまでした。


 これらのことから導き出した答えは一つ。

 ラエルは捨て身であることに「頼りすぎて」いたのだ。


 そして、ハーミットが自分を棚に上げてラエルを例外的な一般人として扱っていることを加味しても、ここ最近のあれこれに対しては……多分、いや、かなり怒っているに違いないのだ。


 ラエルがそのことに気付き、心構えを改めようとしなければ。

 良くて待機指示、悪くて浮島への送還、その先など想像もしたくなかった。


「始めに言った通りです。私は貴女の成長を助けられるわけじゃあないと」

「……ええ。けれど、気づけて良かった。ありがとう」

「そうですか。それなら。私からはひとつだけ」


 ツァツリーは髪留めを二つ結びに直すと、徐に顔を上げた。


「これから先。捨て身の特攻と反撃だけで生き残れるとは思わないで下さい。……敵と刺し違えるような結末を貴女自身があっさり受け入れられるとしても。です」

「どんなに追い詰められても?」

「どんなに追い詰められても。です。捨て身になるということは。己の命を諦めることと同義です」

「何をしても守りたい相手が、居たとしても?」

「そう思う相手がいらっしゃるなら尚更ですね。死んでは誰も守れませんよ」

「……できるだけ努力するわ」


 ツァツリーはラエルの返答にほんの少しだけ目元を緩めると、とんとん、と靴の調子を確認しながら踵を返し、その場を後にしようとした。黒布のツインテールがゆったりと揺れる。


 相変わらず読めない白魔術士である。

 ラエルはそう思うものの、質問せずにはいられなかった。


「ところでツァツリーさん」

「はい」

「これは個人的な興味なのだけど、もし七回目があったならどういう内容になっていたの?」

「……」


 黒曜の瞳が、無感情に向けられる。

 紫の瞳は逸らされることなく視線を受け止める。


「興味、ありますか」

「あるわ」


 ツァツリーは日の傾きを見て、影の伸びを見て、夕方までの時間を逆算する。


 まあ、少しの時間なら許されるだろうか。

 無言で目を伏せると、心なしか浮ついた指先で空中を手繰った。





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