236枚目 「トライアンドエラー」
「いやぁ、まさか縄を投げる必要もないとは」
末恐ろしい相手を協力者にしてしまったらしい――ハーミットは呟きながら、目的の枝に金属の重りをかませつつ番線で縄を固定して、下まで降りられるように梯子を下ろした。
昨日の今日でマツカサ工房にある一番長い縄梯子を提供して貰ったのだが……砂利に蜷局を撒いた縄を目にして、ほっと胸を撫で下ろす。
(梯子の全長が八十エドゥクだっけか。この高さだと、落ちたら死ぬなぁ)
思わず安全帯を確認して、それから自分の腕を見やるハーミット。
エドゥクとは指先から肘ぐらいまでを一とする、目安的な長さの単位のことである。
少年は暫く沈黙し、顔を上げる。
計算しなければよかった。
気を取り直し、枝を切り落とす目安を印付けしていく。
主に使うのは糸鋸だが、細い枝なら鉈でもいいかもしれない。
剪定に「強欲なるもの」を使うのは最終手段である。
聖樹の枝から見下ろせば、苔むした砂利ばかりの河原と魔力を吸って膨らんだ巨大保護シート (根と幹を保護する為のもので、目に痛い緑色をしている)、そして尻尾を揺らす黒衣の獣人が引きつった顔で次の指示を待っていた。
下に根が無いことを確認したハーミットが細めの枝を断ち落としてみると、枝が着地した衝撃に蜥蜴がびくりと肩を震わせるのが見える。
サンゲイザーは切り落とされたそれを「つんつん」と遠慮がちに触って、枝葉ごと引き摺って袋に詰めた。手際も悪くないみたいなので、この大きさで枝を落とすことに決める。
剪定服を着ているとはいえ切りたてホカホカの聖樹はかなりの魔力を放っている。眩しくて仕方がないだろうに――ハーミットは心の中で応援しつつ、サンゲイザーが離れたのを見計らって幾つか枝を落とした。
事故を起こさない為にも注意して、しかしペースを落とすわけにもいかない。
(想定していたよりは順調だけど……あっちは大丈夫だろうか)
極太の針葉を支えにしながら、ちょっとだけ村の様子が心配になった金髪少年だった。
剪定作業を始めて三日目。
目覚めて最初に目にしたものは、藁ぶき屋根の骨組みだった。
キーナは寝ぼけ眼を擦ると、欠伸を隠すように手を顔に当てた。
馬車の中で長いこと縮こまっていたつけがきたらしい。行動力と体力は、必ずしもイコールではない。
(カフス売りのおっちゃんはもう出てるのか……)
早起きだなぁ。とぼんやり考えながら村長の家を出ると、燦々と日の光が降り注ぐ。どうやら寝過ごしたのはキーナの方らしい。
朝食を食べそびれた事実はショックだが、過ぎたことはどうしようもない。
灰髪の少年は、手早く身支度を済ませて食堂のある宿屋へ向かうことにした。
収穫を終えた数枚の畑には麦の束が干されていて、風を受けては揺れている。
山肌を削った斜面に牙魚の鱗のように敷き詰められた麦畑。
魔力子を養分に育つ特性もあって、この地では一年を通して安定した麦の収穫量がある。
とはいえ、作物が育つぎりぎりになる程度に厳しい環境になることもしばしば、だ。
冬は霜が生えるし雪が降ることもある。反対に、夏は虫が増えるし何より暑い。
イシクブールでは町を覆う漆喰壁や石壁の一部に熱吸収と拡散の魔術がかけられているが、バクハイムにはそれもない。
山肌から駆け下りてくる熱風。崖下から吹きつける温い海風。
汗と塩気でべたべたする肌。舞い上がった砂埃を吸い込んで噎せる。
(正直、夏のバクハイムは苦手だけど、それ以上に暇だ。あの四天王も忙しそうだし、収穫時期を迎えた畑もないみたいだし。刈り取られた麦穂は乾燥待ちだし)
ハンチング帽を目深にしながら既に天辺を越えている日の光に青灰の目を細めたキーナは、舗装もされていない土の地面を下っていく。
道を行く途中には、乾いた土の上には二人分の足跡が規則正しくついていた。
そういえば昨日も走っていたなぁ。と、キーナは思い出す。
(石板の前で待ちぼうけるよりは興味あるんだよな……覗いてみるか)
グリッタがキーナを無理に起こさなかったということは、そういうことなのだろう。
灰髪を髪紐で纏めると、キーナは宿屋隣の空き地で何やら楽しそうにやっている女性二人の元へ向かっていった。
近づく内に聞こえる声は大きくなる。始めは掛け声か何かを一緒に言いながら身体の動きを確認しているのかと思えば、どうやら違うらしい。
というのも、大分近づいてから分かったことだが――坂の上の方まで響いていた声の内容は、殆ど怒声に近いものだった。
「――足元。気が抜けてますよ」
指摘と共に、白い厚底ブーツのつま先がラエルの脛へと入る。
ツァツリーに距離を詰めていた彼女はそれを避けられず、苦悶の表情を浮かべた。
「っ、なんども同じ場所狙うんじゃないわよ!? しつこいって言われない!?」
「何度も同じ場所を狙うということは。極めてワンパターンにしか反撃していないということです。対処法を考えて下さい。動きながらでも考えることはできるでしょう」
「っだ、から、脛は痛いんだってば!! ただでさえヒラヒラ回避するんだから私の動きを止めないで頂戴!!」
「無茶を言わないでください。私が敵だったら貴女。一方的に蹂躙されておしまいですよ」
「分かってるわよ!! 現に――痛ったぁ!?」
「ですから気を抜かないで下さいと……貴女。とことん下からの攻撃に弱いですね。これは。下方に気を配る練習からでしょうか」
「っ、このっ、片手で人の全力を捌くの辞めて!?」
「片手で捌けるんですからそうしますよ。体力は温存する主義です」
「~~~~~~っ!!!!!」
むぎぃーっ、と顔のパーツを中心へぎゅっと集めた後に、ぱっと目を開く。
眉間の皺は刻まれたまま、ラエル・イゥルポテーは次の手を繰り出した。
キーナには二人が何をしているのか全く分からなかったが、ラエルが劣勢にあると言うことだけは理解できた。
(これだけ僕が近づいても、気づかないのは珍しいな)
イシクブールではハーミットと共にキーナとペンタスの尾行を看破していたラエルだ。冷静に状況を判断しているなら、通りかかったキーナにも気づくはず。
(集中している分、視野が狭くなってる……のか?)
とりあえず昼食を調達しよう。できれば外で食べられるものを。
こちらに目配せしたツァツリーに礼を返したキーナは、宿屋の方へ足を向けた。
尻尾取り二日目の昼過ぎ。
ラエルは何とか五回目を乗り越えることに成功していた。
問題は六回目からツァツリーが「流す」のみならず「反撃」を加えるようになったことである。
反撃といっても、脛をこつんとされたり、肘に握りこぶしを掠められたり、投げ転がされたりといった程度なのだが。こうなってからずっと、ラエルは勝機を見いだせなくなっていた。
(隙が、ないように見える。さっきから後頭部を全くこっちに向けてくれないし)
水分補給用の果実水を喉に流し込みながらラエルは眉間に皺を寄せた。
実力差を思い知るという点では、伸びかけていた鼻は既にへし折られている。
距離を詰めて腕を伸ばすと避けられるし、回避を邪魔しようと掴みかかろうものなら投げられ――それでいて、ラエルは怪我一つしていないのだ。
(……つ、強い……)
鼠顔に重い革コートを羽織って立ち回る金髪少年のことを思い出す。
思えば、ラエルが彼の闘いぶりを目にした回数は多くない。
センチュアリッジの騒動で、人売りや巨大魚を相手に立ち回ったとき。
浮島の魔術訓練で黒毛長耳の獣人と手合わせをしていたとき。
時箱事件でスターリングを相手にしたとき、の三回だ。
(ハーミットは小柄だから、相手の懐に入ってペースを崩すような闘い方をしていたけれど……同じようなことをしようと思っても、私と彼女とでは、身体の大きさに差がないわけで……)
何かヒントになるような動きはなかっただろうか。
相手の動きを止めうる一手が。
(…………)
なるほど、難題の回答に近道はないらしい。
思い出すにせよ記憶力の限界だった。
「おはよう、ラエルさん」
「あぁ、キーナさん。起きたのね」
「うん。見ての通り、食堂で軽食貰ってきたところだよ。そっちこそ何してるのさ」
「うーん……尻尾取り?」
「尻尾取り?」
黒髪の少女は灰髪の少年に経緯を説明すると、言語化しながら改善点が次々見つかったのか肩を落としてしまった。
キーナは口を半開きにして、腕を組む。
「動きを止めたいなら、止めたらいいんじゃないか?」
「?」
「ほら。投げられそうになったら、掴み返して踏ん張るとかさ」
キーナは口でそういいつつも、相手をしているツァツリーがその戦法をとっているので、とっくに試された方法だと思っていた。
しかし、ラエルの方からすれば目から鱗だったようだ。
というのも彼女はそもそも黒魔術士で、格闘に関する訓練は殆どしてきていない。
白砂漠の砂魚を相手に殴ったり蹴ったり避けたり、は確かにあった。
けれど、魚を投げ飛ばした経験はない。魚に投げ飛ばされた経験も、ない。
「……なるほど? ツァツリーさん、あと一回だけ構わないかしら」
「構いませんが」
一言二言会話を交わしながら、魔術士二人が空き地の真ん中へ向かっていく。
(そもそも。魔術士が魔術じゃなくて格闘をするってこと自体が珍しいはずなんだけどな)
思いつつも、キーナだって闘いの場でそんな悠長を言えない現実があることを知っている。
鼠顔の四天王を待つ間、自分も体力づくりぐらいは参加した方がいいだろうか。そう思考を巡らせながら、食堂で購入した朝食代わりの昼食を膝の上に広げた。
――ずだぁぁんっ!!
土の地面の上で、人が転がされる音がする。
前方で四苦八苦する黒髪の少女を眺めながら、灰髪の少年は果実水を口に含んだ。




