230枚目 「ガルバ・ツァツリー」
魔導王国の従者二人がイシクブールを離れて、丸二日が経った。
鳥が鳴く。木々が揺れる。
海の匂い。土の匂い。知らない土地の匂い。
「……本日も性懲りなく、おはよう。ガルバ・ツァツリー……」
身体を引き摺るようにしながら、起床の挨拶を口にする。
黒麦の肌を滑った髪がベッドに散らばって、シーツに白いうねりを刻んだ。
亜人の子どもは、産まれたときから闘うものと闘わざるものとに二分して育てられる。
私は、闘わざるものとして産まれた生き物だ。
(……ああ、そうだ。ここでは「亜人」という名乗り方は駄目なんだっけ)
自分事だというのに、第二大陸に居た頃の癖がまだ抜けきらない。
白き者。或いは白き者。
生まれつき魔力圧が高い故に真っ白な髪が特徴的な、魔法に長ける短命な一族の総称。
(……それにしても、頭を覗かれている感覚が抜けない。遮断魔術を使っても、まだ気持ち悪い。せっかく「最悪」から逃げ出せたと思ったのに、今度はベクトルの違う監視社会で生きろと? 「最悪」にも色々あるんだなぁ、世界の広さを思い知らされる)
「ガルバ・ツァツリー」
ようやく馴染んできた新しい名前を、確かめるように口にする。
もっと身体に馴染ませないといけない。染みつかせないといけない。
白き者の魔術性能は自己認識の強固さと比例する。
比例して、しまうから。
使い物にならなければ、私に居場所は。
「……起きます……」
まだ、日も登り切らない早朝のこと。
自分で自分に声をかけて、白い髪を床に引き摺って、身支度をする。
二つに分けた髪を何カ所も紐で結んで束ね、空間魔術を仕込んだ黒布に包み隠した。
黒いヘアバンドで前髪を留めて、傍目からツインテールに見えるよう調整する。
支給された白服の下に着慣れた私服を忍ばせて、手袋を嵌めて魔法具の動作を確認する。問題なく取り出せた黄銅の斧棍を磨いて、収納した。
鏡の前で頬をぐにぐにとする。相変わらずつまらなそうな顔をしている自分を確認して、安堵する。昨夜のことはよく憶えていなかったが、私はこの顔で居なければいけないのだ。
私は、「闘わざるもの」だ。
例え今の所属が母国でなくとも、平穏を脅かしかねない性根は潜めておかなければ。
私は。今度こそ、間違えるものかと思うのだ。
今度こそ争いも闘いもない、平平凡凡な生活を享受して――私のことを蔑んだ奴ら全員を見返して、幸せになってやるのだから!!
手始めに蚤の市終わりのイシクブールを堪能してやろうじゃあないか。朝日に照らされる真っ白な町が宵闇から浮上する絶景とやらをこの目に焼き付けて、観光地を真っ当に堪能してみせるのだ。
何故なら今日は非番だから!! 何日ぶりかの休みだから!!
観光地に来て散々人を治療し続けて、そんな中で何か不真面目な魔族がぶつくさ言ってたのを聞いちゃってストレン術師に報告したら長めのお休み貰えたし!! ラッキーだし!!
きっと今の私は運が向いているのだ。
仕事先が観光地だと聞いてたから、本当に楽しみにしていた。
パンフレットも地図も入国許可証もスカーロ貯金も準備万端。靴の踵を鳴らして石畳を跳ねまわりたい気分だが――「ツァツリー」にはふさわしくない行動なので控えることとする。
(あー、楽しみ)
仏頂面のまま、浮足立った心持ちで部屋を出る。
けれど落とした視線の先に見慣れた革靴が見えて、驚きと共に顔を上げる。
黒髪おかっぱの上司が立っていた。この場に居て欲しくない第四位の相手だった。
「おはようございます、ガルバさん」
「……おはようございますカルツェ導士」
私は表情を硬くしたまま彼女の視線を捉えた。
カルツェ導士は数秒だけ黙って、僅かに表情を緩めてみせた。
え、この人、笑えたんだ……。
微笑んだ理由も含めて、なんだか嫌な予感がした。
「昨夜のレクリエーション、身体に響いてはいないようですね。流石です」
「え。えと」
「貴方の実力を見込んで、頼みたいことがあります」
「え」
「お仕事です」
「……私。今日は非番で……」
「残念ながら、お仕事です」
――かくして、石を噛んだ車輪が跳ねる。馬車が揺れる。
板張りの壁が軋む。木箱と革袋に入った荷物が揺さぶられている。
「上司の頼みを断れない立場だからって。いくらなんでも初の一人仕事がガチの罪人とツーマンセルとか。ありえない。です」
長い髪を納めた黒布の袋が金属飾りの重さを伴なって振り子のように揺れ、戻る。
(ああ。私の観光地探索が遠のいていく)
『おいおい、心の声が漏れてやがんぞ白魔術士。なんだっけ、ガルドゥバ?』
「ガルバ・ツァツリーです。ツァツリーとお呼びください。あとどうしたらガルドゥバと聞き間違えるのか教えて下さると助かります。発語に不調があったとするなら直すよう努力しますので」
『しゅるるるる! いや、普通に憶えてなかったから聞き返しただけだ』
「仕事相手の名前ぐらい憶えて下さい。私たち嫌でも一緒に仕事をすることになったんですから。真面目にして下さい」
『しゅるるるるるる』
笑うだけ笑った後、布に包まれた魔法瓶の中の人は「こいつめちゃくちゃ面倒臭いな」という気持ちを隠すことなく喉を鳴らした。
『で? 目隠しされたまま連行されんのは構わねぇが、この馬車どこまで行くんだよ』
「知りません。私も乗車前に目隠しされてますし。貴方の姿はおろか魔法瓶が布で隠れていることしか知らされていません。この場での交渉や提案は無意味です」
『へぇ、まじか』
「まじです。急に『ストレス解消も兼ねてレクリエーションをします。自由参加ですが僕らが的役になるので、模擬戦闘程度であれば鬱憤晴らしに暴れてもいいですよ』なんて言うから何でかなぁと思ったらまさか人材の選別だったとか思いもよりませんよ。私は見た目に反して根に持つタイプなんです。ようやく休みが手に入ったと思ったのに何なんですか。あの白魔導士と赤魔術士。信じられない」
がこん、と。石でも踏んだのか荷台が上下する。
ツァツリーは魔法瓶を身体に引き寄せて、見えない視界に思いを馳せた。
実の所、昨夜からトントン拍子に話が進んでこの馬車に乗り込んだので、ツァツリーは依頼人が第三大陸に出張している四天王「強欲」であることしか知らされていない。
途中で合流した赤髪の仲介人は心労と過労がたたったのか、魔法瓶を抱えたツァツリーと荷物を馬車に積んで結界の開閉をした後、「仮眠」を称して目の前で寝落ちてしまった。
白魔術士として軽い回復促進術をかけはしたものの、その後は寝息が聞こえてくるだけだ。
(レーテ・スカルペッロ。イシクブール町長の夫にあたる魔族ですね。私たちが馬車に乗り込んだ後に結界術を操作したということは。向かう先が「曰く付き」の可能性が高くて)
ひたすらに渋い顔をしながら晶砂岩のルースがついたチョーカーを手渡してきた町長を思い出す。彼らが信用を重ねてきた相手ならともかく、一見程度の相手には踏み込まれたくない領域であると考えて間違いない。
(だとしたら。どうして私たちが派遣されることに。白魔術士が必要ならカルツェ導士かストレン術士を連れて行けばいい。どうして前日のレクリエーションで目が留まった程度の私を。罪人のお目付け役なんかに抜擢するんだろう)
ツァツリーだけならまだ話が分かる。「魔導王国の白魔術士だから」で説明がつく。
それがどうして罪人認定された獣人まで駆り出すなんてことになっているのか。
「問題とか起こさないで下さいよ。貴方がやらかしたらクビ切られるかも分からないんです。私はこんな若くして野垂れ死にしたくはないんです」
『しゅるる! 首の皮一枚繋がってるのはオレも同じさ、留意するとも。ま、命の危険に瀕した場合はこちらの身を守ることを優先させて貰うがなぁ?』
「ええ。私も私の身の安全は自力で確保する努力をするので。貴方もそのように」
ぶっきらぼうな物言いに、瓶の中にいる獣人はやれやれと口を閉じた。
僅かながら白魔術の付与ができること。有事に自力で安全確保ができること。
そのたった二つの要因で選ばれたのだということを、彼女は知る由もない。
馬車がバクハイムに到着したのは、真昼を少し過ぎてのことだった。
馬車を視界に入れた針鼠が、抱えていた麦束を黒髪の少女に任せて駆け寄る。
使用人と馬に礼を言って、降車するレーテの腕を支えた。
「いやいやいや早すぎますよレーテさん、絶対寝てないですよね!?」
「ああ、一日眠らなかった程度でくたばるような柔ではないからね。少し君の真似をしてみただけさ」
「私の働き方は健康に悪いと重々承知しているんですが」
「ははは。心配せずとも、馬車に揺られる間は仮眠をとったよ」
「……ありがとうございます。正直、二日以上かかると覚悟していました」
ほっとしたような、やりきれないような。聞こえてきた声音は複雑そうで、ツァツリーは口の端を結んだ。浮島で何度も聞いた声の中でも、あまり得意じゃあない人物のものだ。
彼女にとって、会いたくない人物の四位がカルツェ導士なら、三位が「彼」だった。
鼠顔の少年はツァツリーの思惑を知るはずもなく、荷台を覗き込む。
華奢な女性が一人しか乗っていないと驚くも、彼女の顔には覚えがあるようだった。
目隠しを外し、黒曜の瞳がこちらに向けられる。硝子玉越しに目が合う。
その腕に黒布の塊が抱かれているのを見て、針鼠は何だか嫌な予感がしたらしい。
「君。もしかして、事情をよく知らないまま連れて来られたりした……?」
「はい。今朝しか話を聞いていません」
「う……非常に申し訳ない。すぐに説明する」
ふらふらと歩いて行ってしまったレーテの背姿に肩を落とし、事情を詳しく知らないという助っ人ツァツリーに申し訳なさそうにし、それでも仕事は仕事だと思考を切り替えた針鼠は、その場でテキパキと指示を飛ばしていく。
白魔術士の腕に抱えられている魔法瓶についても、集めて貰った鍵についても、検討することは数多くある――頭を抱える時間が勿体ないと言わんばかりだった。
しかし。それにしても、と。
ツァツリーは事情を説明される間に、ふと荷台の壁に目をやる。
壁板が、一面だけ不自然に新しい気がしたのだ。
しかし違和感はすぐに消えてしまう。思考に靄がかかったように。
……気のせいだろう。
ツァツリーは振り返らずに、馬車を降りた。




