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229枚目 「カフス売りと青灰」


 石切りの町に夜の帳がおりた頃。

 宿屋で一人の商人が、氷入りの器を回していた。


 染屋の天幕で会った人物が言うには、魔導王国の従者二人が町から消えたらしい。

 思わず顔を歪めてしまった。嫌悪ではなく滑稽さに笑う方面で、だった。


 商人は彼らがイシクブールを出る時期が近いことも、蚤の市の件を解決したにもかかわらず彼らの目的が解決していなかったことも知っていた。


 平和な町で生活してきた灰髪の少年にその後の行動まで報告する義務は無いのだ――蚤の市の件で針鼠の少年がそうしたように、彼らと部外者との間には明確な一線が存在する。


(それは、一介のカフス売りでしかない俺も例外じゃあないんだが)


 あの一瞬はその事実も忘れて、ほんの少し笑ってしまった。


 彼らの身近な場所に居た筈の少年ですら聞かされていなかったのだと知って、少しばかり安堵してしまった。


 大人げない。


(仮にも、スカルペッロ家の坊ちゃんを相手に侮ったのが不味かった)


 表情を崩したカフス売りを見て、少年は不安げに顔を俯けた。


「そっか、何か情報があればと思ったんだけどな。……カフス売りさん。僕が何を探しているのかは、流石に知ってるよね?」

「勇者だっけか」

「そう。勇者探し」

「勇者って、そこに浮いてる魔王城に突っ込んで帰って来なかった奴のことだろう?」

「そうだよ」


 青灰の虹彩が向けられる。


 あの鼠顔の男がその関係者かも知れないって言ったら。

 僕があの獣人もどきを追いかけるつもりだって言ったら。


「興味、ある?」


 それは心くすぐられる浪漫がある話で、明らかに甘言だった。

 商人は首を振ろうとして、それを少年が制す。「最後まで聞いて欲しい」と暗に言った。


「かの勇者一行が戦時に発現させた大規模結界。その構築に僕の父親が関わっていたことを、思い出したんだ」


 カフス売りは相槌を打とうとして失敗し。

 青灰の少年は母親に似た笑みを目に浮かべると、繰り返した。


 興味は、あるか。と。


(……こうして大の大人がひとり……乗せられちまったわけだ……)


 回想もほどほどに器の氷を回す。冷えたグラスが指の温度を奪っていく。


 現在、カフス売りの商人グリッタはイシクブールの宿屋に身を寄せていた。

 水と氷だけが入った器に口をつけ、酒の代わりに嚥下する。


 のぼせた思考を冷やすには足りない。

 冷たくなったのは指先と喉だけだった。


「さて、どうしたもんかな」


 商人はひとりごちる。


 手元には年季の入った回線硝子(ラインビードロ)があり、それが鈍い光を放っていて――この夜繋いだ回線(ライン)は同じ相手に二回だった。


 商人はいよいよ選択を迫られている。


 無謀ともいえる息子の暴走を止めるべく動き出した母親の動機はもっともである。グリッタだって、蚤の市に出しゃばった子どもたちを相手に同様のことを思った。


 子どもは、すべからず護られる対象だろう。

 問題は、キーナがその説明では満足しないだろうということだった。


 大人が子どもを庇護したいからという理由づけが通じるのは、年端もいかない子どもまでの話だ。キーナは現在、少年と青年の境にいる。


 通したい道理を自覚して、周囲の在り方に疑問を抱く時期だ。


(目を背けてきたことに気が付いて、確かめる為に飛び出そうと決意する。なるほど、喜ばしい成長じゃないか。キー坊は「変わる」と決めたということだ。殻を破ろうと必死ってことだ)


 カフス売りが故郷を飛び出して行商を始めたのも十代だった。その事を思えば、籠の鳥が飛ぶ練習を始めたのだと、笑って見守るのも大人の務めではないかと思う。


 だが。多くの冒険は「大人が庇護できる圏内」であるが故に許容されているのだ。


(キー坊が考える以上に、俺は強くない)


 商人にしては腕っぷしがある方だろうが、あの針鼠が取り組む目的とやらに足並みをそろえてついて行く自信があるかと問われれば頷きかねる。


 魔導王国から派遣された役人――獣人擬きの金髪少年。

 ハーミット・ヘッジホッグに、グリッタは敵わない。


(危惧する以上に、仕事の内容が過酷な可能性だってある)


 そうなればグリッタはキーナを守れない。

 その「もしも」がある以上、カフス売りの商人は心の底では賛同しかねているのだ。


(……だが)


 灰髪の少年の言葉が耳にこびりついて消えない。


(俺だって。どうしてアイツが死なにゃならんかったのか……知りたい)


 興味がある。知りたい欲がある。


 罪を重ねることになる。確実に後悔する。

 だのに。他ならない彼の息子が、それを望んでいる。


「……」


 溶けかけの氷を口に含んで噛み砕き「準備だけはしようか」と言い聞かせて立ち上がる。


 「お仕置き部屋で寒がっているだろう坊ちゃんの話し相手になりに行くだけだ」と。自らの行動に適当な理由をつけた。


 努めてなあなあに、けれど諦める気などさらさらなく……そんな態度で居たから、罰が当たったのだろう。


 カンテラの灯りが落とされた宿屋のロビーで目が合う。

 受付係は見知った顔の女性だった。


「……お客様。この夜中に何かご予定でも?」


 彼女は復帰したばかりの受付係、パン屋を目指す商人。

 遊撃衛兵のシグニシア・スカルペッロだった。







 「夜風にあたりたくなったのだ」と。そう適当な理由をつけたところ、受付係は少しばかり黙して「一人では危険ですから」とカウンターを出てきてしまった。


 数日前に塗り直されたばかりの白い石畳に、二人分の影が伸びる。


 手入れしたばかりの新しい靴底がすり減る音がする。商人の斜め後ろに二歩ほど距離を取って、カンテラを片手にしたシグニスがついていた。


 グリッタは静まり返ったイシクブールを見回して、中央街道をそのまま北上する。

 骨竜の像が見えてきたところで耐えきれなくなった商人は、恐る恐る口を開いた。


「……ひとりでは危険だ、というのはどういうわけで?」

「ご存知ありませんか。夜に独りで出歩くと三つ首鷹(スリーヘッドホーク)に攫われるんですよ」

「あー、そういう話もあったな。絵本だったか」


 グリッタは骨竜の像の前で足を止める。

 右腕に留めた長剣を気にしつつ、左向きに半身だけ振り向いた。


 カンテラの光に阻まれてシグニスの表情は読めない。柄のついた棒先で橙色が揺れる。

 彼女の肩を覆うマントを留めた、三つ首鷹(スリーヘッドホーク)の紋章が光る。


「心配せずとも、宿泊代は割増しで部屋に置いてきたんだが」

「……支払いの心配はしていません」


 カンテラの先がグリッタを避けて、像の向こう側へと歩を進めた。

 進行方向は真北のまま、スカルペッロ家の本邸へと続く道だ。


 カフス売りは歩幅を小さくしてシグニスの後ろをついていく。

 もし妨害されたなら、目の前を行く彼女を振り切る他にない。これは難題だ。


 遊撃衛兵がどれほどの実力主義なのかは知らないが、身体の弱い長女や次女と違って、彼女は幼少期からひたすらに訓練を受けていたという。


 蚤の市では賊の幹部を一人捕縛し、立てこもりの店を単身で開放したと聞いている。


(そんな相手に、ただのカフス売りが何処までついていけるかね)


 ぴりついた空気のまま、二人は石畳を進んでいく。

 カフス売りは夜風にあたるといっただけだが、彼女は彼の目的を知っているようすで、実に自然に本邸の前を通りがかった。


 別れた道の西の方へ、つま先を向ける。


「お名前。グリッタさん、でしたね」

「……ああ」

「私は貴方のことをよく知りません。だから許すことも憎むこともしていません」


 シグニスの瞳に橙色がかぶさって。青色が闇のように黒くなる。

 栗色の髪を風に揺らし、彼女が手をかけたのは鉄門だった。


 しかしそれは本邸の玄関に繋がる門ではない。

 使用人たちが利用する宿舎、その横にある小さな裏口である。


 手袋をした華奢な手のひらが鉄のアーチに添えられる。


「ですが、理解しかねることもあります」

「……」

「貴方が彼の手助けをする理由は、何ですか」


 その言葉に、何を答えても間違いになる気がして。グリッタは口を噤む。

 カンテラの火魔法がぱちぱちと弾ける音が石畳に染みた。


 ぐるぐると腹の底が燻る。

 灰髪の少年を利用しようとする自分自身への嫌悪が募る。


 夢物語を追いかける姿を応援したい、などという綺麗な気持ちばかりではない。


 亡き友人を救えなかった事実を、彼の息子を見守る事で取り返そうとしているのかもしれない。

 彼が辿ろうとしている道筋が良くも悪くも正しいという予感があるから、後を着いて行って真実を思い知りたいだけなのかもしれない。


 だが違う。違うだろう。

 そういうことじゃあ、ないんだ。


 そうじゃあ、ない。


「……頼まれたから、だ」


 贖罪も親心も()()()()()()

 きっかけがなければ、グリッタがイシクブールに戻って来ることは無かった。


「他にも頼れる相手はいただろうに、キー坊は俺に協力してほしいと言ったんだ。大好きな母親の披露宴を抜け出してまで追いかけてきて、流れのカフス売りに頭を下げたんだ。……そりゃあ、受けるしか、ないだろう」


 お兄さんじゃ、力不足かも知れないがな。


 グリッタは自虐を込めて呟く。

 吐き出した後になって、針鼠と黒髪少女の気質がうつったようだと思った。


「そうですか」


 温度の無い声が返って来て、しかしシグニスがその場を退くことはなかった。

 気まずさに商人がもみあげを弄り始めると、一方で門扉の錠を外す音がする。


 シグニスは宙に浮いた行き場のない手のひらを胸元に添えて数歩後退すると、扉の向こうからやってきた使用人に何とも言えない視線を注いだ。


 どうやら彼女が開錠したわけではないらしい。けれど彼女はグリッタを引き留める気を失くしたようで。踵を返すと一礼し、さっさと西地区へと行ってしまった。


 門を開けた使用人は音もなく手を振って、目を丸くしている商人へ会釈する。


「彼女はパンを取りに戻ったんですよ。奥様と旦那様の視線を掻い潜るには、その隙を突かねばなりませんから」

「お前さんのことだからてっきり、キー坊を咎める側に回ったと思っていたんだが」

「貴方がキニーネを少しでも子ども扱いしたなら、そうするつもりでした」

「……そうかい」

「出立の前に色々と説明せねばならないこともあります。彼の体質や得手不得手、思考回路の癖に趣味嗜好。……それらを駆使して、キニーネを必ず無事に連れ帰ると約束して下さい」


 誓わずとも、貴方ならそうすると分かっていますがね。


 使用人は商人を見据えて言う。

 パステルイエローの虹彩は鮮やかな黄色に輝き、纏められた髪は白。


 そこに、どうしようもなく重なる面影は――グリッタが見た願望だった。


 カフス売りは眩しげに目を細めると、口の端を歪めてバンダナの位置を直す。

 二人を受け入れた門扉は、気配を潜めるようにして閉じられた。





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