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227枚目 「白銀を引く」


 木目美しい扉にノックする。返事を聞いて、キーナは扉を開く。


「……失礼します」


 部屋を覗くと、薄暗い部屋の奥で栗色の髪がなびくのが見えた。


 アステルは栗色の髪を束ね、菓子とティーセットを揃えた小さなラウンドテーブルを前に腰掛けていた。今日はどうやら体調がいいらしい。駆動やベッドに腰掛けていない母親を前にするのは、久しぶりのことだった。


 キーナが扉を閉じて近づくと、湖面のような青い瞳がゆったりと細められる。


「おかえりなさい、キーナ。待っていましたよ」

「……ただいま。いつ帰って来るかも分からない息子を窓際で待つなんて、身体冷やすよ?」

「ふふ。抜かり有りませんわ、ネオンがショールに術式付与してくれていますから」


 春物と見間違うパステルイエローのショールに肩を包まれたアステルが笑う。


 彼女のことだから、自分の肩にかかっているそれの色も承知の上なのだろう。キーナは頭の後ろを掻くと、ほんの少しだけ居心地悪そうにした。


「それで、どうかしたの母様。急に呼び出したりしてさ」

「ええ。披露宴と蚤の市に協力して下さったお礼と、お給料を渡していなかったと思って」

「おお、早めの臨時収入……何に使おうかな」

「貴方が働いて得たものです。貯めるのも使うのも貴方の自由ですわ」


 きらん。と、効果音が尽きそうな怪しい笑みを向けられて固まるキーナ。


 一般家庭ならともかく、商人の顔でそれを言われると困る。貯めるのは数割にとどめ、残りは人脈作りに使ってしまった方がいいのかも知れない。


(丁度靴裏も減って来たし、靴は新調するか……いや、ラエルさんたちが持ってるような引き出しの箱(ドロワーボックス)の魔法具も捨てがたい。あれ、便利だもんな)


 あれこれ思考しながら給金を受け取って、行儀は悪いが目の前で枚数を確認する。以前どさくさに紛れて割増しで渡されたことがあるので、念のためと染みついた習慣だった。


 確認してみると、やはり働いた分とは別に割増しがある。

 アステルがお金の枚数を間違える人ではないと知っているキーナは、慣れた手つきで余剰分を抜き取ると革袋に入れ直し、彼女の手元へ差し戻した。


「あら、戻すにしては多いですよ、キーナ」

「催涙雨の件もあるし。僕はあの蚤の市で、少しも働けたとは思ってないよ」

「……判断を悔いているのであれば、この分は聖樹信仰教会に支援するといいでしょう。パルモさんにもお世話になりましたし」

「それなら、いま手元にある分含めて全部渡して来るけど」

「なりません。その分は貴方の資産として活用しなさい」


 貯めるも使うも自由だと言ったのはアステルのはずなのだが。灰髪の少年は言い返しそうになるのをぐっとこらえて、渋々と革袋を手元に引き寄せた。


 アステルは満足げに笑うと杖を手に取り、立ち上がる。筋力不足でおぼつかない足元を気にしながら、顔にかかった髪を耳にかけ直すと息子の目の前に立った。


 十五になったキーナとその母親であるアステルには、あまり身長差がない。

 その内追い越されて見上げる側になるのだろうなと想像して、アステルは目元を緩めた。


「ひとつ、伝えておかねばならないことがあります」

「……」

「六年と少し前に起きたシンビオージの消失。あの場に居合わせた者のことを、わたくしとネオンは憶えています。そして、何故シンが町から出て行ってしまったのかも、その結末までも知っています。……貴方に伝える準備も、できています」


 キーナの手元で、スカーロ硬貨を詰めた革袋が音を立てる。

 教会の展示を見に行った際に、パルモが口にしたことを思い出していた。


 この町を救うために、結界構築に必要な魔力を提供した白き者(エルフ)


 複雑な顔をした息子に対し、母親が杖を床に打つ。

 タイルに響いた音が、妙に耳に残った。


「心の準備ができたら教えて下さい。ええ、家出の後でも構いませんけれど」

「うん。そうす…………家出?」

「はい。貴方、数日以内にこの町を発つつもりだったでしょう?」

「っ!?」


 飲みこみそびれた唾がキーナの喉から音を立てる。

 アステルは距離を詰めると、それすらも愛おしいと言わんばかりに息子を抱きしめた。


 甘い香水とよく知った匂い。日焼け知らずの肌が真っ赤に染まる。

 嬉しいんだか悲しいんだか――それよりも羞恥と焦りが勝ったようだ。


「な、何の話!? 蚤の市のごたごたは済んだし、市も披露宴も滞りなく終わった! 確かにペンタスが町を出るつもりだって聞いた時は驚いたけど、僕まで勝手に町を飛び出すわけないだろ!?」

「うふふ。そうはいっても、この世には抜け道と方便が溢れていますし。一度ならず二度も身内に騙された身です、明日は我が息子という気にもなりますわ」


 耳元で諭すように囁かれる言葉に身震いする。


 世の男や女はこの声音と挙動に魅了されるのかもしれないが――キーナには、アステルが怒っているのかそうでないのかぐらいは判別がついた。


 つまり、ここ数日の息子の奇行を、この母親は「承知している」ということだ。


 息子の肌触りを十分に堪能して開放すると、アステルは悪戯に笑い。顔を上げる。

 瞬きほどの時を挟んで、その表情からあどけなさが掻き消える。


「わたくしには、貴方のことを引き留める義務があります」


 一人目は引き留められなかった。

 二人目は離れて行ってしまった。

 三人目はもう少しで手遅れになるところだった。

 なら、四人目は?


 栗色の髪がほんの少し揺れる。青は、真っ直ぐに青灰を射た。


「迷いません。わたくしは、貴方を引き留めるために何でもしましょう」

「……母様、それは宣戦布告ってこと?」

「はい。もし謀るというのなら、わたくしの()を誤魔化す覚悟をなさい。いいですね?」

「…………!」

「沈黙は肯定と受け取りますわ」


 そう静かに告げた彼女は。

 厳しくも息子を案じる、母親の顔をしていた。







 人は、眠ることで疑似的に死を経験するのだとか。そんな話を聞いたことがある。


 キーナの場合、眠っていたのは記憶であって意識では無かったのだけど――ともかく、蚤の市の一件で『開いた箱には(アリトゥコティ・シヴ)潰れた鍵を(リウェーノキーヴィ)』を解術したあの瞬間、何も知らなかった灰髪の少年は、一度死んだのだ。


 眠りにつくことで疑似的な死を体験していたのは記憶の方だが、それらが上書きされたことで、少年は明らかに以前の「キニーネ・スカルペッロ」とは違う誰かになった。


 過去の彼を硝子に例えるなら、現在の彼は鏡だろう。

 磨いた硝子にひとつ素材を足すだけで、全く用途が違うものになった。


(身体も意識も継続している以上、僕は僕なんだろうけど)


 しかし、あれだけ受け入れがたかった母親の発言を受け入れて、ネオンに対して抱いていた怒りが鎮火して、あんなにも憎らしかった父親を客観的に思い出せるとなれば……二週間前のキニーネと今のキニーネは別人と言っても過言じゃあないだろう。


(……それに。教会でパルモさんが言ったことが本当なら……)


 晶化による被害を避けようとしたネオンが蚤の市で自暴自棄に陥ったように、キーナの父親も「晶化」が原因で町を出て行ったというのなら。


 その原因が、イシクブールを守るためだったとして。

 勇者一行の白魔導士は。そうと知っていてなぜ笑ったのだろうか。


(僕は。知らなくちゃいけない。知らないままにしちゃいけない)


 キーナは、思い出した事柄について無視することができなかった。

 勘を確かめずにはいられない。これは、僅かに残った過去の自分の意思なのだ。


 例え、硝子に銀を塗っただけの、シケだらけの平面鏡であっても。


 黒髪の少女が吐露した過去のように、向き合うべきだと。

 勇者を探し出してでも真実を知りたいと。思った。


 のに。


「っ――だぁぁあああああああ!! 『沈黙は肯定と受け取ります』!? 人の考えてること見透かしたような目ぇしてさぁっ!! そういうところだよ母様ぁ!?」


 ……夕食後。


 自分の部屋に鍵をかけた上でベッドに突っ伏し、枕に顔を埋めての第一声がそれだった。

 キーナはぐるぐると巡る思考に歯止めをかけるため、そのままの体制で状況を整理する。


(あの針鼠とラエルさんの姿が見えなくなったのが披露宴の日。最後に会ったのはその前日だから今から数えて丸二日前だ。丁度、レーテじいちゃんがバクハイムに行った日と被る)


 披露宴の日に抜け出して聞き込みをした時も、イシクブールから魔導王国の役人たちが出て行ったという話はなかった。となれば、怪しいのは祖父のレーテである。


 しかも彼は今朝方急に帰宅していて。町長となにやら慌ただしく会話をした後、使用人たちを駆り出して町を走り回っていたというではないか。


(「鍵」を探しているとかなんとか言ってたけど……町の端から端、小さな倉庫の鍵から地下通路の鍵まで片っ端からかき集めて。それ、何に使うんだ?)


 集めているらしい鍵は最新鋭のものではなく、イシクブールで昔から使われている細い丸太に凸凹を彫っただけの鍵棒である。普及率が高いそれを、全て最新式にでも取り換えようというのだろうか。このタイミングで?


(レーテじいちゃんが慌てて戻って来たなら、バクハイムでそれが必要になったってことなんだろうけど……参ったな。荷物に紛れ込む予定が、このままだと木箱の中で鍵棒に埋もれることになりかねない……)


 キーナは少しだけ考えて、左手首にした木製リストバンドをくるりと回す。ペンタスや使用人たちへ繋がる硝子(ビードロ)の隣。少し前まで開いていたくぼみに、真新しい硝子が嵌め込まれている。


 グリッタブルー、夜空の黒。

 キラキラと宝石のようでいて、安っぽい輝きだ。


「……」


 迷ったのは一瞬で、灰髪の少年は回線(ライン)を繋げた。

 二、三言会話を交わして後に通信を切る。


(決行は皆が寝静まってからだな。母様を敵に回す以上、僕にできる全力を尽くさないと)


 その前に、ちょっとお手洗いに行こう。

 キーナは決意を固めた足で立ち上がり、部屋の扉を開く。


 ――あらぬ方向から雷魔術が肩に落ちたのは、その時だった。


「!?」


 ばちん!! と、強い静電気に触れた様な感覚が身体を走る。

 衝撃に慌てて柱を掴むが、それだけだった。


 思わず頬に触れる。怪我はしていないらしい。床に目を落とすと、見覚えのない焦げ痕。

 扉を立てつける木枠を観察してみれば、見知らぬ魔力駆動が張りつけられている。


 手のひらほどのそれは丸いスコーンのような風貌で……鏡の入った丸い硝子玉がこちらを向いてぴたりと動きを止めていた。


「…………まさかなぁ」


 と、キーナは少しだけ空いた扉の向こうを確認した。


 まさかだった。


 廊下の天井や床の端に、手のりサイズの駆動が設置されている。点々とまるで木の実が落ちているような間隔で設置されている追尾鏡は、物音ひとつで一斉にこちらを向いた。


 盾にするように、扉を閉じる。

 扉は、幾つか魔術の攻撃を受け止めた後に穴が空いた。


 キーナは距離を取り、深呼吸する。


 直撃しても肌がピりつく程度ということは魔法並の威力だろうか。

 しかし駆動の数が多い。全て身体に受けていたら体力を消耗してしまう。


 念のため窓枠も確認するが、同じ駆動が外に設置されていることが分かっただけだった。


「……ふ、ふふ……ははははは……」


 アステルは「目を掻い潜れ」と言っていた。

 これは命を賭けない意地の張り合い――喧嘩である。


「成程。分かった。どうにかしろってことだよな」


 ここを切り抜けられなければ、母親を振り切ること叶わず!!


 キーナは髪を束ねると荷物袋を背負って、左手に魔術書を持った。

 フード付きパーカーに革の下衣。黒い薄手の革手袋を身に着けて、胸元には銀のループタイが揺れる。


 伊達眼鏡にハンチング帽。旅用に買った厚手のマントをその上から重ね着した。


 キーナは部屋の出入り口に設置された駆動を破壊し (恐らく母親の作品だろうが今回ばかりは容赦する気になれなかった)、音を立てないよう開いた扉を後ろ手で閉める。


 駆動に発見されてから魔術が飛来するまでの時間には僅かな間がある。少し丈夫な化粧箱を盾にすれば弾くも流すも容易だった。陸橋の上で殺気混じりの火の球を目の前で受けた経験が今になって生きている――気がした。


 そう。


 あくまでも「気がした」だけなので、扉の後ろに潜んでいた駆動搭乗中のアステルにまんまと見つかり、彼は一瞬でお仕置き部屋へ突っ込まれた。


 勝負は一瞬で決着がついてしまったのだ。

 完全にキーナの負けである。


 窓の外から差し込む月明りが、格子の形を描く。

 キーナは冷や汗をかきながら、余裕ぶって回線(ライン)を繋いだ。


「――かくかくしかじか、本邸の地下にいるから!! 頼りにしてるから!!」


 回線(ライン)越しに静かな叫び声を上げた商人は、しかし断る言葉を発せずに唸りつつ通信を切る。

 灰髪の少年は「悪いことをしているなぁ」と思いながら腕輪から口を離して、一息吐いた。


 ……白木聖樹教会で目にした「聖女」の絵は、記憶とは少し違う配色をしていた。


(僕は、あの場に居合わせた白魔導士が金髪だったことだけは憶えている)


 そしてキーナは、地下道の暗がりと本邸の屋上での二回、()()姿()を目にしている。

 その時は髪色がカンテラの橙や、夕暮れの赤に混ざってよく分からなかった。


 けれど二日前、ポフの窓から見かけた鼠頭の内側は――目を疑うほど美しい金色だった。


「……」


 青灰の目から光は失われず。

 格子の外の二つの月が、並んで光の帯を落としていた。





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