226枚目 「辰砂のアプル」
勧告の内容を耳にして、蜥蜴の獣人はポカンと口を半開きにした。
『……随分と刑が軽いな』
「貴方もそう思いますか。気が合いますね」
「何を言ってるんですか貴方たち」
空になった黒い箱を片付けながら薄茶の髪が振り向いた。どうやら幹部の殆ども後先考えずに脱出していたらしく。幹部の中で瓶に残っていたのはサンゲイザーとベイツの二人だけらしい。
眼鏡を失って久しいアッシュブラックの青年は、ぼやけた世界にまどろみを覚えたのかこくりこくりと転寝をしている。この状況でよく眠れるものだ。サンゲイザーは内心で突っ込んだ。
一方、赤服の魔術士は気にせず言葉を続ける。
「これだから第二育ちの方々は……あのですねぇ、獣人や魔族ならともかく人族や白き者が耐えられる年数に思いますぅ?」
『いや、獣人だって百十六年も収容されりゃあ身体鈍って死にやすくなると思うんだが』
「鈍るとかじゃあなくて老衰が先に来るんですよぅ。人種ごとに寿命の差があるんですから――まあ、終身刑にならなかった部分は私も納得いってないですけどぅ」
貴方がたは「更生の余地あり」と判断されたんでしょうね。と、赤服の魔術士が言う。
ここに集められた構成員は全体の半分にも満たない。サンゲイザーも隙を見ては構成員の把握に努めていたが、勧告の内容を聞いてやや納得がいった様子である。
魔法瓶の内側に居た構成員の一人が、恐る恐る疑問を口にする。
『この部屋に居ないやつらは、どうなるんだ?』
「面談から過去の自白と認知資料を総合的に判断した結果、強姦や暴行、殺害の動機に快楽を求めるなどした前科を確認し、これらが享楽罪に値すると判断されました。彼らは魔導王国に収監されることが決定しています」
『……享楽罪……』
「はい。道楽の為に他者の権利を貪った者、その自覚がない愚者にあてがわれる罪です」
抑揚も情も込められていない返答に、質問した構成員が黙り込んだ。
場の空気に気圧されることなく淡々と説明を行う白魔導士に、サンゲイザーは苦笑を漏らす。
蜥蜴の獣人にしてみれば、この部屋に居ること自体が「自白」になりかねない事態だった――首領や小人は床に転がされて伸びているが、意識が戻っていたらと思うと恐ろしい話だ。
サンゲイザーは「ぎぃ」と口を裂き、無理矢理笑うような顔を作った。
『しゅるるるる! おいおい、それじゃあどうしてオレがこの場に居るんだ。跳痺の牙ことサンゲイザーが、悪事悪道の全てを楽しむことなくやってきた聖人だったとでも?』
「……自認と鑑定結果がずれることは、ままあります。結果がお気に召さないのであれば、再鑑定の申請を出しましょうか?」
鱗を逆立てた獣人へ、黒ぶちの丸眼鏡が向けられる。
嫌悪や憎悪のような感情は込められていない。ただ、諦めているような目だった。
しかし、少年は視線を外すと眉間の皺を解す。この場に適さない態度だということは重々承知しているのだろう。赤い瞳を伏せながら、薄い唇が動いた。
「どちらにせよ、罪を重ねた彼らの処分を保留しなければなりません。勿論、止める努力をしなかった貴方がたについても同じです。観測罪、もとい注意は受けることになるかと」
メモをし終えた書類をまとめて、引き出しの箱に収納する。新しい魔法瓶や拘束魔法具をつぎつぎ取り出しながら、落ち着いた口調で白魔導士は言った。
サンゲイザーは瓶底に胡坐をかいたまま頬杖をつく。刑が重くなるという勧告すら、目的を果たした彼にとっては些事だった。
(百十六年か……随分と暇になるな)
しかしその後の言葉を待つものの、衣擦れの音がするだけで何も発されない。
顔を上げてみれば、白魔導士と赤服の魔術士が二人とも同じ方向へと視線を注いでいた。
扉の窓越しに人の影がある。イシクブールの衛兵だろうか。
「どちらさまですか。用件があるなら手短に、扉を開かずにお願いします」
「は、魔導王国の従者殿、四天王強欲からの伝言をお持ちしました。レーテ様曰く、人員の確保について協力を願いたいとのことです」
「人員? 人手は足りているのではなかったのですか」
「それが……ま、丸太を振り回せるほどの剛力が必要なのだと。イシクブールの衛兵や遊撃衛兵には、そのような剛力を持ち合わせた者は居らず」
役人二人は顔を見合わせて、それから複雑な顔をする。蜥蜴は何となくその顔の意図を掴んだ。どうやら無茶ぶりに近い仕事が舞い込んだということらしい。
「丸太を振り回せる剛力、ですか」
「はい、書類にもそうあります」
白魔導士は暫く黙って「分かりました。書類をまず確認させてください」と返答した。
そうして、赤い瞳が黄金の瞳に向けられる。
嫌悪や諦めとは明らかに違う視線に、サンゲイザーは思わず顔を引きつらせた。
「……」
『……』
(なんだその目……すげぇ嫌な予感がするんだが)
汗をかかない蜥蜴の鱗が、威嚇でばらばらと動き出す。
面倒事に巻き込まれそうな気配だが、上手くいけばこの状況を利用することができるかもしれないとも思う。利用されたいわけではないが、武者震いが止まらないのも事実だ。
それは、あの針鼠が関わる事柄だからか――或いは。
サンゲイザーは、引きつった笑みを手のひらで覆い隠した。
しょりしょりと果肉を削る音がする。
ネオンは、今日もアプルの実を剥いていた。
キーナに『同調』を仕掛けていた張本人であり、彼の母親であるアステルとは幼なじみかつ夫婦。
蚤の市騒動の裏で糸を引いていたが、ラエルの奮闘とサンゲイザーの謀略で全てを台無しにされ、かつ命を救われた一人の白き者である。
あの一件以来、キーナにはカービングが成されていないアプルが提供されている。
何度も重ね掛けてきた記憶封じが針鼠の独断で解き放たれ、灰髪の少年は多くのことを知ってしまっただろうけれど――どういうわけか、キーナがネオンやアステルへの態度を変えることはなかった。
披露宴での騒ぎを含めても、キーナがネオンに悪戯を仕掛けるのは日常茶飯事である。
今日だって朝食代わりにアプルを一つ調理場から受け取って町へ降り、そのまま昼になってしまっているのだが……これだっていつも通りのことだ。
違うのは、彼が『同調』を施したアプルを口にしていないということで。
そうなると昼夜忙しくしているネオンには、彼を見守る術がないということだった。
(何年も騒がしい声を聞きながら仕事をしていたものだから、こう無音の中で無心に何かを始めると物足りなく感じますね)
ぴ、と。アプルの赤い皮を切り取って、手元でナイフを回転させる。
果物ナイフを構え直し思索したところで、刃を拭いて布に挟むとまな板に置いた。
振り返ると、廊下を全力疾走しながら調理場の扉を押し開いたキーナの姿がある。
「お帰りなさい、キーナさま」
「……ただいま。ネオン」
間があって返された言葉に苦笑を返す。
そも、あれだけのことをしでかした元使用人が、愛する母親と籍を入れたのである。
兄であるメイオとの異父関係も知らせないまま現在まで引き伸ばした答え合わせを、この数日で叩き付けられて。それはさぞ苦痛だったに違いない。
「昼食の用意はいかがしますか? 果物の他も、一応揃えていますが」
実の父親を恨むことを止めようとせず、傍で見守るしかできなかった一人の男は。これから先、父親として認められることはないだろう。
「アプルでいいよ。その籠のやつ、一つ頂戴」
「分かりました」
ネオンは言われた通り、籠から新しいアプルを取って渡す。
キーナは青灰の瞳でこちらを見上げつつ、赤い皮に歯を立てた。
蜜入りアプルは小さな口に削がれて、形を欠けさせる。
その果実を成らせた庭の果樹が、シンと呼ばれた白き者の手によって植えられたものだということを。キーナは知らない。
しばらくの間、調理場には沈黙が訪れる。
ネオンは削る途中だったアプルを口に寄せると、自分もそれを齧った。
剥きたてを食べるのは、いつ以来だろうか。
キーナは目を丸くして見ていたが、アプルをまた一口齧り取った。
零れた蜜を舐めとって、透き通った甘さが喉へ落ちる。
「……ネオンは、さ。僕のことどう思ってたんだ?」
「どう、といいますと」
「跡継ぎ候補なのに愚痴混じりで式典をこなしたり、言うこと聞かずに皆を困らせたり。単独行動して墓穴掘った挙句に周りに尻拭いしてもらってさ。それでも懲りない変な子どもだって。思わなかった?」
ネオンはキーナの言葉に閉口する。何て悪餓鬼なんだろうと思った過去がないとは言えないが、それは発達に伴うごく普通の反応だろうと認識していたからだ。
終戦後、キーナが町を駆け回る理由を知らなかったわけじゃあない。
それこそ全て聞いていたからこそ。ネオンは記憶を封じ続けたのだから。
「貴方は、今でも迷っていますか。スカルペッロ家に産まれたことを、悔いていますか」
「いいや。少しも」
「……そうですか。私は貴方を『見て』きました。それなりに対処に困ることもありましたが、キーナさまがキーナさまであること以上に、私の望みはありません」
――己を見た者、知った者、送った者の胸中に問え。
これは、スカルペッロ家の教えではない。第四大陸に伝わる教えだ。
晶化による絶命を受け入れても、最期の旅までに得た縁をないがしろにするなと。
他者から見られていることを自覚しろと。他者から想われていることを自覚しろと。
死地へ向かう己へ問い。死地へ行く大事な人へ捧げる。手向けの言葉である。
(私はキーナさまを指導する一方で、想像することを辞めてしまっていたのだろう)
自分が居なくなったら周りはどう思うのか。それまでの自分がどう見えていたのか。
自分自身を、知ることができていただろうかと。自責する。
キーナはもう一度、音を立ててアプルに噛みついた。
「あの人も、似たようなことを口にしてたな。怒ったような口調でさ……まあ、そうか。僕にとっての父親は、憎かろうが愛しかろうが、あの人ひとりだしな」
「……」
「僕は、シン・カーマイン・ラールギロス=スカルペッロの血を引いている。母様を置いてどっかへ行ったらしいあの人が、多分もう生きてないってことも分かってる」
「……」
「母様が僕をあの人と重ねる理由も……分かった。だから、もう何にも怒ってない。ネオンのことも、母様のことも、あの人もことも。僕がキニーネであるために、飲みこむことに決めた」
ヘタだけになったアプルの実をゴミ箱に入れて、灰髪の少年はネオンへと向き直った。
「でも、ひとつだけ。納得がいっていないことがある。聞いてくれるか、ネオン」
「……キーナさまが望むのであれば」
ネオンは自虐気味にそう口にした。
けれど、向けられた青灰の目に口を結ぶ。
「僕のことは呼び捨ててくれ。義父に『さま』づけで呼ばれるのは本意じゃない」
その言葉はきっと、糾弾のためでも懇願のものでもなかった。
「それじゃあ、母様に呼ばれてるから」
踵を返し、灰髪の少年は調理場から姿を消す。
(……許しではない。これは只の許容なのだと分かっている)
分かっているはずなのに、男は黄色の瞳を閉じることができないままだった。
何処からか溢れた感情を胸に抱き、齧りかけのアプルを片手に、ずっと、立ち尽くしていた。




