225枚目 「沈黙か雄弁か」
魔法瓶の内側で、喉を鳴らす。
初めて彼を個人として認識した時のことを思い出す。
籠に積み上げられたアプルの実と、ダッグリズリ―の革を張った鼠顔でこちらを覗き込んだ硝子の双眸。
(……第二大陸で起きた大規模闘争が二年前。ヘッジホッグという名の獣人が魔族や白き者と手を組んで、当時最大規模とまで言われていた強盗団を二つ、同士討ちさせた挙句、組織解体まで追い詰めた事件――ああ。大事件、だった)
燃え盛る東市場で不意を打たれた際には顔を見る余裕も無かったが、灯りの元でまじまじと見たならすぐに判別はついた。これが昔は第二大陸で「獣人」だと信じて疑われなかったというのだから、凄まじいことである。
人種入り混じる第三大陸にいて、体臭を誤魔化す香水をふりかけるだけで生活できる程度には、ほとぼりもさめたのだろうが……蜥蜴の鼻が騙されることはなかった。
あれは、人である。獣の血を引かない人種である。
だが同時に、人族にカテゴリせざるをえないというだけで……厳密にはそれとも違う。
人族にしては歪で、魔族や白き者にしては魔力の匂いがさっぱりしない――決定的に何かが足りないような体臭。
故に異質。
それが、あの説得の場でクレマスマーグ・サンゲイザーが抱いた感想だった。
一度は石机に叩き付けてしまった硝子の円盤を、手で弄ぶ。
獣人の中でも爪牙有鱗の肌は、個人差があれ鱗に覆われていることが殆どだ。削れてしまった筆跡に爪を立てないように、鱗を掠めないように配慮する。
そして三日前、再会したかと思えば辛気臭い顔をされたのを思い出す。
罅の入ってしまった瓶蓋に刻まれた署名も乙なものだが、やはりコレクションにするなら革か何かに刻んで貰う方が好ましい――そう言い出そうとした矢先に「サインじゃ満足できないだろう?」などと言われてしまったら、こちらはどう返せばいいというのか。
一周回って、素直にファンだと言ってしまえば良かったのだろうか。
(いいや、それでもアイツは俺の言葉を信用しなかっただろう。……あの目は、一度裏切られているからとか、そういうありふれた理由じゃあなさそうだ)
少年は恐らく。信じたいと願う一方で、誰一人信じようとしていないのだ。
(だから必要以上に情報をかき集める。信用に足る理屈を自分の中に組み立てようとする)
……そのことに同情や憐みを向けようとした自分に気が付いて、奇しくも一人で抱え込む性質が似通っていると思い至って。
サンゲイザーは首を振ると顔を上げた。
目の前には、ガラス越しに黒ばかりの壁がある。
箱の内側から外の様子は伺えないが、運ばれた先で何が起きたかだけは理解できていた。
蜥蜴の獣人サンゲイザーを含めた幹部六名と、その傘下の構成員が一部屋に集められたのがつい先程のことだ。
十三回鐘の音がするまでの間に、魔法瓶間では活発な意見交換が行われた。
まず、部屋に集められた構成員は捕縛された全員ではないということ。
幹部六名を入れた黒箱は他構成員と同じ机に置かれておらず、干渉が難しいということ。
だが。どれだけ状況が最悪であろうが――この場から逃げる。という意見と方向性だけは一致したようだった。
因みにこの間、サンゲイザーは一言も発していない。
針鼠たちに取り入った際は多弁であるかのように振る舞っていた彼だが、そもそもこの獣人は構成員と一定の距離をおいていた節があった。まあ、企んでいたことがことなので、幹部以外に気の知れた付き合いがあるわけでもない。
なので、賊の面々にしてみれば彼が喋らないことは承知の上。蜥蜴の獣人が黙る間にも、作戦と言う名の脱出案が次々に上げられては却下されていく。
サンゲイザーはその時点で、猛烈に嫌な予感がしていた。
脱出計画に、首領であるスキンコモルが乗り気だったのだ――そう、あまりにも彼女が乗り気だったので。これはどうあがいても頓挫すると、この時点で諦めていた。ジンクスに心が負けた瞬間である。
まず、この蜥蜴の獣人は無理に逃げようとなど考えてはいなかった。
そもそも、どうして魔法瓶に会話を遮断する為の防音魔術が付与されていないのだろうか。視界を遮られた状態で収容されていた幹部はともかく、他の構成員たちは顔を見ることができる状態で雑多に棚に積まれ、会話が可能な状態でいたと聞く。
お互いの無事を確認しあうことができ、作戦を練る時間も暇も十分あった。食事はしっかり運ばれてくるし、治療にあたった白魔術士の腕も良かったという。
収容されているという事実を除けばほぼノンストレスで楽園だ。その状況で頭の捻子が緩むのも仕方がない。
……そうだ。そんなに都合のいい話があるだろうか。
どうあがこうとも、イシクブールに魔導王国が干渉したというのなら。
あの聴取係のような異質さすら良しとする国の人間が、何も考えていないわけがない。
あの強欲の権化が全力で「人を死なせない」ことに奔走できる仕組みを確立した国が、普通であるわけがない。
(……とはいえ、止める理由もなかった。作戦自体は悪くなかったし、何より魔法瓶が衝撃よりも急激な温度変化に弱いっていうのは盲点だったしなぁ)
賊の構成員は人族が大半だが、火魔術を扱える者も少なくない。幹部の一人である魔族のエドガーなんかは、十代にもかかわらず火魔術の扱いに関して頭抜けていた。
だから彼らは、至ってシンプルな作戦を立てた。
衛兵すら配置されていないこの部屋に、魔導王国の役人が来るとして。
役人の後に衛兵が続いて入ってくるようなら、すぐに作戦を開始する。
逆に数名の入室であれば、室内で乱闘に持ち込み制圧――人質を盾に脱出を図る、と。
サンゲイザーは横で聞いていて、さくさくと進む作戦会議に頷きを返した。
声を漏らすことなく外部に見えない反応だったので、多くの構成員は彼が昼寝でもしているんじゃないかと思っていたようだ。
少なくとも、応答していた中には我らが首領がいるのだから。この作戦はきっとうまくいく――限りなく追い詰められた状況下において冷静さを欠いた構成員たちは、一部を除いて賛同した。
一部というのは、首領のジンクスを知る古参の数名のことである。
(っつーわけで、実際に部屋に入って来たのは華奢な歩幅が二つだけだった。片腕が資料で塞がった白魔導士、あとは手ぶらの魔術士が一人か……これならいけると、誰かが判断した)
よって、魔法瓶が一つ。甲高い音を立てながら割れた。
次々に魔術を使える者たちが瓶から脱出し、周囲の団員を開放していく音がした。
耳に届いたのは圧倒的な人数差。こちらが有利をとった状況だった。
蜥蜴の獣人はこの瞬間。実は一瞬だけ、認識を改めている。もしかしたらいけるのかもしれない、と。天運が向いているのかもしれない、と。彼らしくもないことを考えた。
(……ま。結果は、言うまでもないわなぁ)
胡坐に肘をつき、目を伏せる。回想を終えた蜥蜴の獣人の頭上に、カンテラの灯りが差し込んだ。
明順応が追いつくようにゆっくりと瞬きをしていると、眉間にしわを寄せた赤服の女性と目が合った。
彼女はサンゲイザーが入った魔法瓶を両手で丁寧に持ち上げて、黒い箱から外に出す。
「あのぅ。今の乱闘、お聞きになってましたよねぇ?」
『……』
質問には答えず、蜥蜴は視線を逸らす。
そこそこの広間に長机。その上にしっかりと魔法瓶が敷き詰められていた痕跡がある。
床一面に散乱した硝子の破片と、ふるぼっこにされた賊たちが積もってできた山。
壁は焦げたり濡れたり穴が空いたりして、その横に数名の賊が服ごと磔になっている。
天井には、吊っていたカンテラがいくつか落ちた形跡。耳で聞いて想像するよりもはるかに大暴れをしたようだ――観察を済ませて視線を正面に戻すと、剣呑な視線が向けられていた。
「クレマスマーグ・サンゲイザーさん、でしたっけ。確か、お腹に穴が開いていた」
『ああそうだが。しかし、派手にやったもんだなぁ。耳で聞く分にはいい暇つぶしだったぜ』
「はあ、まぁ。直前になって逃げようとする輩は少なくありませんからねぇ。それでぇ、貴方はどうして最後まで動かなかったんですかぁ」
『必要がないと判断したからだ』
蜥蜴はこともなさげに言って喉を鳴らす。
『オレまで動けば、全員が一緒くたの扱いをされてもおかしくない。だが動かなかったならどうだ? 事実、アンタはオレが入った魔法瓶を恐れなく触ることになっただろ。そうした隙に付け入る機会を狙ってたのさ』
まあ、今の発言でその機会はなくなっちまったんだが。
細い瞳孔は目の前の女性を通り越して、資料を腕に抱えるおかっぱ髪の少年へと向けられた。
暫くの沈黙の後、余裕たっぷりに歪められていた口の端が下がる。
『上役はアンタか。いやはや、うちの構成員が血気盛んで申し訳ないねぇ。ま、オレがまとめてる訳じゃあねぇから簡単には止められなかった、とだけ弁明させてもらおうか』
「発言が二転三転するところを見ると、他にも考えごとがあった様子ですが。僕の顔に何かついていますか」
『あぁ? ねぇよ。強いて指摘するんなら……アンタら昼飯に芋揚げ食ったろ。トマの実のソースが口の端に残ってら』
つん、と。自らの口の端を指し示すサンゲイザー。
少年は首元に巻いた布を空いた手で握りしめ、懐から取り出した布巾で口元を拭う。
ジトリと向けられた赤い瞳に残ったのは羞恥ではなく警戒心だった。
『くかかっ。役人が浮かれるほど美味いって言うなら、オレも食ってみたいもんだぁな』
「成程。彼に聞いた通り、油断ならない」
「……油断の意味がずれてません? 気のせいですかぁ?」
サンゲイザーが入った魔法瓶を無事だった机に移し、赤服の魔術士が魔力の矢をつがえる。部屋中に散った数十の白い軌跡は床に転がった賊たちを瞬く間に拘束し、癒した。
「っていうかぁ。魔法瓶って内側から割れるもんなんですぅ?」
「ええ。わりと割れます」
さらりと言う白魔導士。
赤服の魔術士のこめかみに青筋が浮く。
「――わりと割れる物で犯罪者収容するんじゃねぇですよぉ!!」
「万が一、使用者が閉じ込められたりしたらそれこそ大事故でしょう」
「捕縛者の安全の確保も必須では!? そのための魔法瓶じゃないんですぅ!?」
「はあ、魔法瓶を割るような相手が魔法瓶に捕縛された事例がほぼ無いですからね」
「現に割られてんでしょうが!!」
「それは確かに。今回は運よく鎮圧できたとして、この場に僕ら以外が居合わせていたら大事になっていたに違いありません。なんにせよ魔法瓶の仕様に不満があるなら僕ではなく開発者に言うことにしませんか。僕にも申し立てる予定ができたので」
「……っ!!」
真赤なアプルの実の如く顔を火照らせた赤服の魔術士は、二言三言物申す勢いをどうにかこうにか腹に抑え込んで、息切れした。
ぶつくさ言いながら割れた瓶を避けつつ片手に裏返した紙を持つ。どうやら外に出た賊を記録するらしい。蜥蜴の獣人は、そそくさと視界から出ていく女性の背中を見送る。
「……お見苦しいところをお見せしましたね。さて、仕事は仕事ですので。気絶した相手に聞かせるものではないのですが、一応意識がある者は残っていますし。予定通り勧告の方をさせていただいてもいいでしょうか」
『華奢な見た目に反してずぶてぇなアンタら』
「何かおっしゃりましたか」
『いいやなにも』
「そうですか。貴方がたも、反意ありませんか?」
白魔導士が、部屋に居る賊たちへ問い掛ける。
瓶に収まったままの構成員は何も言わなかった。
視線を身に受けながら、少年は資料を手に一呼吸する。
「イシクブール、クァリィ共和国及び魔導王国間の協議が終了しました。本日をもってあなた方は『侵攻罪』に値されると判じられました。よって、指揮者六名の刑期は百十六年。他所属者の刑期は六十五年。執行期間中は第三大陸の発展と繁栄に従事せよ、と我が王は仰せです」




