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223枚目 「親友の条件」


 夏空を雲が行く。

 雨が降るような気配も無く、何もかもが「からり」とした空気だ。


 白い町イシクブールの蚤の市が最終日を迎えた次の日。

 カフス売りの商人は東市場(バザール)の仮宿に身を寄せていた。


 宿主に支払いを済ませ、昼食を調達する。屋台飯に舌鼓を打ちながら町がある方向の丘陵を眺めた。馬車道は商人や観光客を乗せた馬車がぼちぼち通るくらいで、草原は静かなものである。


(あの二人がサンドクォーツクに戻るっていうなら、ついでに護衛役を頼もうと思ったんだが……)


 渥地(あつしち)酸土(テラロッサ)の件は片が付いたものの、それ以外にも夜盗や悪質な商人はどうしても現れる。

 イシクブールからサンドクォーツクへ――馬を預けてしまったグリッタにとっては、半日全力で走ったとしても三日はかかる道のりだ。旅は道連れともいうし、お互いの危険度が下げられるならそれに越したことはないと思っていたのだが――どうやら、アテが外れてしまったらしい。


(お兄さんが気にすることでもなかったというわけか。……腰の調子も悪いことだし、今日まではこの市場に泊まって、明朝から歩き始めるとするかな)


 グリッタは荷物を背負い、東市場(バザール)を西に行くことにした。端まで歩けば、あっという間に夕方になるだろう。


(目下の目標は、生きて船都市に辿り着くことだ。まあ、今まで何度も往復したことがある道のりだから、不安も憂慮もないんだが……)


 同時に。この東市場(バザール)を訪れることは二度とないだろうとも、思う。


 カフス売りは暫く考えて、しかし首を横に振った。

 この六年間の逃亡生活で世話になった店には、顔を出さねばならないだろう。


 かくして商人はこの日中を比較的のんびりと過ごし、宿を探した後でその店を訪れた。


 香の匂い立ち込める天幕の中に並ぶ色とりどりの染色液。

 髪や布を始めとした、あらゆるものを「染める」ことに特化した薬品の専門家。


 第二大陸の獣人たちは彼らのことを「染屋(そめや)」と呼び、親しんでいる。


「よう、まだ店やってるか」

「……誰かと思えば、蚤の市で大活躍したらしいカフス売りじゃあないか」

「風の噂にしてはやけに具体的だな? 元気そうで何より」


 煤けた看板の下、染め上げた長い髭を指で弄ぶ老人が歯抜けの笑みをこぼす。

 先日訪問した際は緑色だった髭が、今日は青色だった。


「して。告白とやらは済んだのか?」

「っぶ、まぁだそんなこといってやがったのか!? 違うって言っただろうが」

「はっはっは。その様子じゃあいい結果じゃあなかったと見たぞ! だから言っただろうに」

「いやいや……俺は、相手がいたとしても爺さんにだけは教えねぇって決めてるんだよ」


 グリッタが轢き攣った笑みでもって答えると、老人は髭を撫でて「ふむ」と唸った。


「髪色と同時に憑き物でも落としてきたような顔にも見えるが。賭けは(わし)の負けだな」

「うん?」

「グリッタよ。お前さんに客人だ――店の奥に待たせてある、早う行け」


 カフス売りは首を傾げながら、促されるままに染屋の天幕に足を踏み入れる。

 布で仕切られた店の奥を覗き込んで、飲みこみ損じた唾にしばらく噎せることとなった。







 ラエルらが町を出てから一日後。


「えー。それでは。披露宴の進行と後片づけがつつがなく終わったことを祝いまして、一日越しだけどもお疲れ様の愚痴大会といこうじゃないか!」

「めぇ……ボクは聞き役だから構わないけど、キーナはそれでいいの」

「いーのいーの」


 かちゃーん。

 陶器がかち合う音が、とある彫刻士の工房から響いた。


 イシクブール西地区。陸橋竜の肋骨(ドラゴン・コストラ)に見下ろされる、昔ながらの町並みを残した旧市街地――酒と情報が渦巻く区域だ。


 その一角にある小さな工房では、今日も朝から誰かが石を削っているのだが。


 少年と青年はその音を気にするようすもなく、低いテーブルに急須と菓子とを用意して、器の茶を飲み干した。


「蚤の市が終わった直後に披露宴って何をするんだろうと思ったけど……まさか顔見せから全員が私服だとは思わなかっためぇ」

「そりゃあな。賊の侵入を許してしまったことへの謝罪と、何より今回の件の発端近くに居たのがまさかの遊撃衛兵だったもんだから。丸く収まったとはいえ着飾っていられるかっていう話だよね。特にネオンさん」

「め、めぇ……」


 死んだ目で追加の茶をいれるキーナに対し、何処か遠くへ目を逸らすペンタス。


 ツノ付きの獣人青年の脳内で想起されるのは、私服のサスペンダー付きシャツ姿だった旦那ネオンの首に「 (何がとは一身上の都合で明かせませんが)私はやらかしました」と表記されたパネルが提げられた瞬間のようすである。


 というのも、キーナとアステルが二人でネオンの首に提げたのだ。


 招待者の目の前で。婚姻の宣言として――家族になる儀式の一環として。


「……殴りかかろうとしてたパルモさんとか、それを抑えてたピトロさんとか。蚤の市で警護に回ってくれた商人さんたちとか、元石工の人達とか、使用人の方々も衛兵さんも遊撃衛兵のみんなまで固まって……めぇ」


 何があってああなったのさ。と、呆れた口調で菓子を摘まむペンタス。

 キーナも同じ木の皿から菓子を摘まむと咀嚼する。


 本日の茶菓子は、パンの耳をバターで炒めて塩をふったラスクだった。


「発案は僕だけど。採用を決めたのは母様(かあさま)だよ」

「めぇ」

「……意趣返しのつもりだったのを、逆の意味にされちゃったのさ」

「めぇ、なるほど」


 つまるところ、キーナは嫌がらせの意味もあって提案をしたということだ。結果はそうならなかったと考えれば、母親であるアステルの作戦勝ちになったのだろう。


(彼女はスカルペッロ家の名をネオンさんに背負わせると同時に、今回の件の責を一生かけて背負うと宣言したんだ――とはいえアステルさまには強烈な信者……いや、協力者がいるから、結果だけを見ると「アステルさまがネオンさんを庇った」ということになる)


 アステルとネオンの仲については、以前から知れ渡っていたことなのだろう。キーナの耳に届かぬよう情報統制が成されていたことを考えると、イシクブールの情報網を担う面々には深い話が伝わっていたに違いない。


 町長スカリィの棒読みで明かされた二人の馴れ初め話が「肥溜め騒動」なる珍事の説明から始まったこともそうだ。思い返せば思い返すほど、今回の披露宴は夫妻になったアステルとネオンの黒歴史暴露大会となっていた。


 流石に失明事件と蚤の市騒動について彼女が嬉々と語り始めた時はペンタスも戦慄したが、彼らはそれらを乗り越えてこの場に立っているのだと実感もした――恐ろしいのは、周囲が思わず感動することすらも「彼女」の掌上だったかもしれないということである。


 イシクブールの次期家長候補、盲目の元駆動技師資格保持者。

 エイストレーグ・スカルペッロ=ラールギロス=スキャポライト。


 二人の夫と息子たちを愛し、石工の住人に愛される人。


「……人心の掌握に躊躇がないなって、最近になって僕も気がついたよ」


 青灰の瞳が伏せられる。口の中に広がる塩味に眉間の皺を深くすると、もう一つと指が伸びた。ペンタスは顔をほころばせる。


「めぇ、良いことなんじゃない」

「?」

「キーナはアステルさま基準で動くことが多かったでしょ。キーナがキーナの考えで周りを見ることができるようになったなら、それは自立への大きな一歩めぇ」

「そういうもん?」

「めぇ」


 急須から足したお茶を口に運ぶペンタス。キーナは不服そうに両頬を膨らませた。


「そういうペタこそ、アイベックさんとは片がついたのかよ」

「ははは。つくわけない! あの人とは一生かけても相容れないめぇ!」

「……言う割には、こうして工房に出入りしてるじゃんか。というか、あの家売るって聞いたんだけど。あそこ、マーコールさんの工房だろ」


 キーナの言葉にペンタスは硬貨を歪めたような瞳を細める。


「それがどうやら、アイベックっていう人が身銭はたいて買ってくれるらしいめぇ」

「は?」

「ボクはそれを資金にして、第二大陸に行くつもり」

「はあぁ!?」


 思わず器を置く手が滑る。机の上にお茶が染みを作ろうとするのを、ペンタスが慌てて布巾をあてて食い止めた。


「めぇぇぇ今回の件、ボクにも思う所があったんだって! 墓参りしたらイシクブールに戻ってくる予定だから、気長に待っててよ!」

「ダブルとはいえ白き者(エルフ)と人族の短命さを舐めるなよ!? こちとら獣人の基準で旅をされたら困るんだ!! で、いつ発つんだ!?」

「わりと直ぐだけどキーナにだけは教えるつもりないめぇ」

「ペタおまえまじか」

「めぇぇ。披露宴を抜け出してまで何処かへ行ったり、ここ数日コソコソと何かを企んでるキーナにだけは、言われたくないなぁー」

「……」

「……」


 これ以上お互いを詮索するのも引き留めるのも、無益で野暮なことだ。


 歯噛みしながら少年は布巾を手にすると机を拭くと謝罪の言葉を口にした。

 丁度、石を彫る音に混じって鐘の音が聞こえたので席を立つ。


「昼時か。僕は家に戻るけど、ペタは何か予定があるのか?」

「めぇ。例の獣人さんに面会申請したのが通れば、午後あたり会いに行けるかなぁ」

「獣人さんって……あの人、一応犯罪者だぞ。あまり入れ込まない方がいいと思うけど」

「分かってる。その辺の分別はつくめぇ」

「つい最近市場(バザール)で死にかけたばかりなのに何を言ってるんだか」


 革靴を履き、帽子を被る。度なしの銀縁眼鏡の位置を直す。

 キーナは灰色の髪を日から隠すようにフードを被ると、戸を引いた。


「ペタが第二から戻って来たら、今回の賭けで食べそびれたケーキでも用意しようか。ネオンたちが作るケーキは美味しいって、ペタも知ってるだろ」

「めぇ、楽しみにしておくよ。キーナも、元気なのはいいけど無茶し過ぎないでね」

「……分かってるよ。約束はできないけどな」

「じゃあ、ここで誓っておこうよ。ボクたちは必ず、この町で再会するってさ」


 ペンタスは言って手を差し出す。キーナはその手を握り返す。


 固い皮膚と分厚い爪。薄い皮膚と柔らかい肉。

 ツノつきの獣人と、灰髪のダブル。


「ここに誓いは結ばれたり」

「誓って破ること叶わず」


 ぱし、ぱし、ぱしっ、ぱしっ――ごんっ。


 親友の条件は、約束を守ること。

 二人は握りこぶしを打ち合って、最後に拳を合わせると吹き出すように笑った。





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