222枚目 「依然と不易を愛したまえ」
四カ月前。サンドクォーツク港近く、狩人集う酒場でのことだ。
確か「牙には牙を」的な店名だった気がしている。
薄暗い店内は何時も酒の匂いに満ちていて、私が入り浸った数日だって客足が途絶えることは無かった。
店主も店員も、罵声や怒声を撒き散らす船乗りたちと口で渡り合う胆力を持っている上、常連のみならず新参者の扱いにも長けている。
しかし、これは儲かっているだろうなぁと感心していた矢先、産地偽装か何かで告発されてしまったのだ。全くもって非は無かったそうだが、風評被害で売り上げが激減してしまってね。
数日お世話になった店だからねぇ、何かできることはないかと思って店員さんに話を聞けばどうやら嵌められたということらしい。私は結局、その店の汚名を晴らす為に向かい道のお店の後ろめたいあれこれを告発することで潰したのだけども。まあここまでは導入だ。
最終的には港場と商業局と出入国管理局までも巻き込んだこの一連のごたごたは、紫の髪をした謎の旅人に一時のスポットライトを照射することになってしまった。人の噂もなんとやらとはいうが……魔術は繊細だからね、街をうろつくのにもリスクが高くなった。
この時の私はセンチュアリッジ島の件を耳にしていたこともあって、魔導王国の目を避けながら認識阻害魔術に頼った生活を送っていたんだ。
勿論この騒動の際も例外なくそうしていて、だからこそ気が抜けていたというか、こんなところで墓穴を掘ることになるとは思わなかったのだよ。
そうだ。紫の髪をした謎の旅人が、とある酒場の汚名を晴らしたと噂が流れて一週間。
とある宿に居座っていた私の元に、ひとりの一般人が訪れた。
私の顔を一目見るなり――あろうことか、「願った」のである。
「ここで言う『願い』というのは、祈りや展望のことではない。分かりやすくいえば『依頼』だね。『依然と不易を愛したまえ』は認識阻害魔術だが、被術者の認識を弄る魔術にしては出力を抑えたものだ。術者が被術者の申し出に首を振れば、たったそれだけの不快を切っ掛けに魔術が解けてしまうのさ」
これをきっかけに、私はあの港街で人種様々な三人の依頼人と関わることになった。
旅の予定は、大いに狂ってしまった。というわけだ。
他人事のように自分事を語った絵描きに対し、黒髪の少女が挙手をする。
スターリングには質問を挙手制にした覚えがなかったものの、まあこういうものかと流した。
ラエルはカンテラの灯りで暖を取りながら紫の瞳を光らせて、上げた手のひらを顔の高さまで徐に下ろす。
「まさか、この村でも依頼を受けたの?」
「おおよそそうだね。私と弟が浮島から第三大陸に墜落したのが半月前かな? そこで、命からがらここの村人に見つけて貰ったところ、ついつい魔術を使用した。閉鎖的な村だと分かっていればそのようなリスクを負う必要も無かったというのに、こればかりは防衛本能の失敗に他ならないね」
「……何を頼まれたの?」
「食えたものじゃない麦をどうにかしたい、と」
にこにこと悪びれることなく言った後、スターリングは少女の顔を見てくすりと笑みをこぼす。
「ははは。浮島でもそうだったが、案外凄い顔するよね、君――ってうぉお!? 音もなく拳を振り抜いていくれるな!! 危ないじゃないか!?」
「貴方こそ、浮島で私のこと殴り飛ばしたの忘れたとは言わせないわよ」
「あっははは全方位から殺気が飛んで来てる気がするなぁどうしてだい!? 私は事情を説明しただけだろう!?」
「肝心の情報を渡そうとしないからこうして物理交渉に励もうとしてるんじゃない」
「待て待て、大して鍛えてない拳が私の顔面を捉えたところで怪我をするのは君なんだが」
助けを求めるように視線を逸らせば、鼠顔の硝子玉と蝙蝠の黄色い瞳が男を射抜く。
しかしハーミットはラエルの肩に手を乗せると、元の位置に戻るよう促した。
針鼠も元の位置に座り直すと、何のことも無いように左右両方の口角を上げる。
「ラエルが手を汚す必要はないよ」
『です』
「うわぁ物騒」
スターリングは質の違う殺気でもしたのか身を守るように二の腕をさする。
ラエルとハーミットはその様子に頭が痛そうな顔をして首を振る。蝙蝠は剣呑と視線を向けながら皮膜を舌でつつき始めた。
『で。本村とやらの情報は何なんです。まさか適当を口にしたとは思えないです?』
「あ、ああ。それは私たちが墜ちた場所と関係していてだね。君たちが村を見て回った限りではそのような痕跡、見当たらなかっただろう?」
ラエルは目を瞬かせた。
確かに、高台から麦畑を一望した際には、土の抉れや木々の抜けといったような、何かが落ちてきたような痕跡はなかったように思う。
「それは、私たち兄弟が落ちてきた場所がこの村ではなかったからなのだよ」
「?」
「道なき道を作りつつ、こちら側へ辿り着いたともいう」
「……?」
再び百面相を始めた少女を視界に入れたスターリングはさっと口元を押さえると、笑いをこらえながら岩盤を指差す。
「解術宣言、『上昇する地の利』」
重く、固い金属の杭が擦れるような音と共に、カンテラで照らされた岩盤が土の下へと沈んでゆく。後に残ったのは山肌に口を開けるようにした洞窟だった。
「これは……」
「私たちが通って来た抜け道さ。この半月で中が崩れていないなら、ここから本村まで行けるだろうさ」
カンテラで照らす先には空気の流れこそあっても、村長の地下で見たような高魔力地帯化の兆候は見られない。つまり、この道を使えば魔力放射の心配をせずに本村へと辿り着けるということになる。
(こんな抜け道があったらバクハイム的には困りそうだけどな……)
真面目な気質が脳内で弁をたれているがはり倒す。情報の出どころがどうあれ、これはいい流れだ。そう思ってハーミットが頬を緩めていると、蝙蝠が足の爪を食いこませた。
隣を見てみれば、ラエルが真剣な面持ちでスターリングに詰め寄っている所だった。
歯が軋む音が、少年の耳にもはっきりと届く。
「――貴方は。私たちが目的にしている村を見てきたってこと」
「ああそうだ。とはいえ、意識も朦朧とした状態で山に穴をあけたものだから、はっきりとは憶えていないがね」
「どんな村だったとか、どんな人がいたかとか、少しでも憶えていない?」
「うん? 人の気配はなかったけども。私たちが墜ちたのは夜だったからね。詳しいことは分からないさ」
「……」
そう、よね。と消え入りそうな声を吐いて、掴みかかりそうな勢いだったラエルはすごすごと元の位置へ腰を落ち着ける。
浮島で「時箱」事件があったのは夜だった。解術後に落下していった彼らは、それこそ星と雲にもみくちゃにされながら第三大陸へ墜落したに違いない。
そのような状況で、この男は弟を守ろうと全力を尽くすだろう。山に穴を開けざるを得ない状況だったということは、落下地点が山肌だったということだ。そのような状況で視界に入る村のことなど――憶えているはずもないか。
ハーミットは、再び魔術で洞窟を塞ぐスターリングに懐疑の視線を向ける。男はひょうひょうとして振り向くと、細い瞳をさらに細めながら眉間に皺を刻んだ。
「情報の信憑性を図りかねているのかな。私は手段を選ばないというだけで、極めて一般良識に近い価値観を持った魔族だ。君たちが村のこと引き受けるつもりだというから、この情報を手渡すと決めたんだぞ。何をそう警戒することがある?」
「手段を選ばない時点で一般とはかけ離れてるからな。用心はするさ」
「う……む正論だ。それじゃあきちんと理由づけて安心して貰おうじゃないか、二度は言わないからよく聞き給えよ? 今から私は、極めて重要なことを白状するんだからな!」
重要、と聞いて少年少女の視線が集まる。
スターリング・パーカーは勿体ぶって咳ばらいをすると、三白眼をぱちりと開いた。
「――私たちの潜伏場所は、君たちが借りている部屋の真隣だ!!」
「……」
「……」
『……』
ぎぎぎ、と。男を指差したまま、絡繰りのような動きでハーミットが振り向く。
珍しいことに、少女の瞳からも光が消えていた。
こんなところまで針鼠に似てしまったかと、同じような目をしながら蝙蝠が欠伸をする。
「ラエル。ベッドは諦めて野宿しようか?」
「それは……素晴らしい提案だけれど、村長さんに不審がられることになるわ……」
『あの男、今の一瞬で逃げおおせたです』
「ぐっ、ツッコミどころが多すぎてラエルの方を向いてしまった!!」
「視界から外れた途端になんて、逃げ足が速いわね!?」
そも、真夜中の林中に少年少女 (と蝙蝠)を残して逃亡するとは。ラエルはスターリングが先程まで立っていた位置に呆れた視線を向けながら、敷物を片づけて布の皺を払った。
「仕方ないわ。今日のところは帰りましょう。あの人が嘘を吐いていないなら、明日も機会はあると思う」
「……そうだね。ノワール、道案内頼めるか」
『任せろです』
バサバサと羽音と共に飛び上がった蝙蝠を、ラエルが追いかける。
ハーミットはその背を追おうとして、ふと足元へ目線を下ろした。
敷物を剥がしたその下。砂混じりの柔らかい土の上には、この場に居合わせた三人の足跡とは別に、見慣れない靴底が刻まれている。
恐らくは成人男性の歩幅だ。それなりに鍛えているのか、足跡の深さに偏りが少ない。
目で辿ってみれば、それはスターリングが塞いで見せた岩盤の奥へと続いている。
(まあ……全てを話したわけではない、よな)
鼠顔の内側、琥珀が青く濁る――が、夜間の調査に自分の目が向かないことも分かっている。
ハーミットは後ろ髪を引かれながら、ノワールの羽音がする方へ踵を返した。
「……さて、どうにかノワールの夜目に頼って宿まで戻ってきたわけだけどさ」
「ええ。さっきシャワーまで浴びて、後は寝るだけよね?」
「そう、なんだけどさ――ラエル、テント貸してくれないかな」
「ベッドがあるのにどうしてテントなのよ」
「それ聞くの三度目!! 頑固だな君は!? (小声)」
『つべこべ言わず寝床に入るです。夜が明けるです』
「いや、でも……流石に……」
「あっそうだ。ノワールちゃんを挟んで寝るっていうのはどう?」
「…………採用!!」
『あんたら脳味噌どっかに落っことして来たです!? ちょ、掛け布団の中が温い!! 辞めろあんたらノワールを衝立代わりに引きずり込むんじゃねーですぎゃああああ!!』
最終的に、狭いシングルベッドにぎゅうぎゅうになって寝ることになった。
あれだけ悩んで騒いでいた少年少女は、ノワールより先に寝落ちする始末である。
(はぁ……全く……世話が、焼けるです……)
ノワールの虚無な視線に行き場はない。
やがて抵抗を諦め、黒飴のような瞳は閉じられた。




