220枚目 「麦粥にピクルスと酒」
「あっはっは!! なるほどなぁ、最近よぉく出かけると思えば、俺らの目を盗んで麦畑を描きに行っていたとは!! 水くせぇなぁ最初からそう言いなよぉ!!」
食堂に下りるなり、顔を赤くした村民の一人が声を上げて細目の魔族の背を叩いた。
思わずぎょっとしたハーミットを後ろ手で制すと、スターリングは一歩前に出る。
「あははは、というか、何時私が絵を描いていると存じて?」
「ん? リグって絵ぇ描くの好きじゃなかったか?」
「きらい、ではありませんが」
「んじゃあ『好き』だって言っとけよぉ。その内好きになれるだろぉー」
「そういうものですか?」
「そういうもんだろ!! おーい、こっちに追加の酒をくれ!!」
「ははは。酒じゃあ分からないだろう、発泡酒かい?」
「あぁ、発泡酒だ!!」
「奥さん。発泡酒を一つ、御仁に頼むよ」
そう言って視線を寄越してウインクすると、酒に酔った男性を席に座らせてスターリングは引き返して来た。
酒盛りを再開した男性は声をかけたことも忘れているのか、思いついたように立ち上がると別の住人にちょっかいをかけていた。彼の絡み酒はいつものことらしく、男性は窘められつつも嫌悪されている様子はない。
何時の間にか白磁の禁書を胸に当て。リグと呼ばれたスターリングはラエルとハーミットに、わざとらしく肩を竦めて見せた。
「ふふ、失礼した。彼は最近惚れた相手に振られてしまったそうでね。しかもその恋情が自分の弟に向けられているのだと知って、これが飲まずにはやっていられないんだそうだ」
「この村の恋愛事情には興味がないけれど……それは認識阻害魔術の延長? こんなに違和感なく他人の認知を歪められるものなの?」
「そこはこう。ちょっとだけ無理をしているのさ。魔術で器用なことをするには、決まって制限があるだろう?」
彼はぺらぺらと手の内を明かしながら酒場と化した食堂の端から端までを視界に収めて、ある一点に手を振り返した。村長とレーテだ。
スターリングはそのままニコリと笑い、立ち尽くしたままの二人に振り向く。
「さて、先程の質問の繰り返しになってしまうが。私はこの場を自然に立ち去ることができる。彼らは私を招いたことすら忘れてしまうだろうね」
カムメのような口が歪む。
「しかし、私は外界の様子が知りたい。君たちはこの村の状況を知りたい。ここは情報交換といかないかい?」
「……内容は?」
「ふふふ。聞いて驚き給え! この食堂で一番のオススメ料理と、村のゴシップ、あの石板についての考察、今ならおまけで本村関連の小話がついてくる」
「……」
「どうかな? 一夜で手に入る情報としては質がいい方だと思うんだけども」
ハーミットに詰め寄るついでにラエルにも視線を向けるスターリング。
オススメ料理もゴシップネタも興味はないが、後半の二つ――特に最後の情報は捨てがたい。ラエルが目を見開くがしかし、針鼠にはまだ冷静な思考が残っていた。
「対価として、こちらに何を差し出せと?」
「それは既に提示したじゃあないか。私は故あってこの村から出られないからね。村の外の話が聞きたい。そうだなぁ、最近あったという蚤の市の一件について聞かせてくれたなら十分さ。それを約束してくれるなら、私は『一度だけ』無条件で君たちに力を貸そう」
「……大人しく連行されるつもりはないと」
「それはそれ、これはこれだ。何しろ事情が事情だからね」
さて。時魔術は使わないぞ? じっくり考えてくれ。
彼は言って、テーブルから手つかずの魔法水を奪い取って飲み干す。席に座った住民は注文した飲み物がなくなったことに気が付かないまま、次の注文を入れた。
このまま情報交換に持ち込めずとも、この男は村へ入り浸り、今しているように他者の認識を掻い潜るのだろう。そして、目を離せばすぐにでも出て行くに違いない。
そうなればもう捕えられる保証はない。
だが、それ以上に。情報提供によって不測の事態が起こる可能性を危惧しなければならない。
スターリング・パーカーは、目的の為に他者を殺せる。
(それさえなければ、この取引には益がある)
ハーミットは暫し沈黙した後に、一歩だけ前に出た。
「俺たちが何を話しても、イシクブールとバクハイムに手を出さないと約束してくれ」
「それが、取引に応じる条件かな?」
「……ああ」
「いいだろう、交渉成立だね」
赤い瞳の三白眼が、硝子玉に映る。
男はそれから、人懐っこい笑みを湛えた。
食堂のオススメ料理というのは、麦粥のことだった。
バクハイムで獲れた麦を湯がいて潰し、サンワドリの身と香草とチーズなる乳製品を突っ込んでぐつぐつ煮詰めたものである。肉を柔らかくするために発泡酒を使用しているらしいが、これは熱で酒精が飛ぶのだとか。
匙で掬いつつ熱いそれを口に運べば、独特の塩味とサンワドリの肉汁が粥に絡む。ここに豆を入れても美味しいかも知れない――ラエルは舌鼓を打ちつつ、左隣で肩を落とすハーミットと、右隣で酔いつぶれたレーテと、すやすやと寝息を立てているエイブソルとを見比べて、果実水を口にする。
言わずもがな、これは全てスターリングの仕業であり、「邪魔が入ると時間が勿体無い」という理由からの間髪入れない鮮やかな魔術行使だった。
この時、針鼠の歯ぎしりがはっきりとラエルの耳まで届いたのは言うまでもない。
そして相性の悪い相手に説明をし始めたハーミットは、五分、十分と時間が過ぎる内に声音を隠す事すら辞めてしまった。
傍から見れば変わりない程度なのだろうが、スターリングが周囲に話題が漏れないよう魔術を行使したこともあって、素がちらちらと顔を見せている。
ラエルはその度に肩を小突くのだが、四回目を越えた辺りで諦めてしまった。
メルデルと会話をしている際の状態に近いと感じたからだ。それなら、仕方がないとも思った。
皿に盛られていた麦粥が空になる。
ラエルは皿をテーブルの中央へ寄せて、男性陣が食べ残したおつまみの処理に取り掛かった。牙魚の骨揚げに茹で豆、根菜の酢漬けなどである。
思えば酒を提供するような場所で食事をするのは初めてなので、目に入る料理は見慣れない物ばかりだった。ラエルの年齢では食べられないものもあるが、お酒に合わせた味付けは濃くて癖になる。たまに作る分にはいいかもしれない。
ぽりぽりと小気味いい音を口の中で鳴らしながら、これも料理のレパートリーに加えられるだろうかと思案していると、ついぞこちらに一度も話を振ることなく針鼠がテーブルに突っ伏した音がした。
「だ、大丈夫?」
「ははは。大方、口を動かすのに疲れたんだと思うよ。しかし、随分と面白い事件に巻き込まれて来たらしいな君たちは。蚤の市と聞く度に思い出しそうな騒動じゃあないか」
笑い涙を指で掬って、スターリングが新しい器に手を伸ばす。かなり速いペースだが、彼の胃に流し込まれるものが果実水なのか酒なのか、ラエルには判別がつかなかった。
「うん? 興味がおありかな?」
「いいえ。無銭飲食は許せないけれど、美味しいなら何よりだと思って」
「それは確かに。そこの針鼠なら、私の分も支払えるんじゃないかと思ったのも確かだ」
「流石にそれは、怒るわよ」
「だろうね。しかし私は無一文だ、この宿にお金を落とす方法はそれしかない」
「素直に投降したらいいんじゃない」
「それができたら苦労しないさ。私たちはまだ、自由でいたいからね」
空になった器がテーブルに置かれる。
(私たち、っていうことは。この村に居るのは彼一人じゃないのね)
スターリングが浮島から脱獄させた男。ラエルと同じ感情欠損。
バクハイムに来てから「彼」の姿は伺えないが、それはスターリングが意図的に存在を隠しているからなのだろう。
(私より重度の感情欠損患者だって聞いているけど……日常生活を送ることも困難なのかしら。それとも、人と会わせることを避けているとか?)
どちらにせよ、認識阻害魔術で認知を歪められた村人たちから証言を集めることもできない。難しいことは一旦針鼠の少年 (ふて寝)に預け、少女は取引に戻ることにした。
「次は貴方が話す番よ。石板と、本村のことについて教えて頂戴」
「えぇー、ゴシップは聞かないのかい!?」
「色恋沙汰に用はないの。人の命がかかってるんだから」
「噂一つで命が左右されることもあるんだがなぁ……ん? 人命がかかっているのかい?」
「そうよ。この土地の問題をどうにかしないと助けには行けないけれど」
「助けに?」
スターリングはそこでようやく面食らったように目を開いて、針鼠と少女とを交互に見る。
突っ伏したままのハーミットは聞き耳を立てているようだが、何も言わなかった。
ラエルがことのあらましを明かすと、スターリングは困り眉を作った。
「成程なぁ。だから君たちは必死だったのか。てっきり観光ついでにこの村に来たものだと思っていたから石板のことを教えたんだが。気づく時期が悪かったね、申し訳ない」
「時期が悪かったって」
「ははは。既に麦畑が変質するほどの魔力だまりだぞ? これが白木聖樹の成長のせいだとするなら、どれだけの窮地だという話。何しろ、聖樹の知識と蛮勇さえあれば第三大陸を滅ぼす切っ掛けともなりかねない! これは無視できない障害物だろう?」
「……」
「おっと、そう睨まないでくれ。もしもの話だよ」
ハーミットから放たれた殺気に怯むことなく、スターリングは酢漬けを摘まんだ。
「しかし。聖樹と聞いて驚かないところを見ると、石板の謎は既に解けているんだね。流石は魔導王国の四天王とそのお伴だ。現物は目にしたのかい?」
「いや……生憎、仕掛けの最後で詰まってるところだよ」
少年はずるりと体を起こして鼠顔の位置を整える。モサモサと動く針並みにスターリングは興味津々だったが、逆立った針を見て手を引いた。
「仕掛けの最後。というと、足りないのは鍵かな?」
「ああ」
「それは困ったなぁ。彼が持ち込んだ鍵では駄目だったのかい?」
赤い視線の先には、酔いつぶれたレーテが居る。
「鍵の所在に、心当たりはあるのかな」
「ある……けども……」
最近返却したばかりだとは、ハーミットの口からは言えない。
そして一番の問題は、その鍵が村の外にあるということだった。
「……彼の魔力量を鑑みても、次に結界を開けるのは二日後だ。俺が持っている魔石を足しにしたとして、早く見積もっても一日半」
「ふむ。しかし君たちは人命救助を目的にこの村へ押し入ったのだから、すぐにでも本村とやらに乗り込みたいのでは?」
「それは、そうなんだけどさ。道中は高魔力地帯になりかけててとても進めない」
「ほう、それを言うなら、聖樹をどうにかしたところでその道は暫く使えないだろう? 軽度であれ、魔力放射が落ち着くまで数年はかかるのだから」
「す、数年!?」
「そらみろ。紫目の君が驚いているじゃないか」
「……」
ハーミットが眉間を抑えて黙り込んでしまったので、ラエルはこの隙をついて飲み物と酢漬けの追加注文を入れた。長話にはつまみが必要である。
「魔法無効化の体質を利用できれば、魔力の供給源が力を弱めた時点で打開できない訳じゃあない。時間がかかっても、あの通路の範囲なら二日あれば……」
「ああもう、貴方が身を削る方に話を進めてどうするのよ。聖樹の剪定も関わるつもりなんでしょう、保たないわよ?」
「そうはいっても、今の所これしか思いつかないんだって。ラエルも何か案があったら言ってくれ。正直、一杯一杯で考える手が足りないんだ」
「……さては君たち、忙殺されるあまりに大事なことを見落としているね?」
何の為に彼らを寝かせたと思っているんだね。
スターリングの言葉に少年少女は眉を寄せたまま顔を見合わせる。
そういえばどうしてこのテーブルには村長とレーテしか座っていないのだろう。
エイブソルはともかく、レーテが連れてきた使用人を食事の場に呼ばないのは違和感がある。
針鼠が何かを思いついたらしい。
振り向いた先、指名手配犯はギラリと悪人らしく顔を歪めた。
「一度は手伝うと言ったばかりだろう? 使える人材は使いたまえ、四天王」




