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219枚目 「麦の髄から天井を覗く」


 藁網で飾られたカンテラに、藁で骨組みを編み飾った戸棚。床の絨毯も麦藁である。


 バクハイムに一軒だけある名も無い宿の一室。薄い木板と藁とで編み上げられた椅子には、埃まみれの金髪少年がしなだれかかるように突っ伏していた。


 そこに、艶やかな黒髪を湿らせた少女が現れる。

 シャワーを浴びる前と後とで微動だにしていない少年へと目を落とす。


「待たせてごめんなさい、ハーミット。言われた通り、魔法具で浄化魔術を三重にかけてきたけれど。貴方、案外潔癖なのね?」

「……」


 金髪少年は死んだ魚のような目をラエルに向けようとして、視界に入った素足から慌てて目を逸らす。彼女が言うように彼は潔癖なのか――いや、違う。そうではないのだが。ここで否定するより潔癖とみられていた方がまだましだと、判断したようだ。


「あっ、お湯熱いかもしれないから気をつけてね」

「う、ん。ありがと」


 できる限り目を合わせないようにしてハーミットがシャワー室に駆けこむのを、ラエルは不思議そうに眺め、見送った。


 脱いだ長袖のタートルネックと下衣の砂埃を振って落とし、雑念を払うようにシャワーのレバーを下げた。後方で装備品を広げる音が聞こえたので、彼女は恐らく魔法具の手入れをするつもりなのだろうと思いながら。


 水圧の無いお湯が傷を掠め、思わず顔をしかめる。慌てて調整するも上手くいかない。旅の出先ではよくある光景だ。最後は諦め、桶にお湯を溜め始めた。


 さて。何故少年少女が同じ部屋にいるのか。

 全ては半刻前程のできごとが原因だった。


 日が落ちる前に宿へと案内されたラエルたちは、荷物や装備の整理をしながら夕食の時間を待つことになったのだ。


 防風林に囲まれただけのバクハイムの夜は立地もあって冷え込むらしいとか、使用人だけでも二人居るので流石に三人以上同じ部屋に寝るのは厳しいなとか、「そういえば」と思い立ったようにレーテが振り向きニヤリとしたのを目にした時には嫌な予感がしたものだが……その全てが現実になるとは思わなんだ。


(まさか空き部屋が二つしかないとは。しかもレーテさんが変な気を利かせるとは)


 結果として、ハーミットとラエルは同室になってしまった。


 詰みである。


 というのも、これまで気を利かせて極力別々に部屋をとるようにして来たハーミットである。ラエルが何も言ってこない以上、嫌悪されては、いないのだろうが。


 そういう問題ではない。

 そういう問題ではないのだ。


(レーテさん、絶対身長と声で判断してるよね。俺が男だってことを忘れてるよね。いや、確かにこの姿と態度じゃ仕方がないけどさ? それでも、普通に考えて成人男性と年端もいかない女子が同じ部屋で寝るのは無いだろ。無い。絶対ない)


 死線を潜って来たこともあるが、彼の精神は人並みの成人男性である。なんなら廊下で寝るのも辞さない程度には意志は強固だったのだが、ラエルがそれを許す筈も無い。廊下にテントを張り始めた少年を引き摺って部屋に連れ込まれたのが半刻前――だった。


 シャワーを止めて、桶から水を汲む。


 指の間からこぼれるそれを身体にかけて、ほんの少し暖をとる。


 なんなら冷水を浴びたい気分だが、温度管理が行き届いた浮島ならともかく、ここでそれをやったら身体に悪いのは明白である。


 髪を鋤き、塞がりかけの傷口を洗いながら、ハーミットは別のことを考えることにした。


 水が跳ねる音でフラッシュバックする何かがあるのも確かだが (今まで生きてきて、耳が良いことをこんなにも悔いた日はなかった)、仕事のこととなれば切り替えができる。


 イシクブールのこと。スカルペッロ家のこと。勇者を探していた少年たちのこと。


 カフス売りの商人のこと。晶化のこと。渥地(あつしち)酸土(テラロッサ)のこと。骨守のこと。


 賊の処遇のこと。竜骨信仰のこと。蟲信仰のこと。アダンソンのこと。


 バクハイムのこと。青き螺鈿(ミスリル)のこと。高魔力地帯化のこと。


 ……あの絵描きの、こと。


 ひと際大きな音を立てて、お湯がタイルの上を這った。







 ベッドの上には、依然目覚めない伝書蝙蝠が鼻風船をつくっている。


 予備の服に着替えたハーミットが洗った服を小脇に抱えて部屋に戻ると、ラエルはブラウスに下衣を穿き、灰色のケープを羽織っただけの服装で床に座っていた。


 この後下階へ夕食をしに下りるということもあって、部屋を出る際にワンピースを重ね着する算段なのだろう――机もなく、ベッドと小さな収納棚だけが置かれた狭い部屋で、少女は資料を床にぶちまけている。


 いや、ぶちまけたように見えるだけでその実内容ごとに纏められている所を見ると、これはハーミットが普段部屋でやっている資料整理とほぼ同じ方法だった。

 ただ、資料保存の観点が頭から抜けているのか。乾ききっていない黒髪から落ちた雫はマットとブラウスに染みを作っていた。


「……何か、浮彫(レリーフ)に関する情報があればと思ったのだけど。さっぱりね」


 顔を上げ、思い出したように首にかけたタオルで髪を絞るラエル。

 どうやら髪を拭くのは得意じゃないらしい。


 ラエルの視界に入るように立ったハーミットが、せめて見本になるようにと髪を乾かしてみると、間を置いて同じような行動をとった。


 長い期間を砂漠で過ごし、浮島でもポータブルハウスでも乾燥装置にお世話になって来た彼女にとって、タオルで髪の水気を拭き取るという行為が慣れないものなのかもしれない――が、やはり飲みこみは早かった。


「第三大陸のことは、浮島を出るまでにあらかた調べたつもりでいたのだけど。ハーミットはあの石板が何か知っていたのね。だから何も言わなかった」

「……物を見る前に混乱を生んでも不味いと思ったからね。何しろ、人族の間では白木聖樹は大陸に一つしかないというのが共通認識だからさ。エイブソルさんとか、レリーフが完成しただけなのに泡ふいてたでしょ?」


 黒髪の少女の脳内に、レリーフ完成と同時にぶっ倒れた村長の姿が浮かべられる。その後直ぐに意識を取り戻したので心配はしていないのだが……確かに、衝撃は大きかった。


 第三大陸で有名な白木聖樹は、シンビオージにあったという。

 聖樹信仰の教えに沿えば、白木聖樹は各大陸にひとつ。第三大陸の白木聖樹は既に失われたことになっているはずだ。


「実際はそうじゃないのね?」

「うん。白木聖樹を研究してる人からすると、ね」


 ハーミットはラエルが広げた資料の中から地図帳を抜き取るとその場に広げ、第一大陸に指をのせた。


「……聖樹生育地の特徴である魔力だまりの観測数は、第一大陸で一カ所、第二大陸で三カ所。第四大陸は他国の調査を拒んでいるから推測になるけど、少なくとも数本はあるだろうと言われているよ」

「大陸に聖樹が何本もあること自体が、特に珍しいことではないってこと?」

「んー、そこまできっぱりと断言はできないな。珍しくないと判断できるほどの情報も記録も残されていないし。事実、聖樹がない大陸も存在する」


 例えば、魔導王国が管理する第五大陸には聖樹が生えていない。


 赤土の大地は第一大陸と同じだが、聖樹がある第一大陸とは違って第五大陸は不毛の土地がひたすらに続くばかりだ。耕地と炭樹(トレント)の森以外の植生が殆どないといわれるほど、大地が枯れている――魔族たちは農耕と家畜運用の技術を確立しているので、魔王の魔力供給が途切れない限りは食料危機に陥らないようになっているのだが。


「聖樹があるから大地が肥えるっていうのは言い得て妙な話でね。聖樹が肥やすのは『魔力子』であって、その土地自体じゃあない」

「……魔力子を増やして、どうするの?」

「成長して、胞子を散布して個体を増やす。つまりは反転(・・)だね。それを起こす」


 ハーミットは言って、ラエルはぽかんとした。


 聖樹といえば、人族の多くが信仰している対象でもある。

 それが普通の樹木と変わらない生態をしているという事実が意外だったらしい。


「周囲へ与える影響が大きいというだけで、聖樹がいち生物であることは変わりない。生態系から外れるほど特異性が高いということを除けばね」

「特異性……」

「ああ。聖樹は魔力を持った生物に害されないという特性を持つんだ。鳥であれ虫であれ竜種であれ、恩恵を受けることはあっても、聖樹本体には決して近づこうとしない」


 例外として、聖樹に寄生する蔦種があるけどね。と、懐から植物図鑑を取り出す。


 見開きのスケッチが示すのは、サンドクォーツクやイシクブールのあちこちで見られた聖樹信仰を示す蔦柄のオリジナルである。


「この蔦種を除いた殆どの生物は、本能的に聖樹周辺に発生する高魔力地帯の深層には踏み入らない。濃すぎる魔力子は毒になるからね」

「……人は?」

「勿論人間も近づけば魔力放射の影響を受けるよ――けど一方で、聖樹信仰の教えには『腕を天に届かせるな』という文言がある。あれは『定期的に聖樹を手入れせよ、怠れば良いことはない』っていう意味なんだろう」


 そこまで説明されて、ラエルはようやく合点がいった。


 麦の青き螺鈿(ミスリル)化現象を含め、イシクブールでスカリィが真に危惧していたのはこのことだったのではないだろうか。


 公にできない村の奥に存在するかもしれない聖樹の存在。それも長い期間、剪定されてこなかった可能性がある――そうなればいずれ、亡国シンビオージのような末路を辿るかもしれないと。


 しかし、ハーミットはそこで図鑑を閉じる。


 話が終わってしまったので、立ち上がった彼にラエルは疑問を呈さざるを得なかった。

 もし聖樹の剪定が必要になったとして、自分たちにそれを可能にする術はあるのか。と。


「方法がないわけじゃ、ないんだけど」


 金髪少年は髪を拭きながら明後日の方向を見て、琥珀の瞳を歪ませる。


「聖樹剪定は魔力子反射の魔法具を身に着けた剪定士が行うものだ。俺は魔法の無効化(マジックキャンセル)で魔力放射を回避できるけれど、剪定には切る役と拾う役が必要だから、最低でもあと一人は協力者が必要になる」

「私だと、力不足?」

「……君、魔術を封じられた状態で丸太サイズの枝を地面につかないよう受け止めたり、軽々と振り回したりできる?」

「む、無茶苦茶言わないで頂戴」

「うん。切るだけならともかく、受け止めるのは俺も無理だ。だから、もし聖樹剪定を必要とする状況になったら、村外から応援を呼ぶしかない」


 秘境の村に、これ以上外部の者を入れたくないというのが町長や村長の意見だろうが、手入れ不足の聖樹があると分かった今、手段を選んではいられない。


 穏便に本村への道を確保したかったラエルたちにとっては、厳しい展開である。


 革手袋の手を握り締めようとして、しかし緩める。この場で少年が一人焦ったところで状況は好転しない。ハーミットは浮かない顔をするラエルに笑顔を向けた。


「……とはいえ。まだ石板の鍵が解けた訳じゃあないし、隠されている物が聖樹だと言い切ることもできない。最悪の可能性があるから頭の隅に置いておこう、というだけだ。俺なりに根回しはしておくけど、君が気を重くする必要はないよ」

「秘密にされるよりはましよ」

「そうなのか」

「ええ」


 ラエルは答えて、それから思案に戻る。


 そう。あの石板の謎はいまだ解決していないのだ。


 レリーフの柄は確かに聖樹だったし、この土地に聖樹がある可能性は大いにあるが、肝心の問題が残ってしまっている。


 石板を集めて完成させただけでは、何も起こらなかったのだ。


 完成したレリーフの中心にあった円柱状の穴は、結局最後まで塞がらなかった。同じ太さの枝を突っ込んでも、うんともすんともしなかった。

 曰く、イシクブールで使われている鍵と同じ仕組みだろうという話で……しかし、レーテが所持していた鍵でも開かなかった。


(まずはあの石板の謎を突破しなきゃいけない。その為にはあのスティック状の鍵を片っ端から試していかないといけないのかもしれない。でも、イシクブールとここを往復するのはそう簡単じゃあないみたいだし……)


 せっかくここまで来たのに、という思いが無いわけでもないが、高魔力地帯化している洞窟を通り抜けることは寿命を縮める行為になる。死に繋がりかねない行動は最終手段だ。


「ラエル」

「なぁに」


 振り向かずに答えると、髪を拭き終えたらしい金髪少年が近くに寄って来た。

 考えている内は目つきも悪いだろうし、見ていて楽しいものではないだろうに。と思って振り向くと、頬に革手袋の指が突き刺さる。


「ちょっと。痛いのだけど」

「それはごめん。夕食の時間になったこと、気づいてるかと思ってさ」

「……全然気づかなかったわ」


 ラエルは資料を片付けてウエストポーチに納め、ワンピースを羽織って伸びをする。

 ハーミットは金糸の髪を整えながら口の端を結び、コートを羽織って鼠顔を装着した。


 ベッドに転がったまま寝息を立てる伝書蝙蝠はそのままに、魔法具で簡易結界を張った。


「それじゃあ行きましょうか」


 少女が言って靴を履き、鍵を開ける。

 同時に、隣の部屋の扉が開く音がした。


「――ラエル。鍵、閉めて」

「え?」

「いいから!!」


 ハーミットが言うも遅く、扉が開かれる。

 ドアノブを回したのは黒髪の少女ではなく、部屋の外の人物だった。


 ラエルが一歩後退する。ハーミットが庇うように前に出た。

 扉を締められないように、革靴が挟まれている。麦藁外套の裾がちらりと伺えた。


 扉を閉じようと力を入れたところで、男の声で「待った」の声が降る。


「ばっ、馬鹿なのかい君はぁ!? この宿が君のような猛者の全力に耐えられる作りをしているわけがないだろう、私の足がひしゃげる前に扉が壊れては困るだろうが!!」

「…………」


 ハーミットは鼠顔の下で、もの凄く嫌そうな顔をして。それから徐に扉から距離をとる。


 力無く開かれた扉の向こうには、顔をひきつらせた男が立っていた。小脇に抱いたスケッチブックと、昼間見たときには巻いていなかったマフラーが首元を覆っている。


「まさか堂々と宿に泊まっているとは思わなかったぞ、スターリング・パーカー」

「ははははは。気配を消すのは得意でね――して、少年少女。状況は進展したのかな?」

「……」

「ちょ、無言で閉め出そうとするのは辞めて欲しい。話が違う!! 彼女から聞いていないのか!? 私はこの村にも君たちにも手を出す気がないのだよ!!」


 男は息を吐いて、部屋の奥に行って退路を確保していたラエルに魔術を振るう。

 窓枠から遠ざけられた少女が手を伸ばすも、開けた窓は閉じてしまった。


「そ、そう殺気立たないでくれ。警戒される理由はあるがこの場は一旦、抑えて欲しい。私だってこんなイレギュラーに対応しなければならなくなるとは思わなんだよ」


 ラエルはハーミットに駆け寄ろうとして制止され、けれど『霹靂(フルミネート)』を放つことができるように魔力を練り始めた。


 拳を握りしめた針鼠に対し、眉間にしわを寄せた状態で器用にも笑ってみせたスターリングは、すぐに笑みを消して真剣な面持ちになる。


「えぇとだな。君たちの連れが、私を夕食に誘って来たんだけども」

「は?」

「……この場合、私は出席しないのが正解かい?」


 カムメのように口元を歪め、夕食参加の可否を問う。

 ラエルとハーミットは唖然と口を半開きにしながら、高身長をしばらく眺めていた。





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