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216枚目 「藍緑のカマイユ」


『んー。宿が三件どころか豪邸が数件は建ちそうだねぇ』


 と、換算中のベリシードが言ったところで。

 ラエル・イゥルポテーは鏡に魔力を注ぎ込む役から解放された。


 大きなお金が動く話はハーミットの領分である。ベリシードの見立てを聞きながら「……俺の貯金で足りるだろうか……」と、何やらぼやいていたが。多分、問題ないだろう。


 魔族であるレーテに魔力タンク役を引き継いだラエルは、ぶつぶつ言い始めたハーミットに断りを入れて散歩に出かけることにした。


 小屋を出る直前、鏡の向こうに居るベリシードに当たり障りないエールを送るとラブコールが跳ね返ってくる。それを、完璧に受け流して退出する。


 外を偵察していたノワールを呼び、一人と一匹で麦畑の外周をぐるりと回ることにした。

 真昼にはまだ早いからか、風が頬を撫でても熱いとは感じない。


 麦畑も、麦藁の屋根も、ラエルにとっては初めて目にするものである。


 市場(バザール)の馬宿に泊まった際に藁がどういうものなのかは知っているつもりでいたが、実際に生えている様子を目にしてみると、また違うものだなと思った。


『ラエルはそも、畑というものを見たことはあるです?』

「ええ、故郷にも畑はあったわ。土の代わりに水を使っていたけれど」


 資料室の書籍曰く、水耕栽培というのだそうだ。

 浮島内にも耕地はあるが、ラエルが見学した限りは土を使っての栽培だった。


『……ラエルが居た国って、砂漠じゃなかったです……?』

「そうよ。砂漠だからこそ、水がなければ国が成り立たないじゃない? まあ、透明な水は手の届かない代物だったわ。あそこの水、汲みたては砂で汚れているのよ」

『砂地に植わる生物はなかったです?』

炭樹(トレント)とか、腹下しの実とか竜の瞳とか……多肉の類はあったけれど。今思えば、砂より水の方に栄養があったのかもしれないわ。地下に水脈があったらしいの」


 白砂漠が立ち入り禁止になっている以上、それを確かめる術はない。それでも想像することは自由だ。ラエルは青色が刈り取られた黄金の麦畑を眺めて嘆息する。

 圧巻の光景だ。人の手で植えられた麦穂が一斉に風にたなびく。強い海風に晒されて尚、その茎が折れる様子はない。


 蝙蝠はそんな黒髪の少女を見上げて、黒曜の瞳をぱちりと瞬かせる。


『ラエル、麦畑を見たいなら高台にでも行ってみるです?』

「えっ。いいの?」

『針鼠なら、回線硝子(ラインビードロ)で状況を把握してるです。何かあれば追いかけてくるです』

「あぁ、監視ってそういう仕組みなのね……」


 ラエルは腰元に潜めた回線硝子(ラインビードロ)を指でなぞる。思うところがないわけでもないが、今のところは蝙蝠の背を追うことに決めた。


 第三大陸には森と呼ばれるほど樹木が密集した土地がない。


 とはいえ、竜の尾骨(ドラゴン・コックス)の麓には少しばかりの緑地帯が存在している。小道を抜けて枝葉を避けてみれば、そう遠くない時間に何かが行き来した形跡があった。


(上の枝がちょっとだけ折れてる)


 第二大陸に生息しているダッグリズリーのような大型の森獣がこの辺りに生息しているという情報はない。渡り鳥のカムメがぶつかったのかもしれない。


 そうやってぐねぐねと蛇行しつつ丘を登って行くと、いきなり開けた場所に出た。

 草が引き抜かれて整地された地面に、灰色の石板が埋まっている。


「ノワールちゃん、ここは……?」

『……』


 ノワールは無言で石板の前に降り立った。

 不自然にも転寝を始めたかと思えば、地面にぱたりと倒れる。


「――!!」


 ラエルは無言のまま、周囲への警戒を強めた。

 目の前で倒れた伝書蝙蝠と、今の状況を照らし合わせる。


 詠唱音は聞こえなかった。が、来る途中の道には人が通った形跡があった。


 後手に回ることがどんなに危険なのか、彼女は身をもって知っているつもりだったのだが――ラエルは太もものベルトから引き抜いた短剣を、振り向きざまに前方へと突き出す。


 しかし切っ先は空を切った。相手(・・)の頬の、薄皮一枚にも届かない。


 赤紫の髪をした細目の魔族は、凶器を向けられているにも拘らず、笑う。

 ナイフを持っていた手が捻られ、刃物が地面に落ちた。


 ラエルは顔を歪めながら、睨みつける。


「……どうして、貴方がここに……!!」







『はい、これ鑑定証明書。不備があったら工房まで持って来るんだね』

「ありがとうベリシードさん、フラン。凄く助かったよ――そうだ、虹の粉(コンシーラー)を二瓶、加えて今回と蚤の市の件の相談代も、別で領収に出して欲しい」

『はぁ、あんたに相談代の概念があったことの方が驚きだけど……まあいいや、調合してくる。フラン、ここは任せたよ』

『……いいけど、おれに金の話は通用しないよ……?』

『いいのいいの。こういうのは立ち会う第三者が居るかどうかが重要だから』


 ベリシードが工房の奥へと引っ込んでしまったので、場には男四人が残された。

 ラエルも外へ散歩に出てしまったし、手早く話を進めなければならない。


 バクハイムの村長エイブソルは髭をいじりながら鼠顔を見据える。どうやら、お互いに考えていることは同じらしい。


 碧眼と錆色と、硝子玉の視線が交差する。


「……この麦穂ですが。私が個人的に、この場で買い取ることは叶いますか?」

「買ってどうするのだね。我々にしてみれば、魔導王国に大量の鉱石資源を譲り渡すことになりかねないのだが?」

「所有権は魔導王国ではなく、あくまで私個人です。精錬後の青き螺鈿(ミスリル)塊であれば持ち運びにも苦労しません。まとめて手元に管理し、イシクブールやバクハイム、骨守に悪い影響が出ると判断した時点で惜しむことなく処分すると誓いましょう」

「……いくらで買い取るというのだ?」

「鑑定書に出ている額の、二割上乗せまでなら出せます」

「……………………」


 エイブソルは眉間にしわを寄せると唸り声を零す。


 それはそうだ、イシクブールの目と鼻の先に浮いている浮島は魔導王国の軍事拠点――取引の結果として多額の金銭を受け取ってしまえば、そこに魔法具に使用する良質な資材を大量に横流ししたも同然だ。例えイシクブール名義で取引したとしても、体裁が悪すぎる。


 だから、建前が必要だ。

 赤茶の髪を指で梳き、レーテが徐に口を開いた。


「エイブソル殿。麦を『譲り渡す』というのはどうでしょうか」

「ほう、譲り渡す」

「はい。彼らには先の騒動に多大な貢献をしていただいた恩があります。故に、この青い麦を贈呈という形で受け取って頂くのです」


 勿論、これは茶番である。

 三者三様に、悪知恵を振り絞っているだけで。


 そして、ハーミット・ヘッジホッグは――演技が得意だ。


「……では、蚤の市襲撃や東市場(バザール)襲撃で生じた被害への復興支援として、こちらから幾らか援助させて頂けませんか。貴方がたは骨守の教えを秘匿し、魔導王国を含めた他国との敵対を避けることができる。私たちは経済破壊を避ける為にもこの麦の存在を管理(いんぺい)したい。利害は一致しています。……いかが、でしょうか?」


 ハーミットがエイブソルの方を向く。

 エイブソルがレーテの方を向く。

 レーテがハーミットの方を向く。


 そうして男三人はお互いに小さく頷いたあとに、神妙な顔つきのまま、鏡の向こうに座する少年へと視線を移した。


 あと一押し、必要なのだと。そう言わんばかりの視線が注がれる。

 そして悲しいかな、(さと)いフランにはその意味が理解できてしまった。


 前髪をクリップで上げたことで晒されている顔では、嫌そうに歪んだことも丸分かりなのだが……鏡を挟んだ男三人組に引くつもりはないらしい。


 鑑定に関わってしまった以上、マツカサ工房も関係者の枠に入ってしまっている。

 フランは額を押さえ、それから意を決したように顔を上げた。


『……この麦は、おれの目から見ても非常に質のいい素材です。工房の実験などに活用させて頂けるというなら……いつかは消費しきることも可能……本工房に倉庫役を担わせて頂けるなら……本件に関する一切の事柄を……他言しないと、誓いましょう』


 魔法具制作、修理依頼の割引クーポン券もお付けします。と苦々しく呟いて、しかし目の前の素材の輝きには目がくらむようで。フランはこめかみに葛藤を浮かべながら返答した。


「では。正体不明の食べられない麦は、おぬしに贈呈するということで……」

「ええ。私はポケットマネーからイシクブール及びバクハイムへ資金援助を行うという形で……」

「何も知り得ない我々は、後のことをマツカサ工房さまにお願いするということで……」


 男三人組はろくろを回しながらお互いの手をがっしりと掴む。話は決まったようだ。


(大人って大変なんだな……)


 一人息子の丸まった背中を見て、ベリシードはケラケラと笑い飛ばした。


『どうだったフラン? これが駆け引きっていうやつだよ』

『初めての大型案件くらいは……まともな取引がしたかった……』

『あっはははは! 真面目だねぇ! いいことだ! で。肝心のラエルちゃんは何処に行ったのさ? そろそろ戻って来る頃だと思ったんだけどなー?』

「……そういえば、ノワールからの連絡もないな。高魔力地帯化が進んでて回線(ライン)の調子がおかしいのか……」


 一息ついた針鼠が懐から回線硝子(ラインビードロ)を取り出す。紫色の硝子が嵌め込まれた銀枠のそれは、鈍い光を灯していた。何度か通信を試みるも、反応はない。


 つながりが悪いのは確かなようだが、真面目な伝書蝙蝠まで応答しないのは引っかかる。


「村長さま。この村の周辺には、珍しいものがありますか?」

「ふむ、これといった見どころがあるようには思わないがの。先程は麦畑を興味深そうに見ていたぞ」

「この辺りは高低差の大きい土地だが、見晴らしは良いからね。村の中に居るのであれば、すぐに見つかると思うよ」


 ハーミットは二人の話を聞いて、三秒ほど考えた後に立ち上がる。


『おや、今日のところはお開きかな?』

「そうなりますね。ベリシードさん、虹の粉(コンシーラー)の受け取りはまた後で、ラエルが居る時に通信を繋げます」

『ご配慮感謝するよ気が利くねぇ!! それじゃ、また何かありましたら当工房をご贔屓に!!』


 上機嫌になった魔法具技師が笑顔を見せたのを最後に、通信鏡は只の姿見へと戻る。

 ハーミットは魔法具を収納しながら、嫌な予感が杞憂で終わることを祈った。







 その頃。黒髪の少女ラエルは、一人の変態と対峙することを余儀なくされていた。


 勝手も分からない林の中を逃げ回るのは得策ではない。

 謎の石板を背に、ラエルは男の手を振り払うとナイフを拾い上げて距離を取る。


(どうしてバクハイムに居るのよ!? 浮島から落ちた後、第三大陸に渡ったとは思っていたけれど――あの実力だから、もう第二大陸に逃げているものだと……)


 臨戦態勢になった少女を前に、男は慌てて弁明する。その腕には白磁の禁書ではなく、画用紙を束にして綴ったスケッチブックと、色つきの鉛筆とがあった。


「ああ、落ち着いてくれたまえ。伝書蝙蝠で君を誘き出したのは確かだが、私だって学習する。浮島でしたような強引な勧誘はしないとも――その蝙蝠も、ただ眠っているだけさ」

「……」

「こう見えて私も弟も、死に体でこの村に辿り着いたものだからね。誤魔化す為に多少の魔術は使っているが、村の人間に危害は加えていないし、そのつもりもない!」


 ――勿論、君たちを害する意思だってないさ。

 へにゃ、と男の口元が三日月のようになる。


 浮島で相対した時とは違う帽子を被り、藁を編んで作ったマントを羽織っている。

 旅人というよりも、現地の住民と交流しているかのような服装だった。


 ラエルは紫目を歪めつつも、構えていたナイフを下ろした。


 魔術を使われれば勝ち目はないが、少なくとも今の彼に敵意や害意はないらしい。


「……私に何か、用でも?」

「ああ。麦畑が気に入ったんだろう? 良い場所を見つけたんだ。穴場をね」


 浮島を落とさんとした襲撃者。

 人売りの天幕(テント)へ、ラエルを連れ込んだ張本人。


「無事に再会を果たしたことだ。ひとつ、世間話につき合ってはくれないか?」


 重罪人カーリー・パーカーを脱獄せしめたその男は――スターリング・パーカーはそう言って、画用紙を何枚かめくるとラエルに見せる。


 果たしてそこには、藍緑一色の濃淡で描かれた見事な麦畑があった。





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