214枚目 「石頭と鑿」
第三大陸の骨守の歴史は長い。
それこそ魔導戦争が起こるよりずっと前、第一大陸から第三大陸へ渡って来た人族が聖樹信仰を広めるまでは、極めて一般的な民間信仰だったらしい。
「儂の祖先は石頭を振るう家系だったという。頑固さもあって第一大陸の王国から勅命を受け、流された一族でもあるのだがな。
「そういうこともあって、石頭の職人一家と民間信仰の相性はあまり良くなかった。開拓を条件に第三大陸へ派遣された祖先さまは、イシクブールをそれなりに豊かにしようと尽力していたのだが……最終的にその役目をスカルペッロ家に引き継ぐことになる。
「きっかけは、石材輸出の売れ行きが伸び悩んだことだったという。つまり、売りすぎたのだよ。流通するあまりに晶砂岩のブランド力が落ちたのだ。そうなれば民間信仰に逆らってまで山を切り出す動機が弱くなる。町では分裂が加速するだろうと……新しい稼ぎ方を確立させたスカルペッロ家に家長を譲るに至ったのはそういう側面もあったらしい。
「ただ、事実とは得てして奇妙なものでの。この話にはまだ続きがあるのだよ。
「儂から数代前、イシクブールを統制する権限を失ったセット家は、隠居後はバクハイムに根を張った。石切りを辞めて何をするのかと思えば、石を切り出した大地の上に土を敷き詰め、何も無かった土地に肥えた土壌を用意した。
「セット家の人間は薄々勘づいていたのだろうな。いくら自分らが心変わりしようと、国をよくしようと働きかけようと、大きな権力には適わないということを――敵わないときが来ると予期したのだ。
「第三大陸はご存じの通り、殆どが交易品のやり取りで生活を成立させている。もしそれが途切れるようなことがあればどうなるだろうか?
「手持ちの硬貨が価値を失くせば、食料を保存するための香辛料を巡って争いが起きかねない。南側に住む人間に、砂漠の魚や三つ首鷹は容易に狩れないだろう、砂虫に食われて死ぬのがオチだ。カムメは年中いるわけでもなし、サンドクォーツクには牙魚が泳ぐ大海があるが……イシクブールには何もなかった。
「だからせめて、食料を用意しようとした。定期的に収穫が望め、この地で継続的に育てることができるなら、尚いいとな――地下で高魔力地帯の兆候が見られたこともあったからの。セット家はそれを逆手に取り、魔力を吸い上げることで成長する作物を選択した。それが、今目の前にある麦の穂ということだ。
「一度魔力だまりになってしまえば、一帯は毒地と化してしまう。幸いにも、麦は魔力を吸い上げて成長する生物だからの。農耕を始めた当時は高魔力地帯の傾向も収まりつつあったという。なにより、代々育ててきたことで魔導戦争の食糧難を耐え凌ぐ事ができた。
「何もかもが上手く行っている。石頭らしく、このまま変わらぬ暮らしを――と。異変が起きたのは、そうした矢先のことだった。一昨年ごろだったか、イシクブールの町長殿がこちらに顔を出したのだ。麦の味が変わりました。と、ひとこと告げたのだよ。
「土地に異変が起きるとき、最初に影響を受けるのは土壌や空気とされる。その次に根を張る生物、それを食べる生物、果ては人間。しかし僅かな変化に我らは気づかなんだ。明確な異変を目にするまでは特に気にかけなかった。
「……しかし、その結果どうなったかは言うまでもない。祖先さまが危惧していた事態は既に始まっている。最早、麦の成長だけでは土地の魔力を抑え込めなくなりつつあるのだよ。加えて異変が麦に表れたのがここ一年の話。はじめは数本だったが今ではこの通り、収穫の度に半分近くが染め上がってしまう。
「変質した麦の魔力を溜め込む性質から、一度は高魔力地帯の改善に役立てようとも考えたが……魔法具を生成する技術も無い我々のことだ、考え無しに行動したとしてその先は見えている。スカルペッロの家長は時期を待てと言い続けた。……そこに、示し合わせたようにレーテさまが、ぬしらを引きつれ、やってきたというわけだ。
バクハイム村長、エイブソルは村の麦畑を見やった。
畑にはハーミットとレーテがおりていて、その手にはそれぞれ鎌が握られている。
手持無沙汰になっていた黒髪の少女に経緯を明かした老人は、家から持ってきた麦藁帽子を手渡すと自分は地面に胡坐をかいた。
ラエルは麦藁帽子を被ると、蝙蝠を抱えたまましゃがみ込む。
「イシクブールで食べたパン、とても美味しかったわ。魔力濃度で麦の味が変わるというのなら、あの青い麦も食べられるものなの?」
ラエルはぼやく。エイブソルは口の端を歪めて乾いた笑いを零した。
「……おぬし、あれを食そうというか?」
「ええまあ。見た目はともかく、食べ物は大事にしないといけないでしょう? 今は良くても、いつ食べられなくなるか分からないのだから」
ラエルは割と本気で言っていて、そのことにエイブソルも気がついたらしい。畑に入って変色した麦を刈り取る二人を視界に入れた。
色がついた麦は固いらしい。畑には、刈り取りとは思い難い音が響き渡っている。
「……変色した麦はとても食えたものではなかったぞ。皮を剥いて湯通しようが、いつまでたっても火が通らない。すりつぶそうにも伸びる一方で酸にも強いときた。こうなると麦とは別物だの」
『……た、試したです……?』
「それはまぁ、美味ければそれでよしと言い張りたかったのも確か。ならばそれを実証する為に一度は食べるだろう。村の者は誰として口にしてくれんかったがの」
「そうなの。少し残念、新境地の食材が生まれたのかと思ったのだけど」
「っくはは、違いない」
エイブソルは後悔の欠片も無い笑みを浮かべた。
食べ試したことに悔いはないようだ。彼は彼で、相当食い意地が張っている。
「にしても。魔導王国から来たという割に、魔族は一人もおらなんだな? ぬしも彼も、魔力操作に精通しているようには思えんのだが」
『ハーミットはともかく、こう見えてラエルは魔術士です』
「そうなのかね」
老人に訝し気な視線を向けられて、ラエルはたじろいだ。
謂れのない疑いをかけられるならともかく、魔術士であることすら疑われる日が来るとは……。
『ラエルが気づいてないだけで割と言われてますです。意識していないだけです』
「そ、そんなに? 私、そんなに魔術士に見えない?」
「……おぬしは人族であろう?」
「そうだけれど」
「魔術士は普通、杖か魔術書を持ち歩くものではないか」
ラエルの目から鱗がおちる。
思えば、イシクブールのキーナは魔術を使う場では必ず魔術書を腕に抱えていた。彼の場合は人族と白き者のダブルということもあって、より正確な魔力制御が求められているからなのだろう……と、ラエルは勝手に解釈していたのだが。
「言われてみれば、勇者一行に居た白魔導士ですら杖を持ち歩いていたのよね……全然気にしてこなかったわ」
『ラエルは、杖や魔術書を使った魔術発現をしたことがないです?』
「ええ。少なくとも両親から習った方法では魔術書は読むものであって、使うものではなかったから。小さい頃に一度だけやってみて、もの凄く叱られたことがあるの」
『……?』
ノワールが眉間にしわを寄せる。何かしら引っかかるところがあったようだ。
一方、話を振った村長は顎の髭を触りながらラエルを観察していた。
周囲を警戒する視線運び。
お茶を振る舞った際に針鼠が「苦い」と口にした瞬間の、魔力の練り上げ方。
高魔力地帯になりかけたあの地下で「頭痛」程度の症状しか訴えなかったこと。
まるで「人族としての鍛え方をされていないような」印象を受けるのだが――考え過ぎなのかもしれない。
「エイブソル殿! こちらの青い麦はどこへ?」
「ああ、畑の端にでも集めて置くといい。後で倉まで運ばせよう」
刈り取った青い麦を束にして土の丘にのせるレーテ。
針鼠は黒髪の少女を見るとニコリとして、鎌の手持ちを差し向けた。
「え、えっと」
「気にせず行くといい。蝙蝠は儂とおるでな」
『です』
「あ、ありがとうございます」
「なんの」
麦藁帽子を風に攫われぬよう抑えつつ、ラエルも畑に入る。ハーミットから説明を受け、レーテが悪戦苦闘している麦の刈り取り作業を手伝いに行った。
青い麦の束を手に、初めての収穫に紫目を輝かせる少女。
たなびく黒髪に日の光が反射する。エイブソルは、潮の匂いを味わいながら目を細めた。
「……とりあえず、必要な分だけ刈り取らせていただきましたが。それでも結構な量になりましたね。もう少し集めたら藁のベッドが作れそうです」
「冗談は止してくれハーミットくん、こんなに固くて冷たい葉っぱが麦藁の代わりになるものか」
「ははは。ああでも、これで麦藁帽子が作れたらかなり頑丈なものになりそうですよ」
言いながら、こんもりと積み上がった青い麦穂に触れるハーミット。
話に聞いた通り、とてもじゃあないが固すぎる。食べる以前の問題だった。
「しかし、どう鑑定するというんだい? ここに専門家は居ないし、機材もないぞ?」
「ああ、それは……専門家に頼もうかなと」
「専門家」
レーテが振り返って視界に入るのは黒髪の少女だ。ラエルは首を横に振る。
ハーミットは収穫した麦を前にショルダーバッグの鍵を外すと、虹色の中に腕を突っ込む。
「よっこいしょっ、と」
ハーミットは、引き出しの箱から引っ張り出した魔法具を慎重に壁にたてかけた。
ここは、麦倉の内側である。
収穫した麦束の隣、魔石を嵌め込んだ巨大な鏡が輝いた。




