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213枚目 「麦穂揺れるはバクハイム」


 第三大陸南東部、竜の尾骨(ドラゴンコックス)の麓にて。

 遥か下方から打ちつける波の音が響き渡る、崖上の黄金色が毛並みを揃えて波を打つ。


 田園が延々と続く、骨守が隠してきた村。

 レーテはこの村のことを「バクハイム」と呼んだ。


 曰く、この村の敷地は半分近くが耕地なのだという。イシクブールのパン屋で使われる麦粉にはここの麦が使われているのだ、とも。


 魔力子の濃度を調整することで成長を促す農法を採用している――と。レーテは馬車の中で嬉々として語っていたのだが、村に辿り着いた一行の前に広がる光景には想像との乖離が伺えた。


 麦穂の村――その言葉に相応しく黄金の穂が揺れているが、それだけではない。麦畑の一部は青い葉と、青い茎と、青い実を揺らしていた。


 使用人たちと共に馬宿に馬車と馬を預け、改めて観察しても同じ風景が目に飛び込んでくる。おおよそ信じられない、とレーテは眉間に皺を寄せた。


 ハーミットは海風に揺れる青い麦を視界に収めると「ふむ」と唸る。


「名前の通り麦の村、ですか。しかし、あの麦はどういう品種ですか?」

「分からない。新種の病気だろうか」

「スカリィさんが言っていた、麦の味が変わった原因って……」

「うん、根本的ではないにせよ、一つはこれで間違いないだろうね」


 味が変わるだけで済むような異常には見えないが、レーテが驚いているのは意外だった。彼は馬車の失踪に気が付いて後、この村に立ち寄っているはずだからだ。


「少し前に視察した時は収穫の時期で、このような色をした麦穂は一つも無かったんだよ」

「……収穫すると、元と同じ色味になる可能性もありますね」

「試してみよう。村長に顔を通すから、二人と蝙蝠ちゃんはついて来てくれ」


 村の奥へと歩を進める二人の背を横目に、黒髪の少女も歩を進める。


 風に攫われる髪が蝙蝠の視界を遮らないように抑えながら、宿屋らしき建物の傍を通りかかる。そこには何もない広場がぽつりとあって、隅の方に巨大な竜の像が設置されていた。


「……?」


 イシクブールで見たような骨竜ではなく、肉と鱗がついた竜の像である。

 ラエルとノワールは首を傾げただけで興味を失くし、針鼠とレーテの後を追った。


 案内された先に建っていたのは小石を積み上げた壁に、麦藁で()いた半球状の家々だった。その中でも村長の家は大きく作られているようである。


 レーテが戸を支える柱にノックすると、内側から鈴の音がして、杖をついた老人が顔を出した。


「おはようございます、エイブソル殿」

「ええ、お待ちしておりましたレーテさま。……お連れさまも、こちらへ」


 炭を纏ったような出で立ちの彼は、しゃがれた声で一行を招き入れた。


 低い戸を潜ると、思いのほか天井が高いことに気が付く。小さな薄い石を積み上げた壁はモルタルで内側から隙間を潰してあった。薄暗いが、快適な空間だ。


 放射線状に張られた太い木材、壁に二つ、天井から一つ、カンテラの橙が揺れるその真下に老人は腰を下ろす。


 曲がった背にくぼんだ眼窩。青い眼光が紫の目と合った気がした。


「何もなくてすまないね、床にどうぞ」

「いえ、こちらこそ急な訪問になって申し訳ない」


 魔法を駆使して茶を淹れながら、老人は少年少女に目をやった。


 ラエルの右耳を一瞥し、針鼠の少年の方へ視線を流す――そういえば、ハーミットは町長宅で身に着けたイヤーカフを今朝方になって鼠顔の耳へと着けなおしていた――老人は晶砂岩の耳飾りがあることを確認して、ふと息を零す。


「……構わぬさ。して、後ろの二人と蝙蝠は何者かね。白の許しはあるようだが」

「はい。先日の騒動で町へ助力いただいた魔導王国の役人さまです」

「ご相伴に預かりました。魔導王国のハーミット・ヘッジホッグと申します」

「私はラエル・イゥルポテー、です。こっちは伝書蝙蝠のノワールちゃん」

『ニュイ=ノワールです』

「ふむ。言葉を介す蝙蝠とは、長生きもしてみるものだな」


 老人は淹れたお茶をレーテと針鼠、次いでラエルに差し出す。砂糖とミルクをふんだんに混ぜ込んだ紅茶は暖かく、朝方に冷えた身体に染み入っていった。


「美味しいです」

「そうかね」

「?」

「……」


 ハーミットは、含みのある言葉を耳に入れつつミルクティを口に含む。びしりと身体が固まった。

 じわじわと舌を蹂躙する苦味の乱舞。これは、毒ではないが……ノハナ草だ。


 ラエルとレーテが気にせず飲んでいる所を見ると、苦みを知覚しているのはハーミット一人である。彼らとの違いと言えば、晶砂岩のイヤリングを肌身に着けていないことぐらいだ。恐らく、それが原因なのだろう。


(偽物を身に着けていたら、この時点で露呈するっていうわけだ)


「ハーミット、どうかしたの?」

「……ずるをしようとした罰が当たったらしい」


 ハーミットははっきりと呟いて、スポンと鼠頭を外した。町長宅であれだけせがまれても外さなかった鼠顔の頭部が腕の中に納まり、偽物の耳からイヤーカフが取り外された。


 茶色の革手袋の上に耳飾りをのせ、老人へと手を差し向ける。


「色々と事情がありまして、直接は身に着けていなかったんです。アステルお嬢様から頂いたものですが、本物かどうか確認しますか?」

「……手に取るまでもない」

「いえ、こちらこそ誠意が足りませんでした」


 顔に張り付いた金髪を避けて掻き上げ、琥珀の目を伏せながら左耳に白いカフを足す。村長に「資格者」であることを知ってもらうためには必要なことだったようだ。

 老人は鼠顔の内側に消えたカフをとがめもせず、二杯目のミルクティを淹れなおした。


「口直しの一杯にしてくれ」

「ありがたく頂戴します」


 にこりと、鼠顔の下にある口が弓なりになる。うさん臭いと思ったのか、毒気を抜かれたのか、老人は固くしていた表情をぎゅっと凝縮して、それから眉間の皺を解いた。


 胡坐をかいたままの姿勢は崩さずに、老人の背筋がぐんと伸びる。

 海の底を想起させる碧眼は、イシクブール町長の目を想起させるものだった。


「儂の名はエイブソル。エイブソル・セット=ジーンという――して、早朝から何用かね。石工の商人よ。儂も年だが暇ではないのだぞ」

「話を聞いて頂けますかエイブソル殿。この骨守の地を脅かす事態やもしれないのです」

「ふむ。畑の麦のことかな、それとも別件だろうか」

「……ど……どちらから話したものか……」


 レーテは疑問を返したエイブソルに対してたじたじである。これは説明するにも長くなりそうだなぁとラエルは茶を飲み、見かねた針鼠はジェスチャーで応援の意思を示した。


 錆色の目がぎゅうと細められ、ゆるゆると村長に向き直る。茶を飲んだエイブソルはしびれを切らしたのか「そういえば先日の蚤の市はどうだったのかね」と助け船を出した。レーテはこれ幸いと話に乗っかることに決めたようだ。


「そうですね、まずは蚤の市の件について報告しましょう。全ては、二カ月前に第三大陸南西部で起きた馬車襲撃事件から始まりました……!」


(あ、長くなるやつだこれ)


 結局、少年少女も加勢に加わる。お互いに補足情報を呟きつつ、少しずつ説明する。


 魔導王国からやってきたラエルたちの目的と、イシクブールを襲撃した賊の顛末。骨守信仰に隠された蟲信仰と、謎の宗教団体「アダンソン」とが関係している可能性を探っていることについて。


 一通り事情を聞いたエイブソルは、呆れたように青い瞳を歪めた。


「……蚤の市の襲撃に加えて蟲信仰の露呈? 加えて失踪事件の疑いがかかったと? 問題が山積みではないか」

「め、面目ありません」

「……過ぎたことは仕様がないが、対策は講じてくれたまえよ」


 老人は杖を取るとおもむろに立ち上がる。尻の下に敷いていた絨毯を一枚剥がすと、床板を外して持ち上げた。暗い口を開けたその中には、地下へ続く梯子がかけられていた。


 外した床板を壁にたてかけて、エイブソルは少年少女と蝙蝠とを見据える。


「先に知らせねばならないことがあるでの。着いてきなさい」







 杖の先にカンテラをひっかけ、木枠が嵌め込まれた通路を歩いてゆく。

 ラエルは手袋越しに壁に触れる。壁はごつごつとまるで彫刻の肌のような欠け口だ。


 冷たさを感じて腕を引けば、革手袋がじっとりと濡れている。手袋自体は魔術式の作用で瞬く間に乾いていくが……どうやらこの通路全体が湿っているらしかった。


「手彫り……ですか。凄いですね」

「ああ。開山当時は職人たちが手彫りで岩を切り出していたらしい。しかし、早々に地下からの採掘を取りやめた。この通路はその名残なのだよ」

「それじゃあ、この壁は全て晶砂岩ということ?」

「ああそうだとも。建材によし加工品によし、晶砂岩は良く売れたと聞くね」


 レーテの解説を聞きながらエイブソルに着いて行く内に、吸い込む空気には湿気が増し、辺りに魔力子の匂いが漂い始める。ラエルはハーミットの隣に寄った。


(……何だろう、視界が気持ち悪い)


 こういう時、マツカサ印のゴーグルーでもあれば目の眩みが抑えられるのだろうが、生憎メンテナンス中で手元にはない。


「採掘を取りやめたのには、ひとつ事情があっての。まあ、見て貰った方が早い」


 老人は歩を進め、行きつくところまで来ると足を止めた。カンテラつきの杖を指し示せば、寸歩先は崖になっていて――その先は、照らさずともはっきりと目に見えた。


 白い壁がつららを作る巨大な鍾乳洞である。


 木に空く(うろ)の如く大口を開け、上下に牙を備えたような自然の剣山――そして。岩を這うように色づいた粘菌と、その子実体があった。零れた胞子が壁一面に根を張った内側から、赤紫の魔晶石が食い破るように生えている。


 吐き気がするほどの鮮やかさと、宙を舞い光り輝く胞子が煌めく度に霧のようになる。

 それは、魔力のたまり場になった土地が放つ色彩だった。


 ラエルは口を押さえ、ハーミットは鼠顔を少し上げる。

 琥珀の目に魔力発色が映ることはないが、状態は把握できた。


 ――高魔力地帯化現象、というものがある。


 空気に始まり、生物や岩や砂の一粒に至るまで、この世界の物質には魔力が通っている。


 人が集まる場所では「生物由来」の魔力濃度が上がり「土地由来」の魔力濃度が下がる傾向にある。発生源として区別されているが、由来が異なるというだけでほとんどの場合はどちらの魔力濃度が高くても生物や土地に大した影響は出ないのが普通だ。


 ただ、例外がある。

 それが、高魔力地帯化現象によって「魔力だまり」になった場合である。


 風の滞留で部屋の隅に埃が溜まるように、魔力の溜まり場ができてしまうことがあるのだ。

 魔力濃度が一定の値を越えると、周囲の生態系は大きく変化してしまう。


 生物の進化を促進し。物質の強度を底上げし。

 やがて繁栄した全てを追い出すように――現場には、粘菌と魔晶石の森だけが残るのだ。


 こうなると、獣はおろか人間も近づくことはできなくなる。


(ノワールは嫌がっているけど、気絶はしていない……)


 目の端で後方の蝙蝠の様子を盗み見たハーミットは、短い思考の後に顔を上げた。


「高魔力地帯の……なりかけ、ですね」

「ああ。そして、あそこが供物を捧げる祭壇である」


 エイブソルは杖先で遥か下方を指す。

 少年が覗き込めば、小さな石の舞台が目に入った。


 もっとも、祭壇と呼ばれていたのは過去の話なのだろう。傍目からは形が辛うじて分かる程度で、石台の表面は色鮮やかな粘菌で覆われていた。


「……ここ数年、あちら側から人が受け取りに来た気配はない」

「……そうですか」


 ハーミットは答えて、その言葉が意味する現実を飲み込んだ。


 一方、丸まったまま動こうとしないノワールを腕に抱いたラエルは、頭痛を堪えながらその光景を目に焼き付ける。


 粘菌と胞子に塗れた石台を超えた向こう側には、粘菌と半透明の結晶が覆い尽くしている壁がある。


(もし仕掛け扉みたいなものがあったとしても、これじゃあ誰も行き来できない)


 魔晶石は特異な物質である。硬度と強度は水晶の域を出ないものの、魔力に対して強力な耐性を持っている――魔法由来の衝撃ではびくともしないどころか、込めた魔力の分だけ吸収して硬化する上に、魔力は溜まれば溜まるほど毒になる。


 魔力は石に蓄積され続け、結晶はより頑丈に、巨大に成長する。

 その欠片を生物が取り込むなどすれば、予想もつかない災害が起こるのだ。


「……ここは長居する場所ではない。話の続きは畑を見ながらでもしようかの」


 エイブソルとレーテは踵を返し、吐き気を堪えていたラエルの隣を追い越した。

 針鼠は少女の身体を支えつつ、来た道を引き返す。この村の根もまた、深そうだと思った。





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