211枚目 「てのひら骨竜」
イシクブールの西には、墓地がある。
黒い石で造られた搭状のオブジェは一家が一つずつ所有する物だ。蔦が絡まるように装飾されたそれを端から順番に回りながら、ハーミットは腕にした花冠をかけていく。
彼は、見知った仲なのかそうじゃないのか幾つかの墓を選んで献花した。一つ一つ、花冠を塔に提げては聖樹信仰の作法に従って祈る。ラエルもこれに続くようにして奥へと歩を進めた。
一番新しい墓は、他の石塔が立ち並ぶ列の一番奥にあった。
汚れも色焼けも見られない、見事な黒色だった。
石切りの町に貢献した彫刻士、アルストロ・マーコールの墓だ。
塔に降りかかった落ち葉の一枚を払い落とし、二人は花冠を供えたのだった。
「アルストロさんって、どんな人だったんだろうね」
「そうね。アダンソンのことを片づけた後にでも、ゆっくり話を聞けるといいのだけど」
「……」
獣人は、故人を称えて尊敬する傾向が強い。寧ろ嬉々として語ってくれるんじゃないだろうか――ハーミットは言いかけて、けれどラエルが決めたことに口を出すつもりはないので辞めた。
(今夜には出発だし、妙に気合が入ってるのかも)
針鼠が思う以上に黒髪の少女は休むことが下手らしい。サバイバル生活の名残もあって、一度張りつめた緊張を解くことが苦手なのだろう。
彼女にしてみれば数日前に初めて対人戦闘を行ったばかりだ。過緊張になってしまうのも頷ける。
(……誘ってしまった手前、用事は早めに終わらせなきゃだな)
せめて最後の滞在日ぐらいは楽しんでほしい。そう願うのは罪じゃあないはずだ。
針頭がモサモサとしたところで、二人は賑やかな蚤の市を分け入っていく。
イシクブールの蚤の市では、町の奥から順に近隣住民が店を出すのが通例らしい。中央部に差しかかると、流れの行商人の姿が見られるようになった。
骨竜の像が見えた頃。石畳に敷物を広げて談笑する声が聞こえてくる。
小さな彫刻が可愛らしい敷物の上に並べられていた。
並ぶほどあるということは、売れ行きの良さと必ずしもイコールではないのだろう。閑古鳥が鳴いているその天幕に顔を寄せた客はひとりだけで、彼は売り主の彫刻士と会話をしていた。
客は、ラエルとハーミットの接近に気が付くと顔を上げる。
それは見慣れた顔をした商人で、額にバンダナを巻きつけた黒髪の人族だった。
「グリッタさん」
「よう、ラエル嬢ちゃん。ハーミットくんは昨日振りだな」
「珍しい組み合わせだね」
「べぇ。見る目がある商人とは会話が弾むものさ」
影に潜むようにしていた獣人が腰を上げて顔を出す。
ペンタスの父親、フォ・サイシ・アイベック。ラエルは彼と初対面だ。
「初めまして、アイベックさん。ペタさんにはお世話になっているわ」
「ああ、息子から話は聞いている。蚤の市では見事な立ち回りだったらしいじゃないか」
日の光が苦手なのか、目を細めながら言う彫刻士。彼はラエルの髪先からつま先までを流し見て、真顔のまま顎の下に手を添える。
「そこの彼も加えて、是非とも彫刻のモデルにさせてもらいたいものだ」
「も、モデル」
「相変わらず、彫ると決めた対象には遠慮がないですね」
「べぇ。それはだな」
「申し訳ないけれど、ごめんなさい」
「――こうして断られることが前提なのだよ」
自虐の笑みを浮かべ、予定調和だといわんばかりに元の位置へ戻るアイベック。
少年と商人は顔を見合わせて肩を竦めた。
一方で、黒髪の少女は並べられた彫刻に嘆息する。
「てのひら骨竜」と名付けられた二頭身の小さな置物だ。彫りの痕が見えないほど鍛錬に研磨されたつるつるの表面が、厳つい竜の頭骨と丸っこい身体とを覆っている。まるで高価な焼き物のようだとラエルは思った。
「めぇ! ハーミットさんにラエルさん! グリッタさんまで!」
「あ、ペタさん」
町の奥から現れたツノ付きの獣人に会釈を返す。片腕に荷物を抱えてやってきたのはペンタス・マーコールだった。
彼は手にしていた果実水をアイベックに渡すと、紙袋やら瓶やらが入った籠を天幕の影に置いた。どうやら店番を二人でしているようだ。
「目当ての品はあったか、べぇ」
「……彫刻道具と研磨道具と。あとは生活魔術搭載の魔法具ばかり、めぇ」
「べぇぇ。まあ、そういう日もある」
「めぇぇ」
残念そうに笑うペンタス。家具や食器、魔法具に装身具。様々な物が並ぶ蚤の市とはいえ、目的に適う品を手に入れるのは至難の業らしい。
「めぇぇ。ハーミットさんたちは、蚤の市回るんですか?」
「いや、町の外れに用があるんだ。それが終わったら戻ってくる予定なんだけど……こういう市は、良い物から売れていくんだよなぁ」
「ああ、それなら問題ないと思うぞ。鮮度が命の市場と違って、ここの蚤の市は時間刻みで売り出す商人が多いからなあ。おまけに今日は最終日だ、夕方の売り尽くしに店主秘蔵の代物が混ざっている可能性だってあるさ」
グリッタはひらりと手のひらを返すと肩にしていたマントを外し、腕にかけた。
「んじゃ、カフス売りのお兄さんもぼちぼち出立としますかね」
「めぇ!? 蚤の市の最終日なのに、売り時を見逃すんですか!?」
「……ま、まあな。そう言われちゃあ商人魂が燻るが、お兄さんにもやることがあるんだよ」
グリッタは彫刻を一つ買うとリュックサックに詰めて、二人の獣人と握手を交わす。半身を近づけてのハグは親愛の証である。
カフス売りはニコニコとしながら別れの挨拶を終えると、くるりとこちらを振り返る。ラエルとハーミットが顔を見合わせる間に、距離は埋められていた。
「よし、それで何処に行くんだ? 途中までならお兄さんも一緒に行くぞ」
「さも当然のように俺たちと同行する気満々なんだねグリッタさん」
「病み上がりの若人二人を野放しにできるほど、できた大人じゃあないんでね」
「俺も一応、大人なんだけどなぁ……」
ハーミットは鼠顔をふらふらと揺らしながら関所を目指す。ラエルは彫刻士たちに手を振りながらその後を追いかけた。
「ハーミット。町の外に用があるって言っていたけれど、二つ目の用事って?」
「一つ目と大して変わらないよ。やることは一緒」
「この町、お墓を置いている場所が二つもあるの? 地図を見た限りは西の墓地以外にそんな場所……無かったように思うけれど」
黒髪の少女の問いに男二人は神妙な顔をした。
イシクブールの正門は急な坂の上にある。関所を出て、蛇行するように刻まれた馬車道を下って行く途中、林の影から草原が見える場所があった。
東市場の天幕が集合する向こう側に視線をやって、針鼠の少年は口を開く。
「目的地はあそこ。東市場の向こうに水面が見えるだろう?」
「……もしかして、シンビオージ湖?」
「そう」
清々しいほどに晴れた空の下、ハーミットは草原を踏みしめた。
駆動を使った方が早いが、東市場は徒歩でも行き来できる距離にある。
イシクブールから南南西、シンビオージという湖のすぐ傍だ。
船都市からも買い付けがくるという生鮮市場は、色鮮やかな天幕をたなびかせては売り込みの声を張りあげる――その賑わいが嘘のように、湖畔は静かなものだった。
滅びた国の上に釣り糸をたらす勇気がないのか、釣り人の気配は無い。
休憩か、はたまた仕事からばっくれたのか、草原に腕枕で舟をこぐ商人がちらほらといる程度だった。
「……花冠って、さっきお墓で供えたもので最後だったわよね」
「うん、湖の水質悪化を促進するわけにもいかないから。花を投げ込むことはしないよ」
ハーミットは時刻を確認すると十字を切り、胸に手をあてて黙とうする。
それを見たラエルとグリッタは真似をするべきか否か、行き場のない手でろくろを回し始めた。
針鼠の少年は暫くして顔を上げ、はたと気づく。
やらかした。完全に無意識だった。
飲みかけた唾を、すんでのところで押し留める。
「おっ……と、ごめん」
「いや、別に構わねぇけど。今のって?」
グリッタの言葉に少年は言葉を失くし、しかし首をゆっくりと横に振る。
「個人的なおまじないだよ。それじゃあ、祈ろうか」
聖樹信仰の教え通り、ハーミットは指を編む。
思い知っていることを、今更になって突きつけられた心地だった。
獣人もどきの役人と、その同僚と、カフス売りの商人。
三人が関所を目指して歩いていくのを、ツノつきの獣人は「ぼう」と眺めている。
昨日話をしたときにも感じた危うげな雰囲気は未だぬぐえない。だが、ラエルの表情はいくらかましになっていたように思えた。
(彼女は、ボクらに全てを明かしてくれたわけじゃあないんだろう)
ペンタスやキーナの預かり知らぬところで彼女を取り巻く事件が進行し、方法はともかく多少は解決された。それだけのことに心が揺れるのは、彼女の傍に立つ少年が「元勇者」だと知っているからだろうか。
(そうじゃなかったら、嫌だな)
六年前の災害を差し引いても、ペンタスは勇者を嫌いになれない。しかしそれはそれとして、彼女の悩みを解決するには彼ほどの人徳が必要なのだろうかとも思ってしまう。
(……薬の匂いは薄くなっていたけど、ハーミットさんの治療はまだ終わっていない。町の外に用があるって言っていたけれど。どうして、今日なんだろう)
流れの商人であるグリッタはともかく、少年少女の行動はまるで「今日しかない」とでもいうような。
「そんなに気になるなら、行って来るといい。べぇ」
硬貨を潰したような目を瞬かせ、ペンタスが振り返る。
黒毛の獣人は売れない彫刻を手にしながら「二度は言わないぞ」と念を押した。
「父さん、ひとりで売り子できる、めぇ?」
「べぇぇ。蚤の市の参加も今日で三日目だ、どうにかやるさ」
「めぇ……迷惑にならないかなぁ」
「多少はそう思うだろうが、彼は一時の感情に振り回されるほど子どもではないだろう」
「……」
「お前がもし、彼に問うたなら。対面できる確証がある内に答えを受け取るべきだ」
アイベックは止まっていた手を動かす。彫りに特化した手元はぎこちなく、息子が磨き上げた像に傷がついていく。それでも彼は四苦八苦しながら、改めて磨き直していくのだ。
ペンタスは、亡くなる前に祖母が口にした言葉を思い出す。
「つけた傷を塞ぐ術を持たずとも、躊躇わず磨かれた石は美しいものだ」と。
あの言葉は、綺麗ごとだと知っているけど。
スカルペッロの嫡男のように、あんなにも素直には問えなかったかも知れないけれど。
ペンタス・マーコールは果実水をぐいと飲み干すと器をその場に置いて、必要最小限の荷物を手に駆け出した。
アイベックは、白い石畳を眩しそうに見つめる。
影を伸ばし走る息子の背が、亡き妻にも在りし日の勇者にも見えて――硬貨を潰したような、その瞳を伏せた。




