209枚目 「シルバーティップス」
暖かい紅茶の上に、僅かばかりの産毛が立っている。
「――だ、れ、が『権力と武力を駆使して引き留めにかかるだろう』ですか、私にだって会話をする余地はあります。して、貴方は普段半日かけて開いている結界を更に短時間で開閉しようとしていましたねレーテ? 何故嬉々として魔力導線に焼きを入れようとするんですか?」
「……スカリィ、君は笑っているほうが綺麗だよ」
「蹴り飛ばされたくなければ適当なことを言って誤魔化さないでください」
定位置である旦那の膝の上に腰かけて、ナイトフォーマルなロングワンピースに身を包む。白く塗られた爪は鋭く、朱色があしらわれた唇は引き攣ってしまっているが――イシクブール町長、ヴェルニー・スカルペッロ=オッソはドスのきいた声で追撃にかかった。
赤茶の後頭部を向けて、精一杯現状から意識を逸らそうとする旦那のつむじに人差し指で攻撃を加えつつ、彼女は「ふふふふふ」と思い出したかのように空笑いするのだった。
一方、対面する席にはお茶を片手に静観の姿勢を貫く二人が居る。
黄土色のコートに身を包んだ針鼠の少年と、灰色のケープを羽織った黒魔術士の少女である。
……一種即発の状況だが、緊迫した空気はない。
ハーミットは口元を晒しているし、ラエルは菓子に夢中だった。
スカリィは旦那のつむじを小突きながら振り返る。
「貴方がたも、何故私に相談して下さらなかったのですか!?」
「ははは。六年前の事例がありますから、つい警戒してしまいました」
「あれは喧嘩の延長です!!」
「真顔で言いきりますか」
ハーミットは呆れた風に笑みを零す。
勇者として場に居合わせた身にしてみれば、スカルペッロ家が過去に引き起こしたソレは「喧嘩」などという微笑ましいものではなかった。
弓引きと健脚の闘いが成立するという力関係も恐ろしいが、それはそうと屋敷を半壊させるわ裏山の木々をなぎ倒すわ。まるで嵐のようで……口にはしないが、よく憶えている。
「私が存じている『喧嘩』はあくまでも対話による解決を主とする平和的なものです。貴女がた一家の家族喧嘩は夜襲あり奇襲ありの大乱闘の間違いでは?」
「まるで見てきたようにおっしゃられますね!?」
「資料は穴が開くほど読み込んできましたから」
「……っ!! ……っ!!」
「スカリィ、人のつむじを八つ当たり先にするんじゃないよ」
流石につつかれ続けて痛くなってきたのか、レーテが困り眉を作ってスカリィをなだめた。
(魔導王国の資料に細かいことが載っているわけじゃあない。あくまでも記録にあることだけを口に出したとはいえ……案外気にしてたのかな)
冷めてしまったお茶を飲み干し、器を置く。休息の時間を邪魔されたことに恨みがあるわけでもないのだが。説明を済ませた以上、スカリィの意図が気になるところだった。
彼女はイシクブールの町長だ。骨守信仰について何も知らないとは言わせない。
少年が愛想笑いを辞めると、彼女も気が済んだのか両手を膝の上に揃えた。
「本当に、調査を引き受けて下さるおつもりなのですか」
「はい。その為にイシクブールに来たと言っても過言ではありません」
針鼠の言葉にラエルも首肯する。
紫色の視線が、町長の青い双眸と合った気がした。
スカリィは二人と旦那の顔を交互に見比べると苦い顔をしてみせた。
馬車の失踪にしたって、元を辿れば骨守の大本が関与しているやもしれないのだ。
相手の概要も何も分からない現状は、不安に違いなかった。
「確かに明後日は、アステルとネオンの披露宴がありますが。これは無理に出席してもらわずとも構いません。魔導王国から来てくださった役人さまの仕事を、これ以上遅らせるわけにもいきませんから」
「それでは」
「ですが。次の明朝での出発は認められません。特にレーテ、貴方は二日前に大規模な結界操作を行った身。せめて明日の蚤の市が終わるまではしっかり休みなさい――それと、貴方がたも。ハーミットさまはともかく、ラエルさまは本調子と程遠いでしょう」
ぎっ。と、睨むように視線が移動する。硝子玉の瞳がぴくりと跳ねた。
「ラエルさま。貴女は蚤の市で、その役目を十二分に果たしてくださりました。しかし、最後の一手を時の運に頼るのは最終手段。無謀な在り方は身を滅ぼすことに繋がるでしょう。他者を重んじるにせよ、自身の命の重みを忘れることがないように」
「は、はい」
「ハーミットさまも、よろしいですね」
「肝に銘じておきます」
「……いいでしょう。年長者からの説教はおしまいです」
弧を描いた朱色をなぞるように、細い指が口元に添えられる。
「結界の解術は明日の夜に手配を致しましょう。今夜と明日は羽を休め、英気を養っていただければと――思います」
海のような目が、揺れた。
席を立とうとした少女は、動かない少年の様子に口を結ぶ。
「スカリィさん。ひとつ、よろしいでしょうか」
「質問であれば、焼き菓子が無くなる前にお願いしますね」
「貴女はどうして、蚤の市の初日から時間を買うことに夢中なのですか?」
時間を買う。
時間を「稼いでいる」。
ハーミットは硝子玉の目を向けたまま、動かない。
手動の針並みだけがモサモサと音を立てた。
スカリィは青い瞳をゆっくりと瞬く。音もなく器がテーブルに戻された。
「……蚤の市の混乱に乗じて。腕の立つ骨守を一人、村に送り込みました」
「!」
「隣村での違和感は以前からありましたが、それらは些細なものでした。しかし数年前から目に見えて、麦の味に、牧草の伸びに、庭の果実の成りように、性質の変容が見られるようになったのです」
そういえば。町長宅の庭の草は、膝丈に伸びたものを毎朝レーテが刈り取っていた。
年中実が成るアプルの木。それを疑問に思わないほど慣れてしまっていたアステル。
白い枝と呼称されるパン――雑誌に載るほど評判が良いのは、何時からだろうか。
「……万が一を考えてのことでした。イシクブールが賊に占拠されてしまった場合、対応できる人材が一人でもあちら側に控えていて貰わねば困りますから」
「なぜ今まで黙っていたんですか」
「理由を明かすことが、貴方たちの益になりうるとは思わなかったものですから」
「……隣村に行けば、嫌でも分かると?」
「そういうことです。代わりに、私は何も知りえません。隣村で貴方がたが何を目にしようが、何を手に入れようが。一切干渉しないと誓いましょう」
スカリィは淡々と言うが、伏せられた瞳に覇気は感じられなかった。
(私たちは何も知らない、って? 手に入るとか、干渉しないとか、一体何の話?)
疑問から眉間に皺を寄せたラエルの横で、ハーミットは静かに思考する。
植物類の異常。性質の変容。
それらを促す要素に心当たりがあるらしい。
(まさかな。これがもしラエルたちの件と関連しているなら、厄介この上ないぞ)
少年はポーカーフェイスを作り出し、戸惑いを隠し通す。
この場に必要なのは緊張を解す愛嬌と、焦燥を和らげる安堵。
「――分かりました。その件に関しましても、できる限り対応をすると約束します」
花のような笑みと、不安を吹き飛ばす美声だった。
本調子の強欲。そのハッタリの効力は伊達じゃあなかったりする。
夕食を馳走になり、ポフへ帰ると紅茶が冷めきっていた。
あの後アステルとキーナが合流したこともあって、町長宅で何時間話に花を咲かせたか分からない。時計を見ると、浮島に居た頃の就寝時間とぴったり同じだった。
(でも、アステルさんにクラフトを見せる約束も果たせたし。ベリシードさんと違って身の危険を感じないから、ついつい話し込んじゃったわ)
ハーミットは最後の確認事項があるからと、ポフの前で誰かと話しているらしい。
ラエルはカップとポットを片づける為に手に取った。
長時間放置した紅茶は赤を通り越して黒い。それを砂糖で誤魔化して口に運ぶ。
喉に残る渋さと舌を這うざらつきに、思わず飲みこむ口が止まる。
(何かを飲むことにためらいを持つ日が来るなんて。数か月前までは思わなかったのに)
ラエル・イゥルポテーは器をぐいと持ち上げる。
勿体無いの精神が勝っていた。この不味い紅茶を少年に飲ませたいとも思わないし、飲み干すしかない。
ノハナ茶だってそうだ。彼女は毒以外の飲料を無駄にする考えを持ち合わせない。
「…………美味しくない」
本音が零れる。
泥水よりはましだが、金属を口に入れたような味がする。これ以上は喉がやられてしまいそうだと、害のない飲み物に対して危険を告げるアラートが鳴っている。
ラエルは、しぶしぶと器を置いた。
半分以上残った紅茶を飲み干す自信は無かった。
カンテラの橙が映り込む。白く反射した水面が揺れる。
時々、嫌というほど思い知らされるのだ。自分自身が変わっていくことを。
白砂漠で暮らしていたラエルと今のラエルとでは、砂魚と牙魚ぐらい違っているのだということを。
あの天幕で檻に閉じ込められた時の自分と、今の自分と。
確かに変わらないのは、両親を見捨てられないという感情だけなのかもしれない。
(でも。知ることは悪いことじゃ、ないはず。……そうよね、父さん)
知ることで変わっていくのであれば。それは必要な変化なのだろう。
良し悪しの判断はつかずとも――ラエルはそれを飲みこむと宣言したばかりなのだ
(アダンソンが骨守とどう関わっているのか、そもそも関係性があるのかも、まだ確定じゃあないけれど。今までと違って情報に手ごたえがある気がするし)
姿をくらました両親や信者たちに追いつく為に必要なら、隣村の事情とやらもどうにか解決するしかないだろう。調査を引き受けた以上、ラエルにも責任がある。
(出発は、明日の夜)
支度をしなければならない。蚤の市の時のように場に流されるのではなく、ラエル自身の意思で。できる限り体調と精神を整えて、来る日に備えなければならない。
だって、黒魔術は――。
「…………」
(でも。本当に、それでいいんだろうか)
濁った色のお茶が、流し台に零れていく。
玄関の扉が開く音がした。蝙蝠用の小窓が開く音もした。
考えることを諦めるな、と。
彼らならそう言うんだろうなと。ラエルは思った。




